とある間の夢
追いかける兎と、立ち止まっていた間の星の夢
パチンと広がった世界は霧深い水辺だった。
思わず声を漏らしそうになる。
だって此処、あの世とこの世の狭間じゃねぇか! 何でこんな危険な場所に飛ぶんだよ!
本当にあのこは、毎度、毎度!
始めっからそうだ!
魔女裁判で生まれた亡霊の集合体に、二人の蘇妲己! その次は危険極まりない狭間!
夢の枷が無かったら、引きずり込まれるぞ全く!
ジロリとした視線をあのこの背中に向けてしまう。
いきなり叩き起こされ、旅を追いかける事になったあのこ。
時を巻き戻し続けた、人では無くなった無垢な子。
初めは何のこっちゃと思った。
何て無謀で、無駄な事をしているのかと思った。
でも、放ってはおけない気がした。
望む未来を諦めない姿勢を馬鹿にする事はできなかった。俺だって、嘗てはそうだったから。
解り合おうとした人々が居た、果たそうとした事があった、その為に努力はしたんだ。
でも、俺の努力は無駄で、何もかもを失った。
味方に後ろから刺されて、踏みにじられて、俺は人である事を手放した。
その事について、後悔はしていないけど……それも含めて、あのこが心配なんだよ。
今までの会話であのこの人となりは見えて来た、あの二人が言った様に、真面目で優しくて……臆病で、無垢な心の持ち主だった。
だからこそ……守らなきゃと、追いかけたんだ。
今回も中華系の世界らしい。
あのこと服装が似ているけど、少し違うから解る。
回答者は……男!?
え、初めてだ、此処まで女性ばかりだったのに。
それに、あの男……何処か、あのこに似ている? 外見じゃなくて……あぁ、目が似てるんだ。
あのこはキラキラとしているけど、この男はボンヤリと光っている、星みたいな瞳。
でも、同じじゃない。とても世界線が近いんだろう。
二人を見詰めていると、カサリと背後から音がした。
後ろを振り返ると、霧の向こうから一人の青年が歩いて来るのが見えた。
長い亜麻色の髪を緩く三つ編みにした、やたらと美形な青年。
これまた、中華系の衣装に星みたいな瞳をしている。
二人と違うのは、瞳の色が青系なのと、光の強さだ。この青年の方が爛々として、星そのものに見えた。
兎サイズなので、見上げていたら、青年が此方を見た。
冴え冴えとした視線に、俺は身震いした。
こいつ、強い。
蘇妲己よりも強い。
全盛期の俺なら解らないが、今の俺じゃ瞬殺される。
「……何で、兎の姿をしてんの?」
え?
「あんた、そんな姿じゃないだろう? 精神の世界で変身しているなんて、そう言う趣味なの?」
あ、いや……本来の……人型になるのは、今は辛くて……
「ふーん? まぁ、弱っているのは本当みたいだけど」
青年は馬鹿にした様な笑みを浮かべた。
「趣味じゃ無いかは、解らないな」
ちげーよ! 俺だって何で兎なのか聞きたいくらいだわ!
気が付いたら兎だったんだ。
これ、あの魔女っ娘に言われて初めて気がついたんだぞ!
ダンダンと足で地面を叩くが、あっという間に青年に抱き上げられる。
離せよと睨むが「話しずらい」と返されて終わった。
「此処を夢に見るとは思わなかった」
はぁ?
「死なんて、まだ先だと思っていたからさ。それに……此処は、似ているから」
何処に?
