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アリバイ作りの密室

作者: 浅水那月
掲載日:2026/01/25

「犯人は、あなたですね。御子柴みこしばさん」


名探偵・西園寺さいおんじの冷徹な声が、洋館のサロンに響き渡った。

指差された男、御子柴は眉をひそめ、余裕の笑みを浮かべてみせる。


「馬鹿なことを。僕には完璧なアリバイがある。犯行時刻の午後9時、

僕はホテルの自室から、会社の同僚たちとオンライン飲み会をしていただろう?」


「ええ。その様子は録画され、確かに背後の時計は9時を指していました。

窓の外には見事な夜景も見えていました」


西園寺は一歩踏み出し、眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。


「ですが、それがトリックなのです。

あなたは犯行現場近くのワンルームマンションに、

ホテルの部屋と似たセットを組んでいた。

そして窓の外に『夜景のポスター』を貼り付けることで、

ここがホテルの20階であるかのように錯覚させたのです」


「……証拠は?」


「これです」


西園寺はタブレット端末を取り出し、テレビ電話の録画データを再生した。


「画面の端、窓ガラスの隅に注目してください。

……ほんの一瞬ですが、ガラスに映り込んだ『何か』が動いています」


御子柴の顔色がさっと青ざめる。


「これはハエです。ホテルは20階。

通常、ハエが外から飛んでくる高さではありません。

しかし、あなたがいたのが『地上1階のマンション』だとしたら?

窓の外に夜景のポスターを張り、20階に見せかけていただけだとしたら?

ポスターとガラスの間に迷い込んだハエが、

あなたの『完璧な20階の密室』に、入るはずのないノイズをもたらしたのです」


「そ、そんな……」


「さらに決定的なのは、音声データです。

あなたの会話の合間に、微かですが『踏切の警報音』が入っていました。

あのホテルは完全防音。しかも半径2キロ以内に線路はありません。

しかし、このマンションの裏には……線路が走っていますね?」


西園寺は畳み掛けるように論理を展開していく。

御子柴の額から冷や汗が噴き出し、膝が震え始める。


「く、くそっ……! まさか、たかがハエ一匹に……!」


男はその場に崩れ落ちた。

名探偵の勝利だった。


          *


「……なるほどな」


俺はキーボードを叩く手を止め、深く椅子に身を沈めた。

ディスプレイには『完』の文字が光っている。

書き上げたばかりのショートショート、「名探偵西園寺の論理」を読み返す。


我ながら、西園寺は優秀な探偵だ。

俺が考えうる限りの知能を持たせ、

性格の悪さと観察眼を与えただけのことはある。


「ハエ、か。盲点だった」


俺は手元のメモ帳にペンを走らせる。


『修正事項:窓枠には殺虫スプレーをあらかじめ散布すること。

あるいは、二重窓の内側を徹底的に清掃する』


俺は小説家だ。だが、この小説は出版社に送るためのものではない。

これはシミュレーションだ。

今夜実行する予定の、殺害計画。その完全性をテストするための。


俺は自分自身を犯人役の「御子柴」に、

そして自分の中にある論理的思考の全てを「西園寺」に投影し、

脳内で対決させた。

もし俺の計画に穴があれば、西園寺なら必ず見抜くはずだ。

そして今回、西園寺は「窓のハエ」と「踏切の音」という

二つの穴を見つけ出した。


「危ないところだった……」


もしこのシミュレーションを経ずに実行していたら、

俺は警察の音声解析班にあの音を拾われていたかもしれない。

踏切の件も、電車のダイヤを確認する必要がある。

俺はメモを見ながら、現実の計画を微修正アップデートしていく。


修正後の計画を、もう一度頭の中で西園寺にぶつけてみる。

……今度は、西園寺も沈黙している。

ぐうの音も出ない完全犯罪。

どの角度から検証しても、アリバイは崩れない。


「よし」


俺は満足してファイルを保存し、PCの電源を落とした。

この小説が世に出ることはない。

これが「創作フィクション」として完結した瞬間こそが、

現実リアル」の計画が完成した合図なのだ。


俺は立ち上がり、黒い手袋をはめた。

さて、そろそろ『舞台』となるあのマンションに向かう時間だ。

今夜のシナリオは、誰にも書き換えられない。


          *


「……ぬるいな。

創造主じぶんの都合に合わせて沈黙してくれる探偵など、役には立たない」


画面の向こうで、そう呟く男がいた。

彼は冷めた目でモニターを見つめている。

そこには、『アリバイ作りの密室』というタイトルの小説が表示されていた。


「所詮は一人遊びだ。自分に見えていない死角を、

自分の脳内から生まれた人形が見つけられるはずもない」


所詮は、井の中の蛙。

自分の都合の良い分身(探偵)に、自分自身を論破させるシミュレーション。

そんな閉じた世界での勝利に酔いしれ、現実に挑もうとする愚かさ。


「60点」


男はそう呟きながら、今書いた小説をウェブサイトに投稿した。

『投稿完了』の文字が浮かぶ。

彼は退屈そうに欠伸をすると、次の物語を書き始めた。


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