1章:妖精族のアルー5
目が覚めて少々の腹ごしらえをした後、ジュリアたちは再び四つ足の妖獣に乗って幻界の空を移動した。2度目ともなれば慣れたもので、ジュリアはアルーに後ろから支えられながらも妖獣の上で均衡を保ち、周りを見る余裕までできている。一方、一人で乗らされているロイは相変わらず妖獣にしがみついていた。
風を受け、ジュリアは目を細める。
「気持ちいいね」
「ええ。できれば、髪を押さえてくれると嬉しいのですが。ジュリアの髪が長くて、顔に当たってなかなか痛いんですよ」
「ごめんなさい、気づかなかったわ」
アルーに言われて初めて気づき、ジュリアは自分のゴワゴワした髪の毛を左手で纏めて押さえた。肩より少し下くらいの長さしかないため、アルーには当たらないものと完全に油断していた。
「…………街へ着いたら綺麗に髪を切りましょう」
「うん? そうね。短い方が何かと楽だものね」
「それもそうですが、見た目を良くした方が気分良くありませんか?」
「うーん、そのところはよく分からないわ」
「そうですか……」
髪なんて長くなったら切る。それ以上もそれ以下もない。
ふと頭を過ぎった記憶が体を蝕み、ジュリアはそれを振り払うために頭を振った。工場へいたころの記憶が唐突に蘇る。家畜として扱われる日々。その記憶が一瞬だけ視界を覆い、慌てて抑え込む。
思い出したくない。思い出したくないのだ。
「ジュリア……」
腹に回されたアルーの手の温もりが嫌に暖かく感じた。
「ある……」
「そろそろ出るので踏ん張って」
「ほえっ」
ジュリアは反射的に正面を見た。幻界へ来たとき同様、空間が丸く歪んでいる。
次の瞬間にはそこを通り越し、ジュリアたちは人間界へと戻っていた。
その後の展開は目を回すほど予想外の出来事が続いた。街中の建物の陰へ降りたアルーは慣れた様子で裏道を通り、ただの壁を独特な間隔で7回叩いて戸を出現させた。そして、ためらいなく戸を開け、ジュリアたちと共に中へ入る。中にいた首の長い猫のような生き物へ何か告げると、その猫は1人の少年のいる部屋へジュリアたちを案内した。
案内された豪華な部屋の、これまた豪華な机の奥にある椅子へ偉そうにその少年は座っていた。アルーの様子からするに、彼はエルフなのだろう。10歳くらいか。黒い肌に銀色の髪の毛という変わった風貌の少年だった。
アルーは軽く右手を上げる。
「久しぶりです、みぃくん」
ジュリアは瞠目してアルーを見た。アルーの態度は頼り来た相手への態度とは思えないほど軽いものだったからだ。
アルーはジュリアの視線を横目で受け止め、微笑みで返すとすぐにみぃくんへ意識を戻した。
「つい最近会ったばかりだろ。まったく、オレは忙しいんだ。君じゃなければ追い返していたくらいにな!」
「10年は人間にとっては十分永い時間ですよ。それにしても、愛を感じますねぇ」
「うるさい。キモい。黙れ。死ね」
「嫌です」
「くそっ。で、後ろのは嫁と息子か?」
みぃくんは視線をジュリアとロイに向けてアルーへ尋ねる。
視線に晒され、ジュリアの背はぴんと伸びた。まさか自分に注意を向けられると思わなかったのだ。
ジュリアが返答を考えている間に、みぃくんの意識はアルーへ戻る。
「そんなはずないじゃないですか。どこからどう見ても他種族ですよ? 子供ができるかどうかすら分からないのに嫁になどしません。あと、彼は彼女の弟です」
「いや、そっくりだろ。ガキか……けっ、嫌だねぇ、短命の種族は」
大仰に首を振り、みぃくんは見せつけるようにため息を付く。唇の片側だけ上げてアルーを見上げた。
「子供ができるか否かで計って、愛や恋やを理解しようとしない」
「不必要なモノですから。それより本題に入りましょう。忙しいんでしょう?」
アルーに促されるとみぃくんはため息混じりに渋々と頷いた。
「君からの話はろくなことがないんだ」
「まあまあ、それはそうとして。フィレヴィ火山を拠点を拠点としている魔王のことについてです。単刀直入に言いますが、エルフ族の力を貸してほしいのです」
「げぇ、よりによってそれか」
苦虫を噛み潰したように顔を歪ませるみぃくんを気にせず、アルーは淡々と説明し続けた。魔王と魔物を倒すために戦力を貸してほしいこと、最低でも魔力を吸収し溜め込む宝具を貸してほしいこと、その他、ジュリアには着いていけない内容もアルーは要求し始めた。
「で、そっちの戦力は君と後ろの二人だけ?」
「いえ、他に神族、悪魔族、天使族からそれぞれ一人ずつ。ね、ジュリア、ロイ」
突然話を振られ、ジュリアは反応に困り、横にいるロイを見る。首を振り肯定するロイに従い、ジュリアも首を振った。
その後も話を続けるアルーの姿を見ながらジュリアはロイへ顔を寄せ、声を潜めて話しかける。
「言ったの? 他にも仲間を集めること」
「いや、まあ、奴に宣託を下した奴が教えたんだろ。あいつは案外神性が高そうだからな」
そうこうしている間に話が纏まったようで、みぃくんは退室した。今度はアルーが苦々しい表情になっており、無意識のうちにジュリアの背筋が伸びる。
「エルフ族の上へ掛け合う交換条件に厄介なものを求められてしまいました」
「厄介なもの?」
一緒に外へ出るよう言われたロイは答えを促す。ジュリアも着いて行きながら相槌を打つ。
「幻界の真実の森にある無垢の珠です」
幻界と聞いてジュリアは思わずロイを見ると、案の定ロイは嫌そうな顔をしてアルーを見ていた。どうしても幻界に行きたくないらしい。