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1年目 4月 「花見の準備をせよ!」

 宅配のお兄さんからオードブル『松コース』を受け取ると、スズはそれを抱えたまま玄関を背にした。


「かーいちょ。それ、めっちゃ美味そう。その唐揚げ一つ──」

「ダメだよ、フミちゃん」


 一人になるのを見計らっていたフミヤは、すかさずスズの背後から抱きついてねだってみるが、スズはピシャリとその要求を拒否した。


「ええー。いいじゃんいいじゃん。それだけあるんだからさ」

「ダメだって。これはお花見用だし、人数を考えるとそんなに多くないよ。というか、けっこう高かったけど大丈夫? 今月の食費、だいぶ減っちゃったんだけど」

「大丈夫だって。会長は心配症だな。食費が足りなけばオレがなとかするから。で、オレその唐揚げ──」

「んもう、フミちゃんったら仕方ないなぁ。じゃあね、私のこと名前で呼んでくれたらね」

「ハードル高いな?」

「なんでよ!? カナちゃんとか皆名前なのに、私だけじゃん。生徒会長なんて何年前も前に引退してるんだから、いつまでも会長って呼ばるのはヤだよ」


 フミヤはスズを抱きしめたまま無言を貫いた。


「ねえってば!」

「会長」

「じゃなくて──」

「ス──」

「……貴方たち。そんなところでイチャついてんじゃないわよ。邪魔だから、どこか行きなさい」


 廊下の向こうから電気ヒーターを抱えたチャキが姿を見せると、呆れたような顔で言い切った。


「あああああああああっ! せ、せっかく、名前で呼んでもらえるところだったのにー!?」

「知らないわよ。いいから、さっさと働きなさい。特にフミヤ、貴方は言い出しっぺでしょうが」


 フミヤはふぅと息を吐いてスズから離れた。


「やれやれ、チャキは相変わらず小うるさいな」

「チャキちゃんのバカぁっ!」


 背中に感じていた暖かさが離れたことに文句を言いながら、スズはオードブルのポリ容器を抱えたままリビングに走り去った。


「……バカだってさ」

「貴方に当たれなかったから、わたしに当たっただけよ」


 チャキはフミヤを押しのけると、サンダルを引っ掛けてヒーターを庭に運んでいった。



「そうだ。花見をしたい気分になったから、今夜は花見な」


 大学の入学式を三日後に控えた四月上旬の昼下がり。タバコをくわえたまま、ソファの背もたれに腕と広げて独り占めにするフミヤの言葉を、誰もがスルーした。

 リビングで昼食後のまったり気分を味わっていた住人たちの顔には、家主がまた何か言い出したぞと書かれていた。誰もが一言を言いたげではあったが、誰もがその先鋒を切ったりはしない。


「返事が聞こえないぞ~? 総員、花見の準備をせよ!」


 はぁと誰かがため息を付いた。


「あ。返事をしなかったシュウとチャキとリアと会長とアヤは来月から家賃値上げな」


 これで無視できないだろ、とフミヤが通告すると、住人たちは諦めたように反応を返す。


「……」「はぁ……」「ほぁっ!?」「んもう……」「えへっ」

「わーお! ジャッポネーセハナーミ! ステッキねー!」


 まず最初にリアが、三年経っても上達しないカタコトの日本語と全身とで喜びを表現する。ホットパンツから延びる褐色の健康的な太ももが灯りを反射していた。


「それはあれかしら。『新大学生、花見で飲酒し入学前に謹慎処分』なんてワイドショーの話題になりたいという前フリとして受け取ればいいのよね?」


 チャキがアンダーリムメガネのブリッジをくいっと中指で押し上げながら、背後を振り向いてフミヤに確認する。メガネの向こうにある両目は、少し閉じかけていているが、切れ長の瞳から放たれる眼光は切り裂くほどに鋭い。


