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君が散るならば、俺は  作者: 隼加うみ
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第3話:時として出会いは、絶望の幕切へと成りかわる

 学校というものは大抵どこにでも人がいる施設だ。

 だが、一人になるのはそう難しことではない。

 周りの人間をすべて敵に回すような言動をとればよい。たったそれだけで、人なんてすぐに寄り付かなくなる。

 しかし、これは『学校』というひとつの社会から孤立することを意味する。

 ただ単純に一人になりたい。ひねくれた考え方ではなく、『物理的』に一人になりたい。つまり、一人になれる『場所』や『時間』が欲しいという場合であれば、先の手段が適切であるとは言い難い。

 この方法は簡単ながらも高レベルな技術を要するのだ。

 ただ一人になりたいだけなら、これほど楽で確実なやり方は他にないだろう。

 しかし、一口に『一人』といっても、そこには様々な種類が存在する。

 誰からも無関心で、空気のような扱いをされる『一人』。

 周囲の人々から一目置かれ、崇拝すべき尊き存在として扱われる『一人』。

 恐怖の象徴であり、周囲から畏怖の念を抱かれる『一人』。

 数多の奇行や妄言によって関わらぬが吉と判断される『一人』。

 そして、…………………タクトのような『一人』。

 つまり、この手段を用いて自分の望むような一人になるには、それなりの経験と技術が必要となってくるのだ。

 では、学校で『物理的に一人』になれる『時間』と『場所』を手に入れるためにはどうすればよいのか。

 そのサンプルがこちら。

「低脳の類人猿共が。一匹残らず駆逐してやろうか」

 そこには、巨人でも一狩りしてきそうなつぶやきと共に、階段を重い足取りで上る獅子神タクトくんの姿が。

 タクトは現在、針の筵状態だった。もう、針が刺さりすぎて、身も心もずったずったのぎったんぎったんだった。

 タクトがなぜ、そんな目にあっているのかは考えるまでもない。もちろん、登校中のユアとの騒動が原因だ。それにより、学生たちのタクトへのヘイトはこれまで以上のものとなっていた。

 いざこざがあったことを少なくとも、タクトが登校中にすれ違った学生たち全員がすでに知っている様子だった。直接手を出してくるようなことこそなかったものの、彼らの視線の量と質はタクトを精神的に痛めつけるには十分すぎるものだった。

 そのあまりの居心地の悪さに、タクトは教室にも向かわずに一人、こうして学校を徘徊していた。

「あいつら、マジでうぜー。クソッ、イライラすんな!」

 しかし、タクトは逃げ出すために、今、こうしているわけではない。これは、戦略的撤退なのだ。

 人という生き物は集団でいることが本来の姿である。

 一匹狼なんて言葉があるが、それはオオカミほどの能力を持っていて、初めて成り立つものである。

 人間にはオオカミのような牙や爪、身体能力はない。そこで、古来より人は集団でいることでその脆弱すぎる能力を少しでも補おうとした。

 それに加え、他の生物をはるかに凌駕する頭脳と、高度なコミュニケーション能力を手に入れることで、本来の能力値が生物界の底辺に位置するにも関わらず、今日のように繁栄するまでに至った。

 もし、このままタクトが自分のクラスに入ったらどうなるだろうか。

 タクトのクラスは学校一の人気者と学校一の嫌われ者がいるおかげか、団結力が強固であることで有名だ。つまり、葉山ユアへの愛と獅子神タクトへの嫌悪が一番強いクラスだということだ。

 そんなクラスに葉山ユアが獅子神タクトに泣かされたという一報が舞い込んだとしよう。

 人という生き物は集団でいることが本来の姿である。しかも、その集団は葉山ユアを崇拝している集団である。さらにさらに、タクトは一匹狼を気取った、ただのボッチ野郎である。

