第一話 始まりは突然に
明るい日が差し込むリビング。
窓からは、心地のいい涼しさを含んだ風が、入り込んでくる。
部屋の中に響き渡るのは、画面の向こう、背広姿のおっさんがクソまじめな声で話す、周辺地域についてのニュース。
このテレビは最近購入したものだ。少々値は張ったが、画像付きで近況情報が手に入れられるというのは、実に素晴らしい。
この世界――国と言ってもいいのかな?――では、詳細でリアルタイムな情報が手に入るかどうかは、死活問題となる。
周辺諸外国が厄介だらけなのだ。
北西の巨人族とは小競り合いが絶えないし、東の地球も、最東島の超文明国との戦いで劣勢に立たされてると聞く。地球が負ければ、次はわたしたちの国が超文明国の相手だ。そして何より一番厄介なのが、南西の有翼人である。恐るべき力を持ち、何よりも好戦的でよく侵攻してくるのだ。
つまり、いつでも自分の街が戦場になる危険性があるということ。
わたしは、アーモンドの主張の激しい焼き菓子を一つ、口へと運ぶ。
……うまい。アーモンドの香ばしさとキャラメルの滑らかな甘さが、口いっぱいに広がる。この噛み応え、
抜群な歯触りも心地いい。
学校の同級生、チャルからもらった物だが、なかなか奴も腕を上げてきたようだ。
わたしの方からは、あげたことは無い。お菓子は作ったこと無いし、ひき肉料理や蒸し鶏とか持って行っても、困られるだけだろう。
台所のカウンターに置かれているガラス瓶に向け、手をかざす。意識を集中し、イメージを膨らませる。
揺れも倒れもせず、静かに浮き上がり、ゆっくりとわたしの手へと収まる。
最近習得した、【念力】の能力だ。
まだ覚えたてで、消耗量が大きく、一日に何度も使用はできないけれど。
ガラス瓶に入っていた果汁をコップに移し、それを一気に喉へと流し込む。少しぬるくはなっていたが、渇きは幾分癒された。
部屋の窓から外を見た。
高層ビル群が立ち並び、海が見える港町。
本格的な超能力学習のためやってきた、この学園都市。
「……リンちゃん、なにそれ?」
学校での昼休み、わたしの前に座っているチャルが、わたしのお弁当箱の中身を指さし、何とも言えない不愉快な表情を向けてきた。
わたしのお昼ごはんに向けて、なんと罰当たりな。
「豚の腸詰を煮込んだ奴。この前お菓子もらったし、お返しにどう? 食べる?」
「え、遠慮する……なんか、人の腕に見えて、グロいし……」
確かに、大き目の弁当箱にみっちりと入った赤黒い塊は、あんまり見た目はよろしく無いかもしれない。しかしうまいのだ。
フォークをブッ刺し、端からかぶり付く。
「なんというか……十四歳乙女の食事風景じゃあないよねえ」
もう一人の友人、ペティオの顔も引きつっている。
「チャルもペティオも、お弁当が可愛すぎだぞ。それでお腹空いたりしないのか?」
二人とも、こじんまりとした弁当箱に、プチトマトや卵焼きなどが、小さく可愛らしく盛り付けられていた。
「リンの方こそ、人の腕みたいな大きさのそれを、よく食べきれるなーっと、いつも思うわ」
人を怪獣みたいに言わないでほしい。これでも黙っていればすごく可愛いと、一部で評判なのである。
「育ち盛りだもん。こうして食べた肉が、わたしの体を作り上げていくのだ!」
「そのわりに、こじんまりした体型だよねぇ~」
「うっさいわい! 自分が発育いいからって、なんという言い草」
発育のいいペティオにナイフを突き付け、怒鳴りつける。
「リンちゃん落ち着きなよ~。リンちゃんの体型が好きな人だって、世の中にはいるから」
「それはフォローしてるのか、けなしてるのか、どっちだ」
「フォローだよー、リンちゃん。……って、口がソースでベタベタだよー」
チャルがハンカチを取り出して、わたしの口周りをぬぐってくれた。
ありがたいが、食べてればまた汚れるのだから、後でも良かったのではないか?
