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金は突然やってきた

掲載日:2026/02/02

---当たった日のことは、よく覚えていない


人生が変わる瞬間って、だいたい拍子抜けする。


その日もそうだった。いや、「その日」なんて大げさに言うほどのことじゃなかった。

俺にとってその日は、いつもと同じ木曜日だったんだから。


昼休み、会社の廊下で同僚が急に肩を叩いた。「お前、あれ買った?」と。

何のことか分からずに首を傾げると、「昨日の抽選」と言われてようやく思い出した。

宝くじだった。コンビニのレジ横に積まれていたやつを、なんとなく二千円だけ買った。

「番号、今ここで見てくれよ」

スマホ片手に促されて、俺は適当に答えた。だって買うときですら番号なんて見ていなかったし。

ところが画面に表示された数字の並びを見た瞬間、周囲の空気が固まった。

「……嘘だろ」

声が震えているのは俺ではなく、同僚の方だった。

その反応を見て初めて、俺は「ああ、当たったんだ」と理解した。ただし、心の奥が妙に冷めていた。

騒ぐでもなく、泣くでもなく、ただ昼食代が浮いた程度の感情しか湧いてこなかったのだ。


夜になって家に帰り、改めて当選金額を確認してみた。桁が多い。あまりに多いせいで、逆に実感が薄かった。

まるで他人事のように、机の上に置いた銀行通帳の残高を見つめた。

次の日も仕事に行った。上司も同僚も知らぬふりをしてくれたのがありがたかった。

俺は「当たりました」と報告する気すら起きなかった。


人は驚きすぎると、案外冷静になるらしい。

だが冷静すぎるのも問題だと気づくまでには、それなりの時間を要した。

なぜならその日以降、世界は確かに変わってしまったのだから。俺だけを取り残して。


---お金の話をすると、人は少し距離を詰めてくる


「ごめんね、ちょっと聞きづらいんだけど……本当に?」


最初にこう言ってきたのは母だった。電話口で遠慮がちに尋ねるその声音は、どこか期待に濡れていた。

俺はなるべく平板な口調で「うん」と返事をした。すると次の瞬間、彼女の息遣いが明らかに弾んだ。

「そっか……よかったね。それでさ、うちのローンのことなんだけど」

母はそこで言い淀んだ。けれど十分だった。彼女が何を求めているのか、すぐに分かった。


その後も数人に同じような経験をさせられた。

小学校時代の友人は居酒屋で酔いながら肩を組み、「今度車を買い替えたいんだけど、一緒に頭金出さない?」と笑った。

大学時代の先輩はカフェで真面目な顔を作り、「実は新事業を始めるつもりなんだ。もし資金が必要になったら――」と言葉を濁した。


誰もが卑屈ではなかった。誰もが露骨でもなかった。

彼らはみな優しく、親切で、以前と変わらない態度で接してきた。ただ一つだけ違っていたのは、こちらの懐具合を探ってくるその微妙な間合いだ。

その距離感が次第に俺を疲れさせていった。


不思議なもので、金を持っていることを悟られると、人は無意識のうちに体勢を低くして近づいてくる。

それは決して悪いことばかりではないのだろう。助け合うとはそういうものかもしれない。

しかし問題は俺自身にあった。近づかれることそのものが重荷になっていたのだ。

