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収穫  作者: 時帰呼
13/17

業火

それは、2145年6月 イタリア南部で始まった。


燃え盛る焔のように 全てを平らげて行く。


人の業を 裁く 神の御技の如く。



それが始まったのは、西暦2145年の6月。


イタリア南部より発生した その小麦、大麦、ライ麦を襲った病害は 瞬く間に北上し、政府は やむ無くトスカーナ地方以南で 食い止めるために 多くの農民の反対を押しきつて イタリア半島を横断する防衛ラインを敷き、対象地区全ての耕作地を焼き払った。


だがしかし、その政府の思いきった防除作戦を嘲笑うかのように その病害は 進行を止めず、やがて イタリアの大規模農作を行う 一大穀倉地であるポー平原に達するやいなや、瞬く間に全欧州へ被害区域を急速に拡大し、その頃になって ようやく その他の穀類にも感染することが判明した。


全世界の各研究機関による 総力をあげた懸命の研究と対策にも 何の効果もなく、その穀類全てに感染する病は、燃え盛る地獄の業火のように世界を蹂躙し尽くし、遂に 全世界の穀物は 最初の病害発生の年から10年を待たずに死滅した。


そして、穀類は 人間だけが消費する農作物ではない。 さまざまな家畜もまた この被害の影響を受け、その生産量は激減した。


たった一粒の麦から始まった病により、全世界の食料事情は一変してしまったのだ。


古来より、人は 食糧を求め奪い合い 争い続ける歴史を繰り返してきたが、愚かなことに、22世紀後半に差し掛かった この時代でも 人類は その業から逃れることは出来ず、三度目にして最後の大きな争いが起こってしまった。



こうして、西暦は終わった。




*****




繚子は、耳をすました。


聞こえてくるのは、いつもと変わらぬ やわらかな陽光が降り注ぐ戸外に立ち並ぶ楡の木の梢を、風が揺らす サワサワという微かな葉擦れの音。


古ぼけた木枠にはめられた窓硝子が 不規則にカタカタと鳴る音。




窓辺に揺れるレースのカーテンの向こうに、開け放たれた窓が見える。


不吉な思いが 繚子の頭によぎったが、それを振り払う。


一人の教師と自分一人の生徒だけには広すぎる教室を もう一度見回す。


かつて、もっと多くの学生が この教室で学び、笑いさざめいていたことだろう。


不意に繚子の五感が 不協和音を奏で、目眩がして立っていられないほど気分が悪くなった。


何もかもが おかしい。


繚子は ふらつきながらも、 揺れるカーテンの向こうを どうしても確かめずにはいられなかった。


「先生……?」


返事はない。


ただ、ふわり ふぅわりと 白いカーテンが 風に揺られながら 手招きをしているだけだ。


楡の木の梢の天辺が見えるほどの高さにある繚子の教室の窓の真下には、彼女は 一度として見たことが無い園丁の手によって よく手入れをされた青々とした芝生があったはずだ。



「セイ…先生?」


もう一度、その名を呼びながら カーテンをよけ、窓枠に手をかけた繚子は、ゆっくりと窓の外を見下ろした。



窓の下には、繚子が想像していたような光景は無かった。


長さを切り揃えられ、雑草を丁寧に 一本ずつ手で抜かれただろうと思われる いつもと変わらぬ青々とした芝生があっただけだ。


けれど、一点だけ 普段と違うことに 繚子は気づいた。


ちょうど彼女が 見下ろしている窓の真下に 奇妙な窪みがあり、赤い何かが緑の芝生の上に広がっていた。


ただ、それだけ。


(他には 何も変わったことは無いわ…)


繚子は、次の瞬間、目の前が真っ暗になると その場に倒れ伏した。




*****



気づくと、繚子は 自室のベッドの上で 横になっていた。


窓側の机の上には、直接 彼女の顔に光が当たらないように シェードを傾けた電気ランプが 温かな電球の光を 壁に投げ掛けていた。


ベッドサイドテーブルには、硝子の水差しと切子細工の小さなコップ。


そして、その傍らに置かれたアンティークの椅子には、見慣れたエリスが心配そうな顔をして座っていた。


「どこへ 行っていたの?」


繚子は 頭に浮かんだ言葉を口にした。


「どこにも…。 ずっと側にいたわ」


けれど エリスの笑顔は、少し歪んで見えた。


「嘘……。 いつも側にいてくれるって言ってたのに。 あんなに 呼んだのに……」


「いいえ、そんなことない」


エリスは 哀しそうな目をしていたが、微笑みながら そっと首を振った。


「水…、飲む?」


「ううん…、今は いい……」


繚子は、昼間 あったことを少しずつ思い返していた。


「ねぇ、セイ先生は?」


「うん、セイ先生は、ちょっと具合が悪くなって 早退したって、アイリーン先生から聞いたわ」


繚子は その口調に不自然さを感じたが、それを口に出して言う勇気は無かった。


エリスは 両手を きちんと膝の上に置いて 椅子に座り、繚子の目を真っ直ぐに見て微笑んでいる。


「疲れているのよ」




「大丈夫…」


窓枠が カタカタと鳴る。

風は 昼間より少し強く吹いているようだ。


(そう言えば、この季節の風は『ワルイモノ』を運んでくるって、お母さんが言ってたっけ。 …いや、あれはお祖母ちゃんだったかな?)



