1年目12月 「クリスマスプレゼント」
「ワタル、今日は仕事じゃないのか?」
リビングでのんびりしているワタルを見つけて、外出から戻ってきたばかりのフミヤがそう尋ねた。今日は十二月二十五日、いわゆるクリスマスの当日。女性向けの夜の仕事を生業とするワタルが、まだ家にいたことが気になったのだろう。
フミヤは車の鍵をサイドボードに引っ掛けると、ソファにすっぽりと腰を落とした。
「うん、今日は休みにしたよお。僕のご贔屓さんたちは、家庭があったりパートナーがいたりするもんだから、今日は誰も来れなくてね」
私服を持っていないワタルは、今日も高級ブランドのスーツ姿だった。どこへ行くにもスーツでいることにも、慣れてきていた。
「へえ。ホストクラブって、やっぱりそういう人も多いんだな」
フミヤがタバコを咥えると、ワタルは火を灯したライターを差し出した。視界の中で誰かがタバコを咥えると無意識にそうしてしまうのは、きっと職業病だ。
ワタルは自身も取り出したタバコに火を付けると、天井付近にうっすらと紫煙が漂うところへと息を吹いた。
「それで、それは何してんだ?」
「クリスマスプレゼントとして貰ったものの整理だよ」
タバコの火を消しながら、フミヤはテーブルの上に並べられた数々の品を見渡した。テーブルの上だけでは収まりきらず、ソファや床の上にまで広がっている。
腕時計やバッグ、ネックレスやスーツといった、値の張りそうな品の数々だ。
「どれもこれも高そうだな……この時計いくら?」
「その時計かい? 確かね、百二十万くらいだったかな」
フミヤがつけている時計は、大学進学に合わせて買ってもらったもので、三万円の自動巻きの国内ブランド品だと聞いている。価格差は実に四十倍だ。
「噂には聞いていたけど、こうして目の当たりにすると驚きを通り越すな」
量と値段と、そのどちらにも驚いているのが、顔にありありと浮かんでいた。
「ただいまー」
「ただいま戻りましたっ」
フミヤが驚きながら品定めしていると、スズとカナが帰ってきた。手に持つ袋からいい匂いが漂ってきて、まだ夕方なのに胃がそれを欲しがってこっそり鳴いた。
「わぁ、なんかすごい色々広がってますね」
「なになに? これワタルくんがもらったプレゼント?」
女子二人はワタルの広げた物たちに興味津々の様子で、おっかなびっくりに手を出しては凄い凄いとはしゃいでいた。
「二人は、買い物に行ってきたの?」
「はいっ、今日のパーティの買い出しですよっ」
「急にクリスマスパーティすることになったのよね」
「マジでっ!? なんだよ、聞いてないぞ。早く言ってくれよなー」
フミヤは驚いた。
「……先輩……」
「……フミちゃん……」
女の子二人に、ジト目で見つめられると、フミヤはヘタクソな口笛をピープー鳴らしながら知らんぷりした。
「いつも通り、言い出しっぺはフミヤなんだね。女の子だけで買い物に行かせるなんて珍しい──ああ、そういうこと」
リビングに顔を出したときに、フミヤが取っていた行動をワタルは思い出した。きっと一緒に行けない事情かがあったんだろうとワタルは推測して嘆息した。
『まったく、フミヤは素直じゃなさすぎるよ』──と聞こえないように呟く。
「ヤレヤレですよ、先輩」
「カナは、流行りのヤレヤレ系か」
「もうその流行りは通りすぎて遥か過去ですけどね」
「ワタルくん、もしかして休み?」
「うん、そうだよ。もしお邪魔なら、出掛けるけど」
「何言ってんだよ。ああ、妹ちゃんが気になるなら、呼ぶか?」
「朝のうちに、プレゼントを渡してきたから大丈夫さ」
ワタルはとても嬉しそうにしていた妹の笑顔を思い浮かべると、ふふっと小さく笑った。
「シュウとチャキは昨日からデートなんだって?」
「ですです。なんか、すっごいクリスマスツリーが見れるホテルがあるらしくて」
世俗の行事にはとんと感心を示さない二人ではあるが、それを理由にしたデートにはこだわっていた。
「リアはイタリアに帰ってるし……アヤは?」
「アヤちゃんはね、オタサーのクリスマスパーティだって。夜には帰ってくるって言ってたよ」
いつの間にかカナがキッチンに移動していて、買ってきた食料を冷蔵庫に仕舞いこんでいる。
「じゃあ、今夜のパーティはこの四人なんだね」
「そうですよっ」
「人数なんて、どうでもいいじゃん。やるかやられるかが、問題だ」
「フミヤは、やられる側じゃないけどね」
「先読みすんなよ、ワタル」
フミヤのボケ倒しも、ワタルにはどう流そうとしているかが簡単に理解できていた。一番の親友相手なので、それくらいの芸当はさほど難しいことではない。
「たとえ四人でも、腕の振るい甲斐があるってものよね!」
「待て」
「待って」
キッチンに入ってエプロンを装備したスズが、とても不吉なことを言いだした。リビングのフミヤとワタルが冷や汗を流しながら、聞こえた言葉を咀嚼する。
「……何よ」
二人が言わんとしていることが分かっているスズは、憮然としていた。聞きたくはなさそうだが、聞かずにはいられないという顔をしているようにも見える。
「会長は──うん、ムリに手伝ったりしなくても大丈夫だぞ。カナに任せておけば大丈夫だぞ」
「そうそう。ボクらとおしゃべりでもしていないか」
「もう! なんでそんなに私が料理するのを止めようとするの!」
