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アリバイ作りの密室

作者: 浅水那月

「犯人は、あなたですね。御子柴みこしばさん」


名探偵・西園寺さいおんじの冷徹な声が、洋館のサロンに響き渡った。

指差された男、御子柴は眉をひそめ、余裕の笑みを浮かべてみせる。


「馬鹿なことを。僕には完璧なアリバイがある。犯行時刻の午後9時、

僕はホテルの自室から、会社の同僚たちとオンライン飲み会をしていただろう?」


「ええ。その様子は録画され、確かに背後の時計は9時を指していました。

窓の外には見事な夜景も見えていました」


西園寺は一歩踏み出し、眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。


「ですが、それがトリックなのです。

あなたは犯行現場近くのワンルームマンションに、

ホテルの部屋と似たセットを組んでいた。

そして窓の外に『夜景のポスター』を貼り付けることで、

ここがホテルの20階であるかのように錯覚させたのです」


「……証拠は?」


「これです」


西園寺はタブレット端末を取り出し、テレビ電話の録画データを再生した。


「画面の端、窓ガラスの隅に注目してください。

……ほんの一瞬ですが、ガラスに映り込んだ『何か』が動いています」


御子柴の顔色がさっと青ざめる。


「これはハエです。ホテルは20階。

通常、ハエが外から飛んでくる高さではありません。

しかし、あなたがいたのが『地上1階のマンション』だとしたら?

窓の外に夜景のポスターを張り、20階に見せかけていただけだとしたら?

ポスターとガラスの間に迷い込んだハエが、

あなたの『完璧な20階の密室』に、入るはずのないノイズをもたらしたのです」


「そ、そんな……」


「さらに決定的なのは、音声データです。

あなたの会話の合間に、微かですが『踏切の警報音』が入っていました。

あのホテルは完全防音。しかも半径2キロ以内に線路はありません。

しかし、このマンションの裏には……線路が走っていますね?」


西園寺は畳み掛けるように論理を展開していく。

御子柴の額から冷や汗が噴き出し、膝が震え始める。


「く、くそっ……! まさか、たかがハエ一匹に……!」


男はその場に崩れ落ちた。

名探偵の勝利だった。


          *


「……なるほどな」


俺はキーボードを叩く手を止め、深く椅子に身を沈めた。

ディスプレイには『完』の文字が光っている。

書き上げたばかりのショートショート、「名探偵西園寺の論理」を読み返す。


我ながら、西園寺は優秀な探偵だ。

俺が考えうる限りの知能を持たせ、

性格の悪さと観察眼を与えただけのことはある。


「ハエ、か。盲点だった」


俺は手元のメモ帳にペンを走らせる。


『修正事項:窓枠には殺虫スプレーをあらかじめ散布すること。

あるいは、二重窓の内側を徹底的に清掃する』


俺は小説家だ。だが、この小説は出版社に送るためのものではない。

これはシミュレーションだ。

今夜実行する予定の、殺害計画。その完全性をテストするための。


俺は自分自身を犯人役の「御子柴」に、

そして自分の中にある論理的思考の全てを「西園寺」に投影し、

脳内で対決させた。

もし俺の計画に穴があれば、西園寺なら必ず見抜くはずだ。

そして今回、西園寺は「窓のハエ」と「踏切の音」という

二つの穴を見つけ出した。


「危ないところだった……」


もしこのシミュレーションを経ずに実行していたら、

俺は警察の音声解析班にあの音を拾われていたかもしれない。

踏切の件も、電車のダイヤを確認する必要がある。

俺はメモを見ながら、現実の計画を微修正アップデートしていく。


修正後の計画を、もう一度頭の中で西園寺にぶつけてみる。

……今度は、西園寺も沈黙している。

ぐうの音も出ない完全犯罪。

どの角度から検証しても、アリバイは崩れない。


「よし」


俺は満足してファイルを保存し、PCの電源を落とした。

この小説が世に出ることはない。

これが「創作フィクション」として完結した瞬間こそが、

現実リアル」の計画が完成した合図なのだ。


俺は立ち上がり、黒い手袋をはめた。

さて、そろそろ『舞台』となるあのマンションに向かう時間だ。

今夜のシナリオは、誰にも書き換えられない。


          *


「……ぬるいな。

創造主じぶんの都合に合わせて沈黙してくれる探偵など、役には立たない」


画面の向こうで、そう呟く男がいた。

彼は冷めた目でモニターを見つめている。

そこには、『アリバイ作りの密室』というタイトルの小説が表示されていた。


「所詮は一人遊びだ。自分に見えていない死角を、

自分の脳内から生まれた人形が見つけられるはずもない」


所詮は、井の中の蛙。

自分の都合の良い分身(探偵)に、自分自身を論破させるシミュレーション。

そんな閉じた世界での勝利に酔いしれ、現実に挑もうとする愚かさ。


「60点」


男はそう呟きながら、今書いた小説をウェブサイトに投稿した。

『投稿完了』の文字が浮かぶ。

彼は退屈そうに欠伸をすると、次の物語を書き始めた。


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