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 結局、近くの河川敷に隠れる事にした。


 近くにある公園の水道で傷口の手当てをしてから、橋の下に逃げ隠れる。幸いにも、傷は深くなかった。軽い切り傷程度だ。


 手当てしている間、少女は捨てられた子犬のような瞳で、じっと僕を見ていた。


 さて、気になる事は沢山ある。何から聞けばいいのだろうか。


 少女は背後にあるコンクリートの壁に寄りかかるようにしてしゃがみ込んだ。背中を丸めて体育座りの格好になる。一度、少女をじっと見つめる。


 肩辺りまで伸ばした髪。いつも悲しげに細められている美しい瞳。色素の薄い唇。凹凸の少ないボディライン。その全てが、夢の中の彼女そのものだ。


「ねえ」

「あのさ」

 何か言わなきゃと思って、声が重なった。一瞬、気まずい沈黙が流れる。


「先、いいよ」


 僕が促すと、彼女は口を開いた。


「ありがとう」少女は俯きながら続ける。「あの、私、君の事を知ってる気がする」


 太陽がジリジリと水面を照らす。照り返しで、少女の横顔が輝く。


「気持ち悪いと思うかもしれないけど、私、夢で何度も君の事を見てるんだ」


「え、本当?」


 つい、聞き返してしまった。瞬間、喜びとか幸せとかの感情が、雪が溶けていくみたいにじんわりと溢れる。


「うん。本当。君が学校っていう所に通ってて、いつも浮かない顔をしてて、テキトーに愛想笑いを浮かべてて、毎日に退屈してるって事も知ってる」


 驚いた。誰にでも当てはまる事かもしれないが、割とあってる。


 彼女が嘘を言っているとは思えなかった。理由は多分、僕も彼女の夢を見ているからだと思う。それに、僕を呼んでいた何者かは間違いなく彼女だ。きっと、僕と彼女は見えない何かで繋がっているんだ。


「信じて、くれる?」


 少女は怯えた子猫みたいな瞳で僕を見上げた。


「信じるよ。僕も、君の夢をよく見てた」風が吹いて、僕の伸びた前髪が揺れる。「君が塔の上に一人でいる事も、塔の上から地上を見下ろしている事も、知ってる」


 彼女のガラス玉みたいな黒目が、ふるふると揺れている。もっと、彼女の事を知りたいと思った。やはり、この子は僕が恋をした夢の中の女の子に違いない。


「ところで、君はどうしてあんな所に閉じ込められていたの?」


 僕は彼女と目線を合わせるため、しゃがみ込んだ。


「私、死なないといけないんだ」


 彼女は吐き出すように呟いた。


「何だそれ」


 一瞬、理解できなかった。数秒たって、噛み砕かれた言葉が脳に染み渡っていく。


「世界を守るには、私の魂を生贄にしないといけないんだって。だから、逃げないように私は塔の上に閉じ込められたんだ」


 世界を守る? 生贄? 言葉の意味が上手く理解できない。ただ、彼女が死ななければならないということだけは分かった。そんな理不尽があってたまるか。


「なんかね、私の魂じゃないとダメみたいなんだよ。でも、私が死ねば多くの人が助かるわけ。私は悲劇のヒロインとしてドラマチックに死ぬの。なんかそういうのって感動するよね。美しく人が死ぬ話とか、みんな好きでしょ。数百年後には私のお伽話ができてるよ」


