無秩序国家サルマージュ
ガタゴトと馬車に揺られること約二週間。
俺はようやく目的地であった無秩序国家サルマージュに着くのだと思うと、馬車の背もたれに体を預けて大きく息を吐く。
「はぁ。ほんとに長かったなぁ」
「大丈夫ですか?ルーナさん」
「問題ないよ。ただ、こんなに長い間馬車に乗るなんてこと無かったから疲れただけ」
無秩序国家サルマージュは、ヴァレンタイン公爵領よりさらに北へと向かった場所にあり、いくつかの山を越えなければならないため移動にはかなりの時間が掛かる。
それでも、普通であればサルマージュの中心地まで向かうのに馬車だと一ヶ月以上の時間が掛かるのだが、今回は魔法が付与された特別な馬車であることや俺自身が回復魔法を使えるため、馬には最低限の休みのみを与えて移動して来た。
そのお陰もあり、通常よりも半分の日数で到着することができた訳だが、それでも基本的に自身の足で移動して来た俺にとっては、二週間も馬車に乗るというのはストレスでしか無かった。
「あんたら、そろそろサルマージュに入るから、その寛いだ態度を直して悲壮感を出しな。どこにそんなリラックスしてる捕えられた奴隷なんているんだい」
「はーい」
この二週間で俺たちの保護者の様な雰囲気を出すようになったナグライアにそう言われると、疲れを軽減させるために使っていた水クッションを解除し、認識阻害の魔法を掛け直す。
「さすがルーナだね。この一瞬で私たちの姿はすっかりボロボロの奴隷のように見えるよ」
「そうですね。あとは私たちが上手く演技をすれば、周りから疑われることはないでしょう」
今回俺が使用した認識阻害の魔法には、自分以外の相手には服が汚れ髪が乱れ、如何にも奴隷に見えるようなイメージを持たせているため、俺よりも優れた魔法使いでもない限りこの姿に疑問を持つことはない。
さらに言えば、いくら俺たちの容姿が優れていようと、気配希薄の魔法が付与された腕輪もあるので、俺たちを気にして絡んでくる奴らもいないはずだ。
「さて。これから敵の本拠地に入るわけだけど、特に気をつけるべきことはないよ。ただ、ここは無秩序国家サルマージュだから、犯罪なんて日常茶飯事だ。殺人、スリ、詐欺に薬、存在する犯罪の全てがここにあると言われている。油断はしないように」
「そうだね。でも、改めて聞くと字面がすごいね。存在する犯罪の全てなんて、私たちも気を引き締めないとすぐに殺されそうだ」
「その通り。だから、もし私たちに何かしようとしてくる者がいれば容赦なく殺して構わない。僅かな油断、小さな同情、そして少しの躊躇いが自分たちの命を手放すことになると覚えておくように。なに、殺してもこの国なら問題ないし、元々は犯罪者たちが集まってできた国だから、襲われて殺しても誰も何も言わないよ。郷に入っては郷に従えってやつだ。だから、気にせずサクッと殺すように」
「わかりました。元々ルーナさん以外にはこの体を触れさせる気はありませんので、容赦の欠片も無くやらせてもらいます」
「人を殺すことを正当化するのは好きじゃないけど、自分の命がかかっているからね。わかったよ」
「ルーナさんには髪の毛一本さえ触れさせません。そんな輩がいれば、私が速やかに始末いたします」
何だか2人ほどおかしな発言をしていた気もするが、そこに触れると疲れるのは俺の方なので、彼女たちの好きな様にやらせることに決めてこの話は終わりとなった。
そして、俺たちの乗った馬車はサルマージュの街へと続く道をゆっくりと進んでいくと、いよいよ最後の目的地である無秩序国家サルマージュへと入るのであった。
「これは、はたして国と呼んでいいのだろうか」
「酷いですね。そこら辺に死体が転がっています。それに、街の中央だというのに野垂れ死にしそうな人も多くいます」
「子供の死体もありますね。それに、あそこは奴隷市場でしょうか。人がたくさん並べられていますね」
サルマージュへと入国した俺たちだったが、ここに来るまで特に検問などで捕まることはなく、そもそも門なんて呼べるものも存在しなかったため、簡単に入ることができた。
