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1年目 9月 「北国からの強襲」

 九月になっても大学生たちはヒマだった。ポンコツ屋敷の住人たちは高校生気分のまま帰省したり旅行に出かけりしたが、まだまだ続く夏休みを持て余していた。


「チャキがダレてるなんて、珍しいこともあるものだね」


 シャツとスラックスという、いつもの出で立ちをしたワタルが、昼過ぎに下着のままリビングにやってきたチャキをそう評した。女性向けの週刊誌を広げていたワタルは、盛大に欠伸を漏らしているチャキへ、用意されていたコップに麦茶を注ぐとそっと差し出した。


「ありがとう。どうせ家の中から出る気もないもの。だったら着替えるのは無駄でしょう。無駄に服を汚す理由はないわ」


 チャキは赤いシュミーズを軽く摘んで上げ下げして座りの悪さを直すと、スラリと伸びる太ももを組みながら麦茶に口をつけた。


「それにしても、ワタルは相変わらずマメなのね」

「ああ、これ? わざわざ高いお金を払って、一時の安らぎを得に来てもらってるからね。少しでも楽しんでもらうために、こういった勉強も必要なんだよ」

「プロ意識ってやつなのかしら。ワタルのそういう心遣いを、ヒデくんがもう少し気にしてくれるようになると、嬉しいのだけれど」

「そうは言うけどね。アニメもエロゲーも止めて、服装とか髪型とか体形とか会話のことばっかり気にするようになったシュウは、それは本当にシュウなのかな?」

「確かにそうね。ヒデくんは、今のヒデくんが一番ステキだということを再認識できたわ。ありがとう、ワタル」


 散々な言われようではあるが、シュウがシュウだからこそチャキは大切に感じていた。


「全員集合!!」


 屋敷の隅々まで響き渡るような、フミヤの大声が聞こえてきた。何事かと思っていると、スマホを片手に顔を青くしたフミヤがリビングに飛び込んでくる。

 ワタルは重要なことがありそうだと直感的に判断して、縁側でスマホをいじりながら呑気にタバコをふかしているアヤに声をかけた。


「なになに、なんか大変なことが起きたの?」


 風呂あがりでバスタオルを巻きつけただけのスズが、肩までの髪をタオルで拭きながら聞いてきた。シュウとリアもリビングに駆けつけてくる。

 珍しいことに一人がけソファに陣取ったフミヤは、全員が揃ったのを確認して口を開いた。


「一大事だ、よく聞け。婆様が来ることになった」


 フミヤが落ち着かない様子でそう切り出す。フミヤの言葉に、仲間たちは顔を見合わせる。その一言だけでは、どれだけ重大な用件であるかが測りかねていた。


「シュウ、チャキ。お前ら覚えてるよな? オレの母方の──ロシアの婆様のこと」


 フミヤの父方の祖母はロシア人で、祖父が亡くなってからはロシアに戻ってのんびりと余生を過ごしていた。そして気が向いたときに日本へやってくる。


「……え。それって、それってまさか──あの婆ちゃん!?」


 シュウの質問は、ほぼ悲鳴に近かった。シュウとチャキは一度だけ会ったことがある。中学時代からの付き合いがある二人だけは、その人となりを知っていた。

 フミヤが黙って頷くと、中学時代の忘れがたい出来事が脳裏に蘇ってきたシュウは、顔を瞬時に青くさせる。

 受け答えがしっかりしていない、という理由でシュウは殴られたことがあった。その連帯責任でフミヤもついでに殴られた。


「気に触ったら、とりあえず殴る人だ。お前ら──特に、会長とチャキ。お前ら、そんな格好してたら確実にアウトだぞ。連帯責任でオレまで殴られる」

「あの婆ちゃん、怒るとまず手が出るんだよ! 手加減してくれないし」


 殴られたことのあるシュウがその怖さを伝える。


「めっちゃ厳格な人だからな……明日くらいには顔を出すって話だから、少なくとも外に出られる程度の格好をしてろよ。いいな?」

「い、今からスーツでも買ってこようかな……」

「あからさまな格好をしては、むしろ怒らせるだけだろう」


 その言葉を聞いてフミヤが見たものは、まるで凍りついたように動きを止めた仲間たちだった。彼らは揃って、フミヤの背後を見ている。そう言えば、さきほどの声は誰だったのか──そんな疑問を浮かべながら、フミヤは首を回して背後を見やる。


