1章:妖精族のアルー3
ジュリアたちが逃げ出して案の定慌ただしくなった集落を横目に、二人は森の奥へと進んで行った。警備のために行く手に増えると考えた人気は減り、今や一人もいない。
声の大きさを気にする必要もなくなったジュリアはロイに話しかけた。
「本当にこの先にアルーがいるの?」
「いるぜ。気配を感じる、相当にな」
「でも、警備が少ないわ。こういうのって余計厳しくなるものじゃないのかしら」
工場では、地位の高そうな魔物はそれはそれは厳重に護られていた。他の妖精族の態度を見るにアルーも地位の高い者だ。同じように護られていなければおかしい。
「そうだよなぁ。ま、こういうのは大方、何か、あるんだろ」
そうしてさらに進むと、岩肌の洞窟が見えてきた。傍には透明な水が流れ、空気がひんやりと冷たい。ロイはその洞窟の中に迷うことなく入り込み、ジュリアはその後に続いた。
予想と反して入ってすぐに光が洞窟の奥から広がってきた。ジュリアは急ぎ、ロイの肩に手を置き、身を乗り出す。
ことりと足音がした。布で覆われた脚が光を遮るように岩の陰から出てくる。現れた男性はジュリアとロイを見るとにこりと笑った。
今まで見たとの妖精族よりも美しい人だった。
「貴女が、ジュリアですか? と、もう一方は、お伺いしてない方ですね」
「オレはロイ。弟なんだが、まあ、オマケだと思ってくれ」
「わ、私はジュリア、です」
ロイに目配せされ、ジュリアは慌てて名乗った。
「僕はアルー。さあ、早速で悪いですが。この鎖を解いてくれませんか。このままでは動けないんですよね」
微笑んだままアルーは裾を上げ、足を見せてきた。
アルーの細い足にはほのかに光る鎖がまとわりついていた。その鎖は細く、草でできており、強い拘束力があるとは思えない。
「なんで、そんなことに」
ジュリアは素直に訊く。
「神子である僕を逃がさないためです。詳細は後で。お願いします。僕では解けない術がかかっているんですよ」
「解くっつってもなぁ」
口元に手を当てるロイを置いて、ジュリアはアルーへ近寄った。鎖から目を離さないまま跪き、鎖へ手を伸ばす。
鎖が纏う光はアルーから生み出されているようだった。ふわりと滲み出し、渦を巻くように鎖へ絡みついていく。その渦はジュリアが触れた途端、霧散して消えた。
「えっ」
ジュリアは唖然として垂れ下がる鎖を握ったままアルーを見上げた。
「驚きました。でも、丁度良かった、それが障害だったんです。ウラド」
アルーは何かに声をかけた。その視線につられ、ジュリアも地面を見る。
灰色の腕が2本地面から突き出てきた。その腕は鎖を掴むとあっさりと引きちぎる。
「さあ、逃げましょうか」
そう言ったアルーの微笑みは光が零れ落ちたのかと錯覚するほど浮世離れして美しかった。アルーに手を取られ、立ち上がらせられても気づかないほどジュリアはアルーを見つめる。
「嗚呼、やめてください。そんなに見つめられると溶けてしまいそうです」
「えっあ、あ、あの、ごめんなさい」
「ふふっ。次は余裕のあるときにでも」
アルーはジュリアを抱き寄せ囁いた。
ジュリアの体が熱くなる。心臓は早鐘のように鼓動を続け、混乱とともに体中を血が駆け巡る。
それも束の間。次の瞬間にはジュリアの血は一気に引くのだった。
足下から獣が出てくる。そう認識したころには、ジュリアはアルーとともにその四つ足の獣の背に座っていた。妖獣なのだろうその獣は狼によく似ている。違うのは二人乗せてなお余裕のある大きさと、銀と青が混じり合った毛並みだ。
恐怖のあまり、ジュリアはアルーにしがみついた。
「あ、アルーさん?」
「そのまましがみついていてください。飛びますから」
「飛ぶ……?」
「はい、飛びます」
より強くジュリアを抱え、アルーは振り返った。その視線の先をジュリアも追うと、同じく妖獣に跨っているロイがいた。
跨ると言うよりも、しがみつくという表現の方が正しいかもしれない。
「ロイ、身体能力には自信がありますよね?」
「あるよ。……だから早く始めてくれ」
「それは良かった」
アルーが一言二言妖獣に話し掛ける。その言葉を合図に妖獣は身を沈めた。そして、溜めた力を全て大地を蹴る力へと変える。
次の瞬間、ジュリアたちは妖獣の背に乗って空を飛んでいた。森は足下に落ち、みるみるうちに遠ざかっていく。
「あ、アルー、何これ」
落ちる恐怖からアルーへ縋り付きながらジュリアは聞く。
「すごいでしょう? この妖獣は四つ脚なのに空を飛べるんです」
「なんで!」
「ははは、不思議ですよね。ほら、前を見てください」
ジュリアを抱えていない方の手の人差し指でアルーは宙に小さく円を描いた。それに呼応するように前方10m先の空間が円を描いて歪む。円の中は切り取られ、夜とは思えないほど明るい空間がそのむこうから見えた。
「今からあそこへ逃げます」
「なに、あそこ……」
「おい、アルー、あんなとこへ行くなんて正気か!」
焦った声をロイが上げるがアルーは全く気にしない。
「正気ですよ」
ジュリアたちを乗せ、妖獣が円の中へ入る。そして、入った直後、円は閉じられた。
円が閉じられる直前、ジュリアはアルーにしがみついたまま後ろを見た。いくつかの光が揺らめきながら迫ってくる。おそらく追っ手なのだろうその光をアルーは完全に巻いたのだった。