突如として、ポリコレ監督VS反ルッキズム女優の闘いが勃発してしまったのです
うちの事務所に所属している女優の椿さんは、正直にいって容姿はあまりよろしくありません。そんな彼女をうちの所長が推しているのは演技力が凄まじく高いからで、実際にその実力が認められ、端役の依頼は着実に増えて来ています。ただ、そんな彼女は自分に与えられた役にあまり満足はしていないようでした。一応断っておくと、「自分には主役級が相応しい」などと己惚れている訳ではありません。実は彼女は“反ルッキズム”を主張していて、なんでも見た目で判断しがちな今の世の中に反感を抱いているのです。彼女のその高い演技力は、そんな信念の結果身に付いたものでもありました。
彼女はこのように考えていたのです。
“演技力で見た目を超越し、見た目で想像するのとはまったく違うキャラクターを世間の人達に見せてやりたい。そうすれば、その経験を通して「見た目など、大して重要ではない」と実感してもらえるはずだ!”
だから彼女は何でも良いから、自分の見た目とは違う役を演じたいと思っていたのでした。もちろん、やっぱり、見た目はショービジネスの世界では重要ですから、なかなかに難しかったのですが。
――ところがです。そんな彼女に、とうとうとんでもない映画の仕事が舞い込んできたのです! なんと!映画の重要な、しかも、何人もの男を魅了する女性の役です。が、彼女を抜擢した映画監督と打ち合わせをした際に、ちょっと妙な事態になってしまったのでした。
突如として、ポリコレ監督VS反ルッキズム女優の闘いが勃発してしまったのです。
途中までは良かったのです。
「決して美しいとは言えない容姿の女性が男を魅了する。そのストーリーにより、多様性の価値を世間に向けてアピールできたらいい。私はそのように考えています」
監督がそう発言した瞬間、椿さんの表情が変わりました。“あ、なんか嫌な予感”と僕は思います。彼女は言いました。
「いいえ、違います。決して美しいとは言えない容姿の私から“美”を感じる。そこにこそ価値があるのです。私の演技により、見た目など些末だと観客の皆さんは感じ、美醜の概念など幻想であると知るでしょう」
正直、僕には監督の主張と彼女の主張の何が違うのかよく分かっていませんでした。いえ、微妙に差があると言えばそうなのかもしれませんが、でも大した差には思えません。ですが、どうも、当人達にとっては大問題のようでした。
僕は彼女に気付かれないように軽く首を下げて謝り“監督さん。ここはどうか、話を合わせてくださいませんか?”と目で訴えました。すると監督は大きく頷きます。良かった、話の分かる人だったようです。
ところがどっこい、それから監督はこう言ったのでした。
「それは違いますね。多様性にこそ価値があるのです。世の中には様々な価値があり、それぞれ認められるべきだとあなたの演技が証明してくれる事を私は期待します」
“あー……、この人、本物だな”
と、それを聞いて僕は思いました。実は話を受ける前から、この監督がいわゆるポリコレ思想を持っているとは知っていたのです。ポリコレとは、差別や偏見をなくす為の表現活動といった意味合いの事です。例えば、美男美女の白人ばかりが性格の良いヒーローとして活躍し、醜男醜女で性格の悪い黒人ばかりが倒されるべき悪役として登場する映画がもしあったとしたなら、それを観た人は人種や容姿に偏見を持ってしまうかもしれません。問題があるのは容易に分かるでしょう。ポリコレとはこれのまったく逆をやろうとしている…… と、まぁ、ちょっと乱暴な説明ではありますが、そう言えるのではないかと思います。
ただ、僕個人としては、今のポリコレ映画は何かちょっとはき違えてしまっているようにも思っているのですが。
だって、“ポリコレの為”と言って、美人を意図的に排除していたら、それはそれで美人を差別しちゃっていませんか? それに、そもそも多様性を表現するのに、何か一作品でやる必要もないと思うのです。色々な作品で少しずつ多様性を訴えれば良いのじゃないでしょうか?
まぁ、飽くまで個人の意見ですが。
「――どうにも折り合いは不可能なようですな」
しばらく話し合った後、監督はそう言いました。これはまずいです。折角の大きな仕事を逃してしまうかもしれません。僕はなんとか彼女に折れるように視線を送りましたが、僕の視線に気が付く前に、彼女は厳とした口調でこう答えました。
「ええ、どうやらそのようですわね」
“ヒーッ”と僕は思います。
恐る恐る僕は監督に尋ねます。
「あの…… もしかして、彼女はクビですか?」
ところが監督は首を横に振るのです。
「いえ、それはありません。私は彼女の演技を見て確信しているのです。彼女は今の演技で充分に私の表現したいものを表現してくれています」
僕はホッとしました。がしかし、彼女はそれにこう返すのです。
「あら? 聞き捨てならないですわね。私の演技はルッキズムの打破にこそ効果を発揮するのです。ポリコレ思想は一切表現していませんわ」
“ふふんっ”とそれを聞いて、監督は笑みを浮かべます。
「それは勘違いです。あなたはご自分の演技の本質を理解していないのです。あなたの演技から、観客は多様な価値の素晴らしさを知るでしょう」
彼女は軽く青筋を立てます。
「飽くまでそうおっしゃるのですわね。よろしいですわ。私もこのまま自分の演技を貫きます。それを観た観客が、それから何を感じ取るのか。それでお互いの正しさを証明しようではありませんか!」
監督は「望むところです」と言うと不敵に笑いました。
なんだか噛み合ってないお陰で逆に巧く進行している感じです。こういう事も世の中にはあるのですね。ま、うちの事務所としては仕事がダメにならなければそれで良いのですけれど。
――それからしばらく経ち、無事に撮影が終わって、映画が公開されました。その奇抜な配役のお陰でしょう。それなりにその映画は注目を集め、興行的にもまずまずの成功を収めました。
そして肝心の観客の反応です。果たして、どうこの映画は世間に伝わったのでしょう?
『観ているうちに、美人じゃない女優が徐々に美人に見えて来る不思議映画です。しかもCGは一切使ってない! そんな奇妙な体験をしたい方にお勧め!』
そんなようなレビューが書かれ、そしてそれにかなりの数がグッドボタンが。
「そういう事じゃない!」
と、それを見て、監督と椿さんは異口同音に言いました。
ま、多分、創作物の意図がそのまま客に伝わるケースの方が稀だと思いますけどね。