「愛しい孫よ、久々に訪ねてきたババに、挨拶もしてくれないのか?」


 そこにいるはずのない人物の姿を見て、フミヤは息を呑んだ。それは、明日来るはずだと聞いていた、祖母だった。

 かつての金髪は真っ白に染まっているものの、スラっと縦に長く伸びた体躯にパンツスーツが良く似合っている。顔中に浮かぶシワが高齢であることを示しているが、その瞳から放たれる光はいまだ力強く、鋭い眼光がフミヤを射抜いていた。


「ば、ば、婆様っ!? お、お久しぶりです」


 フミヤは飛び上がるようにソファから立ち上がった。それに釣られて、仲間たちも慌てて立ち上がる。

 対策を練らなければと考えていた矢先の不意打ちに、フミヤの頭の中は真っ白だった。言葉が思い浮かばず、金魚のように口がパクパクとするばかりだった。


「ああ、久しぶりだね。ずいぶんと大きくなったな、フミヤ」


 腕を組んだまま廊下に立つ祖母は、ニコリともせずに孫を見据えていた。久しぶりの再会を喜ぶ様すら見えない。


「ど、どうぞ、こちらへ……」


 フミヤは自身の座っていた一人がけのソファへ祖母を促した。闊達とした年齢を感じさせない動きで祖母は腰を下すと、ごく自然な動作で足を組んだ。


「いつまで、見下ろしてるんだ。そんなに、薄くなった頭を眺めていたいのか?」


 流暢な日本語の言い回しで、祖母はフミヤたちを促す。二十歳で嫁いでからの六十年間で身に着けた日本語だった。

 フミヤはフローリング上の薄い絨毯の上に屈むと、正座の姿勢を取る。仲間たちはフミヤを観察しながらオズオズと身を下げ、家主にならって正座をした。


「ば、婆様。来るのは明日あたりだと、母さんからは聞いていたんですが」

「そうだったか。だが、久々に孫に会うのだ。気が逸って、一日早く来てしまったと思えば、可愛いものだろう?」


 そう言われてしまうと、言葉の返しようもなかった。準備が出来なかった、などとは口が裂けても言えない。


「そ、それで……どうしてまた、ここへ」

「言っただろう、お前に会いにきたのだ。祖母が孫に会いに来ることが、日本ではそんなに珍しいことか」

「い、いえ……」

「フミヤ」


 名を呼ばれたことでフミヤはよりいっそう緊張したまま身構えた。


「ここでの生活はどうだい」

「え、ええ。仲間たちと楽しくやっています」


 それを聞いた祖母は、フミヤの仲間たちに目をやる。彼女の目に奇異に映ったのは、風呂あがりの女と下着姿の女の二人だ。


「ずいぶんと、楽しそうだな。昼も夜も、関係ないんだろうな」


 その言葉がスズとチャキのことを指摘していることに、フミヤはすぐ気付いた。やはり言われるかと臍を噛む。だから服装についてはきちんと言っておいたのだ。

 だが、そんな後悔をしたところで、もはや意味はなかった。フミヤは目線を下げ、何も言えずにいた。


「……くっくっくっくっく」


 突然笑い出した祖母に、フミヤは面食らって顔を上げた。そこに見えたのは、とても愉快そうに笑う祖母の顔だった。


「あっはっはっはっは。全く変わらんな……フミヤ、アンタいくつになった?」

「十九になりました、婆様」

「ああ、そうだね。ずいぶんと大きくなったもんだ……」


 さきほどまでの心臓を掴むような眼光は、もう祖母の瞳に宿っていなかった。むしろ、愛しい者を見る、優しい目をしていた。


「十九なら、もう大人だろう。そんな歳になってまで、ババにビビってるんじゃない」


 いきなりの豹変ぶりに、フミヤは何事か分からず、ボケーッと祖母を見上げたままだった。


「お前はもう大人だ。今更、しつけの必要な年でもないだろう。いつまでも、耄碌したババ相手にビクビクしてるんじゃない」


 祖母のしわまみれの手で頭を撫でられ、フミヤは何がなんだか分からなくなった。


「さ、皆、普通にお座りよ。フミヤ、お前もだ」


 祖母の変わりっぷりに頭が追いつかないまま、フミヤたちはソファに座った。足がしびれて上手く立てない者もいたが、誰も気を回せるほどの余裕がなかった。