「合ってないよ?」

「なら、どういう意図かが分からないのだけれど。だってフミヤ、貴方お酒弱いじゃない」

「チャキ。お前は花見ってものを勘違いしているようだが──」

「フミちゃんが桜を見て満足するわけがないよね」


 床にべたっと座り、テレビを見ていたスズが、首を背後に回しながら口を割り込ませてきた。ボブカットの髪がサラサラと流れるように首の動きに連動していた。


「スズの言うとおりよ。第一、フミヤが普通にお花見なんかすると思う人が、全人類の中に存在するわけがないじゃない」

「おいシュウ。お前の嫁はどうなってるんだ。まるでオレが異常みたいなことを言ってくるぞ」


 フミヤがシュウに向けて苦情を口にするが、シュウはまったく気付かずにノートパソコンの画面を食い入るように見つめている。大型のヘッドフォンのせいで聞こえてすらいないようだった。


「……シュウくんシュウくん~!」


 アヤが気を利かせて、シュウの視界に入るようにレースまみれの袖を振ると、シュウはようやくそれに気付いてヘッドフォンを外した。


「ん? どうかしたの、アヤさん?」

「シュウくん何してるのぅ? エロゲー?」

「そそそ。今やってるのはね、『星降る夜のを冒険を君と』って言う、ファンタジーベースのエロゲーでね。最初はスルーしてたんだけど、シナリオの評判がすごく良くてねー。思わず買っちゃったんだけど、これがまた面白くてね。エッチシーンもかなり力入っててさ。あ、ちょうど今エッチシーンなんだけど見る?」


 シュウは聞かれてもいないのに、ここぞとばかりにプレイ中のエロゲーに語り始めた。


「エロゲーの話はいいんだよ。シュウ、問題はお前の嫁だよ。こいつ、オレのこと異常者扱いしてくるぞ。お前の教育がおかしいんじゃないか」

「フミヤの言いたいことがよく分からないんだけど。どういう話からそうなったのさ」 

 チャキの言動について、フミヤはあることないこと混じえて説明する。だいたい、ないことのほうが多かった。


「……なるほどね。俺としては、それはチアキが正しいんじゃないかなって思うけど。だってさ、フミヤだよ?」

「シュウまで敵に回ったぞ!? くそう、味方はいないのか!」

「……わたし、今夜はリグルでバルラードのレイドがあるのよね」

「ネトゲーなんて何時でも出来るだろ~」

「大学が始まるまでに、手に入れたい装備品があるのよ。そのために徹夜しているの」

「待て待て! ネトゲーなんていつでも出来る! だが花見はもうすぐ出来なくなるだろう!? シュウもチャキも強制参加だからな!」


 シュウはその言葉を聞いて中空を見つめて少し考えてから結論を出す。


「まあ、そうだね。せっかく引っ越してきたんだから、そういうのも楽しみたいよね。いいよね、チアキ」

「……仕方のないわね。ヒデくんが乗り気だから、今日のところはそうすることにしましょうか。じゃあ、少しだけ眠るわね」


 そう言うや否や、チャキは左手に座るシュウの肩に頭を載せると、そのまま目を閉じた。


「すまん、フミヤ」


 縁側に出て、サッシ窓の向こうで電話をしていたワタルが、戻ってくるのと同時に右目を覆い隠す長い前髪をかきあげながら謝った。


「同伴が入ってしまってね。花見には出れそうだけど、少し遅れることになりそうだ」

「オーケーオーケー。ワタルの出番は残しておくさ」


 ワタルが休みの日でも出勤になることは、以前からままあることだった。それはワタルにとって必要なことだし、フミヤはそれを全面的に応援していた。


「出番、ね……まあよろしく頼むよ」


 椅子にかけていたダークスーツのジャケットを羽織りながら、ワタルはそれがホストの常であるかのように真紅のシャツの襟をジャケットから取り出す。

 ワタルの出勤を見送りながら、リビングに残ったメンツの顔を見ながら、フミヤはまずは役割分担をすることにした。



「「「「「「かんぱーい」」」」」」


 庭先にレジャーシートを広げて、六人は思い思いの飲み物を手にとって、乾杯を交わした。敷地内は治外法権だとフミヤが言い張った結果、用意された飲み物はほぼ全てがアルコール飲料であった。

