私は大丈夫
~sideシャルエナ~
(みんな、行ってしまった……。また、私は一人だ……)
イスたちが部屋を出て行った後、一人残された私は、幼い子供のように膝を抱えると、ベッドの上で小さくなって座っていた。
(大丈夫……大丈夫……私はずっと一人だったじゃないか。昔と何も変わらない……だから、大丈夫……)
私は一人になる時間が嫌いだ。
一人になってしまうと、いろんなことを考えてしまい、思い出したくない過去を思い出してしまうから。
私は小さい頃から天才だった。
幼い頃から勉強も武術も魔法もすぐに覚えることができた私は、周りにいた大人たちから天才だ、神の申し子だと持て囃されて育ってきた。
私自身、新しいことを覚えることは幼いながらに楽しかったし、周りが褒めてくれたので学ぶことを止めるつもりもなかった。
そんな私には3人の兄と1人の姉がいるが、兄たちとはあまり仲が良くなく、唯一仲良くしてくれた姉もすでに他国へと嫁いでしまった。
一番上の兄は秀でた才能こそ無いものの、武術も魔法も勉学も、幅広い分野をそつなくこなせる人で、決断力と判断力もあることから、父上もそんな兄上を認めて皇太子にした。
二番目の兄は頭こそ良かったが、彼は母親に似たのか精神面が弱く、さらにその弱い精神に引っ張られてか体も弱かったため、あまり部屋から出てくることはなかった。
三番目の兄は武術に秀でていたが、頭がそんなに良くなく、さらに傲慢で野心家でもあるため、彼を支持する派閥によって良いように利用されているのが現状だ。
姉は最初こそ私のことを可愛がってくれていたが、女を下に見る癖がある三番目の兄に嫌気がさし、学園を卒業するとすぐに他国へと嫁いでしまった。
いつからだっただろうか。優しかった兄たちが私を避けるようになったのは。
いつからだっただろうか。兄たちの私を見る目が、忌々しさや劣等感、そして嫉妬に染まり始めたのは。
いつからだっただろうか。褒めてくれていた大人たちが、私が男だったならと陰で話すようになり、期待と失望の視線を向ける様になったのは。
明確にいつからということは分からないが、気付けは周囲の環境と私を見る目が変わり、幼いながらも人の感情の変化に敏感だった私は、人と関わることが怖くなった。
『どうしたんだ?シャル。こんなところに一人で』
『お、叔父様?』
『ん?また泣いていたのかシャル。可愛い顔が台無しじゃ無いか』
人に見られることが怖くなった私は、人目を避けて隠れることが多くなり、よく一人で泣くようになった。
しかし、そんな私をいつも見つけて慰めてくれたのは、他でも無い叔父上だった。
『私、もうみんなが怖い。お兄様も他の大人たちも、みんな私を変な目で見てくるの』
『そうか。それは辛かったな。うーん……そうだ、シャル。お前は勇者様のお話を知っているか?』
『勇者様?』
その日は、叔父上が突然勇者の話を始めたことで少し困惑したが、彼が話してくれた内容はとても興味深く、私の心を救ってくれた。
『そう。魔王と戦って世界を救う勇者様のお話だ』
『知ってるよ。絵本で読んだことある』
『そうか。なら、その勇者様は、周りからどんな目で見られていたか、シャルはわかるか?』
『どんな目って、凄いとか憧れとかじゃないの?』
『はは。そうだな。確かにその通りだ。普通に考えれば、魔王を倒した勇者は人々にとって救世主であり、憧れや尊敬が一般的だろう。だが、全員が必ずしもそうとは限らない』
『どういうこと?』
『頭の良いシャルなら想像できるかも知れないが、例えば魔王が死んだ後、次に世界の脅威となり得るのは誰だと思う?』
『脅威?』
『そう。例えば次の魔王だったり、残りの魔族だったり、人間同士の戦争だったりだな』
『よくわかんない』
『はは。まだ難しかったか?』
叔父上の語るその話は、4歳になったばかりの子供にするには少し難しかったが、彼は分からないと言った私の頭を撫でながら優しく笑った。
『つまり何が言いたいのかというと、その脅威に最も近いのは、魔王を倒した勇者様だということだ』
『え?勇者様が?』
『そう。人々が魔王を倒したかったのは、もちろんその魔王が悪いことをしていたからというのもあるだろうが、一番の理由は強すぎたからだ』
『強いとダメなの?』
『いや、必ずしもダメということはない。実際、勇者様も強いから人々を守れたんだ。だが、その人々は自分よりも強い人や違う存在を恐れて嫌うところがある。つまり、勇者様も尊敬や憧れの視線を向けられるのと同時に、嫉妬や恐怖の感情も向けられていたのさ』
『そんな……』
『だからな、シャル。私がお前に言いたいのは、魔王を倒した勇者様ですらそんな目で見られてしまうのだから、他の人よりも才能があるお前を、周りが変な目で見てしまうのも仕方がないということだ。身近なところで言えば、お前の父も皇帝として民に慕われてはいるが、あいつの事を嫌っている奴らもいる。人はみんなに好かれるなんて事はできないんだ』
『お父様もだなんて』
この時の私は、皇帝である父はみんなに慕われており、あの人を嫌う人なんていないと本気で思っていた。