 飛んで火にいる夏の虫どころではない。処刑台に昇る愚か者である。

「帰るか。さすがに今日はあのバカも家まで来ないだろ」

 よって、これは逃げているのではなく、戦略的撤退と称するに値するものなのである。逃げているのではない。撤退である。

「いや、でもあのバカだからな。何をするか、わかったもんじゃねー。あーー、クッソ」

 そしてタクトは現在、姿を隠せる場所を探しているというわけだ。しかし、これがなかなか見つからない。

「何で朝っぱらからあいつらはあんなに元気なんだ? 意味が分からん」

 タクトの学校はとてもシンプルなつくりになっている。特筆すべき点と言ったら四階建てであることぐらいだ。校門から入ってすぐの校舎は一階から職員室、一年教室、二年教室、三年教室といった具合になっている。もう一つの校舎には、音楽室や家庭科室といった特別教室に加え、文芸部やオカルト研究会といった文化系の部室が集まっている。

 歩き回ること三十分あまり。それほど大きな学校でもないので、すでに何周かしているのだが、どこへ行っても人がいる。空き教室や図書室。自転車置き場に中庭。すべて全滅だった。

「普通学校に着いたらまず自分の教室に行って『マジアイツってあれじゃない? マジウケ~~~~。アゲアゲ~~~~。あげぽよ~~~~』とか頭の悪そうな会話するんじゃねーのかよ」

 タクトの偏見は少しあれだが、確かに奇妙だった。

 朝のホームルームまではまだ少し余裕があるので、教室以外のところにも人がいてもおかしくはない。しかし、どこもかしかも人がいるというのは不自然だ。

「あと行ってないのは…………屋上ぐらいか。でもどーせ、鍵かかってるよなー」

 タクトの学校では安全面と誰かさんのように授業をさぼろうとする学生のために屋上の鍵は普段かけてある。開けるのは地震などの緊急事態の場合のみだろう。

「でももう、あそこしかねーよな。ハアーーーー。行くしかねーか」

 タクトは自分に選択の余地などないことに、思わず深いため息がもれる。

 あまりにも薄すぎる希望に一縷の望みをかけて階段を上っていく。

「にしても、びっくりするぐらい元通りだな。今朝のあれは何だったんだ?」

 タクトの体の不調はすっかり治っていた。耳鳴りに吐き気、あれほどひどかった頭痛までもが今では元通りだ。

「あのバカのおかげか? …………まさかな」

 体の調子がいい事に気付いたのは確かに、ユアとのいざこざが終わった直後だった。

 しかし、それがユアの仕業だというのはいくら何でも非現実的すぎる。もし、それが本当だったら、ユアはみんなにとっての天使ではなく、リアルガチ女神様になってしまう。

 自分の発想のあまりのバカさ加減にタクトは自嘲気味に笑う。

「ん? あれって。開いてる、…………よな?」

 しばらく階段を上っていると、タクトは上のほうから光がもれてくることに気付いた。蛍光灯なんかの人工的なしょぼいやつではなく、みんな大好き太陽ちゃんの光である。

 確かに、「開いてたらいいな~~~~」とは思いながら上ってきたタクトだったが、それは鍵が開いていたらいいなということであり、扉のことではない。いや、確かに扉でもいいのだが、これには、タクトくんビックリである。

「まさか、こんなにオープンだったとは。この学校、大丈夫かよ」

 自分の学校の管理能力のあまりのザルさに不安を覚えてしまうタクト。しかし、今のタクトにとってはありがたいことなので、とりあえず入っておく。

「へーー。屋上ってこんなんなんだ。結構、ひれーーな」

 タクトの学校はひと学年が八クラスある。ということは、校舎のひとフロアは教室8個分であり、屋上はその広さが一つなぎになっている。考えてみれば当たり前のことなのだが、タクトはその広さに驚いていた。

