毒の支配者
~sideミリア~
月明かりがない静かな夜。一人で宿屋を出たミリアはルイスに与えられた任務を達成させるため、ギルドから少し離れたところにある酒場へと来ていた。
「あはは!今日も儲かったぜ!」
「いやー、マジあの時は死ぬかと思った」
「嬢ちゃーん!こっちに酒を持ってきておくれ!」
その酒場は仕事を終えた冒険者たちで賑わっており、ある男は報酬が良かったのか上機嫌に酒を飲み、ある若者は死にそうだったと仲間に愚痴り、ある女性は酒を持ってこいと声を張り上げる。
(まさかこの酒場の地下にクランの拠点があるとは、さすがですね。ルイス様)
そんな賑やかな酒場の片隅に、何故か誰も近づこうとしない席が一つだけあり、その席は誰にも認識されていないのか店員すら気にかける様子はない。
(元々気配を消すのは得意でしたが、ルイス様に頂いた魔道具のおかげで誰もこの場所に気付いてすらいませんね)
ミリアは公爵家の諜報部に入ったことで、気配の消し方や風を操り自身の姿を消す術を身につけたが、それも完璧と言えるものではなく、自身より強い相手や気配に敏感な獣人族にはバレてしまうレベルであった。
しかし、ルイスにもらった認識阻害と気配希薄が付与された腕輪を使うことで、彼女の技術と合わさり存在だけでなく周囲すら認識でないように誤認させることができたのだ。
(さて。この中に毒蛇の鉤爪は……13人ですか。店員も黒でしょうし、彼女らを合わせると18人。少し手間ではありますが、無理な数でもありませんね。ですが、無関係の冒険者もいるようですし、上は最後にしましょう。まずは下にいる本命から片付けましょうか)
これはルイスとミリアが気付いたことだが、毒蛇の鉤爪は自尊心が強いのか、クランに所属している者たちは全員が人目につく場所に蛇の刺青を入れていた。
そのため所属している者とそうでない者を見分けることは意外と簡単で、現にこの居酒屋にいる34人の客のうち、13人が腕や肩、そして顔や足に蛇の刺青を入れている者たちがいた。
酒場の状況を確認したミリアは、まずは上ではなく下の本命から潰すことに決めると、静かにその場から姿を消し、風を使った感知魔法で隠し扉を見つける。
これがルイスであれば、容赦なく上から毒蛇の鉤爪の仲間だけを殺して下へと向かっていくだろうが、残念なことにミリアには彼ほどの直接的な戦闘技術は無かった。
そのため、仮に上から手を出せば他の冒険者との戦闘にもなる可能性があり、さらには上の異変に気づいた下の仲間たちが攻めてきて逃げることができなくなる可能性もある。
諜報員として自身の実力を正確に把握しているミリアは、まずは下から任された分だけを片付け、その次に上の連中を始末することに決めたのだ。
今回の任務は人を殺しはしても無関係な人間を含めた虐殺が目的ではないため、なるべく気付かれず狙った者たちだけを始末する必要がある。
(広さもルイス様の事前調査と同じですね。構造にも僅かな狂いもありません。これならバレずに始末することができそうです)
ルイスによる複数の感知系魔法を使用した事前調査の結果、地下の構造やクランメンバーの位置、そして隠し通路とその出口までもがミリアの頭の中には入っていた。
そして念の為、彼女自身でも感知魔法を使用して調べてみると、事前情報と全てが一致していることが分かり、さっそく行動を始める。
(ここにいるのは全部で47人。そのうちルイス様から始末するように言われている雑魚が27人で、全員がいくつかの部屋に纏まって待機していますね。これも予定通りです。であれば、近くにいる人たちから片付けていきましょうか)
どうやら幹部の者たちはこの地下施設の最奥にいるようで、その幹部たちを守るように低ランクの冒険者たちが控えているようだった。
風魔法で足音を消し、さらに腕輪の気配希薄と自身の気配遮断の魔法で完璧に気配を消したミリアは、一番近い部屋に待機しているクランメンバーから始末するために移動する。
(中にいるのは5人ですね)
入り口から一番近い部屋の前までやってきたミリアは感知魔法で中の人数の改めて確認すると、部屋の中に5人の人の気配を感知することができた。
どうやら入り口付近には力の無い者たちが配置されているようで、敵が襲撃してきた時の捨て駒なのか人数も多いようだった。
(では、速やかに始末するとしましょう。遮音)
外に音が漏れないよう風魔法の遮音を使用すると、扉を少しだけ開けて小瓶をその隙間へと置く。
「行きなさい。即逝きちゃん3号」
ミリアはそう言って小瓶に入った粉を風魔法で浮かせると、それをゆっくりと部屋の中へと流し込む。
「う、なんだ?!」
「がはっ。い、息ができねぇ」
「おぇぇぇ」
部屋の中にいた男たちが突然苦しみだし嘔吐すると、数秒後には全員が地面へと倒れ、息をする者は誰一人いなくなった。
即逝きちゃん3号とは、ミリアが独自に配合した即効性のある猛毒で、即逝きシリーズの3つ目の毒物である。
