侵食
世界は 静かに侵食され、音もなく滅び去ろうとしていた。
いつの頃からだろうか。世界が その未来への希望の光を失いだしたのは。
時代が まだ西暦と呼ばれていた頃の終末期。 この世界の ありとあらゆる大陸には大きな都市が建ち並び、それぞれが その繁栄を謳歌し競いあっていた。
そう、表面上は…。
古代より 繰り返し流されてきた国家間、あるいは宗教の違いによる 民族間の 血で血を洗う争いは 影を潜めていた。
代わりに 国家間の優劣を決めるものは、武骨な戦闘兵器等ではなく、今まで以上の陰惨な確執を生み出し国家間の優劣を決める、ありとあらゆる病害虫を退け、今だかつてない収穫量をもたらし、人類に 永遠の豊穣と飢餓の根絶を約束する人工的に遺伝子操作された種子だったのだ。
そして、その種子は、それを開発した国家と企業に 永遠の利益をもたらせるために 一度 実をつければ子孫である種子を残さぬ 一代限りの『商品』であり、各国は その歪なバイオテクノロジーを 自国の繁栄と利益を独占するために その供給を完全にコントロールし、結果 技術力を持つモノ 持たざるモノの貧富の差は広がり続け、国家間の憎しみの怨嗟は より一層拡大していた。
そう、それは文字通り 新たなる国家間の争いの種子となる新世代の兵器となったのだ。
だが、その傲慢で身勝手な驕り高ぶりは、 天に届けとばかりにバベルの塔を築かんとする人間に かつて神が与えた怒りの雷を招く結果となった。
いつの頃からだろうか 『それ』が始まったのは……。
*****
アイリーンは 三年生となっていた。
けれど 相も変わらぬ繰り返しに接ぐ繰り返しの なんの刺激もない学園生活。
彼女は、来年には 卒業を控えているというのに、全く緊張感も焦りもない毎日を送っていた。
それもそのはず、卒業後には 生家に戻り、アイリーンの曾祖父の代から営む巨大バイオテクノロジー企業へと 形ばかりの入社をすることが決まっていたのだから。
だがそれも、ほんの数年間のことだろう。 頃合いを見て 国内の別の巨大企業の御曹子との結婚を 両親から迫られることは 見に見えていたからだ。
「いわゆる、政略結婚ってやつね」
愛梨須が 遠慮会釈もなく ズバリと核心をついた言葉を アイリーンに投げ掛ける。
はじめの頃こそ 人に打ち解けず 心の内をさらすことなどあり得なかった愛梨須であったが、三年という月日が 彼女を ある程度の知り合いには それなりに、そして親しい友人に対しては 一切 物怖じしないで発言する性格に変えていたのだ。
「仕方ないわ、これは 家同士によって 私が産まれてすぐに決められていたことなんだから」
「そう、それ! その『仕方ない』という口癖を直しなさいよと 私に言っていたのは、アイリーン 貴女じゃないの !」
そう言われては 一言も返せない。
いつの間にか、アイリーンと愛梨須の友人関係の立ち位置は すっかりと逆転していた。
愛梨須は 与えられた機会を 最大限に生かし 猛勉強の末、常時トップの成績を修めるほどの才女として学園内で知られていた。
一方 アイリーンといえば、親に定められたレールへの反抗心も失い、規則だらけの学園生活と彼女の家から指示された学園ぐるみの監視体制に すっかり自己の未来を諦めきったのか、生来の闊達な性格は鳴りを潜めてしまっていたからだ。
「それにしても、すっかり寂しくなってしまったわね」
アイリーンは 戦況が悪いと判断し、話題を変えた。
愛梨須は その意図を察していたが、敢えて追及しようとはしない。 それは、愛梨須自身も 気になってこと事だったから。
午前の講義が終った今、二人が座る昼休みの大食堂は、ほんの二年前までは、様々な地方から選抜されてきた多くの学生で 席を確保するのも苦労するほどに 常に溢れかえっていた。
けれど、今は 廊下を行き交う生徒も疎らになり、講義室の座席も空席ばかりが目立つようになっていた。
噂では 学園内で流行りだした 謎の病気にかかり、療養のために休学届けを出すものが後を絶たないからだという。
