魔術世界における機械の十二原理
ライラは懐疑的な視線をエリアンに向けた。
目の前には、浮遊する島々を支える大地の底、死地 (Shichi) から上層へと続く、風化した巨大な絶壁が立ちはだかっていた。この崖を登らなければ、エーテルがわずかに純粋な下層世界にも辿り着けない。
「虚空の鍛冶師 (Kokū no Kajishi) の異名を持つお前が、まさかこんな単純な岩壁すら登れないとは言わないだろうな?」ライラは腰に提げた短剣の柄を叩きながら言った。
エリアン、もといトラン・ラムは、頭の中に流れ込む新しい体の記憶と、過去の膨大な機械工学の知識を整理していた。彼はライラの挑発を無視し、目の前の絶壁に手を触れた。
「ライラ。この岩壁は石灰岩 (Sekkaigan) と風化鋼 (Fūka Kō) の混合物だ。侵食率は年に約 0.5 \text{cm}。つまり、手掛かりは脆いが、全体のせん断強度 (Shear Strength) はまだ保たれている。」
ライラは目を丸くした。「なんだ、その呪文のような言葉は?」
エリアンは肩をすくめた。
「呪文じゃない。これは機械の十二原理 (Kikai no Jūni Genri) の一つ、『構造解析 (Kōzō Kaiseki) の原則』だ。俺は物体の『仕組み』を見る。お前のその体も、この岩も、全ては動いて、支え合っている。そして、それらは修理できる。」
彼は、自身のユニークスキルである構造鑑定 (Kōzō Kantei) を発動した。
視界が再び緑色のグリッド線で覆われる。彼は岩の亀裂だけでなく、その亀裂に流れ込もうとしている目に見えない混濁エーテル (Kondaku Ēteru) の流れをも捉えた。エーテルは世界を構成する「エネルギー流体」であり、その動きは水力学の法則に酷似していた。
「問題は、このエーテルだ」エリアンは呟いた。
「エーテル? そんなもの、ここじゃただの汚染源だろう」ライラは苛立ちを隠せない。死地のエーテルは穢れており、触れると体力を奪い、精神を蝕む。
エリアンは懐から、先ほどソウル・スカベンジャーから抽出し、エネルギー分離 (Enerugī Bunri) スキルで精製したばかりの小さな混濁エーテル結晶を取り出した。
「エーテルはエネルギーの伝達媒体 (Enerugī no Dentatsu Baitai) だ。だが、大気中の不純物が 40\% も混じっている。これは、エンジンに灯油ではなく泥水を注ぐようなものだ。」
彼は結晶を岩壁の小さな穴に押し付け、再びエネルギー分離を発動した。
キィィィン…
甲高い金属音が響き渡る。緑のグリッド線が結晶の周りで激しく点滅した。エリアンの額に汗が噴き出る。これは、物質を『分解』し、不純物と純粋なエネルギーとに『再構築』する、まさに頭脳を使う作業だった。
10 秒後、結晶は半分になり、透明で青く輝く小さな破片が残った。残りの半分は、黒い煤となって地面に落ちた。
「成功だ!」エリアンは息を呑んだ。
「なんだ、それは…? その黒いものは?」ライラが尋ねた。
「不純物。そして、残ったこの青い破片が、純粋エーテルの欠片 (Junzui Ēteru no Kakera) だ。」エリアンは青い欠片を手のひらに乗せた。周囲の環境が、この小さな破片を恐れるかのように、わずかに静まり返る。
ライラは驚愕に目を見開いた。彼女は純粋エーテルを見たことがなかった。それは、上層貴族や大魔導師だけが扱える伝説の物質だ。
「お前… 虚空の鍛冶師は、本当にエーテルを精製できるのか? ありえない…」
「原理は簡単だ。『濾過と分離 (Roka to Bunri) の原則』。沸点の違いで分離するのと同じことさ」エリアンは得意げに笑った。彼はもはや、死に瀕していた孤児エルアンではない。彼は、この世界の法則すら部品として扱う、天才機械技師トラン・ラムだった。
「ライラ。この純粋エーテルを足場に塗り付ければ、岩壁の結合構造を一時的に強化できる。これでお前と俺の積載荷重 (Sekisai Kajū) にも耐えられる、完璧なクライミングルートができる。」
ライラはゴクリと唾を飲み込んだ。彼女は、この少年の持つ力が、これまで見てきたどの「虚空の鍛冶師」とも全く違うことに気づき始めていた。これは呪いではない。これは、この世界を『修理』できる唯一の、そして最も恐るべき能力 (Nōryoku) かもしれない。
「わかったわ… エリアン。次は、どの原理を使うんだい?」ライラは静かに尋ねた。彼女の声には、先ほどの嘲笑は消え失せ、純粋な好奇心と期待が込められていた。
エリアンは、青く光る純粋エーテルを岩壁に押し付けながら答えた。「次は、『最小エネルギー経路 (Saishō Enerugī Keiro) の原則』。効率よく登るぞ。」
こうして、二人の、世界を駆け上がる旅が始まった。




