第1話 パン都
「ここ、パン屋さんですよね。わたしたちパン屋さんを探しているんです」
そう声をかけられたのは、京都洛中にある三条会商店街のパン屋「ブーランジェリーダンダン」を出てきたところだった。
背筋のピンとした品のよい白髪のご婦人と、高校生ぐらいのどこかだらしない感じの女の子。
店に入る際、扉の横でアニメTシャツにキャリーケースのいかにもインバウンドな観光客となにやらにぎやかに話し込んでいた二人組だ。
さて、昨今のご時世柄もあるが、誰がどうしたといった際の容姿性別その他諸々はともかくとして、パン屋の前でパン屋を探しているという発言そのものは、不自然だと捉えられるものかもしれない。
だが、そこが京都洛中であれば、それは話が別である。
なぜなら、京都洛中はこの世の理の中心であるとともに、パンの都、すなわち「パン都」であるからだ。
当世でもパンの支出額全国トップなどと喧伝される京都洛中は、「石を投げればパン屋に当たる」と昔から謳われる土地柄で、たとえばそこにある角のパン屋を覗きつつ、ついと曲がれば別のパン屋が右手にあり、その前をしばらく進むとまた次のパン屋が現れる。
パン屋、パン屋、一つはさんでまたパン屋。
京都洛中はさながら、パン屋のパン屋によるパン屋によってたかって張り巡らされた多重五芒星だか六芒星による重々複多々角結界状態であり、クロワッサンのように折り重なった霊パン力に守られたこの都市は、まさにパンによるパンのための都、すなわちパン都であるといえよう。
さてかように京都洛中には焼け膨らんだ小麦が百花繚乱の如くに咲き乱れている訳だが、京都人の気位のためなのかなんなのか、それぞれの店舗は勝手気ままにそれぞれにパンを焼いていて、〜系などといったネットのコタツ記事でお気楽、お手軽におまとめされるような統一感は一切なく、洛中のパン屋はみなこの世に一つだけのパン屋となっている。
例えばそこにある「シスターベーカリー」などは、三姉妹がそれぞれ洛中内に「シスターベーカリーXX店」で営業しているので、これはきっとどこか一つが工場機能を持っている小規模ながらもチェーン店なんだろうと普通に思っていると、パン自体は個々の店舗で焼いているので、各店のパンは全く異なっており、なんだったら同じなのは店名と似通った店主の顔だけといったパン屋まであったりする。
また千年の都の住人たちもそれは同じで、一人一人にお気に入りのパン屋がある。
それもやれ、食パンはどこそこの五枚切りでないととか、クロワッサンは天神さん近くのあの店のじゃなきゃダメだとか、並ぶのは死ぬほど嫌だがあそこのコッペパンサンドなら我慢する(並んでいるところを知り合いに見られるのは死んでも嫌だが)だとか、まあ煩い。
嘘だと思うなら、そのへんにいる暇そうな京都人にパン問答をふっかけてみたらいい。
恐らく小一時間は、あの例の人としての尊厳HPを削ってくるまろやかな言い回しで、わたしの好きな大変に素晴らしいパンと、それ以外の凡パンについてまろまろと語ってくれることであろう。(リアル麿だけに)
当然ながら、ああ、なんでわたしはこんな目にあっているのかと、胡麻のような瞳で空をみつめて自身の軽はずみな行動を後悔すること請け合いとはなるけれど。
京都人にとって、パンはパンのみにあらず。
あたかも悠久の時を共にこの都を見守ってきた、身姿をこの世に表した数多の仏神像の如し。
我ら京都人はこの誉れあるパン都で、その日の営みとしてパンを作り、明日のパンを作る糧として皆でそのパンを食すのだ。
最後の晩餐の来るその日まで。
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「あら、聞こえてらっしゃる?わたし達、パン屋さんを探してるんです」
おばあさんがもう一度声を大きくして話しかけてきたのは、あまりに唐突な問いかけに、僕が合理的な答えをもとめて京都洛中のパン事情について考えをめぐらしていて固まっていたからだ。
「あんた方どなた?知り合いじゃないですよね?なんで、僕に急に声をかけてきたの?」
とりあえず反射的に発したその問いに応えたのは、連れ合いのルーズな女の子だった。
「おじさんあれでしょー。パン王でしょー」
読んでいただき、ありがとうございます。
ほぼ、初めて書いた小説です。
なんだか、緊張するものですね。
ご感想、アドバイス、誤字のご指摘、こちらのサイトの使い方(正直、よくわかっていません)等々、
とても軽い気持ちでお伝えいただけると、本当にありがたいです。
ここまで読んで頂いたあなたに良いことがあればいいなと、感謝(驚)を込めて。