「……梁山泊」
あー、今度は水滸伝の世界か。
これも根源じゃなくて、分岐したパラレルワールドで、異世界バージョンの。
それなら、あのこが今話しているのは、主人公・宋江なのかもしれない。
多分、あのこも『主人公』だから。
そして、この青年はもしかして……
名前を問うと、青年は鼻を鳴らし、暫くしてから「雲」と答えた。
「雲、答えたんだから、あんたも名乗れば? まぁ……この場所で答える馬鹿は居ないと思うけど」
はは、解ってらっしゃる。
偽名を名乗って置いて、良く言うよ。
だからあえて、本名を名乗ってやる。
其処らの死霊にどうにかされる程、やわじゃないし、それに青年・雲は悪用しないと確信しているからな。
雲は俺を凝視してから、溜息を吐き。
「馬鹿じゃないの?」
ちょっと嬉しそうに、苦笑した。
「ねぇ、あんたはさ、どうして此処に来たの?」
ん? それはな。
俺は此処に来た理由を話した。
叩き起こされて、あのこを追いかける事になった事を全て。
「そう」
雲は無表情になると、水辺の方へ……あのこが居る方へと顔を向けた。
「言われれば見えるね。あんたの言う子が……忌々しいくらい、そっくりな」
そっくり?
「あいつに……我らが、星主様にね」
忌々しいと言いつつ雲の表情は、懐かしさと愛しさが混在していて、辛そうに見える。
あいつだなんて言っても、親愛が見て取れて、大切な相手なのだと伝わって来た。
それにしても、雲の目から見ても、あのこは似てるんだな。
もしかしなくても、あのこは主人公……天魁星なんだ。
あのこの歩む道が困難だらけなのは、そう言う事なんだな。天魁星は魁であるが故に、困難な道を行く事を宿命付けられているから。
夢から覚める事になった時、あのこは……大丈夫なのか?
そもそも、何も基準にあのこの答えとするのか、其処も解らないし、期限があるのかも解らない。
あの二人が何を考えているのか見えてこない以上、警戒はしておいた方が良いかも。
「あのこはあんたにとって、何?」
考え込んでいた俺に構う事無く、雲は聞いて来る。
でも、見上げた瞳は真剣そのもので、正直に答えないといけない気がした。
だから、解らない、と答えた。
「解らない?」
そう、だって俺からは会話も姿も見えるけど、あのこは俺が見えない。
声は兎じゃそもそも聞こえないし。
俺だけが、一方的に見知っているだけ。
そんな薄っぺらな繋がりで、相手がどんな存在なのかなんて……解らないと答えるしかない。
答えた俺を雲は呆れた様に見つめた。
「解らないって……あんた、本当に馬鹿だね。夢の旅は五体満足なあのこより、弱っているあんたの方が危険なんだ。それに気が付いているんだろう?」
う、まぁ……はい。
「それなのに、逃げずについて来てるって……それだけでも、答え出てるよね?」
深く溜息を吐いた雲は、俺の鼻先を指で弾いた。
いってぇ……デコピンする事無いだろ!
「デコピン……? あぁ、これ、額に良くするよね? ふぅん、デコピン……」
え、俺、何か余計な事したかも……
「まぁ、これは置いておくけど」
置いて置かれた!
「あんたはさ、あのこが笑っていたら……嬉しい?」
え、うん。嬉しい……かも。
「泣いていたら?」
泣き止ませたい。
「辛い目に遭っていたら?」
そんな目に遭わない様、守る。
「死にそうに、なっていたら?」
絶対に助ける! 死なせるかよ!
「……ほら、そう言う事だよ」
俺の答えを聞いた雲は、微笑む。
「あんたはあのこが、好きなんだよ。自分の命よりも、守る事を優先している時点でね」
んなっ!?
身体が熱い。
指摘された事も、自覚した事も全部が示している事に。
俺、あのこの事……好き、大好きだよね!?
今までこんな、いや……いいなーって思う事はあったけど! あのこみたいに、強い物じゃ無かった。
あの魔女っ娘がニヤニヤしてたのって、こう言う事か!?
あー! 恥ずかしっ! だだ漏れって事だよな!?
だって、最初からだって事じゃん! 一目惚れしてたの俺!?
