尾張 墨俣川
霧の中で手探りの戦いが始まった。大内の先手機武、帳衆は川の中州に脚を踏み入れた。機武とはいえやはり湿気は苦手とする。源軍にはまともに稼働する機武は十五旗程度しか残されていなかった。対する大内の先手衆ですら五十はくだらないだろう機武を進めていた。
源家範は、川を瀬にして背水の陣をしいていた。十五年前、都での合戦後、敗退したとはいえ、甲斐源氏を統べる家範にとって、この合戦は雌雄を決するものであった。一時は近江にまで攻め込んだ彼らも、大智の黒鉉衆の厚い壁の前に、神速を誇る甲斐源氏の赤武者は再び破れ去ったのである。 帳衆の萌葱色の機武が霧の中をゆっくりと進軍していく。後ろには騎馬武者と槍兵、種子島を抱えた足軽が続く。葦のうっそうと繁る中州に、異様な臭いを感じたのは、騎馬武者達が最初であった。
「この臭いは、」
気づくのが遅すぎた。火精と呼ばれる油が、中州に掘られた溝に流し込まれていた。その溝をうごめく蛇のように赤い炎が走った。
「引けい。火計じゃ。」
だが、その後ろに生き残った甲斐の赤武者と呼ばれる機武が立ちはだかった。足軽隊があわてて、火縄に火をつけようとしたが間に合うはずは無かった。
機武が主力とはいえ、温存していたこうした兵力は城責めでは不可欠となる。それを見越しての背後をつく計略であった。
中州から、川縁に難を逃れた機武たちは、ぬかるみに脚を取られながらも背後に迫る火の手を逃れた。
その速度の鈍った所へ、川船に乗った戸隠衆の十字槍兵が踊りかかった。
機武の分厚い胴丸に槍が添えられる。機武の腕がそれを遮る前に、十字槍が火を噴いて突き刺さる。いかに火薬の反動を利用するとはいえ、恐ろしいまでに機武の胸板を突き破るのだろう。
一体の機武を倒すのに三人の十字槍衆がかかることになっていたが、大内の帳衆は、こうした槍衆の前に完全に葬り去られたのである。
「すごい。」
「鍛錬の賜じゃ。なまじなものが使いこなせるものじゃないぞ。十字槍は。」
組まれた筏には、倒された機武達が積まれていた。
「あれをどうするつもりだ。」
「治して、使うのさ。敵の本体とやり合うときには、十字槍だけでは歯がたたんよ。まして、大智軍が出てくるとなれば。」
墨俣の出城は、砦といった方がふさわしいものだった。前を急流、後ろを南雲山に囲まれているとはいえ、側面の堀は機武の前には溝に等しい。こうした山中の戦いは戸隠衆の得意とするところであったが、大智軍の本隊は退き、都に帰り、変わって、織田軍の背後からの追撃を受けたのである。




