1年目10月 「食欲の秋とメシマズの秋」
「やっぱりね、ヒロインイベントで一番重要なのはエッチシーンよりも手作りのお弁当とか料理のシーンだと思うんだよね」
リビングで深夜アニメを見ながら、シュウが熱く語り始めた。ちょうどテレビではヒロインが主人公のために失敗しながらも懸命に弁当を作っていた。
指にたくさんの絆創膏を巻きながらも懸命に料理をする姿に、シュウはとても心を揺さぶられているようだった。
「ン~、ソウなの?」
「そう! そして、慣れない料理をして、指に絆創膏が何枚もあって、それを隠すのが堪らないのさ!」
「料理しててバンソーコーなんて、付けたことナイヨ」
「本当にそうなるかどうかじゃなくて、不器用なりに頑張ったよっていうのが、いいんだよ!」
そんなに絆創膏だらけになるような料理の仕方は、そもそも別の問題がありそうな気がするが、シュウはそこは気にならないそうだ。
「頑張ったかどうかより、美味いかどうかじゃね」
「フミヤは分かってない! 味よりも、自分のために頑張ってくれることがいいんだよ!」
シュウたちが見ているのは、この秋から始まったエロゲー原作のワンクールアニメだった。
フミヤとしては、いくら自分のために頑張っても、マズイと言う言葉を軽く置き去りにする料理を前にするのは死にたいと宣言しているようなものだと思う。
「それでもさ、たとえ後でトイレの住人になると分かっていても、美味しいと言って食べて上げたいよね」
「それはお前の脳内にいるヒロインがチャキだからだ。あの女は、やる気と効率厨と廃人という問題がなければ、マシなものを作りそうな気がしないでもないだろ」
ソファに寝そべって携帯ゲーム機で通信プレイをしながら、フミヤは冷静に評価した。
恋人が酷い評価をされたとしても、シュウはそれを否定しきれなかった。きっと、そのうちそんな問題は解決するだろうと信じていた。
「あたしは、小学生の頃はけっこう指に怪我しましたよっ。絆創膏はいつも台所に置いてましたし。あ、先輩そっち行きましたっ!」
フミヤと通信プレイをしているカナが、自身の経験を語る。
「コイツしぶといな……カナでも、怪我してたのか」
「そりゃあそうですよっ。慣れないうちは、包丁持つのだって、けっこう怖かったですよっ」
「そんなもんなのか。ま、カナとリア以外に期待しないほうが良さそうだな」
「ですですっ。超優良物件が、目の前に転がっているので、今のうちに捕まえておかないと大変ですよっ」
カナはベストなタイミングでアピールしてみせたが、当のフミヤは携帯ゲーム機に映っている大型モンスターをシバくのに忙しく、話を聞いていなかった。
「そういえば……当のチャキさんは、シュウさんと結婚した後はどうする気なんでしょうねっ。ちゃんと料理とかするんでしょうかっ」
「今はスーパーでもコンビニでも、それなりの惣菜が売ってるからな。レンジで温めただけでも、シュウは喜びそうな気はするぞ」
「そうですねっ。いざとなれば、ご飯はシュウさんが作ればいいわけですもんねっ」
シュウとチャキの結婚は既に決定事項で結納まで済んでいる。
「チャキが作るようになったとしても、シュウが美味い美味い言うから、進歩しなさそうな未来が見えるな」
「それよりは、シュウさんが専業主夫になったほうがいい気がしますねっ……やたっ、トドメ刺しましたっ!」
「ああ、その手があるか。良かったなシュウ、就職先が決まっていて。永久就職だぞ」
「キミたちね……」
散々な言われようではあるが、シュウとしては否定しきれなかった。両親が共働きだったこともあって、物心付いた頃から姉と二人で家事を仕込まれていた。そして現在、シュウは女性のほうが多いこの屋敷において優秀な家事担当になっていた。
「ねえヒデくん。お腹が減ってしまったわ」
部屋にこもってネットゲームに興じていたチャキがリビングに顔を出した。
「まだしばらく寝ない?」
