4年目 7月 「内々定がないってえ」
いつものようにリビングでどうでもいい話をしていると、チャキの携帯が鳴り出した。見覚えのない番号に顔をしかめつつ、チャキはその電話に出る。
とたん、チャキの顔は珍しいことに優しげになり、ちょっとだけ甲高くなった声で会話をして、通話が終わると思いっきり息を吐き出した。
「……希望通りの内々定が出たわ」
誇らしげに告げるチャキの言葉に、おお~、とリビングに集まっていた面々からどよめきが溢れでた。
「おめでとう!」
チャキは緊張が解けたのか、ソファに深々を腰を降ろすと、背もたれに寄りかかりすぎるように全身を弛緩させた。
「なんだかぁ、みんな順調に決まってるよねぇ~」
「そうだね。チアキが一番決まらないんじゃないかと思っていたけど、良かった良かった」
チャキの志望は法務部一本で、これまでの面接では一次面接で落とされまくりだった。法務でなければ行かないと、面接でキッパリと宣言していたそうだ。だからこそ、採用予定のない企業ではそれ以上先に進めることがなかった。
「シュウくんなんて、早々に決まってたもんねぇ」
シュウは大手のゲーム会社から内々定をいくつも貰っていた。その中で一つに絞ったのが、つい先月の話だ。
「アヤさんだって、すんなり決まったじゃない」
「あはは~。だってぇ、アヤはどこでも良かったからぁ」
アヤは事務員として近くの小さい会社に決まっていた。なんでも社長が知り合いらしく、寿退職の決まった人の後任になるというところまで決っている。
「リアはイタリアに帰ってから探すと言っているから別として──あとは……」
チャキがスズを見た。唯一、どうしても決まらないのが、スズだった。
「……はぁ。みんないいなぁ」
スズは思いっきりため息を吐き出した。
どうにも決まらない。いくつかの企業で二次や三次の面接までは進んだが、そこまで。中小企業にも食指を伸ばしてエントリーシートをばらまいている。
決定的に何かが足りない──それはスズもハッキリと自覚はしていた。だが、その足りない物が何かが、分からないでいた。
「スズさんも、そのうち決まるよ」
「そうだよぅ。たいていコネでなんとかなるよぅ」
コネを持っている人、とまず考えるのが両親のことだった。共に区役所勤めの公務員である。公務員のコネ採用なんて、よく聞く話だ。だが、それを両親がするかと問われると、ノーと言わざるをえない。子の教育さえ厳格に行い、厳しく躾けられてきた。そんな両親が、コネ採用だなんて手段を認めるわけがない。むしろそんなことを切り出したら、いったい何を言われるか分かったものではない。
そもそも喧嘩状態が継続している現状で、叶うならば両親と話をしようとすることさえ拒否したい。
だからこそ、自分一人で生きていくためにもきちんと就職をして安定収入を得なくてはならないのだ。
「無理だね。うちの親にそんなこと言ったら激おこだよ。角生やして金棒振り回してくるよ」
「安心なさい。わたしだって、ついさっきまで無い内定だったのだから、決まるときはすっぱり決まるものよ」
チャキはそう言うものの、それが理由のない慰めであるのは違いなかった。
「そういえばヒデくん。内々定って、大学に報告するのよね」
「うん。就職課に報告用の書面があるから、それに書いて提出するだけだよ。ちゃんとした内定が出たら、また出さないと行けないらしいけど」
「仕方ないわね。明日にでも行ってくるわ」
さっそく次のステップに進もうとする二人を後目に、スズは暗澹たる気持ちがずんずんと沸き上がってくるのを感じていた。
「へーい、オレ様帰ってきたぞー」
買い物に出かけていたフミヤとワタルが帰ってきた。それぞれ名の知れた服飾ブランドのマークが入った紙袋を一つずつ下げている。
「オレがいないのに、何を盛り上がってるんだ」
「聞いて喜びなさい。内々定の連絡があったのよ」
「ほう」
「それはおめでとう」
フミヤはどうでもいいと流したが、ワタルはきちんと喜んであげていた。人柄がハッキリと出ている。
「内定なあ。貰っておいたほうがいいのか?」
「そりゃあね。大学に報告するものだし。報告しないと、ある時期を境にして、就職課から毎日のように問い詰められるらしいよ」
「マジかよ! それはクソウザいな」
シュウの言葉に、フミヤは驚きを隠さない。大学側から通達があったのに、すっかり忘れているようだ。もしかすると、その連絡を見ていないのかもしれない。
「しゃーねえな。内定もらうか」
フミヤはそう言うと、携帯を手にしてどこかへと連絡し始める。
「あ、オレオレ。オレなんだけど。実はさ、仕事で預かってた金を無くしちゃったから、振り込んで欲しいんだけど」
フミヤは実の親相手に振り込み詐欺をしだした。フミヤが電話をするときは、このパターンが多いので、みんな慣れていて気に止める気配すらない。
「え? 息子はいない? そんなバカな。こんなに愛らしい息子の事を忘れるなんて、ヒドイ父親だな。ネグレクトで訴えるぞ。うん、そうそう、内定くれれば見逃す。なんか大学に報告しないといけないらしいんだ。はいはい、じゃ、そういう事で」
通話を終えると、リビングに集まっている面々に向けて盛大に宣言する。
「内定出たぜー!」
あんまりなマッチポンプを見たという顔で、皆が呆れ返っていた。
「なんだよ、お前ら。喜んでみせろよ」
「「「「「オメデトオ」」」」」
