悪夢
真夜中の訪問者 セイと名乗る少年。
彼の言葉に嘘はない…と 繚子には思えた。
けれど、どうして こんなに 心もとなく、不安になるのだろう?
「セイ! いったい どういうつもり!?」
繚子の猛攻撃を受けて、すっかり しょげかえってしまったセイは ベッドの上に項垂れて座り込んでいた。
「酷いなぁ…繚子は」
「あんたに、呼び捨てにされるいわれは無いわ!!」
「そりゃそうだけど、繚子だって 僕を呼び捨てにしてるじゃないか…」
むっ…と、一瞬 言葉につまった繚子だったが、今は そんなことが問題なんじゃないと思い直した。
「私が 言ってるのは、女の子の部屋に 真夜中に忍び込んだことを問題にしているの! ちゃんとした理由が無いのなら、今すぐ アイリーン先生を呼ぶわよ!!」
「うーん、ちゃんとした理由かぁ…。 君に会いたくなったからっていうのは理由にならないかな?」
何をふざけたことをと思った繚子だったが、生まれて初めて こんなことを言われたものだから、自分の顔が ぼっと熱くなるのを感じてしまった。
いや、いや、いや、それ以前に 初対面で 繚子に結婚を申し込んだ男の子なんだから、まともに 取り合う方が バカらしいというもの。
「ふざけるのも いい加減にして。 だいたい、自分を セイなんて言ってるけれど、うちの学園には もっとちゃんとしたセイ先生って人がいるんだからね。
あなたの ほんとの名前を言いなさいよ!」
「ちゃんとした…か」
ベッドの上で座り直した セイが 声を落として言った。
「なぁ、昨日、何かおかしなことはなかった?」
(おかしなことって、そんなこと何もなかったわ。 セイ先生だって、ただ具合が悪くなっただけだって…)
さっきまでの勢いを無くし、急に黙りこんだ繚子を セイが じっと見つめる。
その目は あのセイ先生と同じ漆黒に近い紫色をしていた。
ひとつ違うとすれば、セイ先生の瞳は 井戸の底を覗き込むような底知れぬ闇のような色だけれど、目の前にいるセイの瞳は、色こそ同じように見えても その瞳の奥には 夜空の星のような光を湛えている。
「僕の名前は セイ。 精神崩壊のセイでもなければ、セイ先生のセイでもない。 僕は 僕自身のセイなんだ!」
そう訴えるセイの瞳は 涙に潤み、とても嘘を言っているようには 見えなかった。
「僕は…、セイなんだ」
細い肩を震わせながら 必死に訴える顔は まだ幼さを残していて 、やはり普通の少年にしか見えない。 けれど、いったい この少年は何者なんだろう?
「分かったわ。 あなたは セイ以外の何者でもない。 けれど、ひとつだけ教えて。 あなたは、この学園の生徒なの?」
「いいや、僕は もうこの学園の『生徒』じゃない。 でも、この学園に ずっといる」
「ずっといる?……いつから?」
「わからない。でも、まだ この学園に生徒が たくさんいた頃から… 」
それは、いったい いつ頃のことなのだろう?
たしかに、この学園で 出会った生徒は エリスだけ。 でも、その他にも 生徒は 今でも たくさんいて 特別なプログラムにそって 教育されているって アイリーン先生が言っていた。
(セイ先生は 体調が悪くて 早退したって、アイリーン先生が…)
エリスの言葉が甦る。
(何が、本当のことなの?)
(誰かが、嘘をついてるの?)
(じゃあ、それは、誰?)
繚子は、この学園に来てから、ほとんど何も見てきてない。 いや、あえて見ようとしなかった自分に気づいた。
(何故、目を反らせようとしてしまっていたのか?)
