優勝者
「『雨の星剣』」
「『宵闇の冥焔』」
アイリスが魔法を使えば、空から雨のように水の剣が降り注ぎ、ソニアが魔法を使えば、舞台の上を紫色の焔が焼き尽くす。
二人は未だ開始位置から一歩も動いておらず、二つの魔法が地面を穿ち焼き焦がそうとも、彼女たちの周りだけは何事も無いかのように綺麗なままだった。
もはや一枚の絵画のような状況を作り出す二人の魔法使いによる卓越した魔法戦は、見ている者たちを魅了し、小さな子供たちには憧れと夢を与えていく。
「埒があきませんね」
「本当ね。ここまで拮抗するなんて正直思ってなかったわ」
「それは、私がソニアの下だと思っていたということですか?」
「あら。そう聞こえてしまったのなら、それは勘違いよ。確かに入学当初のアイリスにならここまで苦労せず勝てたでしょうけど、あなたの成長はあたしが一番近くで見てきたからね。ただ、魔力量に差があるにも関わらず、こうして今も魔法だけであたしと競り合っている。改めて、アイリスの魔力操作と魔力密度には驚かされたのよ」
「ふふ。冗談ですよ。ソニアに悪気がないことはわかっています。それに、嬉しくも思っているんです。ソニアとこうして長く戦えていることで、自分の選んだ道に間違いがなかったと証明されているようで。とても楽しいです」
これまでアイリスは、魔力操作と魔力密度を上げることに力を入れて鍛錬をしてきたが、そこに不安がない訳ではなかった。
もっと魔力量を増やす鍛錬をするべきでは無いか、もっと強い攻撃魔法を覚える努力をするべきではないか、もっと近接でも戦えるよう戦闘訓練を受けるべきではないか。
そんな「もっと」という考えが何度も頭を過ったが、それでもルイスに憧れたあの日を思い出し、不安になる心を自身で叱咤して魔力操作と魔力密度の鍛錬を頑張ってきた。
それでも、学園に入学すれば自身よりも魔法の才能があるソニアと出会い、その才能に嫉妬し、悔しいという思いを密かに抱えながら、それでも努力を続けてきた。
結果、その努力が今こうして嫉妬した魔法の天才と互角に渡り合い、さらに驚いたと言わせることができた。
それがどれほど嬉しくて楽しいことか……そんな感情を理解できる者は、おそらく同じ努力をしてきた者だけだろう。
「あたしも楽しいわ。そして何よりも嬉しい。アイリスというライバルがいて、あたしは本当に幸せよ」
ソニアもまた、これまでアイリスとは違う悩みを抱えていた。
二年ほど前まで、魔力封印によって魔法が使えなかったソニアだったが、ルイスのおかげで魔法が使えるようになると、それからは砂漠の砂が水を吸うように力を付けてきた。
魔法が使えず馬鹿にしていた同級生たちも、彼女が魔法を使えるようになれば何も言わなくなり、成長すれば敬うようになった。
魔法の才能があったソニアは、学園長からの教えを半年ほどでマスターしてしまうと、それからはひたすら憧れたルイスの背中を目指して鍛錬をしてきた。
そして、気づいた時には学園でソニアに勝てるような存在もいなくなり、ふと振り返ってみると、謎の虚無感が彼女の胸にぽっかりと穴を開けた。
つまらない。張り合いがない。ルイスが近くにいれば、フィエラとシュヴィーナがここに残ってくれていれば、こんなつまらないという感情も、虚しいという虚無感も感じずに済んだのだろうか。
そんな感情ばかりが彼女の胸の中に渦巻くが、それでもルイスという憧れがいたおかげで腐らずにここまで頑張り、彼がいる学園へと来ることができた。
学園で再会したルイスは前よりもさらに強くなっており、魔法も彼女の手が届かない遥か高みへと彼はいた。
最初こそ再会できたことを純粋に喜べたが、今のルイスの実力を知れば知るほど、自分との差を思い知り絶望とする。
(あぁ…そうか。みんなもこんな感じだったのね)
その時にソニアは理解した。
魔法学園の同級生たちが、自身へと向けていた感情を。憧れを超えた崇拝にも近い感情を。実力の差があり過ぎる分、競い合いたいとすら思わない。
あれほど憧れて目指してきた背中なのに、今ではあまりにも遠すぎてどうしたら良いのか分からない。
そんな悩みを胸に抱いていたある日、ソニアはアイリスが一人で魔法の練習をしている姿を見つけた。
