1章:妖精族のアルー1
その後、ジュリアはロイに導かれるまま歩き続けた。国境すら越える行程に、今までろくに運動させてもらえなかった体は震え、目の前が何度も霞んだ。それでもジュリアは歩き続ける。考えることなど無い。言われるままただひたすら歩き続けるのみだ。
そして、今は森の中を歩いている。
「ジュリア、休むか?」
「大丈夫です……」
「ならいいが。それとな、敬語はやめろって言ったろ。姉弟って設定なんだから」
「は……、うん、わかった」
歩く速さを緩めたロイはようやくこれからの予定を説明し始めた。
「ようやく人心地がついたな。一度に全部言うと混乱するから簡単に話すぞ」
「うん」
「最終的な目的は魔王を倒すなり封印するなりして世界を救うこと。で、当面の目的は仲間を集めることだ。その仲間はオレたちが話し合って決めている。まず初めの仲間なんだが、妖精族の国に入った時点でわかってると思うけど、これから会う奴は妖精族の一人だ。アルーって言ってな、話は通してある。変わった奴だよ」
世界を救うとは大きく出たものだ。どうすれば良いかジュリアには見当もつかないが、ロイに命じられたまま行動すれば良いのだろう。ジュリアはそう考え、ロイの言葉に素直に頷いた。
「にしても、妖精族の国は警備が緩いよな。いくら強い国っつってもこんなに簡単に入国できるなんてなぁ」
「そうなの?」
「そう。魔物の侵攻を防ぐために今はどっこも警戒してるからな。特に、オレたちが来た魔物に占拠されている人族の国方面なんて厳重中の嚴重よ。なのに、オレたちはあっさり入国しちまった。なにか魔物だけ判別する仕組みでもあるのかね」
そう言うとロイは立ち止まり人族の国がある方向を見た。木漏れ日に照らされたその顔は挑戦的な笑みを浮かべている。ジュリアは両膝に手をつきそれをじっと眺める。やはりロイはどこからどう見てもただの子供だ。神とは思えない。
ジュリアが自分の中の神様像とロイを比べていると、しばらくしてロイが見ている方向から人影が現れた。
木々の間から現れた妖精族を見てジュリアは瞠目した。姿形は人族と酷似しているが、髪と瞳の色が明らかに違う。
まるで血が通っているかのように赤みを帯びた桃色の髪は艶があり、瞳はおとぎ話の中に出る金という金属がまさにこれなのではないかと錯覚させるほど美しく光を反射している。
困ったように愛想笑いするロイすら視界に入らないほどジュリアはその妖精族たちに見惚れていた。
「姉ちゃん、なあ、姉ちゃん、聞いてるか?」
「あ、はい。ごめんなさい、聞いていなかったわ」
「なんか、連れてってくれるっぽいぜ。たぶんな」
「たぶん?」
「そうなのよ。肉体を得るとき言語設定をジュリアに合わせたからなぁ」
「言語設定……?」
「人族としか会話できないってこと」
「そう、なの」
簡単に言い直されてもイマイチ理解できないが、聞き直せる雰囲気ではない。仕方がないので、疲労で今にも倒れそうになりながらも、ジュリアはロイの後ろを歩いて行った。
少し歩くと、目に見えない何かにぶつかった。その何かは僅かにジュリアを押し返しながらも素直に受け入れ、その不思議な感覚がジュリアを惑わせる。
目の前の景色が変わった。
森の中に先ほどまで見えなかった集落が現れた。子供は遊び、大人たちは忙しく働いている。井戸と思われる場所の近くには老若男女が一時の休憩を得るために談笑していた。
その光景も一瞬で崩れる。ジュリアたちが現れたことによりその場にいた全員が緊張感した面持ちで警戒して見つめてきたのだ。
「姉ちゃん」
「えっあ、何?」
ジュリアは視線をロイに落とす。
「早く着いてこいってさ」
「わかったわ。ごめんなさい」
ジュリアは周りを見回しながら案内役の妖精族に着いて行った。しばらくして、ジュリアたちは広間が一つだけある建物に通される。木の板が一面に張られ、森の匂いがここまで残っている。どうやら壁も木でできているようだ。
指示された場所へジュリアとロイは座る。そこには糸で綺麗に飾り付けられた厚手の布が敷かれており、一目で宴の用意がされていたのだとわかった。
先ほどまで案内してくれた妖精族のうちの一人がロイの隣で片膝をつき、口を開く。
「お待ちしておりました。これから歓迎の宴を開きます。しばしお待ちくださいませ」
ジュリアは驚く。急に通じる言葉で話し始めたのだ。今までは何だったのかと思わずにはいられない。
ロイはちらりとジュリアを見た後、妖精族に視線を戻した。
「わかる言葉で話してみてくれてるみたいだけど、ヴァルビアを使役してんの? あの通訳してくれる幻獣」
「はい、神子さまが」
「珍しいね」
「神子さまは稀代の幻獣使いですから。では、私はこれで。何かあれば私、ルーラをお呼びください」
そう言うとルーラはさっさとこの場を離れた。
料理が目の前に並べられていくのを横目で見ながらジュリアはロイに顔を寄せた。それに合わせてロイも顔を寄せてくれる。周りに聞こえないよう、ジュリアはロイへ話しかけた。
「どうしたらいいの?」
「あー、波風が立つのも面倒だしな。取り敢えず、好意は受け取って、飲み食いしようぜ。ただし、オレが食ったものだけを食べること」
「わかった」
その後、態度で示すようにロイは出された料理に手を伸ばし、美味しそうに頬張った。ジュリアも真似して口に入れる。
咀嚼した瞬間、ジュリアの鳥肌がだった。ジュリアが食べた丸いそれは白い皮の中に肉が入っており、口いっぱいに汁が広がる。目が眩むほどの幸福感に酔いしれながらジュリアはひたすら食べ続けた。
やがて、ジュリアの目からは大粒の涙が溢れ始めた。
「ど、どうしたんだよ」
「美味しいの。とても、美味しくて。辛くないのに涙が……」
「そっか。なら、たんと食え」
「うん」
涙でぐちゃぐちゃになりながらもジュリアはひたすらに食べ続けた。