繚子が頭の中で考えていることを まるで覗きこんだように セイが言った。
「それが、この学園の『プログラム』なんだ。 気づかない内に、みんな、この学園に組み込まれて 抜け出せなくなる。 僕のように、エリスのように、アイリーンのように…」
「組み込まれる? 抜け出せなくなるって、どういう意味? それに……」
繚子は それ以上口に出して問い詰められなかった。
(セイは 自分と私だけが人間だと言った。
でも、セイは……)
ベッドの上から セイは ゆっくりと立ち上がり、窓辺へ向かうと 振り返った。
開け放たれたままの窓から ひんやりとした空気が流れ込んでくる。
セイの背後の窓の外、麦畑の続く大地の向こうの地平線近くの空は うっすらと赤紫色に染まりだし 朝が近いことを告げていた。
「そろそろ、僕はかえらなくちゃ…」
「帰るって…、どこへ?」
「ミンナノイルトコロ」
「みんなのいるところ?」
「うん、ミンナノイルトコロ。 だから、寂しくない」
その言葉とは裏腹に、セイの顔は 明るくなりつつある空の光を背にしているからなのか はっきりとは見えなかったが、泣いているように見えた。
セイは 窓辺へ腰かけた。
どんどん明るさを増してゆく東の空の色が、さらにセイの顔の影を濃くしてゆく。
「明日の夜、また来るよ」
セイは、そう一言残すと ゆっくりと窓の向こう側へ 倒れ込むようにして 姿を消してしまった。
突然のことに、声も出せず その場から動けなかった繚子だったが、我にかえると 急いで窓へ駆け寄った。
「セイッ!!?」
ようやく顔を見せた朝陽が 学園を囲む高い塀を越えて、学園の園庭に咲く色とりどりの花々に 明るい光を投げ掛けていた。
だが、その園庭の どこを見回して探しても セイの姿は見えない。
繚子は、恐怖に麻痺しかけた頭の隅で ぼんやりと考えていた。
もしかして、自分が 夢の中に居るのではないのだろうかと…。
*****
滅茶苦茶に散らかった部屋を片付けるのには、一時間近く掛かってしまったが なんとか 朝食の時間前には やりおおせた。
シーツと枕カバーも 真新しい物に取り換え、ベッドメイクもしっかりとし直した。
それは、毎朝 繰り返す この学園の決まりだから。
エリスは、今朝も 変わらない笑顔で 繚子を迎えに来てくれて、どうにも食欲が無かったけれど、食卓を共にするアイリーン先生に 小言を言われたくない気分だったから、 頑張って しっかりと 残さず朝食も食べた。
いつもと変わらぬ学園の朝が始まる。
朝食を終えてからの いつもの教室への道すがら、繚子は 昨晩 起こったことを 思い起こしていた。
セイの言っていたこと。
セイが見せた涙。
セイが 消えてしまったこと。
また、今夜 来ると言っていたこと。
全部、夢なんかじゃなく、はっきりと覚えている。
「繚子…、どうしたの?」
ふと気づくと、エリスが 心配そうな顔をして 繚子の顔を見ていた。
「ううん、なんでもない。 ちょっと食べ過ぎちゃったみたい」
「うーん、そうよね。 時々調子の悪い時なんか、朝食が 重すぎるなってこと あるものね」
繚子は、エリスの明るい笑顔に、曖昧な笑みを返すので 精一杯だった。
「じゃ、私は ここまで。 授業が終わったら、また迎えに来るわ!」
そう言い残すと、エリスは 小走りで 自分の教室へ向かって 駆けて行った。
(エリスの教室か…)
(そう言えば、エリスの教室って、どこにあるんだろう?)
繚子は、そんなことを考えながら、いつものように ドアノブに手を掛け、教室へ足を踏み入れた。
いつものように、たったひとつの繚子の席。
明るい光の射し込む窓辺で揺れるカーテン。
見慣れた風景。
繚子は、いつものように 「おはようございます」と朝の挨拶をしようとして、声を詰まらせた。
窓辺に立っていたのは セイ先生ではないことに気づいたから。
その人は にこやかな笑顔を見せて、こう言った。
「セイ先生は、体調を崩されて、しばらく休養することになりました。
今日から、貴女を担任する アリスです」
肩まで伸ばした、亜麻色の髪。 透き通るような肌に ほんのり色づいた頬。桜色のワンピースを着た女性が 自己紹介をする。
その声…、その優しそうな笑顔は たった今、ドアの外で別れたエリスに 驚くほど似ていた。
To be cotinued……
セイ先生が消え、代わりに現れたのは アリスと名乗る教師。
その外見は、親友エリスが 成長したならば、きっと こんな風になるのだろうと思えるものだった。
アリス…、エリス…、アリス……