少年
トントンと硝子窓を叩き、甘い言葉を囁くもの。
それって、吸血鬼!?
少年は 月光を背に微笑んでいた。その顔は 柔らかな月の光の織り成す影に沈んでいたが 確かに微笑んでいるように見えた。
細く緩やかなウェーブを描く黒髪が 艶やかに まるで銀髪のように 夜風に舞わせながら。
こくん…と 少年は小首を傾げ 先の言葉を繰り返し即す。
「ここを 開けてくれないか?」
繚子は 思い出していた。
ある種の闇に生きる異形のモノは こうして 部屋の主の許可が無ければ 侵入することが出来ないことを。
あまりの少年の人懐こい笑顔に 思わず窓の掛け金に伸ばし掛けた手を さっと 胸元に引き戻して 繚子は言った。
「何時だと思ってるの!?」
そう言って なんと場違いな言葉なのだろうと 繚子は思ったが 既に時は遅し。
少年は 一瞬 痙き攣ったような表情をしたあと 大声で笑った。
「くはっ…、ははははは!!」
それは 真夜中には似つかわしくない陽気で明るく開けっ広げな笑い声。
「やめて! 何時だと思ってるの!!」
繚子は またも 同じ言葉を繰り返してしまう。
少年は その言葉に 更に笑い転げ、たまらず窓枠に捕まっていた両手を離しそうになり あわや落ちかけたが、かろうじてバランスを取り戻し 体制を整え直した。
「ひぃー、ハハハハ…、殺す気かよ!?」
少年は 少しばかり 怒っているような表情を作っていたが 赤に近い薄茶の両目は それでもまだ笑っているように見えた。
「…死ぬの?」
繚子が そう尋ねると、少年は またも笑い転げそうになったが なんとか堪えて 真面目くさった顔で言った。
「僕を 吸血鬼かなんかと勘違いしてないか?」
ありえない…。 こんな陽気な吸血鬼がいるわけがない。
それ以前に 吸血鬼なんて 絵空事を信じているように 彼に思われた気恥ずかしさが 今更になって繚子の両頬を赤く染めているのを 熱く感じた。
「そんなこと思うわけないじゃない! だとしても…、だとしてもよ。 こんな夜更けに 見ず知らずの女の子の部屋へ 見ず知らずの人が入れてくれなんて、常識はずれもいいところだわ!! 」
少年は にやにや笑いを浮かべながら じっと繚子の瞳を見返している。
ふぅ…っと ひとつ溜め息を吐くと 繚子は 諦めたように 窓の留め金を外し ゆっくりと両開きの窓を開けた。
少年は 器用にバランスを取りながら 交互に開く左右の窓枠を避けて 窓枠を潜り抜け トッと 軽い音を立てて 繚子の部屋の中に降り立った。
目の前に立ったところを見ると なんてことはない。繚子より少し背の低い小柄な 13~4歳程の華奢な体格をした ともすれば少女かと思われるような少年だった。
そう分かると、沸々と 先程の怒りと恥ずかしさが 再度 頭をもたげてきた。
「…で、なんの用なの?」
胸の前で腕を組み トントンと右足の爪先で床を叩きながら 繚子は 少年を問い詰める。
もっとも そうしたのは 今になって 自分の着ている寝間着が薄いシルクであることを思い出して 胸元を隠す意図もあったのだが。
「うん、ちょっと 警告に…」
(警告?)
繚子は 打ち鳴らしていた爪先を はたと止めて もう一度 少年の顔を見つめ返した。
「僕の名は、セイ」
「セイ?」
「そう、セイ。 星座のセイでもなければ、生存競争のセイでも、整理整頓のセイでもない、ただのセイ」
「ふーん」
繚子は (胸元の)警戒を解かずに 必要以上に不審そうな眼差しを セイに向けてやった。
「…で、そのセイ君が 何を警告に来てくれたと言うの? まさか、もっと夜の戸締まりの用心をしろと警告に来たわけじゃないわよね?」
セイは アタタタと 小さく呻くと 暫しの間を置いてから、不意に真面目な顔をして言った。
「君は 人間かい?」
「そうよ、当たり前でしょ!?」
セイは ふむふむと ひとり納得したように頷き 続けた。
「なら、君は 僕の花嫁だ」
「はぁあ!?」
ちょっと待って。 話が 全然 見えてこない。 そもそも、ここは 全国から 選ばれた者だけが入学出来る 世界でも最高の教育機関のはずだ。 (そこに 何故 私が選ばれたかの疑問は置いておいて)
まだ 入学式も終えてないうちから 突然の結婚話。 それも 今 目の前にいる この自分より年下にしか見えない少年が花婿ですって!?
「君は 知らないようだから 教えてあげる。 この学園にいる人間は 僕と君の二人きりだ。 先だって 君を案内したドレスの女は人間じゃない」
「え……」
繚子は 言葉を失った。
あの人が 人間じゃない?
あの軋む音は 彼女の義足の音じゃなくて 彼女の身体自体から聞こえてきた音なの?
「でも、それが どうしたの? たいして珍しいことじゃないわ。 現に 私を この学園まで連れてきてくれた運転手さんも かなり年代物のレプリカントだったわよ」
繚子は 動揺を隠すように 強がって見せた。
そう、この世界には 人の数以上の人工的に造られた『ヒトガタ』すなわち 『レプリカント』が 多く存在する。
それは、ある時を境に減り続けた人間を補填するために 数百年も前から存在するモノ達だった。
「たしかにね…。 けど、君は この世界に あと何人 本物の人間が残っていると思っているの?」
「何人…って、そんなの まだ沢山…」
「君は 両親の顔を覚えている? 今まで 一緒に暮らしていた家族や同級生の顔を… 」
「そんなの覚えているに決まっているじゃない」
「では、そのうち何人が 本物の人間だったか 君は分かるかい?」
知りはしない。
けど、この少年の言っていることが 本当のことだと 私には思えない。
生まれてから ずっと一緒にいてくれた両親や同級生たちの笑顔を覚えている。
「そんなことを言って、私が怖がると思ったんでしょう? そうはいかないわ!!」
繚子が そう言い放つと 少年は ほんの少し悲しそうな顔をして こう言った。
「いずれ分かるよ…」
そして、少年セイは きびすを返すと トォーンと軽々と跳躍して 開け放たれた窓枠を潜り抜け 月光降り注ぐ戸外へと姿を消してしまった。
繚子が 窓際に駆け寄ると どこにも彼の姿は見えず、夜風に乗って 微かに少年の笑い声が聞こえて来るだけだった。
To be cotinued……
どうやら吸血鬼ではないらしい。
けれど、彼は 謎に満ちていて、繚子の心をかき乱した。