「ここだったら大丈夫そうだな。誰もいなさそうって、うおっ‼」

 タクトがしばらくは屋上に引きこもろうと考えていると、まるでそんなタクトをとがめるかのように背後の扉がすごい音を立てて閉まった。

「何だ今の? 風も吹いてないよな?」

 突然の怪奇現象にタクトは驚く。「この扉壊れてんじゃねぇか?」とつぶやきながら、扉をペチペチやっていると、

「急にどうしたのユアちゃ……って獅子神くん!?」

 突然、一人の少女が暗がりから飛び出してきた。

 それは美しい少女だった。

 派手な印象を与えない程度の明るめのブラウンの髪を肩口のあたりでそろえ、そこに緩めのカールをかけることでふんわりとした仕上がりにしている。

 目鼻立ちは整い、その華奢な手足と色素の薄いくちびる、雪のように真っ白な肌も相まって、どこか現実味を帯びない、幻想的な美しさを感じさせる。

 葉山ユアが教室の中心で咲くひまわりだとすれば、彼女は隅でひっそりと、だがその美しさで見た者に忘れられない印象を与える一輪の白薔薇のようだ。

 しかし、タクトはそんな少女を前にしても態度を改めないどころか、嫌そうな顔で話しかけてくるなオーラを醸し出す。

「あ、あの獅子神くん?」

「…………………………」

「……獅子神くんだよね?」

「ちがいますけど」

「あっ、その反応獅子神くんだ! もー、驚かさないでよ。違う人だったらすごい失礼だったじゃん。はーー、よかった~~~~」

「おい、てめぇ。ケンカ売ってんのか?」

 その少女は少し、おバカさんのようだった。タクトのもっともな怒りに、慌てて話をそらし始める。

「いや、えっと、その。あっ、そうだ。さっきここをユアちゃんが――――」

「あん?」

 タクトの地雷を無意識で容赦なく踏んでくるあたり、やはりおバカさんなようである。

「――――じゃなくて、さっきここを誰か通らなかった?」

「俺もさっき来たばっかだし、わかんねー」

「そ、そっか」

 どうやら、この少女は見た目と中身ではかなりのギャップがあるようだった。黙ってさえいれば、男だったら一度はデートを夢見る理想の女子なのに、口を開いたとたんに台無しだ。

 すでに、タクトの中では『バカなざんねん栗野郎』となっていた。

「じゃあ、俺行くから」

「えっ? あ、うん。また後で(・・・・)

 屋上にも人がいたことにがっかりしながら、タクトは少女の言葉にロクに耳を傾けようともせずに、ドアノブに手をかける。

(ハアーーーー。ここにもいんのかよ。もう、今日は帰るか)

 本日の自主休学を心に決めながら、ノブをひねる。

 が、

ガチャガチャ。………………。ガチャガチャガチャ。……………………。

「おい、栗」

「え? なに? わたし? え? クリ?」

 タクトに突然に話しかけられたことに驚く少女。いや、栗という謎の呼び方に対してかもしれないが。

「ドア」

「え? ドアがどうしたの?」

 タクトの要領を得ない会話にも全くイラつかないあたり、少女はいい子なのかもしれない。おバカさんなのがあれだが。いや、見る人によってはそれも長所になるのかもしれないな。うん。きっとそうに違いない。

「開かない」

「え!? うそ!? ちょっとかして!」

ガチャ。ガチャガチャガチャガチャガチャガチャ! ………………。ガチャ。

 タクトよりもかなり激し目にガチャガチャした後、少女は明るく言った。

「うん。これむりだわ!」

 少女の謎の明るさにタクトはため息をつきながら言う。

「これ、どうにかなんねーの?」

「う~~ん。ちょっと、厳しいかもね。もともとここのドア立て付け悪かったし。屋上に入るときはもしものために、いつも開けっ放しにしてたんだけどなー」

 少女はそう言いながら、恨みがましくタクトを見つめる。

 そんな視線にも全く態度を変えることなく、タクトは言ってのける。

「はぁ? 俺じゃねーよ。さっき勝手にすげーでかい音してしまったから、多分そのせいだろ」

「獅子神くん、男の子が嘘つくなんてかっこ悪いよ。風だって今日はべつに強くないし、勝手にドアが閉まるなんて、そんなバカなことが…………いや、もしかしてユアちゃんが」