 春先とはいえ、夜になるとずいぶんと冷えてくる。土塀に覆われているポンコツ屋敷の敷地内は、風が通り抜けないこともあって、比較的寒くはなかった。

 充分な量のアルコールと食事が、あっという間になくなっていった。


「ふぅ、体が暖まるなぁ」


 充分に食べきったフミヤは、飲み物を烏龍茶から缶ビールへと切り替えようとしていた。それを見たシュウが『やっぱりか』と言いたげな顔で用意しておいたスコップに手を伸ばした。付き合いが長すぎて、もはや次に何をするべきか分かってしまっていた。

 フミヤは缶ビールをぐいっと飲むやいなや、すぐに顔を真っ赤にして、そして顔が青くなり、続けて白くなり、倒れた。


「またか。フミヤは相変わらずだなぁ」


 シュウはスコップを土に突き立てて穴を掘ると、フミヤの顔をそこに誘導する。待ってましたとフミヤの口からビームを吐き出された。


「いい加減に、学習しないものかな」

「それ、フミヤよ。分かっていてもやるに決っているでしょう」

「そうなんだけどね。後片付けをする俺の身になってもらいたいよ」


 恋人の声を聞きながらシュウがフミヤの背中をさすってやると、フミヤは気持ちよさそうな声を出しながら、さらに胃の中身を射出し続けた。


「うははははは! 一番、永山鈴菜! 脱ぎます!」


 そのすぐ横で、同じように出来上がってしまっていたスズが大笑いしながら宣言通りに服も下着も脱ぎ去ると、全裸で庭を走りだしていった。


「まーたスズさんが裸だー。あはははは。おっかしー!」


 アヤが腹を抱えたまま笑いながらレジャーシートの上を転がりまわる。膝丈のスカートがめくれ上がってパンツが見えてもお構いナシだった。

 シュウはフミヤが落ち着いてから元の場所に戻ると、ノートパソコンを開くそぶりをしながらアヤのスカートの中を凝視していた。鼻の下がどんどん伸びていくシュウに目聡く気づいて、チャキはすばやく目潰しを食らわせる。


「ヒデくん、アレは毒よ。貴方が見てもいいものではないの」

「あ、ああ……ごめん」


 リアは缶ビールを抱えたまま頭をフラフラさせて船を漕いでいる。走り疲れたスズがシートの上に戻ってくると、フミヤの上に倒れこんだ。


「うーん、いつもながら酷いことになっているね」

「ああ、ワタル。おかえり」

「ワタルくん! ここ! ここ!」


 アヤが自分の隣をパンパン叩いて猛アピールするので、ワタルはとりあえずそこにしゃがむと 『ただいま』という言葉を三人に向けた。

 アヤから手渡された缶ビールを手に取ると、アヤとシュウとチャキの三人と乾杯を交わす。


「フミヤもスズも相変わらずだね──あれ、カナはいないのかい?」


 はっとしたシュウが、そういえばカナが居ないことに気付いた。彼女はただ一人の現役高校生で、まだ一緒に暮らしていない仲間だった。


「フミヤ! カナちゃん呼んでないの!?」


 スズという重石に乗られたままのフミヤは、ポケットからスマホを取り出すと寝そべったまま電話を掛け始めた。

『先輩! どうしたんですか?』

「……花見、してるんだけどさ。お前呼ぶの忘れてた」

『ええええええっ!? そ、そんなぁ! い、いまからでも──』

 電話の向こうでカナが何かを言いかけているのに、フミヤは電話を切ると、ダルそうに顔を落とした。


「ひどっ!?」

「相変わらずクズい」


 この後すぐにやってきたカナに詰め寄られ、フミヤはデート二回とポンコツ屋敷の合鍵を渡すことで許してもらうことになるのだった。

 桐生文哉はこのポンコツ屋敷の借り主である。この屋敷は山手線沿線のやや外側にある、古い町並みの中で戦前からあり続けた広い敷地に立つ平屋だった。

 そしてそこに暮らすのは、学生時代からの付き合いが長続きした仲間たちである。

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