「リンって、一人暮らしなんだよね。家では何食べてるの?」
ペティオが話題を変えてきた。
「主にたんぱく質」
「さすがだよ。たくましく育ちそうだ」
「今にペティオを抜いてやるから見ていろ」
言って、さらに腸詰に食らいつく。
午後のうららかなひと時。
先生の話す新しい超能力――声を出さずに会話する力、【念話】についての説明を聞きながら、手のひらの上で鉛筆を浮かせて遊ぶ。
この学校に入る前は、超能力は全く使えなかった。
それがこの一年で、十以上の力が使えるようになったのだ。なんだか自分が正義の味方か何か、特別な存在に思えてくる。
今日覚えた能力もさっそく使ってみたいのだが、学校内で正義の味方ごっことかすると、ペティオに怒られるのだ。
まったく理不尽この上ない。ちょっとチャルとか同級生で試しているだけなのに。
チャルやペティオの方に視線を向ける。二人とも真面目に授業を聞いていた。
わたしはといえば、なんというか、お昼に食べた腸詰のソースが飛び散って制服にこびり付いてしまったのか、ほのかなソース臭が自分から発せられてたりする。その匂いが、いい感じに癒し効果となって、まったりモード真っ最中なのだ。
そんな、まったりモードを打ち消す音が鳴り響いたのは、そんな思案にふけっていた時であった。
ゥヴヴヴゥゥゥー。
何の前触れも無く、大音響のサイレンが響き渡る。
「ひゃふぅっ!」
まったりモードだったわたしは、驚いて変な声が漏れてしまった。
クラスメイトの何人かが、わたしに注目する。
「あ、いえいえ、おかまいなく」
手を振って、何でも無いよと全力アピール。あ、チャルとペティオ笑ってやがる。後で見ていろ。
――ガガッ……緊急警報!緊急警報!
やや聞き取りにくい音声が、街中に響き渡った。各所に設置されている街内放送用のスピーカーからだ。
教室内のみんなは、放送を聞き逃すまいと、口を閉じ、その場で動かなくなる。
わたしも、椅子に座ったまま、静かに耳を澄ます。
――緊急警報!緊急警報!……有翼人種ノ、軍勢ガ、コノ街ヘト、向カッテキテ、オリマス。……住民ノ、方々ハ、迅速ニ、最寄リノ、避難所ヘト、移動、シテクダサイ。……繰リ返シマス。……有翼人種ノ、軍勢ガ……
敵国との戦争が、この街で、始まるのか……。
沿岸のレーダー網に捉えられたのであろう。
有翼人種。やつらが攻めてくるのはそれほど珍しいことではない。今までテレビニュースで、滅ぼされた街の映像を何度も見ている。
ただし、わたしは今まで、当事者になったことはなかったが。
教室の中がざわついている。今まで、避難訓練はしたことはあっても、実戦はこれが初めてなのだ。無理はないだろう。
さて、学校にいるときに発生したのはこれ幸い。この地区の避難場所とは、つまりはこの学校の地下にあるシェルターのことなのだ。
「リ、リンちゃん……ど、どどどうしよう……」
気が焦ってうまく舌が回らないのか、わが友チャルが、わたしにすがって胸ぐらをつかんできた。
「どうもなにも、地下避シェルターに行くだけよ。わたしたちの今の力じゃあ、実戦はできないんだし」
「じ、じじじじ実戦とか! そんな怖いこと言わないでよおぉ」
「ちょっ! ……まっ……そんな、激しく……ゆらさなっ……」
チャルに襟首をつかまれ、前後に揺すられたせいで、目が回る。
「リン、……すっごく、落ち着いてるわねぇ……」
「ペティオも落ち着いてるじゃん」
「いやいや! すっごい心臓がバクバク言ってるから!」
ゥヴヴヴゥゥゥー。
またもサイレン音が鳴り響いた。
教室中のざわめきが、再度鎮まる。
――緊急警報!緊急警報!……有翼人種ノ、軍勢ガ、コノ街ヘト、向カッテキテ、オリマス。……敵ノ、到着時刻ハ、現在時刻ヨリ、三時間後ト、推定サレマス。……住民ノ、方々ハ、迅速ニ、最寄リノ、避難所ヘト、移動、シテクダサイ。……繰リ返シマス……
放送が二回繰り返された段階で、再度、教室内はざわつき始めた。
「三時間もあるのか。シェルターに行く前に、購買でおやつ買ってこう」
「いやいやいや、リンおかしいから! 冷静過ぎるというか、どんだけ食い意地張ってるのよ!」
