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 橋の下に隠れて三十分が経過した。時折上にあがって周りを見渡してみたが、黒いジャケットを来た奴はどこにも見当たらなかった。


 もうあの兵士達も追って来ないだろう。そろそろ移動しても良いはずだ。


 だが、問題はどうやって帰るかだ。


 僕の家はここから電車で十五分ほどかかる。少女をこんなネグリジェ姿で電車に乗せることなんてできない。下手したら通報されるし、SNSに投稿されるかもしれない。もし黒ジャケットの集団がその投稿を見たら居場所を特定される恐れもある。出来るだけ目立つ行動は避けるべきだ。


 なら、手段はこれしかないだろう。


 五分後、近くにある道路に少女を背負って向かう。道路にはタクシーが停車している。タクシーを呼ぶのが一番手っ取り早いと思ったんだ。少し値段はかかるが、別に問題ない。金なら割と持ってる。自転車だってこの際どうでもいい。


 少女はタクシーを不思議そうな目で見ていた。


「な、何これ」


 彼女が呟いた瞬間、タクシーの扉が自動で開く。少女は肩をビクッと震わせて、目を瞬かせながら僕を見上げた。


「新型の魔導四輪車? 私が塔の上に閉じこもってる間にこんなのが発明されてたの?」


 彼女が何を言ってるのかさっぱり分からなかった。少女の素足にネグリジェという格好といい、変な言動といいで、タクシーの運転手は僕達を訝しんだ目で見ている。


「あっ。彼女、今こういう時期なんですよ。ほら、中学生特有の、あれですよ」


 あはは、と愛想笑いをしながら、タクシーに乗り込んだ。


「なんかバカにされてる気がするんだけど」


 少女は頬を膨らませながら渋々といった様子で僕の後を追う。


 無気力系の運転手なのか、彼は行き先を聞くとその後一切口を開かなかった。


 車内に沈黙が訪れる。時折聞こえてくるのは幼女のように窓にかじりついて外の景色を見ている少女の歓声だけだ。


 信号機を見かけたり、犬の散歩をしているおっさんを見つけただけで「おぉ」と声をあげている。多分、僕達にとって当たり前の光景が全部新鮮なんだ。


 そんな歓声に隠れるようにして、静かに料金メーターが上がっていく。


 メーターの左側にある時計を見ると、五時と表示されていた。今日のシフトは五時からだから、もうバイトには間に合わない。


 いいや。このままバックレてしまおう。別に気に入ってるバイト先でもなかった。あのバイト先には二度と行かない。


 そうこう考えている間に、僕の家が見えてきた。


 運転手に言って車を停めてもらい、金を払ってタクシーから降りる。


「とりあえず、ここは僕の家だから上がってよ」


 言ってから、僕がどれだけ重要な言葉を言ってしまったか気づく。何気に、初めて女子を家にあげる。それに、ネグリジェ一枚というあられもない格好をしてる子だ。急に緊張してきた。


 胸に手を当ててヒーフーと深呼吸。大丈夫。僕と彼女はただの友達。


 僕の緊張なんて他所に、少女は瞳をキラキラと輝かせながら扉に手をかけた。


「どうなってるんだろう」


 言いながら、少女はガチャリと扉を開けて「うわあ」と高級ホテルに入って時みたいなリアクションを見せる。


「すっごい。これが普通のお家なんだ」


 汚れた足で、彼女はとたとたと廊下を進んでいく。


「あっ。ちょっと待って」


 変に廊下を汚して義父に殴られるのは嫌だ。水を差すようで申し訳ないが、足は拭いてもらおう。


 濡らしたタオルで彼女の足を拭いてから、足の裏をもう一度手当てする。彼女は床に座り込んで足を出している。ネグリジェから艶々した太ももが顔をのぞかせていて、目のやり場に困ってしまう。


「よし、じゃあ僕の部屋は二階だから、行こう」


 ドギマギしながら少女を手招きして、自室に向かった。


 少女の住んでいた部屋と比べたら、随分ショボい部屋だと思う。あるのはベッドと本棚、机だけ。後は部屋の隅に小さなクローゼットがあるのと、ロフトへと続く梯子があるだけだ。


 ポスターとかギターとか観葉植物みたいな、そういうインテリアはない。


 それでも少女は瞳を輝かせていた。


「うわあ。友達の家に行くのとか、すっごいやってみたかったんだよ」


 ネグリジェをひらひらと翻しながら、少女はくるくる回る。


「そういえば、名前聞いてなかったよね」


 友達なんだ。名前くらい知っておかないといけない。今更感が強かったが、僕達はとりあえず、自己紹介を始めた。


「僕は雨宮綾人。漢字は空から降って来る雨に、宮殿の宮。綾辻行人の綾に、人間の人」


 僕の説明を受けている間、何が分からなかったのか、彼女はポカンと口を開けていた。ずっと塔の上にいたから、綾辻行人の綾の字が分からなかったのかもしれない。だけど、綾の字が分からなくともそんなに問題ないだろう。