 偉そうに説教を始めたかと思えば、急にごにょごにょしだす少女にタクトは眉をひそめる。

「おい、栗。文句があるならはっきり言え。そういうのが一番いらつく」

 少女はタクトの呼びかけでハッとしたように顔を上げる。

「あーー、やっぱり何でもない。そういうこともあるよね。うん、うん」

 少女は何かをごまかすようにして頷く。それからすぐに、全力で話題をそらしにかかった。

「それよりも、獅子神くんは屋上なんかでどうしたの?」

「……別にどうだっていいだろ」

 今度はタクトがごにょごにょする番だった。

 朝のユアとの騒動から今まで、とても人に話せるようなものではない。

 タクトの勢いがなくなったのを見て、少女はにんまりと笑った。

「あっれっれーーーー! 獅子神くんどうしちゃったのーー!」

「チッ。調子に乗りやがって」

 自分が有利になったと悟った瞬間に、態度を急変させる少女。

 タクトが何も言えないことをいいことに好き勝手言いまくっている。

「しーしーがーみーくーん。なーにーがーあーたーのー。なーにーしーたーのー」

「そうやってね、男がうじうじするのはやっぱりかっこ悪いと思うんだよね。…………ぷっ。かっこ悪ーい」

「ねー、いい加減教えてよーー。屋上に閉じ込められた者同士、仲良くしようよ」

 しかし、タクトは何を言われても少女から顔をそらし続け、口を開こうとしない。

 そんなタクトに少女はもう一度にんまりと笑う。

「獅子神くんが何したかあててあげよっか」

「…………………………」

 少女のそんな言葉に、タクトは一瞬ヒヤッとするが、バカの戯言だと受け流す。

 いまだにそっぽを向いたままのタクトに対して少女は茶化すようにして会心の一撃をくらわせる。

「獅子神くん。またユアちゃん泣かしたんでしょーー」

「―――――――――――――ッ!」

 まさか本当に知っているとは思わなかったタクトは衝撃で声も出なかった。

「はっはっはー! どうだ獅子神くん! まいったかー!」

「チッ」

 少女のうざすぎる発言に対してタクトは舌打ちを返すだけだった。だが、少女はその舌打ちこそが肯定の証だとわかったようで満足そうな笑みを浮かべる。

「てめぇは何で知ってんだよ」

 この少女が朝の騒動を知っていることに対して不満しか持てないタクト。

「あーー、それは、さっき本人か――――じゃなくてっ! ほらこれこれ! これを見たの!」

 そう言って少女が取り出したのは、おそらく少女のものであろうスマートフォンだった。

 カバーやストラップの類は一切ついていない、少女のものにしてはシンプルだと感じられる――――あくまで彼女の性格からしてみれば――――真っ白な装いだった。

「な、なんだよこれ」

 しかし、その画面に映っていたものはまったくもってやばかった。何がやばいかというと、それの存在そのものがやばかった。

 そこには『我らが女神、葉山ユア嬢を守る会』とでかでかと書かれた、ピンクやら黄色やらの蛍光色をふんだんに使った、目がチカチカしてくるようなような掲示板が映されていた。