今までは対等だと思っていた関係が、金というフィルターを通してみると別の形に見える。

それがどうしても我慢できなかった。


結果として俺は、自然と人付き合いを避けるようになった。

拒絶しているわけではない。ただ静かに距離を取っているだけだ。

そうしなければ守れなかった。自分の中にある最後の誇りのようなものを。


---仕事を辞めたら、時間が余り始めた


辞表を出すのに勇気はいらなかった。

給料があろうとなかろうと生活はできる。ならば無理をする理由はない。

課長は引き留めたが、「他にやりたいことがあるんです」という便利な嘘で切り抜けた。

本当は何も計画などなかったのだが。


退職してからの日々は奇妙な空白期となった。

目覚まし時計が不要になるとまず時差ボケのような状態に陥る。朝なのか夕方なのかも曖昧になり、カーテンの隙間から射す光の角度だけで時間帯を推測する羽目になる。

初めの一週間は解放感に浸っていた。好きな時間に起きて好きな場所へ行き、好きな物を食べる。

だがその喜びもすぐに薄れていく。


問題は「すること」がなくなったということだ。

金はある。だから旅行へ行こうと思えば行けるし、家具を買い換えようと思えば変えられる。

しかし実際にはどこへ行っても心が動かなかった。

南国の海を見下ろすホテルのスイートルームでさえ、部屋に戻れば携帯ゲーム機を握りしめている自分がいた。

豪華なディナーも三日続けば飽きた。ステーキの焼き加減よりも待ち時間の方が気になる始末だ。


最も厄介だったのは社会との接点が極端に減ったことである。

かつてオフィスで交わしていた何気ない挨拶や愚痴がいかに大切だったかを思い知らされた。

「今日忙しいですか」「最近どう?」という単純な問いかけがどれほど自分の存在を確かめてくれていたのか。


自由と孤独は紙一重だと聞くが、まさしくその通りだった。

俺は今さらながらに気づく。あの狭苦しいデスクと窮屈なスーツが作ってくれていた日常こそが、自分の居場所だったのだと。


---欲しいものは、だいたいすぐ飽きた


物欲がないわけではない。

むしろ昔から色々欲しかった。限定モデルのカメラ、革張りのソファ、海外製のオーディオセット……

リストアップすればキリがないほどだ。


だから金を得た当初は歓喜と共にショッピングへ繰り出した。

目星を付けていた商品を次々と購入し、配送業者がひっきりなしに訪れる日々が続いた。

開封の瞬間は間違いなく至福だった。箱から取り出し、設置し、使い方を調べるまでの時間は輝いていた。


ところが不思議なもので、しばらく使っているうちに興味が失われていくのだ。

高級腕時計はクローゼットの奥で埃をかぶり、最新ゲーム機は数回プレイしただけで電源コードを抜かれたまま放置されている。

購入した瞬間に得られた快感は確実にあった。だがそれは刹那的な閃光であり、持続する喜びではなかった。


原因を考えるうちに行き着いた結論がある。

それは「獲得までのプロセス」が欠落していたということだ。

かつては給料日に向けて節約し、欲しい物のためにアルバイトを増やし、貯金箱の中身を何度も覗いては溜息をつく。そんな小さな試練を幾つも乗り越えてようやく手に入れた品には愛着が生まれた。

