26
その日は朝から嫌な予感がしていた。空気が張り詰めたようなビリビリとした感覚が、ずっと、辺りに漂っている。魔力の感覚が鈍っていく。体の一部が痺れたみたいに、上手く魔力を練れない。
「今日は何だか様子がおかしいな」
底知れぬ不安を抱きながら、塔の最上階に目を向けた、その時だ。
勢い良く自宅のドアが開けられて、黒いジャケットを羽織った男達が押しかけてきた。
「カンナ=リリーはいるか?」
ドスの聞いた声で、男は問いかける。
「私ですけど」
胸の中に渦巻く嫌な予感を必死に振り払いながら、カンナは前に出る。
「着いてこい。ジン様がお呼びだ」
(ジンが呼んでいる?)
カンナは今まで何度も中央の塔に足を運んでいた。ジンと面会させてくれと何度も何度も頼んでみたが、面会できた事は一度もない。それなのに、なぜ今になって。
カンナの中で、期待と不安が入り乱れる。
黒ジャケットの男達に連れてこられたのは、とある廃駅だった。螺旋階段を登り、ホームへと向かう。
するとそこには、空走列車が止まっていて、そこに乗り込むジンの姿があった。
十年ぶりに見る彼の姿は、昔とは大きく違って、大人びている。それでも、一目でジンだと分かる。
「カンナ」
彼はあの期待と愛が入り混じった暖かい瞳で、名前を呼んでくれる。
カンナ。カンナ。
あの優しい響きが、何度も脳内で響いていた響きが、今、空気を震わせている。
「これが最後の願いだって言うからさ。俺、カンナに会いたいって言ったんだよ」
開いたドアの前に立ち、彼は言う。
これが最後の願い。
嫌な予感が、的中した。これが最後だということは、ジンはもう、生贄になるのだろう。
「そんな顔するなよ」
カンナには、今自分がどんな顔をしているのか分からない。それでも、ジンの呆れたような表情を見るに、多分かなり酷い顔をしているんだと思う。
最後くらい可愛い顔でいたい。でも、無理だ。いきなり最後だなんて言われて、笑顔で見送れと言われる方が難しい。
「俺、最後の瞬間って、結構怖いもんだと思ってたんだよ」
彼の言葉の一つ一つを、胸に刻み込む。
「でもさ、いざその瞬間がやって来ると、すんなりと受け入れられたんだよな。不思議な話だろ」
これが最後の時間だと証明するかのように、空の色が変わっていく。高密度の魔力が上空に溜まっていき、虹色に輝き出す。
「それはやっぱり、カンナと出会えたからだと思うんだよな。大切な人を守るために命をかけるって思うと、不思議と悲しくないんだよ。自分が世界一カッケェ男だって、本気で思えるんだ」
へへへ、と鼻を擦りながら、ジンは笑った。
「だから最後は笑って見送ってくれ。カンナと出会えて、俺、幸せだったよ」
今、カンナとジンとの間には、たった一歩分の距離しか空いていない。それなのに、そこには永遠に埋まることのない差が開いている。何千、何万キロメートル歩こうと、その差が縮まることはない。
「そろそろ時間だ。行くぞ」
ジンと共に空走列車に乗り込んでいた兵士が、きつい口調で言う。
プシュッと風船から空気が抜けるような音が鳴り、電車の扉が動き出す。
「あっ」
何か言おうと思って口を開きかけるも、カンナの喉からは掠れた声しか出ない。
「じゃあな。また、会えたら会おうぜ」
閉まり行くドアの隙間から、ジンの声が漏れ出てきた。その声は、震えている。
大粒の涙を流しながら、それでもなお笑顔で、ジンは手を振っている。
バルルルルと音を立てて空走列車が走り出す。汽笛の音が鳴り、ジンを乗せて、上へ上へと、登って行く。
「何で、私は最後の最後に何も言えなかったんだろう」
ありがとうと言いたかった。愛してると言いたかった。抱きしめたかった。だけど、カンナは何もすることができなかった。いきなりやってきた現実を前に、ただただ絶望することしかできなかった。
「私は、馬鹿だ」
魔力に染められて虹色に輝く空を見上げながら、彼女は涙を流した。
★☆★☆★☆
それから数分間、カンナはその場に立ち尽くして空を見上げていた。空へと駆ける空走列車を、いつまでも見送っていた。