 少女は自虐的に笑い始める。僕は少女の話を呆然と聞くことしかできなかった。


「でも、ずっと塔の上で死ぬのを待ってるなんて嫌」


「それはそうだね」


 僕は何と声をかければ良いか分からず、肯定することしかできない。


「逃げないから、少しの間くらい自由でいさせて欲しかった。そんな時、急に君の夢を見るようになったんだ」


 彼女は再び僕を見る。その澄んだ瞳を見て、不覚にも胸が高鳴る。僕の思い過ごしかもしれないけど「私がここまで頑張れたのは君のお陰だよ」と言われているような気がした。


「その夢を見てる間だけ、私は外で自由に羽ばたけたんだ。いつか私もそこに行きたいなあって思ってた。紙にやりたい事リストとか作っちゃってさ。叶うわけもないのにね」


 そう言って、彼女はボサボサの髪をくるくるといじくり始めた。自虐的な笑みは未だ浮かべたままだ。


「無理だと思ってたんだよ。本当に。そしたらさ、急に願いが叶っちゃったんだよね」


 彼女は白い歯を見せて、驚くほど綺麗に笑った。自虐的なんかじゃない。本物の笑顔だ。


「そう、なんだ。それで、なんとか逃げ出して来れたって事なんだね」


 僕が聞くと彼女は頷いた。


「そう! 着替えようと思ってクローゼットを開けたら山に繋がっててさ。ビックリしちゃったよ」


 なんて事ないように、彼女は言う。さっきよりも声のトーンが上がっていた。


「クローゼットを通って自由を手に入れたと思ったら追っ手に見つかっちゃったって感じ?」


 先ほど少女を追っかけていた黒ジャケットの集団を思い出す。


「うん。ちょうどあいつらが食事を持ってきた所でね。クローゼット越しに目が合っちゃったんだ。私は本気でダッシュしたんだけど、応援呼ばれて追いかけ回された」


「あいつらは何者なの?」


「あいつらって、兵士達のこと?」


 兵士。不穏な響きに身構えてしまう。


「さっき君を襲ってた集団だよ」


「それ、うちの兵士達だよ。私を閉じ込めて管理してた人達」


 彼女は何気なく言ったようだが、彼女の口から発せられた「閉じ込めて管理してた」という言葉が僕の胸に絡みついて離れてくれない。


「もう少しで捕まっちゃうところだったよ。君が来てくれて本当に良かった」


 少女はとても嬉しそうな顔をしている。まるで産まれて初めて誰かに助けてもらったと言わんばかりの表情だった。


「君は、何年くらい前からあそこにいるの?」


 僕が聞くと、彼女はすくっと立ち上がった。夢を見ていたが、詳しい年月は分からない。


「えーっとね。私が五歳くらいの時に、兵士達に急に連れていかれたんだ。それから十二年間、ずーっと塔の上で暮らしてる。すっごい退屈だったよ」


 塔の上で十二年間も一人ぼっち。そんなの、可哀想じゃないか。


「そういえばさ、君、私が花飾りを落としたとき無理やり連れて行ったでしょ」


 少女はぐいっと顔を近づけてくる。その声音には少し棘があった。軽く怒っているのか、眉も寄っている。


「あれ、私が小さい頃、まだ外にいた時、お母さんから貰った唯一の宝物だったんだよ」


 僕はとんでもない事をしてしまったのかもしれない。花飾りを落とした時、彼女は「待って!」と叫んでいた。やっと手に入れた自由が無くなってしまうかもしれない場面だというのに、彼女はその花飾りを諦められなかったんだ。


 あの花飾りは、彼女が外にいた唯一の証だったんだ。


「そう……だったんだ」


 俯いてしまう。どうしよう。どうすればいいのか。そんなの決まってる。今すぐ戻れば、まだ見つかるかもしれない。


「今すぐ探してくるよ。君は待ってて」


「ちょっと待ってよ!」


 急いで行こうとする僕の腕を、彼女は掴んだ。その姿はまるで、おもちゃ屋を出て行こうとする両親を必死に引き止めている幼女みたいだ。


「今戻ったらまだ兵士達がいるかもしれない。見つかったら、何をされるか分からない」


 たしかに、あいつらは変な術を使っていた。拷問とかを受けて、少女の居場所を吐かされるかもしれない。


 それでも、戻るしかないじゃないか。彼女から大切なものを奪ってしまったんだから。


「でも、あの花飾り、凄く大切だったんでしょ?」


「そうだよ。大切だった。だけど、もういいよ」


「どうして。せめて何かさせて欲しい。じゃないと気が済まない」


 同じ花飾りを買うとか、同じ花を摘んでくるとか、お母さんを探すとか、色々ある。それに、後日花飾りを探しに行けば見つかるかもしれない。とにかく、このままじゃ嫌だ。彼女からたった一つの宝物を奪ったまま、呑気に何も感じずにいられるほど僕の精神は図太くない。


 彼女は黙って静かに考えていた。次の瞬間、何かを思いついたのか、顔をぱあっと輝かせる。


「私、世界で一番大切なものを無くしてすっごく悲しいんだよ」


「うん」


 何か良いことでも思いついたのだろうか。彼女は若干口元を綻ばせていた。なんか物凄い要求をされるのかもしれない。


「塔の上でずっと一人でさ。ずっと孤独だったの」


「うん」


 ずいっと、彼女が顔を近づけて来る。鼻と鼻が触れそうなくらい。女の子の顔がこんなに近くにあるのなんて、産まれて初めてだ。少し怖くなって、身を固めてしまう。どきどきと、心臓が壊れた機械みたいに暴走していた。いったい何をさせようというのだろうか。


「だからさ、君が私の友達になってよ」


 その言葉に、拍子抜けしてしまった。なんかこう、もっと凄い命令が下ると思っていた。


「もちろんだよ」

 僕はそう返事をした。

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