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 カンナ=リリーがジン=グローリーと出会ったのは、彼女が六歳の頃の事だった。


 カンナは《塔の街》より南西に50km程離れたアゲラタムという村で生まれた。裕福というわけでもなければ貧乏というわけでもない。ごく普通の平々凡々とした家庭。優しい父と母。更には四つ年の離れた大好きな姉もいて、彼女の人生は幸せと共にあったと言える。


 幸せと共に、あるはずだったのだ。


「ウェントは凄いわね」


 幼いながらも、記憶に焼き付いている。大好きな母が、愛おしそうに姉を撫でている姿。決して自分には向けてくれない期待と愛が入り混じった素敵な瞳。


 物心ついた頃、カンナは気づいてしまった。自分は全く期待されていない。覚えているのは姉のウェントが褒められている記憶ばかり。


 何をするにも、ウェントは天才だった。


 魔法だって、五つの頃には大人顔負けの大魔法を扱えていたという。算術だって、剣術だって、何だって、ウェントには敵わなかった。


 ウェントはいつも、カンナの先を歩んでいた。どう頑張ってもカンナはその道を追うことができない。カンナが五歳になったって、ウェントと同じような成績は残せなかった。魔法だって魔力を作るのがやっとだし、算術だって簡単な足し算しかできない。剣術だって剣を持つので精一杯だ。応用技なんて、以ての外だった。


 気づけばウェントの存在は大好きな姉から、コンプレックスの塊へと変わり果てていた。


 どんなに頑張っても、どれだけ努力しても、どれだけ追いかけても、ウェントの背中は遠く、視界の端にすら捉えられない。


 それでもいつか「カンナは凄いわね」と言って母に撫でてもらいたい。あの期待と愛が入り混じった暖かい瞳で、見つめてもらいたい。カンナはずっと、そう願っていた。


 しかし、その願いが叶う事はなかった。


 カンナが六歳になってすぐの出来事だ。村人に誘われてウェントは村から《塔の街》へ出かけた。魔導四輪車に乗り、山を超えている最中に、事件は起きる。


 一日経っても、二日経っても、一週間経っても、彼女は帰ってこない。日に日に、母親は散乱していった。父親だって、頭を抱えていた。


「ウェントは?」「何があったのかしら?」「無事でいて……」


「俺が付いて行ってれば良かったんだ」「ウェントはまだ子どもだったのに」


 その一週間、父と母はカンナの事なんて見ていなかったように思う。ずっとウェントの心配ばかりしていた。


 その数日後分かった事なのだが、雨で地盤が緩んでいたのか、彼らは土砂崩れに巻き込まれてしまったらしい。山の中から、数人の死体が見つかったという。


 村人にウェントの訃報を知らされた時、カンナは村の農作業の手伝いをしていた。泥だらけになって家に帰ると、すぐに母が泣きながら抱きついてきた。母はカンナの胸の中でわんわん子どものように泣き喚く。


 ウェントが死んだ。


(もしかしたら、これでお母さんは私を愛してくれるのかもしれない)


 一瞬でもそう思ってしまったのがいけなかったのだろうか。この時、カンナは確実にウェントが死んだ事を喜んでいた。


 でも、その報いなのだろう。母の口から出た言葉に、カンナは幼いながらも現実を知る事になる。


「お帰り、ウェント。会いたかったわ」 


 赤く泣き腫らした瞳で、あの時と同じ期待と愛が入り混じった暖かい瞳で、母はカンナの事を見つめている。


「え?」


 口から、情けない声が出てくる。


「お帰り、ウェント。さあ、お風呂に入りなさい。着替えの用意もしてあるよ」


 居間の奥から、父親も顔を出す。


 (なぜ皆んな、私の事をウェントと呼ぶのだろう)カンナは不思議で不思議でならなかった。


「貴女は今日からウェントなの。お願い。ウェントなの」


 言いながら、更にきつく抱きしめられる。ジワリと、母の涙が服に染み込んできた。


 両親からは二度とカンナと呼んでもらえなかった。死んだのはカンナだと、自分達に言い聞かせたかったのだろうか。まるでカンナが死ねば良かったと言わんばかりに、父と母は、カンナのことをずっと、ウェントと呼び続けた。その事実は、一生消えない呪いになってしまった。