次第に、上空に溜まる魔力の渦は、空の限界値を超えた。空の容量を超えた魔力の塊は、流星群かのように、一つ一つ巨大な塊を作って地上に向かって落ちて来る。
あれが全部落ちてきたら、間違いなく世界は滅びる。
「やばいぞ」
黒ジャケットの男達の焦った声が聞こえる。
空走列車は、まだ空を走っている。上空へ上空へと、未だ登り続けている。
魔力の隕石のうちの一つが、虹色の尾を引きながらカンナ達がいる廃れた駅へと向かってきていた。
「なぜだ! 魔法が使えない! 避けきれんぞ!!」
黒ジャケット達の声が響き渡る。
ジンには生贄になれと命令していたクセに、いざ自分が死ぬとなると泣き喚き、叫び声をあげ、救いを求める。本当、腐っている。
「ああ、このまま死ぬのも有りかもしれない」
ジンと共に、いっそのこと今ここで死ねればいいかもしれない。
眼前に迫り来る巨大な魔力の塊。あと数秒で、死ぬ。カンナは覚悟を決め、目を瞑った。
次に目を開けたら、そこはきっとジンの隣だ。ジンと同じ場所に、いるはずだ。そう願い、カンナは最後の時を待った。
それでも、一向に最後の瞬間はやってこない。いくら待っても、魔力の塊は彼女を飲み込まなかった。
「奇跡だ。奇跡が起きた」
周りから、兵士達の困惑の声が、安堵の声が聞こえる。ゆっくりと目を開ける。すると、先ほどまで目の前に広がっていた魔力の隕石が、跡形もなく消えていた。
「何? 何でよ」
駅から周りを見渡してみると、地上に着弾しそうになった魔力の塊が、一瞬にして消えている。
地上に当たる寸前に、何度も何度も、消えている。
まるで空間ごと切り取ったみたいに、魔力の塊が姿を消す。
「まさか」
その現象を目の当たりにして、すぐに思い当たる。
「ジン……」
彼は、今まさに世界を救ってる。生贄にならなくちゃいけないのに、それだけでも充分英雄なのに、それでも、今、自分の全魔法を使って世界を守ってる。
「あ……」
ふいに、全身がジンに包まれたような感覚に陥る。
その瞬間、空を包んでいた虹色の魔力がすーっと消えていく。地上に降り注いでいた魔力の塊も綿あめが水に溶けるように、無くなる。
全世界に、ジンの温もりが満ちていた。
「魔力超過が、おわっ……た」
それは、ジンが生贄になった事を意味していた。
世界から、ジンが消えた。なのに、なぜ世界中にジンの魔力が満ちているのだろう。
ジンの暖かい魔力が、世界に満ちていく。その魔力の一部が、カンナを包み込むように、彼女の中へ向かって来る。
今までにないほど、彼女の体内には魔力が溢れていた。ジンの期待と愛が入り混じった、暖かい、魔力が。
「なに……これ……」
カンナは両手を見つめる。自分の中に物凄い力が湧いてきて、ジンと共にいるという気持ちになる。それだけで、勇気が体の底から溢れて出していた。
今なら、なんでもできるかもしれない。
彼女は本気でそう思った。
この瞬間、紛れもなく、彼女の魔法は進化していた。
自分の魔法が途方も無いほど進化して、今まで以上の力を有している事を、彼女は理解していた。
魂を自由自在に操る力を、彼女はその時手に入れた。寿命のコントロールだって、永遠の命だって、なんだって手に入れられる。
恐らくそれは、ジンの魔力がカンナの体内に満ちているからだろう。
魔力超過と合わさった彼の莫大な魔力のほんの一部が、カンナの体内で巡り巡っている。
★☆★☆★☆
カンナの魔法が進化したのは、一瞬の間だけだった。魔力超過を押し留める為に、ジンの魂が世界中に満ちていた、その瞬間だけだった。ジンの魔力はその後、魔力超過を封じ込める為に、どこかへ凝縮されて消えた。彼の魔力が世界から消えたと同時に、カンナの魔法も元に戻る。
その一瞬の間に、カンナは自分の魂を固定し、自ら魔法をかけない限り、一切成長しないよう施した。
彼との約束が、カンナの頭の中でぐるぐる回っている。
――じゃあな。また、会えたら会おうぜ。
五百年後、その時まで生きれば、ジンと会えるかもしれない。
魔力超過が起こる瞬間、その直前まで、ジンの魂は魔力超過を封じ込めている。
もし、その魂を元の形に戻せたら、ジンは復活するかもしれない。カンナはそう考えた。
そうして、現在に至る。