馬車の中から見える街の風景はあまりにも酷いもので、建物はボロボロ、道にはゴミだけで無く死体も転がっており、地面や建物には赤黒い血の跡が数え切れないほど残っている。
そして、道の端では商人のような奴らが鎖に繋がれた大人や子供を並べて奴隷の販売を行なっているようだが、あれもはたして犯罪奴隷なのか違法奴隷なのか。
少なくとも子供がいる時点で犯罪を犯した奴らだけでは無いようなので、どこからか攫ってきた子供を売っている可能性が高いだろう。
(ここまで来るといっそ清々しいな。遠慮せずに全員始末できそうだ)
元々、一切の容赦情けを掛けるつもりは無かったが、少し見ただけでもこの国が国として成り立っていないこと、そして法もなければ秩序もないことが窺い知れるため、片付ける時は遠慮することなく思い切りやることができるだろう。
「死ねぇぇぇ!!」
「がはっ!?てめぇ、は……あの、時の……」
「お前のせいで!お前のせいでお前のせいで!!」
すると、街のどこかで威勢の良い声と弱々しくなっていく声が聞こえたのでそちらに目を向ければ、そこには地面に倒れて血の海を作る男と、すでに息絶えた男に何度も短剣を振り下ろす狂気じみた女の姿があった。
「殺人……ですか」
「何だか理由がありそうだけど、それでも街の真ん中であんなに堂々と人を殺すとはね」
「ですが、あれも日常茶飯事なのでしょう。周りの誰も気にも止めず歩いてるのがその証拠かと」
俺たちが目にしたのは間違いなく殺人行為であり、理由が何であれ人殺しであれば、普通なら騎士が止めに来たり周りの人間が騒ぐだろう。
しかし、この街ではよくあることなのか誰一人として足を止めようとはせず、寧ろ当たり前であるかのように通り過ぎていく。
「でも、一応は気にしてる奴らもいるみたいだよ。ほら、あそこ」
俺がそう言って指をさした方向にアイリスたちが目を向ければ、そこには建物の影に隠れた子供たちが殺人現場の様子を伺っており、女が満足してその場を離れると、子供たちが建物の影から出てきて死体のもとへと集まっていく。
そして、殺された男の死体を漁っては金目のものを取ると、全員が散り散りになって逃げていき、その場にはあっという間に最低限の服しか着ていない男の死体だけが残った。
「本当に、この国は酷いところだね。本来であれば守られるべき子供が死体を漁らなければ生きていけないなんて」
「まぁ、仕方ないよ。それがサルマージュという国な訳だし、あんな光景がここだけにある訳じゃない。視野を広げれば、あんな子供は数え切れないほどいる。それを全部気にかけていたら、私たちの方が精神的におかしくなるよ」
「そう、だね」
この世界は、命の価値というものがそもそも低い。
簡単に人を殺す人もいれば、欲に塗れた統治者によって戦争だって簡単に起こる。
その戦争があった場所で死体を漁り、剣や鎧などを手に入れては売り、それで生活をしている人もいるし、最悪の場合には死体を食べて命を繋いでる人もいる。
残酷であり悲惨であることは分かっているが、その全てを気にしていれば領主や王は精神的に壊れてしまい、暴君や廃人へと成り果てるだろう。
統治者とは、時には誰よりも冷徹であり、そして残酷な判断を下さなければならないのだ。
ただ、世の中にはそれを理解できない奴らも存在している。
そいつらは悪が無くなれば平和になるとか、根拠のない自信から全ての人を救えると本気で考えている。
今回シャルエナには視野を広く持つよう伝えたが、これは今後の彼女にとっても重要なことであり、この先の未来で過去のあの出来事が起こるのかはまだ分からないが、もしあれが起こるのであれば、彼女の未来は今よりも厳しいものへと変わるだろう。
(あとの選択は彼女自身がすべきことだが、今回は俺の頼みに付き合ってもらったからな。これくらいはいいだろう)
今後、彼女がどんな選択をし、どんな未来に辿り着くのかはまだ分からない、お礼代わりにこれくらいのアドバイスをしておくのは悪くないはずだ。
「そろそろあんたらを預ける場所に着くから静かにしな」
その後も俺たちがサルマージュの街を眺めている間も馬車は動き続けており、ナグライアがそう言うと目の前に大きな建物が見えてくるのであった。