「私はいらない存在なのか」


 幼いカンナの心が壊れていくのに、さして時間はかからなかった。恥辱と劣等感に塗れた地獄のような生活は、姉が死んだ事により更に深みへ進んでいく。 



 ウェントというレッテルを貼られ、彼女に追い付くことを強要される。父と母が見ているのは自分では無い。


 ウェントに追い付いても、カンナとは呼んでもらえない。それが、六歳の少女に突きつけられた厳しい現実だった。


★☆★☆★☆


「ほらウェント。行きましょう」


 六歳の終わりのある日。カンナは母に手を引かれて母の友人の家に向かった。


 それが、カンナとジンとの出会いだ。


 親同士は甘菓子とお茶で世間話に花を咲かせている。子どもは子ども同士で遊んできなと言われ、カンナは隣の部屋で寝ているジンの元へ向かった。


 原因不明の難病で、外に出ることができない。ジンについては母からそう聞かされていた。しかし、ベッドに横になっていたジンはどこからどう見ても健康体で、肌の色は良いし、体も衰えていないし、咳一つしないし、とても病人には見えなかった。


「あ、君がカンナちゃん?」


 むくりとベッドから起き上がり、ぴょこんと寝癖のついた髪をくしゃくしゃと撫でながら、ジンは明るい声を出した。


「俺、すっげえ楽しみにしてたんだよ」


 暗い部屋に光が差し込んだみたいに、ジンの声はカンナの心にスッと入ってきた。


「カンナちゃん。ここ座ってよ」


 カンナちゃん。彼の声が、頭の中で何度も何度も繰り返される。


 カンナちゃん。カンナちゃん。やっと、誰かに名前を呼んでもらえた。


 ジンは期待と愛が入り混じった暖かい瞳で、カンナを見ている。


「俺さ、訳あってこの部屋から出られないんだよ。だから、友達が来てくれるって聞いて、すっげえ嬉しかった」


 口角を釣り上げて、白い歯を輝かせて、ジンは元気よく笑う。


「それも可愛い女の子だって言うじゃん。もう最高だよね」


 カンナにとって、この瞬間から、ジンはかけがえのない存在になった。たった一人、唯一自分を認めてくれる人。才能がなくたって、ウェントに追い付けなくだって、ウェントじゃなくたって、自分を認めて必要としてくれる人。


 ジンがいるから、ジンの存在があったから、カンナは崩れ落ちそうな時も踏ん張ることができた。


 それからカンナは毎日のようにジンの元へ通い、彼と二人でたわいもない話をして過ごしていた。


 それから数年が経ち、それでも話題は尽きない。彼と話していると次から次へと話すべき言葉が浮かんできて、紡ぐ言葉途切れない。それでもやっぱり、決して外に出る事はなかった。


 ジンは病気だから仕方ないと言い張っているが、彼が病気らしい病気に侵されているところを見たことがない。でも、なんとなく聞いてはいけない気がしていた。何か重大な秘密があって、それを聞いてしまったらもう、彼と二度と会えなくなるような気がしたから。