アイリスはこう言ってはなんだが、自分よりも魔法の才能は無いし、フィエラやシュヴィーナのような戦闘の才能も無い。
しかも婚約者であるルイスからは関心すら持たれておらず、二人が関わることだってそれほど多い訳ではなかった。
それでもルイスを愛し、実力差が分かっていながらも努力をやめないアイリスを見たソニアは、胸の奥が僅かに熱くなるのを感じた。
それからソニアは、アイリスと積極的に関わるようになり、二人は友人と呼べる仲にまでなった。
ある日。ソニアはいつも魔法の練習をしているアイリスを見て、ずっと疑問に思っていたことを尋ねてみる。
『アイリスは、どうしてそんなに頑張れるの?』
『どういうことですか?』
『アイリスもわかっているでしょう?ルイスとの実力の差を。それなのにどうしてそこまで頑張れるのか、その理由が知りたいの』
『なるほど。そういうことですか』
アイリスは納得した様子でソニアが座っているベンチの隣に座ると、なんてことのないように理由を教える。
『単純に、私があの方の隣にいて恥ずかしくない女性になりたいからです。ルイス様は知っての通り、お一人で何でもできてしまいます。それに、今はフィエラさんやシュヴィーナさんのような素敵で強い方たちもいる。
ですが、私にはフィエラさんのような戦闘技術も、シュヴィーナさんのような特殊な魔法も使えません。それでも、私はルイス様を愛しているんです。この気持ちだけはお二人にも負けません。
それに、私には私にしかできないことがあると思うんです。それが何かはまだわかりませんが、その時になって何もできないのは嫌ですから。せめて、自分で決めたことだけでも頑張りたいんです』
自身の思いを語るアイリスはどこまでも真っ直ぐで、そしてソニアが見惚れてしまうほどに綺麗だった。
『それに、前にソニアが言ってくれたじゃないですか』
『え?』
『一緒に頑張ろう。私たちはまだスタートラインに立ったばかりだって。あの言葉、本当に嬉しかったんですよ?あの言葉があったから、私は今もこうして頑張れています。本当にありがとう、ソニア』
アイリスに掛けられた言葉は、ソニアの胸に空いた穴を埋めていき、それどころか熱い炎を灯した。
(そうだ。あたしがここまで来たのは、ルイスを知るためだったわ。どれだけ実力が離れていようと関係ない。あたしはあたしらしく、ルイスに憧れたあの時のように頑張ればいいのね)
ルイスに助けられ、彼の魔法に純粋に憧れたあの日のことを思い出したソニアは、アイリスにお礼を言うと、自身も魔法の練習を始めた。
それは、どれだけ離れていようとも憧れの存在に近づくため。
それは、自身の言葉で頑張れていると言ってくれた友人に、これ以上恥ずかしい姿を見せないため。
それから二人は、お互いに励まし合い、たまに言い争いもしながら、確かな絆を深め合ってきた。
だからソニアは感謝する。こうして友人と戦えることができたこの日に。そしてライバルが確かな力を身につけ、自身と互角にやり合っているこの瞬間に。
「だからこそアイリス。あなたにはあたしの……あたしだけの全力を受け止めてほしいの」
「ふふ。もちろんですよ、ソニア。ですが、もちろん私の全力も受け止めてくれるんですよね?」
「当たり前よ」
ソニアはこの試合が始まる前から、闇の追跡者を使わないと決めていた。
あの技を使えば近接を苦手とするアイリスには勝てるかもしれないが、それはソニア自身の力とは言い難いからだ。
確かに魔法を使っているのは彼女自身なので、その力もまたソニアのものだと言えばそうかもしれないが、この勝負に限って言えば、それは何か違う気がしたのだ。
だからソニアは、試合が始まる前に闇の追跡者を使わないことに決め、これまで自分が培ってきた魔法のみで戦い勝利すると決めていたのだ。
「『黒点の瞬爆』」
「『水面の六華盾」
ソニアの手から放たれた小さな黒い球は、未だ地面を燃やしている紫炎を吸収すると、僅かに揺らめいてから大爆発を起こす。
しかし、アイリスが作り出した六枚の花弁でできた水の盾が大きく展開されると、その爆熱と爆風を抑え込み、煙がが晴れると無傷のアイリスが姿を現す。
「まさか、今のも防ぐとはね」
「ふふ。この魔法すごいでしょう?頑張って覚えたんですよ」