その効果は毒を摂取すると過呼吸からの激しい嘔吐を繰り返し、最後は全身に毒が回って肺が活動を停止し死に至るのだ。
さらに凄いのが、この毒は空気中どころか体内にすら毒を残すことはなく、この毒で死んだ者を初めて見れば、死因が食中毒かアレルギー反応だと誤認してしまうことだった。
(まぁ、今回はまとめて始末することになるので関係ありませんがね。さて、次にいきましょう)
その後、ミリアは予定通り誰にもバレることなく27人のクランメンバーを始末していく訳だが、その時も薬で眠らせた後に何種類かの短剣を使って始末したり、他の毒を使って殺すなど、細かな偽装をすることも忘れない。
(なるべく複数人の犯行に見せた方がいいですからね。私たちの仕業だとすぐにバレて夜中に向こうから襲撃されるようなことがあれば、ルイス様の睡眠時間が減ってしまいます。ルイス様のタイミングでこちらから仕掛けられるようにしなければ)
そして、地下施設にいた雑魚のクランメンバーを全て始末したミリアは、最後に上の酒場にいるメンバーを片付けるため隠し通路から姿を現すと、気配遮断と気配希薄、さらに認識阻害の魔法を使ってメンバーの一人一人に触れて行く。
クランメンバーは酔っているせいか誰一人ミリアに触られたことに気づくことはなく、18人全員に触れたミリアは酒場の入り口付近に立つと、パチンと手のひらを合わせた。
「ぐはっ」
「ごほっ」
すると、ミリアによって触られた冒険者たちは突然咽せたように息を吐き出すと、次々とテーブルや地面へと倒れて行く。
「お、おい!どうした!」
「なんだ!何が起きた!」
「嬢ちゃんどうしたんだい!しっかりしな!」
先ほどまで宴のように賑わっていた酒場には一転して悲鳴と動揺の声が響き、混乱がその場を支配する。
これはミリアが製作した特殊毒の一つで、この毒は特定の音を感知することで、彼女が触れた箇所から毒が体内へと入り、その瞬間に即死させるという危険極まりない猛毒であった。
その特定の音というのが手を叩いた時に発生する音なのだが、これは僅かな狂いも許されない音の高さと波の幅が求められる絶対音域であり、それを鳴らせるのは音を把握しているミリアだけである。
風魔法が使えるミリアはその特殊な音の波を魔法で正確に操作することができ、音が鳴る際に発生する音の振動を発生から消失する瞬間まで、一寸の狂いもなく数百メートル先まで届けることができる。
結果、距離が離れることによって幅が変わる音の波を距離に関係なく響かせることができ、最初に発生した特殊な音の波をそのまま消失する瞬間まで残すことができるのだ。
欠点があるとすれば、それは遮蔽物に弱いのと逆の音の波をぶつかられると効果が無いということで、遮蔽物に当たれば音の波は消えてしまうし、そもそも防音であれば音を届けることすらできない。
また、ミリアが出した音の波を打ち消す形で別の音を出されてしまえば、その音は打ち消しあってしまうため音を毒まで届けることができず、毒本来の効果を発揮することもできないのだ。
しかし、その音域を知っているのが現段階ではミリアただ一人のため、実質の欠点は遮蔽物のみということになる。
「これで任務完了ですね」
ミリアは混乱が広がる酒場を見ながら小さな声で呟くと、誰にも気付かれることなく酒場を後にする。
「ふふ。これでルイス様に褒めていただけるでしょうか。今後も私が使えることを証明していけば、私を側に置いてくれますよね?ずっと、ずっと私にあなた様のお世話をさせてください。あぁ、愛しいルイス様。すぐに帰りますから」
酒場を出たミリアは恍惚とした表情で笑うと、愛しいルイスのもとへと帰るため静かに暗闇へと姿を消すのであった。
ちなみにだが、ミリアは自身の毒に直接触れても毒の影響を受けることはない。
毒を作る過程で、彼女は全ての毒の効果を確認するため自身の体で一度試しており、その結果どんな毒によっても死ぬことのない毒耐性を持っていた。
毒の耐性だけでいえばそれはルイス以上であり、仮にルイスがミリアの最高傑作の毒を口にすれば、ミリアは何ともないが、ルイスは臓器または手足の機能不全に陥る。
ヒュドラの毒により、毒に対する耐性をルイスも人並み以上には持っているが、ミリアの毒耐性はそれすらも上回る。
何故なら、ルイスは結界魔法と状態異常回復でヒュドラの毒を緩和していたが、ミリアは自身の毒を何の対策もすることなく体へと摂取させる。
その結果、毒に対する耐性はミリアの方が上であり、現在のルイスが彼女に勝てない点を挙げるとするのなら、それはまさにこの毒耐性であった。
二年前。ルイスがミリアを容赦なく置いて旅に出た結果、心が壊れて再構築された彼女は、ルイスに対する重度の依存と、誰にも真似することのできない毒の支配者へと変わった。
その姿は奇しくも、五周目の人生でルイスを毒殺したミリアの姿と少しばかりだが似ているのであった。




