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第8話 パン王の帰還

「『ここだわ』って。なにがですか」


 唐突な言明に面食らいながら僕はきき返した。


「これよ。これ」


 (かおる)さんは、右手に持ったチュロスを自身の顔の前に出し、まじろぐことなく僕らにさし示した。


「けど、これパンじゃなくてチュロスですよ」


 当然の疑問を僕は指摘する。


「そう、なのよね。チュロスなのよね。それは私もおかしいとは思うのだけれど、本当に一緒なのよ。あの時、あの子と食べたパンと同じなの」


「じゃあ、これが探していた『カニのパン』ってことですか。ちょっと形状は違う気がしますが」


「そうね。そうなるわね」そう言うと、芳さんは手に持ったチョコチュロスを口に入れ、再びミルクを飲み「やっぱりそうだわ」と目を閉じ大きく頷いていた。


 チュロスと「カニのパン」は近くはないよなぁ、とデニタスの方を見てみると、デニタスはあまり気にする風でもなく、ウェイト状態でテーブルの上をゴロゴロと転がっていた。


「あー、そーなんだー。そっかー。うん。おいしー店でよかったー。うん。ちゃんと食べれた」


 きな子はそれはそれとしてなのか、スプーンでかき集めたフルーツソースの最後の一口を味わってた。


 わからないことばかりなので、店員さんに頼んで、店の主人に奥から出てきてもらった。

 クセの強さと人の良さが同居しているような小柄で丸顔の店主に事情を話し、四十年前にここでパン屋をやっていたのかと訊ねたところ、それは自分ではなく、友人の(しゅん)ちゃんがやっていた店ではないかということだった。


 その友人は一時期は結構な数の飲食店を経営していたが、今は事業から引退し、この近くで喫茶店のマスターを趣味でやっているということだった。

 こちらから出向くと言ったのだが、連絡をしてもらったところ、時間があるからこちらに来てもらえるということになった。 


****


「なんや、きー(ぼう)。面白いお客さんて」


 そういいながらチュロス店に慣れた様子で入ってきたのは、見た目六十代半ばくらいの割には高長身で衆目を集める顔立ちの男性で、蝶ネクタイこそないものの白いシャツに一見して仕立てのよい黒のベストとキレイに折り目の入ったボトムスが、いかにも喫茶店のマスターといった風貌だった。


 気楽な様子の男性であったが、店内に座る芳さんの姿を一目すると、急に改まった様子で少し歩を進めて向き直り、丁寧な口調で挨拶を始めた。


「失礼ですけど革島(かわしま)先生ですよね。お世話になっております。わたし、蠏江(かにえ)俊三(しゅんぞう)といいます。実家が呉服の綴巳屋(つづみや)をしておりまして、ですので、先生のことは小さい頃からようお店でお見かけしておりました」


「あら。そうなんですか。いやあ、びっくりした。ごめんなさい。全然分からなくて。綴巳屋さんには本当によくしてもらっていて、こちらこそお世話になっています」


 芳さんは立ち上がって本当に驚いた風であったが、僕は僕で? となり「先生ってなに?」ときな子に小声で訊ねたのだけれど、「しーっ」と怒られただけであった。


「いえいえ、わたしはもう随分前に家は出てしまっていて、こんな根無し商売ばっかりやってるんですが、綴巳屋の方はずっとご贔屓いただいているみたいで、本当にありがとうございます」

 蠏江さんと名乗った男性はそういって深々と頭を下げた


「ところで、そちらはお連れさんですか」


「ああ、すみません。こっちは孫のきな子で、そちらはパン王さん。こちらのお店を探すのを手伝って貰っていたんです」


「はじめまして」ときな子と二人で丁寧に会釈をする。しかしこの子も、こんな時はちゃんと挨拶できるんだなと少し感心すると同時に、やっぱり自分は舐められていたんだと、その様子にやや腹立たしい思いが少し渦巻く。


「はじめまして。蠏江です。そやけど、ずいぶん面白いカッコしてはりますね」


 お、まあまあ失礼だな蠏江さん。


「そうでしょ。パン王さんが作ってくれはったんですよ。素敵でしょ、このシクラメンの冠」


 芳さんは頭部デバイスを手に取って、蠏江さんに見せていた。


「はあ。……王様で、シクラメンの冠に黄金の指輪とは、あれですな、ずいぶん知恵者でいらっしゃるんようですなあ」


「ええ、そうなんですよ。本当に賢くいらっしゃって。お店も見つかったし、蠏江さんともお会いできましたし、それになんだか久しぶりにとっても楽しくって、パン王さんには感謝してるんですよ」


 ん? なんだそれ?


「ちょっと、待って。褒められるのはいいけど、なに言っているの? なにが知恵者なの」


「あら、パン王さんあなたのことよ。それとも、あなたやっぱり知らずにやっていたの」


「なにが?」


「あら、ならいいんですよ。本当に面白かったのだから」


 芳さんはピシャンと言って、おかしそうに笑っていたがなんのことやらで、きな子に訊いてみたのだが「おばあちゃん、たまーにこーゆーことゆーんだけど、いっつもよくわかんないんだよねー」とこちらもやっぱり分かっていないようなので、僕はとりあえず安心した。


「革島先生、もう随分前ですけど、この辺でわたしがやっていたお店にも確か何度か来てくれてはりましたよね。あの時はお声がけできずすみませんでした」


「ああ、そうでしたの。今日はね、そのパン屋さんのことでこちらに寄せていただいたんです。もう少しお話させてもらってもよろしいですか」


「構いませんよ。わたしは今は半分以上隠居の身で、昔話ばかりが楽しみになっていますので」


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