いや、そればかりか 学園外の多くの街々でも 同じような病が蔓延しつつあるという噂も聞く。
だがしかし、中には 病気から快復し復学してくる者もあったから、これも一時的なことだと言われていた。
「でも、気づかない?」
考え込んでいたアイリーンに そっと愛梨須が 耳打ちする。
「復学してきたヒトたちのこと…」
「なんのこと?」
元々 他人に 大して興味のないアイリーンだったが、ゾクリと背筋に冷たいものが走るのを感じずにはいられなかった。
「何人かの 病気から快復したという復学した友達や顔見知りに話しかけてみたの。 でも なんか変なの…」
愛梨須が 更に 声を落とし 囁いた。
「目が 違うの。 なんと言ったらいいのか分からないけれど、焦点が微妙にずれている。 …と言うか、話し相手である 目の前にいる私を見てない気がするの 」
アイリーンは 気のせいだとばかり思っていた違和感を、愛梨須も同じように感じていたことに 少し安堵すると同時に 言い様のない戦慄に包まれた。
生徒だけではない、学園の教師でさえ、病気の回復後に 立ち居振舞いこそ 以前と変わらぬように見えたが、その瞳の光を無くした者が 少なからずいることに気づいていたからだ。
「思い出して。 私たちが小さかった頃のこと。 あなたが生まれ育った街のこと。 その頃の風景や街の様子を思い出して…」
「それが、なんの関係があるの?」
アイリーンには、不意に話題を変えたように思える愛梨須の真意を計りかねた。
「あの頃の風景は、こんなに一様な色に染まっていた?」
愛梨須が 大きく手を振り 背後の大窓の向こうに地平線まで続く広大な『麦畑』を指し示した。
「私は知ってる。 小さな子供の頃から ずっと畑仕事を手伝わされてきたから。 確かに この国の主要な農産物は 昔から『麦』だったわ。
けれど、それだけじゃない。 昔は 人参や玉葱やジャガイモ畑だって 沢山あった。 それが、どう?
今じゃ、何処もかしこも一年中 黄金の穂を付ける麦畑一色。 これは、人間が 意図的に 麦ばかり作付けしてきた結果じゃないのよ!」
園芸で 土を触ったことさえなかったアイリーンには 全く気づかなかった事だった。
そう言われてみれば、子供の頃は それでも 広大な麦畑のあちこちに緑の木々が繁る林があり、遠くの山々は 四季折々の色に染まっていたような気がした。
それが、今や 麦以外の植物や作物が見られるのは、自分達のいる この学園の城壁のような高い壁に囲まれた街や村の中だけ。 それも 年々 赤や黄や緑の色の花々さえ失いつつあるように思える。
何もかもが、『麦の黄金色』に覆い尽くされてゆくようだ。
「これは『侵食』よ…」
愛梨須の言葉が アイリーンの胸に突き刺さった。
その麦の品種改良と種子の販売を 百年以上前から 一手に取り仕切り、莫大な利益をあげて成長し続けてきたのが、他ならぬアイリーンの一族のような巨大企業だったからだ。
アイリーンは 手にしていたナイフとフォークを置いた。
目の前には、毎日 選択の余地もなく食べさせられてきた ライ麦パンと僅かばかりの野菜が申し訳程度に浮かぶスープ。
そして、今や貴重品と化し 週に 一度か二度しか提供されない加工肉の小さな塊。
魚など、もう何年も食べてない気がする。
(そして…、この肉は、なんの肉なのだろう? なんの風味も脂の甘みもない このパサパサの食感の肉は…?)
愛梨須は言う。
「この世界は 既に ずっと昔から病魔に侵されている。 それは、誰も気づかぬうちに、ありとあらゆる所に蔓延しているのよ……」
アイリーンは、急に 胃がムカつき 吐き気をもよおした。
見慣れた風景。 変わらぬ毎日。
それが、不意に音を立てて崩れ去ってゆくような気がした。
愛梨須の背後の大窓、その向こうには 重く頭を垂れた黄金色に実る麦の群れが広がっている。
どこまでも、何処までも……
目の届くかぎり、何処までも。
To be cotinued……
『学園』の正体が、徐々に露になってゆく。
それは、繚子の想像していた『学園』とは、全くの異質なものであった。