「お、おい。なんだよこれ」

 タクトは動揺を隠しきれない。その破壊力はすさまじかった。

「あれ、獅子神くん知らないの? 前は似たようなサイトがいっぱいあったんだけど、今はこれ一つに統合されてるの。全校生徒のほとんどが加入済み」

「い、いや、そ、そういう事じゃなくてな」

「あ、この隠し撮り写真? 大丈夫、大丈夫。着替えとかトイレとかの写真はもちろんないし、あくまで本人が笑って許せるレベルで抑えてあるから」

「い、いや、だからな」

「あー、この女神心得? これはユアちゃんがどれほど素晴らしいかについて説かれて――――」

「ちょっと待てやコラーー!」

 あまりの狂気じみた話にタクトはとうとう叫んでしまった。

「なにさ獅子神くん。急に大声出して」

「何だよこれは‼」

「だから『我らが女神、――――」

「それはもういいわ‼」

 全く進展しない会話に対してタクトは再び叫ぶ。

「何だよ『我らが女神、なんちゃらこんちゃら』って。絶対おかしいだろ! ありえないだろ!」

「そうかなあ?」

 タクトの必死の力説に対しても少女は首をかしげるばかりである。

「じゃあ、お前ここ読んでみろよ!」

 タクトは少女のスマートフォンの画面を指さしながら言う。

「あーー。女神心得? いいよ」

 少女は喉の調子を整えてから、声高らかに言ってのけた。

「その宝石のようなつぶらな瞳で見つめられると、どんな悪党だろうと己の罪を告白し、涙を流しながら許しを請うのだという」

「そのつややかな、一種の艶めかしさも備える唇からは天使でさえも聞きほれてしまう音色が零れ落ちるのだという」

「その華やかさの中につつましさも感じ取れる金色の髪からは、天に昇ることになってしまっても後悔のしようがないほどの奇跡を超えた香りがするのだという」

「すなわち葉山ユアはこの学校に降臨しせし女神なのだ」

 少女の素晴らしい音読が終わった屋上では、

「はっはっはっはっはっ。あっはっはっはっはっはっはっ」

 タクトの乾いた笑い声がただただ響いている。

「はっはっはっはっはっ。………………はーーーー。何で読めるんだよ!?」

 そして、もう本日何度目になるかわからないタクトの叫び声がこだまする。

「獅子神くん。さっきから変だよ? どうしたの?」

 そんな叫び声にも動じることなく、少女はいたって冷静だ。

「そりゃ、こっちのセリフだわ‼ 何なんだよ‼ 何で今のを読めるんだよ!?」

「え? 何か変かな?」

 少女は可愛く、首をコテンッと傾ける。

 しかし、タクトはそんな無駄に可愛い仕草にも動揺することなく、というか、動揺できる心の余裕もなくまたもや叫ぶ。

「『え? 何か変かな?』じゃねーよ! なに? お前何なの!? 今の読んでて恥ずかしくないの!? どういう神経してんだよ! 聞いてるこっちが鳥肌立ったわ‼」

「あー、そういうことか」

 少女は何かに納得したように、腕を組みながらうなずいている。

「確かに、これくらい暗記してないとだめだよね。いやー、わたしもまだまだだなーー」

「そーじゃねーよ‼」

 笑ってそのようなことを言ってのける少女に対してタクトは恐怖以外の感情が浮かばない。

「なに!? みんなこれ暗記してんの!? こえーーよ! ただただこえーーよ‼」

「そうかなあ?」

「そうだよ‼」

「………………………………」

「ぜーぜーぜーぜー」

「…………………………………………」

「ぜーぜーぜーぜーぜーぜー」

「あ、あのー、獅子神くん、大丈夫?」

 タクトはもうまともに呼吸ができていなかった。突っ込むのに疲れ果てていた。肩で息をする状態だった。

「ぷっ。ハハハ。あははははははは。あははははははははは」

 それはとても格好悪い状況だろう。

 しかし、タクトは笑いが止まらなかった。

 久しぶりだった。

 誰かとこういう風に話したのは。

 こうやって、誰かとバカなことで言い合うことも。

 話すのに疲れたりすることも。

 そして、今のように心から笑うことも。

「し、獅子神くん? 大丈夫?」

「ははははは。え? あー、大丈夫、大丈夫。…………ぷっ。あははははははは」

「獅子神くん!?」

 タクトの突然の発作に少女は驚いているようだった。無理もない。この学校でタクトの不機嫌そうな顔以外を見たことがあるのは他にはユアだけだろう。そんなユアでさえもここ一、二か月はタクトの今のような顔は見たことがない。