水面の六華盾は、難易度が海の竜王に次ぐ難しさを持つ魔法であり、その効果はどんな攻撃からも一度だけ守ってくれるというものだった。
それに対し、ソニアが使った黒点の瞬爆は、周りに魔力があればあるほど爆発力を増すという魔法で、しかも爆発までの時間が短いことから防御がしにくいという効果まで合わせ持つが、今回はアイリスの魔法によって防がれてしまった。
それからも二人は、攻めては防ぎ、防いでは攻めるを続けるが、お互いに一歩も譲らず、舞台はついに二人が立っているところ以外のほとんど崩壊する。
「これじゃあ、どちらかの魔法が当たるよりも前にアイリスが魔力切れで倒れそうね」
「そうですね。ですが、そんな終わり方は面白くありませんよね」
「同感よ。あたしもそんなつまらない終わり方をしたら、優勝を辞退してやるわ」
「ふふ。では……」
「「次の一撃で決めるわ(決めましょう)」」
アイリスとソニアの言葉が重なった瞬間、二人は迷わず魔力解放をすると、この試合二度目の魔力衝突が起こる。
二人とも魔法を使用して魔力が減っているにも関わらず、その威圧感と衝撃は最初よりも増しており、この試合をずっと見守ってきた観客たちも、次の魔法で勝者が決まることを理解する。
「『海の竜王』!!」
「『冥府の番犬』」
アイリスは溢れ出る魔力で巨大な竜を作り出すと、それをソニアに向けて放つ。
ソニアも膨大な魔力使って魔法名を唱えれば、三つの頭を持った巨大な犬が姿を現した。
黒い体毛に赤い目を持つその犬は、まさに冥界を守っていると言われるSSSランクの魔物ケルベロスのようで、アイリスのレヴィアタンと比較しても遜色が無いほどの威圧感を放っていた。
レヴィアタンはケルベロスに絡みついて締め殺そうとするが、ケルベロスに怯んだ様子はなく、逆に三つの頭でレヴィアタンを噛み殺そうとする。
二つの魔法は絡み合い噛みつき合い、お互いに魔法の使用者の思いに応えるかのようにその猛威を振るう。
そして、何度目かの攻防の末に勝利したのは、ソニアが使用したケルベロスの方だった。
「はぁ…はぁ…私の…負けですね。さすが…ソニアです…」
「ふふ。アイリスも素晴らしい魔法だったわ」
アイリスのレヴィアタンは緻密な魔力操作と高密度の魔力で作られていたため、頑丈さはレヴィアタンの方が上だった。
しかし、ソニアの暴力的なまでの魔力量で作られたケルベロスはまさに猛獣で、頭が三つもあるため攻撃する手数も多く、その結果、最初に存在を維持できなくなったのはレヴィアタンの方だった。
「勝者!一年生Sクラス!ソニア・スカーレット!よって、今大会の優勝者はソニア・スカーレットになります!」
アイリスが魔力切れにより力無く地面に座り込むと、それを確認した審判役の教師が勝者を告げる。
観客たちは優勝者が告げられた瞬間、この大会一番の歓声を上げると、拍手で二人の試合に賞賛を送った。
中には感動のあまり泣いている者たちもおり、その姿がどれだけ二人の試合が素晴らしいものだったのかを表しているようだった。
「ほら、アイリス。手を取って」
「ありがとうございます」
「いいのよ。それよりアイリス。あそこを見てみて」
ソニアの手を借りて立ち上がったアイリスは、ふらつく体をソニアに支えられながら、彼女が指をさした場所へと目を向ける。
「あ……」
「ふふ。どうやらルイスは、ようやくあなたに興味が湧いたみたいよ」
アイリスの視線の先にいたルイスは実に楽しそうに笑っており、それでいて今すぐにでも殺されてしまいそうなほどに危険な、けれども確かに彼女に対して明確な興味を持っているルイスの姿があった。
「ふ、ふふ…うれ…しいですね。本当に…嬉しいです」
自分に初めて向けてくれた感情がどんなものであれ、それを自分だけに向けてくれたことが嬉しくて、アイリスは思わず目元に涙を浮かべてしまう。
「よかったわね、アイリス」
ソニアはアイリスが泣いている姿を見られないよう彼女の顔を隠しながら、二人でゆっくりと舞台の上から降りて控え室へと戻る。
そんな二人を観客たちは最後まで拍手で見送ると、これにて長くもあっという間だった武術大会の決勝戦が幕を下ろす。
なお、この日の試合はアイリスたちの卒業後も武術大会の歴史上最高の試合として語り継がれ、いつしか伝説の試合と言われるようになるのであった。