「はっはっは、どうだ、怖かったか」


 そう笑う祖母の顔は、柔和などこにでもいるお婆さんのそれだった。


「なるほど、そういうことだったのね」

「ふふ。どうやら、フミヤに脅かされ過ぎてしまったようだ」

「いやいやいや、めっちゃ殺されるかと思ったから!」

「そうだよねぇ。あの目、何人か殺してる目だったよぅ」

「こんな格好じゃ、何も言えないもんね……」

「お隣に住んでるマフィアのボスと同じニオイダッタヨ!」

「お、おいお前ら……」

「かまわんよ」


 ソファに座ったことで緊張が途切れた仲間たちが気を緩めて雑談モードに突入した。それを咎めようとしたフミヤを、祖母が片手を上げて制した。


「孫と、仲良くしてくれて、ありがとう」


 祖母はそう言って仲間たちに頭を下げた。


「ヒデトとチアキ、だったね。ずいぶんと久しぶりだね。しばらく会わないうちに、大きくなったもんだ」

「お、おひさしぶりです!」

「ええ、ご無沙汰しておりますわ、お婆様。六年振りと言ったところですね」

「ああ、そんなもんだね。相変わらず一緒にいてくれていることを、改めて感謝するよ。それで、他の子たちも名を教えてくれるかい」


 シュウとチャキを相変わらず覚えていたことに二人も改めて礼を述べた。それから祖母と初めて会った四人が、順に名乗っていった。


「ワタル、スズ、ジュリア、アヤ……皆、いい名前だ」


 目を細めて、嬉しそうに四人をゆっくりと眺める祖母。その様子を見て、フミヤはここでようやく胸をなでおろした。


「それで、フミヤの恋人はどの子なんだい?」

「はっ!? い、いないけど──」


 フミヤの言葉を聞かずに住人たちを見回した祖母は、スズに目を向けると視線を定めた。


「……会長は、ただの友達だよ」

「ふうん。ババの目には、そうではないようにも見えるがな」


 想いを看破されたスズが、顔を赤く染めながら目を伏せた。



 数時間ばかり、フミヤの近況話だったり、この家での生活についての話を聞いてから、満足したのか祖母は帰っていった。


「しばらくは日本に滞在するから、そのうち皆で食事にでも行こうじゃないか」


 帰る直前に祖母はそう言い残し、仲間たちは『喜んで』と笑顔で答えた。


「はぁぁぁぁぁぁ」


 祖母を見送ってからリビングに戻ると、フミヤは思いっきり息を吐き出してリビングに倒れこんだ。

 何事もなく無事に済んだことで一気に緊張がどこかへ飛んでいき、その開放感が心地よかった。


「助かったぁ……」


 吐き出した言葉は、フミヤの心からの言葉だった。


「相変わらず、オーラというか威圧感が圧倒的なお婆様だったわね」

「また殴られるんじゃないかと、すっごいヒヤヒヤしたよ……」


 一度だけ会ったことのあるチャキとシュウも、三人掛けのソファを二人で占拠して、お互いに寄りかかりあいながら安堵の息を漏らしていた。


「厳しかったのは、フミヤを愛していたからだというのが、すごい伝わってきたよ」

「いいお婆さんだったノネー!」

「ああいう歳の取り方したいなぁって思ったよぅ」


 ワタルとリアとアヤは祖母に好意を持ったようだった。最初こそ緊張していたものの、打ち解けてからよく言葉を交わしたのは、この三人だった。


「えへへ。なんか、勘違いされちゃったね」


 スズは相変わらずバスタオル姿のまま、床に倒れ伏すフミヤに伸し掛かった。

 満面の笑顔を向けるスズに『知らんがな』とフミヤはそれだけを口にするのが精一杯だった。

 夕方にやってきたカナに報告すると、カナは『何で呼んでくれなかったんですかっ!』と怒りを露わにし、食事会の時には呼ぶことを約束させられてた。

 その日の夜、久しぶりに父から連絡があり、久々に孫に会えて嬉しそうにしていたと聞いて、少しだけ祖母との距離が縮んだような気がしたフミヤであった。

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