「スズさんったらですね……こう言って聞いてくれないんですよっ」
スズの隣で、カナが疲れたような顔をしていた。纏うエプロンは薄いピンク地にハートマークが刺繍されていて可愛らしい。
「カナちゃん一人にやらせるなんて、とんでもない! 先輩として、少しは力になってあげないと!」
「スズさんはさ、まず最初に、自分の力量を知るところから始めたほうがいいと思うよ」
「ちゃんと分かってるって! 私はチャキちゃんと違ってメシマズじゃないの! ちょっと苦手なだけなの! カナちゃんに教わって、デキルオンナになったの!」
「……どうなの、カナセンセイ?」
「ノーコメントでおねがいしますっ!」
カナは迷わず間髪つかずにそう言い切った。その顔を見たフミヤとワタルは、絶望という雨が降り注ぐのを感じた。
「そ、そんなぁ。私もフミくんのために料理したいよぅ。ね、ね、カナちゃん。ちゃんと言うこと聞くから、お手伝いだけでもさせてよぅ。ね、ね?」
「……わ、分かっ──分かりましたからっ、そんなにしがみつかないでくださいよっ」
二歳も年下の女の子に泣きつくという、ポンコツ屋敷内で最年長で唯一成人している女性の恥ずかしさ満点の姿に、カナはついに落城した。
「カナ、くれぐれも頼むぞ」
「任せておいてください。いざとなったら、スズさんに全部処理してもらいますから」
ただ一人、共に暮らしていない料理のベテランが請け負ったことでフミヤは少しだけ安心し、その背後でこっそりワタルも安堵の息を漏らしていた。
五号サイズのホールケーキ、こんがりと焼きあがったローストチキン、サラダボウルに山のように盛られたポテトサラダ、ほんのりと色づいたコンソメスープ、焼きたての香ばしい丸パン、リアから送ってもらったイタリアのトマトを使ったミートソースのパスタ、高そうなラベルの付いたシャンパン──
そんないかにもクリスマスらしい夕食は、シャンパンというアルコールがあったこともあって、笑いの溢れる一時だった。
ただ、アルコールに弱いフミヤが調子に乗って飲み過ぎたことだけはどうしようもないことで、ソファでぺちゃんこに潰れていた。
ふと気が付くと、さっきまでいたはずのスズが、いつの間にかどこかに行ってしまっていた。
「スズさんてばっ、最後までやらないから、あまり任せたくないんですよねっ」
物心付いた頃には父親しかいなかったので、食事の支度は自分の仕事だった。食事の後は片付けをする。それがカナの骨の髄にまで叩きこまれていた。
カナは片付けをしながら、これからのことを考えていた。既に計画は練りこまれている。スズが早いところ寝込んでくれれば、それで準備は整う。
「フミちゃーん! プレゼントだよー!」
リビングからスズの弾んだ声が聞こえてきて、カナはイヤな予感を覚えながら顔を上げた。カウンター越しに、バスタオルを巻いたスズの姿が見えた。
それ自体は、いつもの露出狂なスズの日常と大差ない格好であった。だが、カナはなんだかイヤな予感を覚えた。
フミヤは仕方ないと言わんばかりにゆっくりと目を開いて、顔を横に向けた。
「プレゼントは──」
スズはバスタオルを剥ぎとった。
「わったしでーすっ!」
真っ赤なリボンを体中に巻きつけたスズが、『じゃーん』と言いながらドヤ顔をしていた。隠すべきところを隠さない姿に、カナは目眩を覚える。
いつものように裸でいるよりも、エロティックな感じに見えるのが、憎らしくて堪らない。
「わあ、これはすごいぷれぜんとだねぇ」
ワタルが完全に無感情な声を出していた。関わりたくないのが声だけで分かるほどに棒読みであった。
「……よし、もらおう」
「「へっ!?」」
期せずして、キッチンのカナと張本人のスズの声が重なった。フミヤが呆れ返って冷静にツッコミを入れると想定していたのに、そうならなかったからである。
酔ったフミヤは、そんなことを考えるほどに頭が回らないでいた。
「わ、わわっ……え、ちょ、フミちゃんっ!?」
スズが動揺していることを気にもとめずに、フミヤはスズの体に巻き付くリボンをむんずとつかみ、引きずるように部屋に連れて行ってしまった。
「わっ、わっ、へ、へんなところが食い込むのっ! あ、ま、待って──」
スズの抗議の声がどんどんと遠くなっていき、そしてフミヤの部屋のドアが閉まる音が聞こえてきた。
「……ええええええっ」
計画がメチャクチャになって、カナは落胆の色を隠せないでいた。
「あのヘタレのスズさんが、ついにっ!?」
「それはどうだろうね。なんなら賭けるかい?」
「……あっ。よくよく考えると、賭けにはならない気がしますねっ」
エプロンで手を拭きながらリビングに戻ってきたカナは、エプロンを外して椅子に掛けた。テーブルの上の雑誌にワタルが手を伸ばすと同時に──
「やっぱりムリムリムリー!」
というスズの声と、ピシャンとフスマが閉まる音が同時に聞こえてきた。
「やっぱり賭けは不成立みたいだね」
「でしたねっ」
ワタルは雑誌を広げ、もうその話題を打ち切ることにした。
「さてと。それじゃあ、あたしはヘタレではないので、喜び勇んで吶喊してきますねっ」
「ああ、よいクリスマスの夜を。おやすみ」
「はい、ありがとうございますっ! お休みなさい、ワタルさんっ」
スキップしながらリビングを出て行くカナを見送って、ワタルはタバコに火を付けた。