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十年前、この地を収めるエドワーズ家の家督を継いだのはジェイクであった。
ジェイクには兄がいた。兄のセオドアと弟のジェイクは一つ違いで双子のように育った。
母はジェイクを産んで間も無く、産後の肥立の悪さから持病を悪化させ、呆気なく死んだ。
兄弟と父との仲は良くも悪くもなかった。
「あの家の女は長生きしない」
そのような噂が立ったので、父は再婚出来なかった。女の縁者はいなかった。
そこで乳母がやって来た。
王都で先進的な教育を受けた乳母は大変厳しかった。
二人はひたすら耐え忍んだ。
しかし、二人の兄弟が七つ、八つになる頃には悪餓鬼の悪知恵が乳母の想定を遥かに超えた。不条理に彼らを叱る事もあった沸点の低い乳母であったが、彼らの計略によってある日屋敷を強制的に追い出されてしまう。
つまり彼女は二人の子供に勝手に馬車へ荷を積まれたのだった。彼女がそれを阻止しようと馬車に乗り込むや否や御者は有無を言わさず馬車を発車させた。何故ならば幼い二人から金を握らされていた。金は一晩の酒代程度だった。
その時も父である先代が彼らを叱る事はなかった。
彼らは自由に我儘に育った。
ある日やってきた執事のエヴァンこそは彼らの父親代わりとなった。
エヴァンは厳格なこの国の信奉する教派の宗徒だった。
彼らが人道から外れそうになれば容赦なく叱りつけた。
彼らはエヴァンによって貴族の礼儀作法を叩き込まれた。
エヴァンは彼らの興味ある分野を引き出した。
ジェイクは算術の速さを買われて十三の時から父親の補佐をするようになった。
兄のセオドアは座学が好きでなかった。
彼ら二人は全く性質の異なる兄弟だった。
先代は流行病で死ぬ直前に二十歳前のジェイクを後継に指名した。その時、ジェイクは王都のアカデミーに通っていた。一方のセオドアは王都の演劇学校に通っていた。
先代の葬式は執事のエヴァンの采配で速やかに執り行われた。
セオドアは葬式の場で、ジェイクが後継に選ばれたのは当然だとはっきり言い切った。
ジェイクがアカデミーでの勉強を終えるまでは代理人である執事のエヴァンが実務をこなした。
青年となったジェイクは侯爵家に舞い戻った。この肥沃な地を更に潤す使命を帯びて。
貧富の差をなくし、美しい景観を保ったまま人々の生活を豊かにする為に彼は寝食を忘れて考え続けた。
ジェイクはしかし社交界を忌み嫌った。アカデミーでの虚しい体験が彼の心を抉っていた。
自室に篭り、若い彼は思想に耽り、人との交流を絶った。
セオドアの方は舞台上で脚光を浴びる機会を得ず、私生活は荒れていた。
エヴァンはジェイクの心が病んで行くのを案じた。
そんな時、王都での時間を持て余していたセオドアが一時帰宅した。
その時、エヴァンはある提案を兄弟に持ちかけた。
それは二人の立場を入れ替える事だった。
三人はセオドアとジェイクの二人の容姿が似ていた事を天の思し召しであると安易に考えた。
屋敷にはジェイクを名乗ってセオドアが住み、本当のジェイクは屋敷に程近い瓦葺の家に住んだ。
ジェイクは畑仕事の傍らで執事を通して政務をこなすような、浮世離れした生活を始め、やがて心の安定を取り戻した。
彼は空の青さを知った。
セオドアは役者の夢を弟の為に諦めたわけだが、ジェイクがかくあるべしという理想を朝から晩まで演じ続けた。社交場では台本通りに振る舞った。また得意の楽器の腕前を見せる時は惜しみなく披露した。本物のジェイクはセオドアほど弾けない。
ジェイクはアカデミーでも目立たなかった。またそれ以前も王都から呼び寄せた家庭教師に家で教育を受けていたので、彼を深く知る者が余りいなかったことが功を奏した。
セオドアはジェイクになりきり、ジェイクの功績を公然と我が物にした。
セオドアは享楽的に女遊びをするようになった。
ジェイクは益々引き篭もった。
兄弟はエヴァンによって辛うじて繋がっていた。
そして、この秘密を知っていたのは三人だけではなかった。
農夫に化けたジェイクが目を付けたイーサンは村では無口の変わり者で通っていて、世人との交流がなかった。
イーサンはジェイクを息子としてでなく、同居人として迎え入れたがジェイクにとってそれは問題でなかった。
茅葺き屋根の家には通いの女中もいた。
外見に比して部屋の内部は日に日に豪奢になっていった。
真のエドワーズ家の後継であるジェイクの住まいだ。エヴァンは不自由ない暮らしを二人にさせたかった。
二人は日中全く会話がなかった。
ジェイクとイーサンの二人の奇異な生活は何年も続いた。
「変わり者の親子」
彼等は世捨て人同然で暮らしていた。広い農地の中に立った家で二人。
時々、ジェイクはセオドアの名を借りて、次代の若者が集まる王都主催の勉強会にのみ参加していた。そこにはアカデミーの知り合いもいたが、ジェイクは容姿を変えていた。
セオドアだけでなくジェイクにも演じる才能があった。これはジェイクの自信に繋がった。
ある日、ジェイクはいつものようにセオドアの名で宮殿の勉強会に参加した。その余興に現れた彼女に目を奪われた。
それがハンナであった。
美しい黒髪に見たこともないような黒い瞳。そして美しい歌声。
ジェイクは最も親しい友人に懇願した。勿論その友人はジェイクが偽名を使っている事も知っていて、事情を理解していた。
「彼女を手に入れたい。手を貸してくれ」
その友人こそが王の実子で王太子、アーサーであった。