「育ち盛りだし」
「おやつより命よ! とっととシェルターに行こうよ」
「ペティオも、チャルに言ってあげてよ。おやつ買う余裕は十分にあるって」
わたしの言葉に、なぜかペティオがこめかみを押さえる。
「リン、じゃなくてチャルのがおかしいと思ってるのか……。なんというか、すごいよ、リン」
なんか褒められた。
「よし! なら購買に行こう!」
未だにわめいているチャルの首根っこを掴んで引っ張っていく。あきらめ顔のペティオが、後ろから付いてきた。
「おばちゃん! モカロール頂戴! って、あれ? 誰もいないや」
購買には人気が一切なかった。
「おばちゃんも、シェルターに逃げたと思うよ」
「わああぁぁぁぁぁっ! わたしたち死ぬんだああぁぁっ! モカロール買いに来て死ぬんだあああぁぁぁ~」
チャルが謎の悲鳴を上げていたが、まあ問題ないだろう。
それはともかく、客が来ているのに店番がいないとはなんということだ。
仕方がない。
「えっと、……リンちゃんは、何をする気なの?」
購買のカウンターに手をかけ、飛び越える。
カウンターの中に降り立ったら、ペティオの方に向き直り、笑顔を浮かべてやった。
「いらっしゃいませお客様~、今日は何になさいますか~」
「……えーと?」
ペティオはどうも状況を把握出来ていないらしい。
「店番がいないなら、わたしがなればいいじゃない」
「遊んでる場合か!」
めちゃくちゃ真面目に怒られた。遊び心の無い奴だ。
「わあああぁぁぁっ! ペティオ助けてーっ! リンちゃんのアホ行動で殺されるー」
「アホとはなんだ、アホとは」
「アホはお前だ、とっととシェルターに行くよ」
酷い言われようだ。
確かに、面白半分で入り込んだけど、それだけじゃあない。
物資をいくつか見繕って、再度カウンターを飛び越え、ペティオたちの前に降り立った。
「じゃーん。たくさんの非常物資!」
「あーもー、避難解除されたら、お金を置きに来なよ」
ペティオは、チャルの手を引き走り出す。
「廊下は走っちゃいけないんですー」
「うざいわ!」
止まって待ってくれそうには無いので、わたしも後から走って追いかけた。
「成績優秀な優等生で通ってるのに、廊下走ってるの先生たちに見られたら、誤解されそう」
「購買からお菓子盗む方がよっぽどまずいと思うけどね」
軽口をたたきあいながらも、下へ下へと階段を下りていく。
その間も、外からの避難放送は鳴りっぱなしである。
――緊急警報!緊急警報!……有翼人種ノ、軍勢ガ、空間転移、シマシタ。現在地ノ、補足ガ、出来テ、オリマセン。敵ノ、到着時刻ハ、現在、不明。……住民ノ、方々ハ、迅速ニ、最寄リノ、避難所ヘト、移動、シテクダサイ。……繰リ返シマス……
「……えっ?」
今、なんて言った?
突然、背筋に冷たいものが走り、思わずその場に立ち止まってしまった。
「ちょっ、ちょっと待ってペティオ! チャル!」
「えっ! ま、待てないわよ! 急いでシェルターに行かないと……」
わたしたちがこの学校で習った超能力の一つに、【敵感知】というのがある。
自分たちに害意ある存在が、一定距離にいた場合に、どこに、どれだけの数いるか、把握出来るのだ。
ペティオたちの背中が、遠のいていく。二人は助かるだろうか?
わたしは、窓から校舎外の風景を見た。
まだ昼間で明るいはずなのに、妙に暗く感じる。
まだまばらに人影が、ちらほらと見える。こっちに避難してきた人たちだろう。
彼らの姿を追った視界に、ちらつく影があった。
小さな影が縦に横にと、移動している。
小さな影は、いくつあるかは分からない。何百か、何千か。
緊張と、初めて感じる恐怖から、わたしは思わず声を発した。けど、それはわたしの耳に聞こえなかった。
まばゆい光と、強い衝撃が、わたしを襲った。
遅れて、細かな無数のカケラが、体に打ち付ける触感と、激しく吹き荒れる暴風雨のような音。
三時間後と、言っていたじゃあないか。あのクソ放送の嘘つきめ!
崩れ行く校舎の壁にできた穴から見えたのは、飛び交う有翼人たちの姿と、噴煙を上げ、燃え盛る街の風景だった。