ところが今の俺は店に入るなりカードを掲げるだけだ。苦労も葛藤もなく所有権を得てしまうため、執着する要素が芽生えない。


結局、贅沢とは願望を叶える行為ではないのかもしれない。

むしろ願望そのものを殺してしまうものなのだと思い知らされた。


---金の話をしない人が、いちばん信用できた


幸運という名の病に罹患してからというもの、人の視線は常にこちらの懐を探るように感じられた。

家族でさえ例外ではなく、「何か買ってもらえるだろうか」「援助してもらえないだろうか」という雰囲気が透けて見える。

街を歩けばナンパ目的の相手ではなく投資話を持ちかける営業マンに声を掛けられ、SNSを開けば怪しげな副業案件の広告が乱舞していた。


そんな中で唯一の救いになったのが旧友の健太だった。

彼とは中学からの付き合いで、互いに損得勘定抜きで話せる数少ない人物だった。もっとも久々に連絡を取る前は半信半疑だった。

果たして今回はどんな風に距離を縮めてくるのだろうかと。


ところが再会して驚いた。彼は俺の近況について何一つ触れなかったのである。

ランチタイムのファミレスで彼が喋るのはもっぱら家庭菜園の収穫量や飼い猫の寝癖についてばかり。

こちらから事情を打ち明けるべきか迷っていると、健太はコーヒーのおかわりを取りに行く際にこんな言葉を投げてきた。


「お前さ、何か悩んでんじゃないの? まぁ話したくなったら聞くけど」


その台詞には一片の計算も打算も含まれていなかった。

十年以上前の放課後と同じ温度で届いたその一言に胸が熱くなった。


以来俺は健太と定期的に会うようにしている。

もちろん奢りもするし贈り物も渡す。だがそれらはあくまで友情を維持するためであって施しではない。

金をネタにされないこと、これがどれほど尊いことなのかを身をもって学んだ。


人は必ずしも汚れてはいない。環境がそれを暴き立てることがあるだけだ。

そして同時に思い出してもくれる。本当に大切な関係性とは何なのかを。


---不幸になったわけじゃない。ただ、孤独になった


夜更けにベランダへ出て街灯の明かりを見下ろしていると、時折思うことがある。

これは不幸なのだろうか?


答えはノーだ。衣食住には困らず医療費の心配もない。好きな時間に眠り好きな時に起きられる。

比較的裕福な人々が夢見る理想の生活条件をほぼ全て満たしているのだ。


しかし幸福感があるかと言われれば即答できない。

代わりに感じるものがあるとするなら、それは圧倒的な虚無感だ。


人と会わなくなったことで俺は自分が如何に群れの中で生きる生物だったかを痛感した。

かつての職場での会話、飲み会でのくだらない冗談、プロジェクト成功時の達成感……

それら全てが細かいパズルのピースのように組み合わさって形成されていた「自己像」が今はバラバラになっている。


さらに恐ろしいのは慣れという現象だ。

初めは抵抗があった「何もしていない自分」に対する嫌悪感すら徐々に麻痺していく。

一日中テレビをつけっぱなしにして過ごし、外に出ない日が続くことも珍しくなくなった。

それを罪悪感なく受け入れてしまっている自分に戦慄する。


おそらく世間一般の幸福指標で計れば俺は勝ち組に属しているのだろう。

だが個人的な幸福観念においてはどうか?

ここ数ヶ月考えて出した結論としては「物足りない」としか言えない。


つまり俺は不幸になどなっていない。単に充足していないだけなのだ。

そしてその状態こそが最大の孤独であると悟り始めている最中なのである。


---それでも、金がなかった頃には戻れない


深夜のコンビニで菓子パンを選んでいる時にふと考えた。

もし明日全部失ったらどうする? と。


答えは意外なほど速やかに出てきた。戻れないな、と。

それは後悔とか未練といった情緒的な判断ではなく、物理的事実としての諦観だった。


現代社会において一度上がった生活水準を下げることは困難を極める。

慣れてはいけないと何度も自分に言い聞かせながらも、いつの間にかブランドロゴの刻印されたバッグを常用するようになり、バスを利用する際にはついタクシー乗り場へ足を向けてしまう。

些細な例だがこれこそが象徴的だった。思考より早く身体が覚えてしまったのだ。


さらに言えば金銭的不安が消失したことによる精神的安定感は想像以上に大きい。

朝起きて今日一日をどう凌ぐかという段階の悩みから解放されることがどれほど楽か。

この安寧を知ってしまえば過去へ逆行するのは最早不可能だろう。


もちろん金があれば万事解決するという単純な話ではない。

孤独も虚無も健在だし新たな問題も増え続けるはずだ。

しかし少なくとも「無いよりはマシ」であることも否定できない。


最終的には運命のいたずらを受け入れるしかないのだと思う。

偶然の産物であろうと授与された富は紛れもなく現実であり、そこから逃走することは許されない。

ならば正面から向き合い、うまく付き合っていく術を探すべきだ。


後悔はしていない。羨ましいとも思わない。

ただ一つだけ確信していることがある。

もうあの日々――必死に稼ぎ毎月の支払いに追われながらも仲間と笑い合っていた貧乏な毎日――には二度と戻れないのだということを。


それでも前に進むしかない。そう決めたのはほかでもない自分自身なのだから。

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