「寒くない?」


エリスは、繚子の首もとの掛布を直しながら、そう言った。


「大丈夫…」


繚子は 同じ言葉を繰り返した。


「そう…、なら、私は 自分の部屋へ戻るわ。 明日の朝、また迎えに来るから」


「うん。 ありがとう」


繚子が 礼を言うと、一瞬 心配そうな顔を見せたが、エリスは ゆっくりと立ち上がり 繚子の部屋の扉を開け、そこで もう一度振り返った。


「本当に 大丈夫? なんなら、一晩 一緒に添い寝していてあげようか?」


「なに言ってんの。エリスだって、同じような部屋に住んでるんだからベッドの狭さは 知ってるでしょ?」


「えへへ、私は 狭くたって、ちっとも構わないけどな♪」


いつもと変わらぬ笑顔で エリスが冗談を飛ばす。


「エリスは、私の寝相の悪さを知らないから、そんなこと言うのよ! おやすみ!!」


繚子も いつもの調子で 応戦する。


そう、これが、いつもの二人の会話だ。


「今夜は 寒いから、ベッドから 転がり落ちないでね! おやすみ!!」


エリスが扉を閉めると、パタパタと彼女が 駆けてゆく音が 遠ざかって行った。


(あーぁ、夜中に あんなに走ったら、明日の朝には アイリーン先生から 大目玉をくらうな…)


繚子は、ぼんやりと そんなことを考えていた。



( エリスは、いつもと変わらなかった)



(セイ先生は、早退だったのか…)


窓硝子が カタカタと鳴る。


ぶるっと 震えた繚子は、襟元を掻き合せた。


(そろそろ、冬の厚手の寝巻きに変えた方がいいかな…)


そう思った時、自分が いつものシルクの寝巻きに着替えさせられていることに気づいた。


(エリスが 着替えさせてくれたのかしら…)


カタカタカタ…


(……さっきは、つっけんどんな態度をしすぎたかな…)


カタカタカタ…


カタカタ……


(…明日は…、謝らなきゃ……)




カチャ…


キイイィイ……。



繚子の部屋の両開きの窓の掛け金が外れ、ゆっくりと開く音がした。


眠りに落ちようとしていた繚子は、その音に 気づいたが、そちらを向かなかった。


誰が、やって来たのか 分かっていたからだ。


窓枠をくぐり抜け、それが トンッ…と軽く 床に降りた音がした。


その侵入者に 気づかれないようにと、そっと薄目を開けると、ベッドサイドのランプの灯りに照らされて ぼんやりした影が 窓とは反対側にある扉のある壁に映り、ゆらゆらと揺れている。


繚子は しばらく様子を見ていたが、とうとう我慢しきれなくなり、上掛けを 勢いよく跳ね除け 起き上がると、影の主にその上掛けを 投網のように頭から被せた。


不意をつかれた影の主は 突然の暗闇に方向を失い、ベッドの縁に蹴つまづき うつ伏せに倒れこんでしまった。


チャンスとばかりに 繚子は 手近にあった机の上から、手当たり次第に 分厚い本や硝子製の重いペン皿を 賊の上に投げつけてやる。


「痛い!! 痛い!! やめて! 痛いってば!!」


いろんな物が散乱したベッドの上で 上掛けに絡まり 身動きがとれなくなった賊が悲鳴を上げる。


それでも 気のすまない繚子は 留めとばかりに、賊のお腹と思われる辺りに おもいっきり蹴りを入れた。


「ぎゃっ!!!」


すると、賊は 一声 悲鳴をあげて、おとなしくなってしまった。



(あれ? やり過ぎたかな……?)


繚子は、一瞬 心配になったが、どうやら 大丈夫だったようだ。

上掛けの下から 聞き覚えのある声がした。



「降参…、降参だよ!」



「女の子の部屋に、こんな深夜に 二回も忍び込むなんて、どういう了見なのッ!!?」


繚子が 叱りつけると、絡まった上掛けの下から ほうほうの体で這い出てきたのは、この学園に来た 初めての夜に 一度だけやって来た、あの少年の姿の『セイ』だった。



To be cotinued……


学園での 何気ない日常。


それは、薄氷の上に立つように 儚いものだった。

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