「ははははは。はーー、おかしい。悪かったな。突然取り乱して」

「全然大丈夫だよ。でも、びっくりした。獅子神くんって笑ったりするんだね」

「俺もびっくりだ。俺ってまだ笑えたんだな」

 その時のタクトのほほ笑みが少女には寂しげなものに見えた。しかし、その顔が何を思っての顔かわからず、少女には何も言うことができない。

「で、この学校はいつからそんな危ない宗教を始めたんだ?」

「それはユアちゃんが入学したその日からだよ」

 タクトのおどけた質問にも少女は真面目に答える。

「はっ。それはご苦労なこった。あんな外見詐欺のどこがいいのかね」

「外見詐欺って。そんなこと言うのは獅子神君だけだよ」

 タクトの吐き捨てるような言葉に、少女はたしなめるようにして言う。

「何言ってんだよ。確かにあのバカはそこら辺にいるアイドルなんかドブネズミに見えるぐらいにはルックスはいいけど、基本ポンコツだぞ」

 タクトのそんな物言いに少女は苦笑いを浮かべる。

「何か獅子神くんが言うと、誉め言葉のはずの発言も全部けなしてるようにしか聞こえないね」

 少女のもっともな意見にタクトは胸を張って答える。

「そりゃそうだろ。俺があのバカのことをほめる訳がねー」

「もう、そんなこと言ってると、また、ユアちゃん泣いちゃうよ」

 少女はその言葉を言ったことを後悔した。もちろん冗談のつもりだった。軽い調子で言った言葉だった。しかし、タクトの顔に一瞬よぎったそれを見ると、悔やんでも悔やみきれなかった。