「アヤト君って言うんだ」


「そうだよ。よろしく」


 一度握手してから、今度は彼女が口を開いた。


「よろしく。私はスミカって言うんだ」彼女は一拍置いてから続ける。「今言うのも何か変な話だけど、さっき落とした花。あの花もスミカって言うんだよ。お母さんが大好きな花だったんだ。その花が、私の名前の由来」


 この名前結構気に入ってるんだよね、と言って彼女はにへへ、と笑う。


「だからさ、私のことはスミカって呼んでよ」 


 やはり僕は、取り返しの付かない事をした。いつか、絶対にあの花を返してあげたい。


 スミカにとって、お母さんは大切な存在のはずだ。絶対にお母さんを見つけ出して、もう一度スミカの花を彼女に渡すんだ。それができないのなら、僕が彼女にとってお母さん以上の存在になるしかない。お母さん以上の存在になって、彼女にスミカの花を渡す。そうする事でしか、僕の胸に広がる暗雲は消えてくれないと思う。


「そっか。スミカって言うのか」 


 彼女の名前を口に出して噛み締めた後、僕は彼女に向き直った。


「よろしくね、スミカ」


 もう一度、強く彼女の手を握りしめる。


 聞きたい事はまだまだいっぱいある。世界のために彼女が死ぬ理由とか、なぜ死ななきゃいけないのかとか、奴らが使ってた変な術の事とか。沢山だ。


 でもまずは、彼女に着替えもらいたい。正直、目のやり場に困る。


 スミカにジャージを渡して部屋を出た。少しして、部屋の中から「入っていいよ」と返事が返って来る。


 黒のDESCENTEのジャージだ。胸元にMOVE SPORTS と書かれている。


「いやあ、これ珍しいデザインの服だね。《塔の街》近辺じゃ見かけないよ」


 僕のジャージだと少しサイズが大きいのか、かなりダボっとしていた。彼女はズボンの裾を掴み、そんな事を言う。


「ところでさ、ここから《塔の街》まではどれくらいなの?」


 塔の街。申し訳ないが、そんな街は知らない。恐らく彼女が暮らしていた塔の事なのだろうが、いったいそれはどこにあるのだろうか。


「悪いんだけど、僕、その街のこと知らないんだよね」


 僕がそう言うと、スミカは「嘘……」と言って目を丸くした。


「《塔の街》を知らないの?」


「知らない。そんな名前の街、聞いたことないよ」


 沢山塔が建っている街を想像してみる。


 東京、ニューヨーク、香港、ドバイ、他にもあるだろうが、こんなところか。


 スミカは日本語がペラペラだ。外見からしても、海外の人ではないだろう。なら、東京の事を塔の街と呼んでいるのかもしれない。


「スミカの言ってる塔の街って、東京のこと?」

「東京? 何それ」

「冗談でしょ?」

「バカにしてるの?」


 バカにされてると思ったのか、彼女の母が膨らんでいく。本当に東京を知らないようだった。いくら塔の上に閉じこもっていたからといって、東京を知らないなんてことがあるだろうか。


「じゃあ、ニューヨークかな?」

「違う」

「香港?」

「違うよ」

「ドバイだ!」

「だから知らないって」

「マジかよ」


 これらの都市を知らないなんて事があるだろうか。もしかしたらずっと塔の上にいたせいで常識的な事を知らないのかもしれない。


「じゃあさ、今の日本の総理大臣知ってる?」 


 確認の意味を込めて、聞いてみた。 


「そうりだいじん? 何それ。ていうか、にほんって言葉自体知らないよ」 


 僕は驚きすぎて大きく口を開けてしまった。総理大臣はギリ分かる。いや、分かっちゃだめかもしれないが、日本を知らないってどういうことだ。彼女は日本語だってペラペラだ。外見だって日本人らしい。日本生まれじゃないのか。


 仮に日本人じゃないにしろ、日本くらい知ってるだろう。


「ほら、あれだよ。JAPAN」


「何よそれ。だから知らないんだって」 


 発音良く英語で言ったところで、理解してくれなかった。バカにされてると思ったのか、彼女は頬を膨らませる。その姿が頬にエサを蓄えすぎたハムスターのようで、少し可愛らしい。