「ええ。今入っているレイドツアー、あと三体ばかり残っているから……二時間くらいはかかるんじゃないかしら」
「じゃあ、少し腹持ちのいいものがいいかな。少し待ってて」
ちょうどアニメが終わったこともあってシュウは快諾した。それと入れ替わるように冷蔵庫からペットボトルを持ってきたチャキがソファに腰を下ろした。
「相変わらず廃人だな」
「否定はしないわ。それでも、現役JKを家に連れ込んだ挙句、こんな深夜までゲームに耽るフミヤよりはマシじゃないかしらね」
「えへっ、つれこまれましたっ」
カナは基本的に自分から乗り込んできている。カナの家は父一人子一人という家庭環境で、父は研究職のためか帰らない日が多い。カナ自身の身の安全という意味では、一人で家にいるよりもこの家で多くの者と一緒にいるほうが安全だ──という建前の元、カナはよく泊まりに来ていた。
「ネーネーチャッキー、チャッキーはいつもシュウに頼むヨネー。たまには自分でやらないノー?」
テレビをザッピングしても面白い番組がなかったのでテレビを消し、リアもソファにやってきた。
「それは、料理のことかしら? もちろん自分でもできるけど、ヒデくんにお願いしたほうが効率的よ」
チャキの言う『出来る』はあくまで『可能』なだけである。家事として『出来る』ではないことは皆が知っていた。
「シュウねー、さっきアニメ見ながら、女の子が料理するのが好きって言ってたヨー」
「チャキさんが料理したら、シュウさん泣いて喜びそうですよねっ」
「……そう」
興味なさそうに生返事をしたチャキはコーラを煽ると、テーブルの上に広げられているチョコレート色の焼き菓子に手を伸ばした。
「あら、これ美味しいわね」
「ですよねですよねっ! これ新作なんですよっ! でもですねっ! 先輩ったら何も言ってくれないんですよっ」
チャキへの攻撃中だったはずなのに、なぜかフミヤが被弾した。
「……お、おう……美味いぞ、カナ」
「えへへへへへへっ」
「へえ、手作りなのね」
チャキは二つ目に手を伸ばすと、それを口まで運ばずにじっくりと眺めた。小さなハンバーガーのような見た目をしているそれは、中に挟まれた餡がもっちりとしたチョコレートで、それを挟み込む上下に柔らかい生地もチョコレート色をしている。
「これは、なんというお菓子だったかしら」
「マカロンですよっ」
「ああ、そうだったわね」
「チャッキーぜったい始めて知ったネー」
「し、知ってるわよ。ただ、名前が出てこなかっただけなのよ」
フミヤに褒められたカナが、終始とても嬉しそうな顔をしていたのを見て、チャキはしばらく考え込んだ。
「チアキ、出来たよ」
シュウがチーズの匂いが香ばしい深皿を持ってきた。それはシュウが得意とする豆腐グラタンで、ヘルシーな夜食の定番としてよく作っているものだった。
「ありがとう、ヒデくん」
チャキはペットボトルを持って立ち上がると、後ろにシュウを従えて、リビングを出てチャキの部屋へと入っていった。
「むふふ、なんか、面白いことになりそうですねえ」
チャキの顔をじっくりと観察し続けたカナが面白そうにしていた。
目の前にあるのは、妙に形の悪いオムレツであった。コゲがところどころに散見し、半熟にも成りきれない卵がひび割れから流れ出ているかと思えば、しっかり完熟した部分が揺れもせずに固まっている。
全体に等しく熱を与えられなかった焼きムラが一目瞭然であったが、少なくとも問題なくオムレツ以外のものと見間違うことはなかった。
「……なによ」
「いや、なんでも……」
チャキの手にはいくつかの絆創膏が張られていた。オムレツで絆創膏を張るような怪我をしたのかと聞きたくなるが、不機嫌そうな顔でフミヤに噛み付く。
「うわあ、チアキが作ってくれるなんて、夢みたいだよ」
「いつもヒデくんが作ってくれているしね、たまにはそれを労うことも必要かなと思ったのよ。それだけよ、他意はないわ」