 少女は何も言えなかった。

 一度放ってしまった言葉はもう、引っ込めることなどできないから。

 そして、謝るつもりもなかった。

 かつて、タクトがユアを深く傷つけたのは事実だから。

 少女はタクトのことを噂通りの最低な奴だなんてこれっぽっちも思っていなかった。

 だって知っていたから。

 聞かされていたから。

 彼のことを一番深く理解していて、彼のことを一番想っている人から、彼らの心温まるエピソードを。家族の物語を。

 だからこそ、理解できなかった。今の彼の行動の意味を。彼の変わりようを。彼の本心を。

 少女は願っていた。

 また、二人が元通りの関係に戻ることを。

 そして同時に見たいと思っていた。

 二人が並んで歩くところを。話でしか聞いたことがない、その美しい光景を実際に見てみたいと思った。

 そして今日、新たな願いが加わった。

 もし。もし、できるなら、二人の素敵な関係の一因に自分も加わりたいと。

 彼女と彼と、そして、わたし。この三人でひと時を過ごしてみたいと思った。

 今日話してみて、再確認したから。彼女は昔から変わらずにずっと、彼のことを一番に想っていると。

 今日話してみて、確信したから。彼はきっと変わってはいない。

 だって、今日初めて見た彼の笑顔は話通りの無邪気で、きれいなものだったから。

 だって、今日初めて見た一瞬よぎった彼のあの顔は、彼女が彼を想う気持ちと同じものから生まれるものだったから。

 だからこそ、より強く思った。彼の思いを知りたい。彼の想いを知りたい。彼の本心を知りたい。彼の……すべてを知りたい。

「ねーー、獅子神くん」

 少女は決意した。

「あ? 何だよ栗野郎」

 自分が二人の懸け橋になろうと。

「ハハッ。クリってちょっとひどくない?」

 少女は自分に誓った。

「いや、だって、お前の頭栗色じゃん。それ、突っ込み待ちなんだろ?」

 自分が二人の想いをつなげようと。

「違うから‼ おしゃれだから‼ ファッションだから‼ イタリアンだから‼」

 きっとお門違いなことなんだろう。

「イタリアン? その頭でピザでも焼けるの?」

 きっとバカなことなんだろう。

「違うから‼ ピザじゃなくてピッツァだから‼」

 彼女と知り合ったのなんて、たかが一か月前だし、彼と話したのなんて今日が初めてだ。

「突っ込むところおかしくない? お前の頭が焼き窯にされてるところを突っ込めよ」

 もし、失敗したらもう二度と口をきいてくれなくなるかもしれない。

「わたしの頭って、窯だったの!? すごい! でもちゃんと焼けるかな。わたしの頭、そんなにボリュームないから、『ピッツァ』入んないよ。アフロにでもしようかな」

 もしかしたら、軽蔑されるかもしれない。

「それはそれで見てみたいな。よし、お前明日アフロにして来いよ。あとお前、その『ピッツァ』やめろ。なんか腹立つ」

 それでも、わたしはやりたい。

「え? 女の子にアフロとかなにいってるんですか。あなたバカなんですか? ちょっと普通にひきます。話しかけてこないでもらえますか? あと、『ピィッッツァァ』はやめません」

 彼女の想いを知ってしまったから。

「てめぇが言ったんだろうが、この栗野郎‼ しばくぞ、てめぇ‼」

 彼のきっと美しいであろう心も見てみたいと思ってしまったから。

「そのような汚らしいお言葉遣いはやめてくださらない? わたくしのような美しくてビューティフルな心がお前のように汚物まみれになるだろうがこのやろうでございますわ」

 この腐れ切った世界に、そんなにも美しいものが本当にあるのなら、ふれてみたいと思ってしまったから。

「何だその『お高く振舞おうとしたら、素養の悪さを全く隠せてなくて余計に恥ずかしい思いしちゃった』みたいなしゃべり方。しかもお前、その間違い方悪意あるだろ」

 もし、叶うのなら。その光景を一番近い場所、彼らの隣で見てみたいと思ってしまったから。

「何をほざいてやがるのかしら。この汚らしいうじ虫が」

 だから。…………だから、わたしは。

「おい、てめぇ。マジでふざけんなよ」

「わーー。ごめん、ごめん、獅子神くん。冗談だから。全部ウソだから」

「はーーーー。てめぇもてめぇだが、俺も何やってんだろうな」

「あはははは。ホントにね。…………………………ねーー、獅子神くん」

 先ほどまでのおふざけた雰囲気はすっかり消え失せ、少女は真剣な顔で切り出した。

「何だよ、突然改まって」

「あ、あのさ…………」

 少女はそこから先の言葉をなかなか言い出せない。もし、先を言ってしまったら、もう後戻りできないと分かっているから。

「あ、あの、その…………」

「………………………………」

 タクトも何も言わない。いつもだったら、舌打ちの一つでもかまして、どこかへ行くだろう。だが、タクトは待ち続けた。せかすようなことも一切せずに、ただただ少女が次の言葉を口にするのを待ち続けた。

 それはあり得ない光景だった。タクトのことを少しでも知っている人だったら驚くだろう。ユアだったら目と口をみっともなく開いて呆然としていたかもしれない。

 タクトは少女に、朝のユアの姿を重ねているのかもしれない。二人の行動は確かに似ていた。バカなことをやっていたと思えば、突然にまじめな顔をしだす。それはきっと、二人のやろうとしていることが同じだったからだろう。

 もしかしたら、タクトは朝の自分に後悔していたのかもしれない。だから、今度は後悔することのないように、しっかりと向き合おうとしたのかもしれない。

 もしかしたら。本当に限りなく薄い可能性だが、もしかしたら、タクトは少女に心を開きかけていたのかもしれない。少女にだったらすべてを話してもいいと思っていたのかもしれない。自分のすべてをさらけ出してもいいと思っていたのかもしれない。

「あ、あのね。わたし、聞きたいことが…………」

「…………………………」

 だが、今となっては知るすべはない。

「し、獅子神くんは、ゆ、ユアちゃんのこと――――」

「――――――ッ!」


ドッッッッゴオオオオオオオオオオオオオ―――――――――――――――――――――――――――ンン!!!!!!!!!


「キャッ」

「何だよ今の!」

 いつだって、物語は無情かつ急速に変化していくものなのだから。



 

 

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