答え合わせの二つ星
これは魁星と間星の答え合わせ
沈みゆく水の世界は意外と温かい。
もっと冷たい物だと思っていた此処は、私の事を歓迎している様に思えた。
そんな訳、無いかと、苦笑する。
だが、恐怖感が無いのは確かだ。
何も考えず身を任せて、水面を見上げる。
揺れる私の髪の向こうに見えるそれは、意外な程、明るかった。
霧の深い場所だったはずなのに……人の理の外は私程度の存在では、理解が及ばないらしい。
ゆらゆら。
心地いい揺れに、目を閉じようとしたその時。
何かが飛び込んで来る音がした。
閉じかけた目を開き、私は……体温の無いこの身が、凍る思いがした。
水の……冥府へと向かう水底に向かって、飛び込んで来たのは……
最後に会った時より、見た目が成長していたが、仲間で、友人で……! 大切な……っ。
「公孫勝!」
水の中なのに声が出て、そのまま叫ぶ。
彼は此方を向いて、私と目が合って。
「――――っ」
とろりと蕩ける様な笑みを浮かべた。
止まったはずの心臓が、鼓動を刻んだ。それも痛いくらいに。
それに戸惑っていると彼が、此方へと向かってくる。
距離が縮まるにつれて、彼の瞳から輝きと色が失われていく。
あぁ、駄目だ、それは!
「戻って下さい! 戻れ! 公孫勝!」
星の瞳から、輝きと色が失われるのは、持ち主が死に近づいているから。
完全に失われたその時が、星の瞳を持つ者に死が訪れる時。
このまま、沈んでしまったら……彼の命が……!
嫌だ!
彼が死んでしまうなんて……!
力いっぱい戻れと叫んでも、彼は止まらない。
どんどん距離が縮まって……、私を追いかけてしまう可能性を考えて、この位置から動けない事が……死者である私は浮上が出来ない、力尽くで彼を戻せない事が……悔しい。
そうしているうちに……
「捕まえた」
彼が私の手を掴んだ。
「久しぶりだね、星主様」
「な、何で来たんですか!」
悲鳴に似た声で糾弾すると、彼は面白く無さそうな半眼になった。
「久しぶりに会った仲間に、そういう態度をとるわけ? 薄情者」
「そう言う問題じゃないんですよ! 戻って下さい! 瞳が生きている内に、現世に戻らないと、貴方が……!」
死んでしまう!
そう叫んで、彼の手を振りほどいて、その身体を押し返す。
でも、その身体は憎たらしい程に動かない。
動け、動け!
必死に押し返す私の頬を、彼の両手が包んだ。
顔を上げると、彼が……公孫勝が、悲し気な顔で私を見詰めていた。
「あんたは……僕が、嫌い?」
「……へ?」
「逃げ道を塞いでおいて、あんたから離れた僕が……置き去りにした僕が、嫌い? それとも……憎い?」
何を、言っている?
私が……貴方を嫌う? 憎む? ……何故?
だって、貴方が梁山泊を離れたのは、彼の師が修業の継続を望んでいたし、何より彼を拾い育てた老齢の養母の様子を伝え聞いて、最後くらい傍に居たいと、貴方が望んだからじゃないか。
確かに寂しいと思ったし、胸だって痛んだ。
でも、その願いを聞いたのは……もう、貴方を危険な目に遭わせなくて済むと、気が付いたから。
私は、今も昔も、貴方の……公孫勝の死を見たくないんだ。
その願いに従っただけで、貴方は何も悪くない。
そんな貴方を嫌ったり、憎んでいると思われているなんて……!
「私が何時、そんな事を言いましたか? そんな態度を取りましたか?」
声が震える。
久方ぶりに頭がクラリとする。
あぁ、こんなに腹立たしい事は無い。
他の誰かになら、どんな事を決めつけられても構わない、でも。
「貴方にだけは! 私の気持ちを決めつけて欲しくなかった!」
「宋江……?」
ドンッと彼の胸を強く叩いた。
「嫌う訳が無いでしょう! 星主としてでは無く、一人の無力な人間として支えてくれた貴方を! 憎まれ口でも、何度も助けてくれた貴方を! 何故、私が憎むと思うんですか!」
悲しい、腹立たしい。
二つの感情が全身に渦巻いて、凍り付いた血が沸騰している様な感覚がする。
水の中なのに、涙が零れた。
頬を伝って、水底へと落ちて行く。
「だって……僕が離れたから、梁山泊は瓦解したんじゃないか……あんたに反発して、離反したり、戦死者が出たりした切っ掛けは……僕、だろう?」
「違います。離反者が出たのも、戦死者が出たのも、全部、私が未熟で臆病者だったからです。本当の意味で梁山泊を崩壊させたのは……私です。貴方のせいなんかじゃない!」
そう、全ては私が招いた事だ。
人心を掌握出来なかったのも、戦況を読めなかった事も、全部。
なのに、何故、そんな事を貴方が言う!?
「私はっ……貴方が大切なんです。誰よりも……身内よりも、大切なんです! 傷つく姿も死ぬ姿も見たくなくて、あの時、貴方を送り出したんです! 私から離れれば、平穏に暮らしていけると……」
「どうして?」
「え?」
「どうして、そう思う? 願うの?」
どうして……? そんなの、決まっているじゃないか。
「貴方が好きだから」
口から出た言葉に、自分が驚く。
好き? 彼を?
自然と出て来た想いは、新たに紡いだとは思えない程、重い。
ずっと、言いたくても言えなかった。
そんな、重みがこの言葉に籠っている。
理由は……何だった?