感激のあまりに涙を浮かべているシュウとは対称的に、チアキはすまし顔をしていた。
「ツンデレっぽいですねっ」
「これってクーデレじゃね」
フミヤとカナがこそこそと顔を寄せて語り合う。チャキはずっとシュウの顔を見ていて、おそらくこの会話に気づいていなかった。
「ねーねーねー! チャキちゃん! メシマズ同士、こういうのナシって約束したじゃんさー!」
「そんなこと知らないわ。第一、わたしはメシマズじゃないの。本職のメシマズであるスズと一緒にしないでもらえるかしら」
「な、な、なんてことをーっ!? 一緒にお米の研ぎ方を習ったじゃないのーっ!」
「何ヶ月前のことを言っているのかしら。その間に大型アップデートがあって、わたしはバージョンアップしているの。日進月歩、人は常に歩み続けているのよ」
スズはぶつくさと文句を言いながら、『なんで人間がネトゲーみたいなアップデートするのさ……』とこぼしていた。
「ワターシもカーナも、ちょーっと手伝ったケドー、ほっとーんどチャッキーの手作りダーヨー」
敢えて言わなくていいことをリアが皆に知らせた。味は大丈夫だと言いたかったのだろう。言わなくてもいいのにとカナはフミヤの隣でちょっと複雑な顔をした。
「さ、食べて頂戴。冷めてしまっては、せっかくの料理が美味しくなくなってしまうわ」
「そうだね。チャキの初めての料理だし、美味しいうちにいただこうか」
ワタルが優しく、温かい眼差しで仲間たちを促した。それを聞いてリアが主への感謝の祈りを捧げるのを待ってから、仲間たちはフォークを手に取った。
「イタダキマース!」
「はい、召し上がれ」
フミヤはフォークを手にしたまま他の者の動きを見守った。毒味待ちである。だがそういう態度を取ったのはフミヤとワタルとスズとカナだけだった。
シュウは躊躇うことなくオムレツを切り分けると、口へ運び込んだ。
「あ、美味しい。チアキ、これ美味しいよ!」
仏頂面のチャキが、そのシュウの言葉を聞くや、仲間たちが初めて見るようなとても嬉しそうな恥ずかしそうな、そして照れた顔をした。それがあまりに衝撃的で、その顔を見た仲間たちは言葉を失った。チャキって、こんな顔するんだ──と。
「なんか、嬉しすぎて泣いちゃいそう」
誰もがシュウは大げさに言っているのかと思っていたが、その目に涙が浮いているのを見て、本気で言っていることに気付いた。さすがに茶化すのも憚られた。
「大げさよ……でも、よく出来ているわね」
二人の温かいやりとりを見て、仲間たちも安心してフォークをオムレツに突き立てた。
和やかに終わった夕食の後、チャキが片付けまですると言い出して、いよいよ本格的にメシマズを卒業して家事にまで手を広げようとしていることが発覚した。
スズは打ちひしがれたように、フラフラとしながら部屋に戻った。何かしら感じるところがあったのだろうが、できればなにもしないでくれと、誰もが願う。
「カナちゃん、ありがとね」
「え、何がですか?」
二人だけ残っていたリビングで、シュウがカナに謝意を示したので、カナは恐る恐る尋ねてみた。
「今日のオムレツ、たぶんリアちゃんとカナちゃんがなんとかしてくれたんだよね」
「そんなことないですよっ。あれは、チャキさんが頑張ったんですっ」
「……うん、そういうことにしておくよ。でも、ありがとう」
さすがに普段から料理を担当するだけあって、シュウは全て見抜いているようだった。しかしカナは、それについては一切口にしないと決めていた。
今日のオムレツはチャキが作った。それでいいのである。
「フミヤに、こっそり伝えておこっか」
「ダメですダメですっ。ポイント稼ぎは、ちゃんと自分でやりますからっ」
「ほら、言っちゃった」
「あうっ。とにかく、あたしとリアさんは、ちょっとだけお手伝いしただけなんですっ」
ははは、と笑いながらシュウは部屋に戻っていった。