「自覚して無かったクチだね。ふふ、人のこれは案外、面白いね」
面白くねーよ!
「良いじゃないか、少しくらい。僕の最愛は、もう居ないんだから」
寂し気な声に俺は動きを止めた。
雲の最愛、もう居ないと言うその人は……
親愛を示した、星主……宋江?
「つまらないグチを零すけど」
水辺に佇むあのこを見詰めながら、雲は続けた。
「僕はね、あいつが好きなんだ。同性だとか、従うべき星主だとか、関係無くあいつに惹かれた。行動を共にしていた頃も、離れた後も気が付かないままで……でも、傍に居ない事に対して、焦燥感や不安感が常にあった。あいつと居た頃には別の物を感じていたけど、それらを感じ始めたのは、離れてからだった」
どんどん雲の表情が、目が昏くなっていく。
「それが何なのか解らないまま、考えを巡らせながら時間が経って、僕がそれを理解したのは……あいつが、殺された事を知った時だった。笑っちゃうだろ? 死んだと聞いて初めて、この感情が恋情だと気が付くなんて」
自嘲した雲は俺を見る。
「後悔と罪悪感で、いっぺんに自分の何かが崩れ落ちた。それに、喪失感が加わって……気が狂いそうなる日々。次第に僕は、何かをしようって気も、生きる気力も薄れて行った。でも、周りが死なせてくれなくて、今の僕は簡単には死なない身体である事もあって、あいつの死から五百年経っていた。それでも……」
俺の顔に温かい雫が落ちてくる。
「苦しい、あいつがもう居ないって解ってるのに。苦しくて、苦しくて……恋しくて、心がぐちゃぐちゃになるんだ……あいつに届くわけでも無いのに、叫びたくなる、愛してるって、ね。馬鹿みたいだろ?」
そんな事ねーよ。
身体を伸ばして雲の頬に擦り寄る。
一人を深く愛する心も、亡くした事に対しての後悔も、馬鹿にして良いものじゃない。
雲本人にもだ。
身体が涙で濡れるが、関係無く雲の涙を拭った。
「……毛が付くんだけど?」
うっせ。
「……はは」
小さな笑い声がして、身体を離すと。
雲は頼りなさげだけど、笑っていた。
「ありがとう」
どういたしまして!
兎の顔だけれど、笑って見せる。
雲の雰囲気が少し柔らくなるが、何故か俺を抱き締める力が強くなった。
「……あいつはさ」
うん?
「多分……死にたかったんじゃないかな?」
え……
「はっきりとは言われた事はなかったけど、時間を操る事が出来ないのかって、聞かれた事がある。その時にはもう、無意識にでも死を望んでいたのかもな。でも、僕はその逃げ道を潰した。世界を壊す気かと……逃げるなと」
でも、それは……宋江に生きていて欲しかったから、だろ?
「そうだよ。逃げるなんて許さない、離れていくなんて許さない……何で、思い詰めるまで言ってくれなかったんだ……? 頼って、欲しかったのに。他の誰でも無く、僕を頼って欲しかったんだ。無意識でも、願っていたのに……結局、僕がしたのは追い込んだ事だけなのかもしれない」
雲。
「あんな結末になったのは……僕のせいでもある。離れるなとしたくせに、僕の方が離れたから……!」
雲っ!
「僕が殺したのと同じだ。そんな僕が、あいつを想うなんて……あいつは、許さないだろうな。離れたくせに、見殺しにしたくせに、と、僕を……罵って、恨むだろう」
再び涙が流れる瞳から、光が消える。
「あいつを愛する資格が……僕には無い」
違うっ!
雲の胸へと頭突きして、引き戻す。
そんな事あって、あってたまるか!
宋江があの子に似ているなら、その考え方も似ているはずだ。
あのお人好しが、仲間だった人間を恨むだろうか?
理由があって、離れた人間を罵るだろうか?