目を丸くしていた公孫勝は、やがて笑みを浮かべた。
「っ」
その微笑みを、私は見た事があった。
優しい、喜びに満ちた眼差しも、表情も、ずっとずっと昔に。
彼の姿が変わった。
青白い髪に蒼い衣装、そして愛おし気に見詰めて来る蒼い瞳。
あぁ、そうか。
彼は……
「間」
天に浮かぶ間の星。
前世から焦がれた、私の最愛。
思い出した、刑罰によって付けられた枷によって、封じられていた星だった頃の記憶を。
「魁」
名を呼ばれ、私は彼の腕の中に飛び込む。
歓喜に震えるまま、私は思いの丈を彼にぶつけた。
ずっと会いたかった、離れたくなかった!
私の方が先に、刑が執行された時、どれだけ絶望したか!
強く抱きしめて、泣きながら私は……
「間……公孫勝……好き、です。天の園に居た頃から、全て失くして人の身になっても、貴方だけが、私の最愛なんです」
生きている時に言えなかった事が、悔やまれる。
でも、それでも……言う事が出来て、良かった。
「やっと知れた、あんたの本音」
ホッとした様な声で彼は呟くと、私の色の変わった髪を掬い上げ、瞳を細めた。
前世の色である金の髪。
あの頃と同じ様に、指先で撫でるとそれを離して、私の顔を覗き込んだ。
「本当はこんなに、解り易かったんだね。隠すのが上手すぎるよ」
「えっと、昔は兎も角……今は完全に無意識でしたね。すみません」
昔はこの気持ちがバレてしまったら、拒絶されるかもしれないと怯えていましたから。
そんな昔の心残りや、恐怖が、臆病者と言う形で今の私になったのかもしれません。
「駄目、許さないから」
拗ねた様に口を尖らせながら、彼は両手で私の頬を包んだ。
「だから、思い知って……僕の気持ち」
彼の顔が近づいて、そして……
「っ!?」
「ん……」
唇が重なった。
深く浅く何度も繰り返される、口付け。
初めはピクリと震えていた肩も、繰り返される内に程よく力が抜けて、彼に身をゆだねた。幸福感が心に、身体に満ちていく……
どれくらい経ったのか、死者である私に息苦しさは無いのですが、色々なもので胸が満ちていて、少し苦しく感じました。
クタリと寄せていた身を離すと、お互いの姿は今の姿に戻っていました。
見慣れた姿……ですが。
「……あぁ」
再び涙で視界が滲む。
目の前で微笑む彼の瞳は。
色と輝きを失い漆黒に染まっていた。
「ふふ、僕の勝ちだね」
「何で誇らしげなんですか……貴方は」
言いながら、涙が零れた。
彼……公孫勝は、今、死を迎えた。
魂が離れすぎて……肉体との繋がりが、切れてしまった。星の瞳が死んでしまった今、戻る事は出来ない。
「だって、これで、あんたと何処へでもいけるからね」
本当に嬉しそうに言う彼。
正しくあるなら……私は悲しむべきなのでしょう、それこそ叱らないといけないのでしょう。
でも、今、私の心に湧き上がるのは……歓喜だ。
想いを通じ合わせた事、彼の手を離さず、何処までも共にあれる事が、涙が出るほど嬉しいのだ。
道理から外れている事なのに……私を選んでくれた事を喜んでしまう。
どう答えたら良いのか解らず、曖昧に微笑むしかなかった。
「これは、僕の我が儘で、押しつけだ。あんたが気にする事は無いんだよ。僕が選んで、周りに押しつけた……それだけ」
優しい彼はそうやって、自分が被ってしまう。
でも、それに甘えてしまっては、何時か、彼を失ってしまう何かを招いてしまう、だから。
「私も背負います」
「ちょっ」
「だって、喜んでしまいましたから。貴方がついて来た事、心を通じ合わせてくれた事、一緒に逝ってくれる事……全部」
私も同罪だ。
いや、私の方が罪深い。
彼を大切に想う人々から、彼との時間を奪ってしまうのだから。
「嬉しいって、思ってくれたの?」
不安げな様子で、彼が問う。
「はい。いけない事だと解っていますが……どうしても」
私から手を伸ばし、彼の頬を撫でた。
「だから、私を共犯者にして下さい、間」
「魁……」
根底に根付いた星の名を呼んで、微笑むと安心した様に彼は表情を緩めた。
スリッと私の手に擦り寄ると、幸せですと言いたげに瞳を伏せる。
「してあげるよ、永遠にあんたは僕の共犯者だ」
「えぇ、何があっても」
新たに繋がったのを感じたその時、クンッと下へと引っ張られた。
話が決まったなら、早く来い。
そう、冥府の方々から言われている様ですね。
隣で彼が舌打ちし、小さく「邪魔しやがって」と、苛立ちに満ちた声が水底へと向けられた。
吹っ切れたら、こんなにも素直なんですね、彼は。
「ふふ、そう言わずに」
自分の手を彼の前に差し出す。
「一緒に逝きましょう」
「……置いて逝かない?」
「置いて逝きません、もう二度と」
ハッキリと答えると、彼は私の手を取った。
「共に生きて、共に死ぬ……約束ですよ」
「! うん、約束だね」
繋いだ手を強く握り締め、二人で冥府へと落ちていく。
何故か重く感じた左足を見てみると、私と彼の左足首を紅い縄が繋いで、揺れていた。
――――共に沈み逝く結び星