 それでも、どうしても気になってしまったカンナは初めて会ってから四年後、ついに聞いてしまう。


「ねえ、ジンはどうして外に出ちゃいけないの?」


 いつも通りの椅子に腰掛けて、ベッドから起き上がるジンを見ながら、彼女は呟く。どきどきと胸が高鳴っていた。脈は踊るように打ち、体中を内側からノックしていた。


「聞きたい?」


 ジンの声は、今まで聞いた中で一番優しかったように思う。

 きっと、これは最後の忠告だったのだ。決して引き返す事のできない道へと続く、最後の選択肢。


「聞きたい」


「分かったよ。じゃあ、約束だ」


 言って、ジンは小指を出してきた。約束事をする時、カンナとジンは小指を絡める。


「俺の脱走を手伝ってくれ。この村から出て《塔の街》に行くんだ。そうしたら、全部、教えるよ」


 《塔の街》。その言葉に一度、体の奥がぞくりと震える。ウェントが向かおうとした場所。


 姉が死んだから、カンナはウェントに成らざるを得なくなった。その原因の地。


 でも、ウェントは《塔の街》にたどり着けなかったんだ。もし、カンナとジンの二人が《塔の街》に辿り着いたら、それはカンナがウェントを初めて超えた事になる。姉に出来なかった事を、初めて成し遂げる事になる。その事実が、勇気になった。


「分かった。行こう」


 それからカンナは《塔の街》へ向かうための計画を練ろうとジンに持ちかけたが、彼には取って置きの秘策があるらしく「当日まで内緒な」と期待と愛が入り混じった瞳で言われた。


★☆★☆★☆


「ジン、迎えに来たよ」


 約束の日の夜。精一杯潜めた声で呟いて、コンコンとジンの部屋の窓を叩く。


 そーっと窓が開けられて中からジンが出てくる。


 彼は地面に降り、深く息を吸って、吐き出した。


「うん。めちゃくちゃ気持ちいい」


 ジンの瞳は輝いていた。その瞳に映る月も、草木も、何もかもが美しく、綺麗だった。その景色の一部として自分の姿が彼の瞳に映っていることが、たまらなく嬉しいとカンナは思う。


「じゃあ、行こうか」


 ジンに手を引かれ、彼らは家の庭から抜け出した。


 夜の村は人気が少ない。それでも誰かにバレないよう慎重に、物陰などに隠れながらコソコソと村の外を目指す。 


 終わりのない冒険に出るような気分だった。木の棒を持って、見えない魔物と戦いたい。


 悪い事をしているのに、なぜこうも胸が踊るのだろうか。人間は、何かに反発するのが好きな生き物なのかもしれない。


 誰にも見つかる事なく村を出て、そこから更に歩く。森の中を、ひたすら進んで行く。


「まさか歩いて《塔の街》を目指そうって訳じゃないよね」


 ここから《塔の街》まではかなりの距離がある。歩いて向かったら、着く前に死んでしまうだろう。


 ジンは振り向いて「違うよ」と首を振った。


「ここら辺でいっか」


 周りを見渡しながら、ジンは言う。期待と不安、絶望と希望、感謝と怨嗟、様々な感情の入り混じった声だ。


「カンナ」


 また、彼はカンナの名前を呼ぶ。期待と愛が入り混じった暖かい瞳で、カンナを見つめる。 


「今から俺が《塔の街》に連れてってやるよ」


 彼がくるんと指を回すと、目の前の空間が歪んだ。空間は四角く切り取られ、その中には見たことない光景が広がっている。


 歪みの先は上空なのだろうか。赤や青、黄色と様々な色でライトアップされた塔が、地上から突き出ている。


「これ、何?」


「俺の魔法だよ。空間移動ができるんだ。誰にも言うんじゃないって、お母さんに言われてるんだけどな」


 もう一度くるんと指を回すと、空間の歪みは消える。


 もしかして、これがジンが外に出ちゃいけなかった理由なのか。こんな凄い魔法が使えるのに、なぜ誰にも自慢しないのだろう。


 魔法の才能がないカンナにとって、それは純粋な疑問だった。


「じゃあ、次こそは本当に《塔の街》に行こうか」 


 ジンがもう一度指を回すと、今度は違う歪みが生まれる。


「さあ、行こう」


 彼はその歪みの中に足を踏み入れた。未知の領域。カンナにとってその歪みを通る事は勇気のいる行為だったが、歪みの向こうから「こっちこっち」とジンが手を出してくれていたので、なんとか乗り越えることができた。


