二人の妲己の願う夢
二人の妲己が白兎に願った、願い事
あの子が消えたのを見届けて、私達はあの子が居た場所よりも後ろ……あの子の背後の方へと視線を向けた。
其処には白い兎が一羽、佇んでいた。
左耳に雪の結晶の耳飾りを着け、首に紅い薔薇を巻き付けた、紅い瞳の兎が。
「蘇己からあの子を守ったのは……貴方ね?」
私が問いかけると、コクリと兎は頷いた。
私がこの夢に招かれた時、見たのは蘇己にあの子が襲われていた光景。
目を奪われようとしていたあの子へと、駆け寄ろうとした瞬間に、障壁が張られ、氷の礫が飛んで行った。
私がしたのはその隙に呪符を投げ、あの子を背に庇った所だけ。
最初に守ったのは私じゃなかったのだ。
「ありがとう。おかげで間に合ったわ」
お礼を言うと照れた様に、兎は左耳を弄った。
「ほぉぉう? お主も元人間かえ? 何とまぁ……面妖な事になっておるのぉ」
蘇己は兎の首根っこを掴み、その姿をあちこちから眺めている。
心底嫌そうに、暴れはじめたので、彼女の手から兎を奪う。
抱き抱えた兎を、まじまじと見つめ、見えた物に私は苦笑した。
「はは……貴方はあの子と違って、殆ど私と同じなのねぇ……夢の中で会うのは初めてだわ……転生仲間さん?」
そう話しかけると、兎はビクリと震え、その目を大きく見開いた。
驚愕を映した瞳に笑いかけると、兎はテレパシーで怒涛の様に話しかけて来る。
「わわっ、落ち着いて……うん、ゆっくり、一つ一つね」
兎は私と同じ、異世界転生者だ。
ただ、私とは違って、転生の回数は一回だけみたい。でも、かなり苦労を重ね、裏切りに遭った人生だった、と、兎は語った。
その過程で人間を辞めてしまった事、人間から討伐対象とされ、封印された事。
謎の二人に、あの子を追いかける様に送り出されたが、弱ったままで、分体でコンタクトを取っている事を話してくれた。
私の事も聞かれ、答えると、兎だけでなく蘇己にまで叫ばれた。
それは、私の過去を全て知った仲間と夫と同じ反応で、笑みが零れてしまう。
大丈夫かと問われ、私は大丈夫だと頷いた。
其処で、ふと過る。
「……あの子の傍には、居なかったのかもしれないわね」
「何がじゃ?」
「私の仲間の様に……夫の様に、あの子と並んで繋ぎ止めてくれる人が」
あの子が私の感情を読もうとした時、私もあの子の記憶が一部見えた。
確かにあの子は独りでは無かった。
でも、独りでは無かっただけで、あの子の心はずっと孤独だった。
あの子は人を率いて戦う……リーダーだったから。
仲間は守り、時に利用するものであると、あの子の心に打ち込まれてしまった。
それも、あの子が願いの形と先を見失った理由の一つなんだろう。
そして、あの子は私と同じで、人と人外の境目が元々、薄かった。
なのに繋ぎ止める楔が緩々だったから、あんな事になっている。
「ねぇ? 兎さん。貴方はあの子の事……嫌いじゃないんだよね?」
問いかけると、兎は固まった後、おずおずと頷いた。
「なら、お願いよ。あの子を助けてあげて」
首を傾げる兎に私は願う。
「あの子がこれ以上、人を辞めて仕舞わない様に、繋ぎ止めて欲しいの。多分、あの子の仲間は信用……出来ないと思うから」
大丈夫であったのなら、こうなってはいない、だから第三者が介入するしかない。
狐火を兎の耳飾りに宿すと、白い炎を宿したそれは、強い輝き放った。
「なら、妾も」
蘇己は紅い炎を薔薇に宿した。すると、薔薇の額の辺りから紅い玉の付いた結び飾りが垂れ下がる。
「あの子が迷った時、その灯で照らしてあげて」
「あ奴が傷つけられた時、その炎で敵を焼き尽くせ」
兎を離し、私達は願う。
「「どうか、あの子を人間に近いままで、居させてあげて欲しい」」
あの子はもう人間に戻れない。
あの子の血は目覚め、引き返す事が出来ない位置にまで、あの子を押しやった。
出来るのは、人に近いままで居させる事だけ。
繋ぎ止める事も、同じ痛みを知るこの兎でないと出来ない。
兎が頷き、了承した瞬間、その姿が消えた。
あの子の元へと流れて行ったのだろう。
フッと息を吐くが、私達の夢はまだ続いてる様で、消える気配が無い。
「さて、私達の役目は終わったみたいだけど、夢は終わらないみたいね」
「そうじゃなぁ……」
寂し気な蘇己に、私は「素直じゃないなぁ……」と、言葉を掛ける。
彼女の手を掴み、此方へ引く様に夢を塗り替えた。
今までの夢は、あの子の為に整えられているけれど、蘇己を主軸とした夢。それを私が主軸になる様に塗り替えたのだ。
血塗られた冷たい玉座から、穏やかで暖かな蓮池へと彼女を連れだす。
夫の管理する仙府の蓮池。
私にとって最も美しい場所だ。
私の姿も、戦いに身を置いていた少女の頃では無く、家族と暮らす今の姿へと変わる。
「お主……」
「これが、今の私の姿ね。貴女が狐狸精として振舞っていたから、過去の姿へと変わっていたけれど」
ポカンとする彼女に向かって、私は微笑む。
「夢から覚めるまで、私とお話しましょうか? 根源に限りなく近いけど、根源では無い貴女?」
そう、彼女は根源となった蘇妲己では無い。
とても近いが、彼女もまた別の妲己だ。だから、人間と狐狸精が混ざった気配と人格をしている。
史実の女性と演義の狐狸精が混ざった存在、それがこの妲己だ。
「……何時から、気が付いていたの?」
高貴さを滲ませた口調から、少女の口調に変わった。同時に姿も美しい少女のものへと移り変わる。
「初めから」
「なっ……」
絶句した蘇己は、やがて溜息を吐くと私を睨む。
「貴女、狐じゃなくて、狸って言われない?」
「言われないわねぇ……」
狸と言われるのは、周りにいっぱい居るので。
蓮池の畔に座り込み、二人で眺める。
「貴女の話、聞かせて」
蓮池を見詰めたまま言った蘇己に、同じく蓮池を見詰めたまま答えた。
「そうねぇ……何処から話そうか」
「なら、貴女の旦那の話から」
「え、子牙の?」
「……は? 貴女の旦那、太公望なの? 千年狐を殺す運命を持っていたのに? よく結婚出来たわね」
引いている蘇己に私は弁明代わりに、出会いから話し始めたのだった。
夢はまだ、終わらない。
――――転生天狐と描かれた娘の語る夢