「私は《塔の街》で暮らしてたんだって。ていうかさ、こここそどこよ。空走列車だって見えないし、魔導四輪車もない。凄い田舎町なんじゃないの?」 


 また知らない単語が出てきた。先ほど口にした魔導四輪車。それに空走列車。何のことを言っているのかさっぱり分からない。 


「さっきから気になってたんだけど、その空走列車とか、魔導四輪車って何のこと?」


 スミカは信じられないといった様子で口を覆った。 


「空走列車を知らないの? とんだど田舎じゃない」


 確かにここは都心部から少し離れたベッドタウンだ。しかし、ど田舎というほどでもないだろう。 


「だいたい何なの? 空走列車って。電車が空でも飛んでるのかよ」


「その通りだよ」


 冗談半分で言ったつもりだったのだが、スミカは大真面目に頷いた。


「空走列車っていうのは空飛ぶ列車だよ。こう、塔から塔を繋いでるんだ」


 スミカは指を使って線を描き出す。この女の頭は大丈夫なのかと、強く疑った。明らかに普通じゃない。空飛ぶ列車なんて、そんなの創作の世界でしか聞いた事がない。


「じゃあさ、魔導四輪車ってのは?」


「もちろん、魔力で動く馬車みたいなものよ。魔車とも呼ばれてる。こんなの常識でしょ。塔の上にいても知ってるよ」


 スミカは僕を見て、ははんと鼻を鳴らした。さては君、バカだな? そう口外に語っていた。


「魔力って何だよ。魔法でも使うのかよ」


 脳の処理が追いついていかず、つい、口調が荒くなってしまう。 


「魔法でも使うのかよって、そんなの当たり前でしょ。今どき魔法も使えないような人はいないよ」


 クスクス笑ったまま、スミカは人差し指を立てた。彼女がくるっと人差し指を回すと、その指先で小さな竜巻が巻き起こる。


「ほら、こういうの」


 なんて事ないように、スミカはその超常現象を引き起こしていた。


「アヤト君もやってみてよ。君の魔法を見せて」


 さも当然という風に、スミカは言った。


「いや、無理でしょ!」


 勢い余って、柄にもなく大声で叫んでしまった。


 話を聞く限り、スミカはどうやらこことは違う世界からやって来たようだった。


 クローゼットを抜けたら異世界でした。そんなの創作の世界でしか聞いた事がない。


 スミカの言っていた《塔の街》というのは、その名の通りいくつもの塔が密集して作られた街のことらしい。スミカの住んでいた塔を中心として、いくつもの塔が連立している。


 科学の代わりに魔法が発達しており、生活水準はこちらと大差ないようだ。生活には魔力が欠かせないため《塔の街》にはいくつもの魔力線が引かれており、そのパイプを通って魔力が流れているという。こちらでいう電線のようなものだろう。 


 そんなわけで、このスミカという少女は、そんなファンタジー世界でしかあり得ないような異世界から、この世界にやって来たということらしい。


「じゃあつまり、この世界に《塔の街》はないってことなの?」


「そうなるね」

「それ、最高だよ!」 


 スミカは手を叩きながら、こちらに一歩、ピョンと跳ねてきた。


「え、驚かないの?」


 僕は驚きまくりなんだけど、何なら今からドッキリ大成功の看板を持った人が入ってきても驚かない。けれど、スミカが異世界からやって来たと信じるしかなかった。根拠は、やはり魔法の存在だ。兵士達が見せた土を操る魔法と、スミカが見せてくれた竜巻を発生させる魔法。あんなものを見せられては、信じるしかないだろう。


「そりゃ驚いたよ。まさか違う世界に来たなんて思ってなかったからね。このテレビってやつだったり、スマホってやつだったり、すっごい驚いた」


 スミカは右手に握りしめた僕のスマホに目を落としている。


「けどね、ここが異世界だとすると、兵士達は迂闊に動けないと思うんだ」


 なるほど確かに。奴らもすぐにここが異世界だと気づくだろう。そうなると、まずはこの世界の情報を集めないといけない。簡単にはスミカ捜索に乗り出せない。


「兵士達がこの世界について調べてる間、私は自由にこの世界で遊べるってわけよ」


 ね、最高でしょ? とスミカは付け足す。


「確かにそれは最高だよ」


 彼女は存分に、誰かに追われているという事を忘れてこの世界で遊ぶことができる。


 でも、僕の胸には何かがつっかえていた。そんなに簡単なわけないだろうと、何かが僕に忠告していた。


 多分それは、僕が彼女から奪ってしまったスミカの花にあるのだと思う。


 スミカの花。そんな花、僕は聴いたことがない。それもそのはずだ。恐らくその花は、異世界にしか咲いていないのだろう。


 スミカからスマホを返してもらい、Googleに『スミカ 花』と打ち込んでみた。一番上に出てきたのは、とあるバンドのFlowerという曲だった。それ以外にも花の画像がいくつか出ていたが、それらの花の名前はスミカではなかった。


 やはり、この世界にスミカという花は存在していない。

 僕は、彼女の友達になることしかできないのだろうか。彼女から奪ってしまったスミカの花を、返してあげることはできないのだろうか。


 少し考えてから、頭からそれらを振り払う。今はとにかく、彼女を楽しませてあげよう。そう、思った。


「スミカ、明日、何して遊びたい?」

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