 ジンの手を握りしめ、歪みを超える。 


 するとそこは、見たこともない都会の中心だった。


 様々な色に輝く光。バルルル、と吠える魔導四輪車の音。無数に聳える塔の数々。


 カンナは今、姉がたどり着かなかった《塔の街》に立ってる。


「ずっと黙ってたんだけどさ」俯きながら、ジンが口を開く。「俺、死ななきゃいけないだよ」


 彼の瞳は細められていた。


 彼が生まれた日、彼の家の周りでスミカの花が咲いた事。スミカの花が咲く理由。それらを、説明された。


「俺、元気なのに閉じ込められてさ。ずっと疑問に思ってたんだ。だけど、ある日、その理由を知っちゃったんだよな」


 夜、トイレに起きようとした時のことだ。ジンが部屋を出ようとすると両親が涙ながらに嘆いているところを聞いてしまったらしい。


「なんでジンが犠牲にならなくちゃいけないのよ」


「そのうち《塔の街》の連中が嗅ぎつけて来るかもしれない」


 両親はそう話していた。その時、自分はどうやら世界を救うために犠牲にならなくちゃいけない存在らしい事を、彼は知る。


「ちょっと待ってよ。じゃあ、今日ここに来た理由って」


 カンナの心に、嫌な予感が走り抜ける。ジンが、遠くに行ってしまうんじゃないのか。その手伝いを、自分はしてしまったんじゃないか。


「そうだよ。カンナの想像通りだ。どうしても、カンナに見送って欲しかったんだよ」


 言って、彼はカンナの前から姿を消した。一瞬で、風船が弾けるようにして、彼の体は消える。


 その数秒後、ポップコーンが弾けるみたいにして、彼は戻ってきた。


 彼の隣には黒ジャケットの男がいる。


 ジンは黒ジャケットの男に事情を説明し、証拠として世界規模の魔法を使ってみせた。


 一度黒ジャケットの男を世界の彼方に飛ばし、その後彼がそれを追う。その後元の場所に戻って来るというものだ。


 文字通り、世界全てに展開することのできる世界規模の魔法。魔力超過の生贄になり得る証拠となった。


「俺、すっげえ考えたんだよ。俺の命と、世界の平和。昔は、世界平和とかどうでも良いとか思ってた。でも、この世界でカンナが生きてると思うとさ、世界には滅びて欲しくないと思ったんだよ」 


 カンナ。カンナ。彼の甘く優しい声が、彼女の頭の中でぐるぐる回ってる。自分の名前を呼んでくれた、彼の声。


「カンナのいる世界を守るのに俺の命一つでいいなら、すっげえ安いもんだと思うんだ」


 そう言ってジンは黒ジャケットの男に連れられて行った。

《塔の街》でもう一度しっかりと確認されてから、正式な生贄と認められたらしい。


 ジンは《塔の最上階》に囚われて、来たる魔力超過の時まで逃げないように監禁される事になった。


 それからカンナは村に戻らずに《塔の街》で暮らすようになった。ジンの居なくなったあんな村に、戻りたくなかったんだ。二度もウェントを失った両親に、悪いと思うことはなかった。彼らは充分すぎるほどカンナの心を傷つけてきたのだ。


 ジンを失うことになった彼の両親には少し申し訳ないと思った。カンナと同じか、それ以上のダメージを心に負ってると思ったからだ。


 カンナは毎日のように塔を見上げた。あの最上階に、ジンがいる。彼と同じ場所で、同じ空気を吸っている。そう思うことで、彼女はなんとか耐えていた。


 カンナ。カンナ。


 ジンが連れて行かれてから、十年が経とうとしていた。


 カンナ。カンナ。


 今でも、カンナの頭の中ではジンの声が渦巻いている。あれから十年。塔の最上階を見なかった日はない。


 カンナ。カンナ。


 期待と愛が入り混じった暖かい瞳。また、あの瞳で名前を呼んでもらいたい。

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