五人が揃って棒読みな祝辞を提出した。
「めんどくせえな、内定とか──つか、よくよく考えたら、来年から会社員になっちまうじゃねーか……」
「いいじゃないの。きちんと働いて、きちんと稼ぎなさい」
フミヤはタバコに火をつけると、『めんどくせー』と呟く。
「ボクも、とりあえず店のダミー会社の方から内定貰ってるよ。夜の世界もなかなか面倒だよ」
わざわざダミー会社を作ってる辺り、ワタルの店はなかなか手際がいい。
「そうなのか。意外としっかりしてるんだな」
スズは、話に入っていけない自分が、少しだけ悲しく思えた。
その夜、スズは自室で一人になって、考え事をしていた。
ベッドに仰向けになり、組んだ腕を枕にして、天井をただただ見ていた。もちろん、そこに答えなんて書いていない。
就職活動が始まって数ヶ月。二次面接や三次面接にまで進んだ数も皆より多い。だというのに、ただ一人だけ目的地にたどり着いていない。
大学の成績だって優秀なほうだ。商学部の中でマーケティングや流通といった、現場向けの専攻で、ゼミもそっち方面である。
海外留学の経験があり、英会話レベルならネイティブとのやりとりだって出来る。だがライバルたちだってそれに劣らない。自分一人が優れているわけではない。 だからこそ、今も内々定がでない無い内定状態なのだ。数打てば当たる、とは言うものの、未だに当たっていない。
──自分だからこそ、という武器がない。誰にも負けない自分の強さ。それはいったいどこにあるのか。
「にゅわぁ~。はぁ……こんなんじゃあ、フミちゃんの横に並べないなぁ」
告白にすら至っていない自分が、なんだか情けない。いっそのこと体の関係でもあれば、言ってしまえるのかもしれないと、何度も思った。だけど、そういう雰囲気の中で二人きりになると、頭の中がグチャグチャにかき混ぜられてしまう。そして色々なことを考えてしまって、逃げ出してしまう。
ハッキリと好意を口にできるカナが羨ましい。そんなカナでさえ、何度も何度もお断りされている。
もしかすると、自分を待っているのかもしれないと、自惚れたくなる。だけど、もしお断りされてしまったら、と考えて足が竦んでしまう。
スズにとって、フミヤは救世主だった。
ずっと厳格に育てられた結果、真面目な優等生であると、誰しもが認識してきた。その結果が、中高のどちらでも生徒会長という立場に持ち上げられた。
そんなスズが、チャランポランなフミヤと知り合い、振り回され、そして新しい世界を知ることが出来た。
それまでは表面上の友人しかいなかったのに、真面目な優等生でなくとも一緒にいてくれる、そんな友達が出来た。
惚れるな、というのが無理な話だ。ハッキリと好意を認識したのが、知り合って数ヶ月くらい過ぎてからだと思う。
「……なんで、フミちゃんのこと、考えてるんだろ」
就職の事を考えていたはずなのに。
押しかけるようにこの家に住み着いて、もう三年が過ぎていた。色々なことがあった。高校時代よりも、フミヤの事をよく知ることが出来た。
「……あっ」
閃いた。閃いてしまった。スズは素早くスマホでブラウザを立ち上げて検索する。
「募集──してないのか」
そんなことは構わない。そんなことは問題ではない。するべきことは、最善の努力だけだ。
「これで落ちたら、諦め……たりはできないなぁ」
スズは思い立ったが吉日とばかりに、新しい履歴書を書き、それから自分の思いの丈を思う存分に便箋に書き並べていった。
「内々定でたよっ!」
電話の連絡を受けてすぐ、スズは家中を駆け巡り、全員に報告して回った。皆とても喜んでくれ、そしてリビングに集まってきた。
「これで一安心と言ったところかしらね」
「うん。良かった良かった」
チャキとシュウは、まるで自分のことのように喜んでくれた。
「会長もついに決まったかぁ」
「ねね、せっかくだし、全員のお祝いしようよぅ」
感慨深げなフミヤと、心から喜んでくれているのが分かるアヤが、これからの話をしていた。
「スズさん、なんて会社?」
「んー。秘密」
「なんでぇ。教えてくれたっていいじゃん~」
スズは笑顔で、答えないようにした。出来ればギリギリまで内緒にしておきたかった。知ったら、きっと皆驚くに違いない。それが、楽しみで仕方なかった。
「いいじゃねーの。大した問題じゃねーよ。とりあえず……そうだな。夏休みに旅行でも行くか。全額オレが出してやる」
「マジで!?」
「フミちゃん、大丈夫なの?」
「心配するな。脛かじりだからな、なんとかしてみせるさ」
あまり誇るべきところはないのに、フミヤはなぜか誇らしげだった。
「シュウとチャキ、行く場所はお前らに任せる。お前らが行きたい所でいいぞ」
「オーケー。なるべく、思い出になりそうなところを選ぶよ」
シュウとチャキは、すぐさま目的地の検討に入った。こういうところは、任せて安心の二人である。
「ねね、フミちゃん……やっぱ、なんでもない」
今はまだ、そのタイミングではないとスズは何も言わないでおいた。代わりにフミヤに抱きついて、薄着の向こうにある体温を感じ取る。その暖かさが心地よい。
「変な会長だな」
「変じゃないもん。あと、名前で呼んでよー」
「……会長」
「ふふ、なんか、それでこそフミちゃんて感じがする」
「意味わからん」
来年の四月。きっとフミヤは驚くことだろう。その日が来るのが、スズは待ち遠しかった。




