第2話 roi du pain
驚いた。
いや、驚嘆した。
そう、その通り。
わたしはパン王だ。
このパン都京都洛中の、ありとあらゆるパン屋に君臨する、パンの頂き。
パン界の宗主。
キング・オブ・パン。
フランスパン語でいえばroi du pain。
言い当てられて心底びっくりした。
まあ、正確にはパン屋で購入したパンの動画を投稿しているパン好きの三十七歳(無職)ユーチューバー名:パン王であり、今は失業保険で暮らしていて、この先何者になるかは正直自分でも五里霧中だが、今はできるだけ公金をチューチューして暮らしていたい。そう切に、本当に切に願っている男ではあるのだが。
「よく知ってるな。自分で言うのもなんだけど、結構、アレな再生回数やで」
「そうだねー。編集粗いしー、あれじゃーまーまーキビシーよねー。けどちょいバズしてんのもあったじゃん」
「ああ、……あれね。やっぱあれね」
そう、動画の再生回数は殆どが三桁だが、確かに一つだけ1万再生までいったのがある。
鴨川べりで手で掲げるようにしてもちもち紫芋ドーナツの断面を撮ってたところ、上空から襲来したトビにかっさらわれた中継動画だ。
その場面がSNSで切り取られたりなんだりで、「ほぼほぼ餌付けじゃね」だとか「取られた瞬間にピギュって小さく叫ぶとこ草」とかなんとか言われて、洛中の一部パン界隈で少々の話題となっていた。
「そうそう、あれあれ。そこからおばあちゃんがパン屋探してっからって何本か見たんだよね。んで、あーし顔覚えんの得意だし」
「まあ、その、動画を見てくれてありがとう。それと、やっぱり、おばあちゃんとお孫さんなんだな。うん。わかった。了解。それでだ、僕がそのパン王だとして、なんであんたがたのパン屋探しを手伝わなきゃいけないのか。だいたいそんなのネットとかですぐ見つかるでしょ」
「ネットでも探してっけどちょっと簡単じゃないだよねー。あーあと」
「なんだよ」
「おじさん、動画でも言ってたけど、どーせヒマでしょ」
ヒマ。
……いや、確かにヒマだよ。やること無いよ。会社行ってないからね。失業者だもん。ユーチューバーだって確かにヒマのなせるわざだよ。
けど、だからって面と向かって若い女の子から言われるとけっこうキズツクなあ。社会の不要物みたいに言われると。こう、知ってる?おじさんにも心があるんだよ。
聞こえないのは知っているけどもう一度心の中で言うよ、おじさんにもキズツク心があるんだよぅ。
「あー、おじさん聞ーてるー?黙っちゃって。なに、どーしちゃったの。なんか。えーと。ごめんごめん」
あぁ、平板に並べられる言葉がより心にジワつく。
「きな子。ちょっと失礼が過ぎますよ」
最初に声をかけてきたおばあさんが見るに見かねて割り込んできてくれた。
「ヒマな大人にヒマって本当のこと言っちゃダメですよ。すみませんね。なにせ素直な子で」
「いや、それっぽいけど、全然謝ってませんよね」僕はちょっと涙目半笑いながらもなんとか言葉を口に出す。
「はいはい。ごめんなさいね。こちらがお頼みしているのにね、本当に」
「なんだよ、その若干憐れんだ感じは。たしかに僕はヒマだよ。ヒマのなにが悪い。そんなにダメなのかヒマは」
「なにも悪くありませんよ。ただちょっと」
「ちょっと、なんだよ」
「そのね、なんていうか、ちょっとね」おばあさんは視線をズラす。
「あー、わーった。ちょっとぐらいは世の役に立ったらいーんじゃない。やること無くてどーせヒマなんだったら。だ」
「あらやだ。正解」
「アハハハ」「ハハハハ」二人は顔を見合わせて高らかに笑っている。
そんな二人を見て、たちの悪い野良犬に絡まれている気がしつつも、僕の心はむしろ澄みやかになっていた。
あまりと言えばあんまりであると同時に二人の言葉に嘘はなく、京都人特有の正直さがその中にあったためだ。
当節、世間一般で京都人というものは、嫌味くさく、高慢で、ぶぶ漬け伝説的な持って回った言い回しが性根の悪さを表していると扱われているように思うが、それはもう実のところ全くもってその通りで、この都に生まれ育った僕が取り囲まれているただ今ナウの現状こそがその証左であろう。
ただそれは、自身の言いたいことは我慢せず伝える京都人の正直さのあらわれでもあるのだ。時計を褒めて早よ帰れだとか、子どもが元気でピアノがうるさいだとか、オブラートに包み直接のケンカにならないようにしてでも自身の言いたいことはちゃんと伝える。
そんな正直で凛とした都人の佇まいがそこには現れていると僕は思っている。
そして、洛中に暮らす京男として、私も母と姉とクラスメイトと元同僚やその他全ての京女たちから非常に大切なこととしてミッチリと教え込まれていることがある。
この手の京女には決して逆らってはいけないということだ。
だって怖いんだもんこの人たち。
「……わかったよ。わかりましたよ。そんなにいうなら手伝うよ。パン屋探しを手伝えばいいんでしょ。あんた方に協力することのなにがどう社会貢献なのかはわからないけど、手伝いますよ」
「あら、ありがとう。パン王さん、あなたやっぱりいい人ね」してやったりなのかどうなのか、おばあさんはニッコリと笑みをうかべている。
「そうですかね?ノーリスペクトだし、無理やりじゃないですか」
「あらそう。そうかしらね。それでねパン王さん」
「ああ、それと、ユーチューブではパン王を名乗っていますが、僕の名前は居籐今平です。イトウでも、コンペイでも呼びやすいように呼んでもらえればいいですよ」
「あら、いいんですよ、パン王で」
「えっ」
「その方が面白いし、それになんだか見つかりそうじゃない」
ええっ、いいの?
パン王でいいの?
自分で名乗っておいてなんだけど、人からパン王呼びされるのはちょっと恥ずいんだけどなぁ。
「そうねえ、パン王さん、なにから話せばいいのか……」
僕の葛藤はなんの興味も示されず、近くの公園に移動しながら、おばあさんは探しているパン屋について話しはじめる。
僕はせっかく食べ歩いたパン情報を活かせるならそれはそれでよいのではないかと考えていた。
自称とは言えパン王を名乗るからには洛中のパン知識にはそれなりの自信もあった。
それと色々と試したいこともあったので、その点でも好都合だとも思えた。
梅雨前のまだ空気の乾いた晴れた日で、少し気分がよかったこともある。
あと、他人とカウンター越しでなく喋るのは久しぶりだった。
JK(なんかちょっとおかしいが)とパン屋に行けるというのも無論ありはしたが、それが単純に少し嬉しかったのだ。