答えは否だ。
あるわけが無い。
それに、頼る事をしなかった人間が、意識して無くても本音に近い事を漏らしたなら、あっちにとっても雲は大切で、特別だったんだと思う。
まぁ、宋江にその自覚があったのかは、謎だけど。
宋江はそんな人間じゃないって、お前が一番解ってるだろ!?
「……本当かどうかなんて、もう解らないじゃないか。死んだ人間には、会えないんだから」
そう吐き捨てる雲に、俺は思い付く。
雲には此処に居る者の姿が基本、見えない。
俺が見えるのは、俺が完全に異世界の存在だからだ。
似た世界線に生まれたあのこの事が、見えなかった事がその証拠。
でも、俺が居る事を教えたら、あのこの姿が見える様になった。
なら……宋江は?
あのこと話しているはずの、彼は今も此処に居る。その事を雲が知る事が出来たら。
見えるかもしれない、あそこに乱入して問う事も出来るかもしれない。
そんな思い付きに、俺は掛けた。
なぁ、雲。あのこと一緒に宋江が居るって言ったら、お前は信じる?
「え」
あのこの回答者が、宋江で今も話してるって……信じる?
「嘘だ」
嘘じゃない、見てみろよ。
雲を促してあのこの方へと向ける。
「あっ……!」
見開いた目から涙が、開いた口からは擦れた声が零れた。
でも、喜色に滲んだ表情が凍り付いた。
何でだ? と、俺も其方を向いて固まる。
宋江の姿が変わっていた。
さっきまで、生者と変わらぬ姿だったのに、今は死に際の姿で立っている。
鮮やかすぎる朱が此処に居ても目立つ、ハッとして雲を見上げれば。
顔色が真っ青になって、震える雲の表情は後悔と絶望に染まっていた。
完全に余計な事をした。
更に追い詰めて……どうすれば……!
考え込んでいるうちに、大きな水音がした。
見れば、宋江の姿は無く、あのこだけが立っている。
まさか、水の中に落ちたのか!? あぁっ、あのこも消えてくし!
次に行くのか!? このままで!?
「……逝かせない」
えっ?
重苦しい声に、雲を見上げると。
仄暗い笑みを浮かべ、水面を見詰めていた。
何か。
何かが……取返しが付かなくなった気がした。
「ねぇ」
ビクリと震えながら、雲に返事をすると瞳から完全に光を失った雲が見詰め返す。
「あんたはさ、離すなよ。大切な人の手を、何があっても離すな、僕みたいになりたくなければ」
冷たい警告。
それは、負の感情からでは無くて、此方を気遣うからこその厳しさだった。
「後悔だけはするな。相手に責められても、後悔する様な選択は選ぶな」
俺を地面に下した雲は、水辺へと歩みを進める。
雲、待て! それ以上進んだら……!
あの水辺こそが、境界線。あそこへと飛び込んだら、死ぬ。
なのに、雲はどんどん進んでっ!
「止めるな。僕は決めたから……止めないで」
振り返った雲は光の宿らない瞳で、晴れやかに笑う。
「感謝するよ、此処に来る切っ掛けをくれて。何であれ、あいつの姿を見せてくれて、ありがとう。おかげで決心がついた」
だからって! 駄目だ、雲!
「これは、あんたのせいじゃない。自惚れるなよ、自分のせいだなんて。遅かれ早かれ、僕はこの選択をしたさ……もう、置いて逝かれたく、無いからね」
雲の姿にノイズが走って、一瞬、別の姿が見えた。
青白い髪と蒼の衣装を纏った誰かの姿が。
共通しているのは、その瞳だけ。
これは、何なんだ?
唖然としていると、雲は此方に背中を向けた。
「さよなら。旅の無事を祈ってるよ」
あ、待て……公孫勝!
振り返る事無く、雲は、公孫勝は水の中に飛び込んだ。
水面が静まるのと、同時に俺の視界もプツンと消えた。