だから私にとって、叔父上がしてくれた話は本当に興味深くて、全てを理解することはできなかったが、それでも胸が少し軽くなった様な気がした。
『シャル。周りの目など気にするな。お前はお前の好きな様に生きたら良い。お前は学ぶことが好きなんだろう?なら、好きなだけ武術や魔法、そして勉学に励め。それがいつか、お前の力となるのだからな』
『わかった!』
それからの私は、周りから向けられる視線に怯えることは変わらなかったが、それでも叔父上がしてくれた話と、彼自身が私の話し相手になってくれたため、以前よりもその視線に耐えることができるようになった。
しかし、残念ながらそんな生活も長く続くことはなく、私があと数ヶ月で5歳の誕生日を迎えようとしていた時、その事件は起きた。
あの優しかった叔父上が突然、叛逆者とともに皇城へと攻め込んできたのだ。
私はすぐにその現実を受け入れることができず、全てが終わってからも叔父上の話が聞きたくて彼のもとへ向かったが、すでに彼は死んだあとだった。
『叔父様……どうして……』
唯一の心の支えであった叔父上が私たちを裏切り死んでしまったことで、私はこれまで以上に人と関わることが怖くなり、塞ぎ込む様になった。
それでも周りから向けられる目が相変わることは無く、そんな私を心配した父上と母上は、私をヴァレンタイン公爵家へと預けることにした。
本当は、あまり知らない人たちのお世話になることも怖かったが、父上たちが私を思って行動してくれたのと、ヴァレンタイン公爵家の人たちが暖かく迎え入れてくれたので、すぐに馴染むことができた。
公爵家では、城にいた時のように兄たちに会うこともなく、私を見て陰で話す者たちもいなかったため、気軽に生活することができた。
それに、一つ下のイスは私のことを姉の様に慕ってくれて可愛かったし、彼は私以上に天才で、特に魔法は全属性が使えるというのだから、自分より才能があるイスに出会えたことは、私の気持ちをとても楽にしてくれた。
しかし、何事にも終わりというものはつきもので、そんな楽しかった日々も私が6歳になると終わってしまい、また一人皇城で過ごす生活が始まる。
一年ぶりに戻ってきた城内に変わった様子は無かったが、それでも私は以前よりも一人で耐えることができた。
それはイスという弟の様な存在ができたことで、彼に恥ずかしく無い姉でいたいと思うようになったことと、自分よりも才能があるイスに出会えたことで、精神的に余裕ができたからだった。
それからの私は、周りから向けられる視線に耐えながら訓練と勉強を頑張るが、その分私が男だったらという声は増えていき、兄たちから向けられる視線も冷たいものへと変わっていた。
『シャルエナ様は本当に素晴らしいですね』
『魔法も剣術もどの皇子よりも優れておりますし、知識の方も第二皇子より博識でいらっしゃる』
『本当に、あの方が男であったのなら……』
『シャルエナは本当になんでもできて完璧だな。羨ましいよ。私にもあんな才能があれば』
『お願いだから、彼女を僕の部屋に通さないでくれ。彼女と話してると、自分が惨めに思えてくるんだ』
『チッ。何がシャルエナが男だったらだ。俺の方が女のあいつより強いに決まってんだろ』
聞こえてくる声を全て無視し、何も気づかないフリをしながら過ごす日々。
『シャルエナ様!今日も素敵です!』
『シャルエナ様は今回の試験でも一位だったのですね。さすがです!』
『シャルエナ様。今度僕とお手合わせを……』
学園に入ってからもそれは変わらず、同級生や上級生たちから凄い、完璧だと褒められるだけの日々。
(大丈夫。一人はいつものことだ。大丈夫……私はまだ…大丈夫……)
笑って誤魔化し、何度も自分は大丈夫だと自身に言い聞かせ続けるそんな日々。
でも、それももう限界だった。
(違う。私はそんなに完璧じゃ無い。私はこんなにも心が弱いんだ。私は……私なんか……)
一人が寂しく無いわけがない。
家族である兄たちに嫌われ、避けられ、敵視されることが辛くないわけがない。
大好きだった叔父上に裏切られ、心が傷付かなかったわけがない。
そう。とっくの昔に私の心は言葉という刃に切り裂かれ、視線という槍に貫かれて、すでにボロボロの状態となっていた。
それなのに、慕っていた叔父上が生きていて、しかも悪魔と契約してまで帝国を滅ぼそうとしているなんて。
そんな現実を受け入れられるほど、私の心は強くなかった。
叔父上と戦って彼を躊躇わず殺せるほど、私の心に余裕などなかった。
私の心はもう限界なのだ。
それを一度自覚してしまえば、もうあの耐えられていた日々に戻ることはできない。
本当は、今すぐにも逃げ出してしまいたい。
いつものように現実から目を背け、耳を塞ぎ、何も無かったことにして忘れてしまいたい。
でも、皇女としての身分が、過去の自分が積み上げてきたもの全てが、ここで逃げることを許してはくれなかった。
「私は……どうしたら……」
考えれば考えるほど私の思考は泥の中へと沈んでいくようで、自分が孤独であることを思い知らされるだけだった。