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「とりあえず、この街から逃げ出しましょう」


 螺旋階段を降りながら、カンナが言う。


「魔導四輪車を使って私の村まで逃げるんです」


 カンナの説明によると、カンナの暮らす村はここから遠く離れた場所にあるらしい。そこまで行けば、当分は兵士達に見つからないだろう。


「逃げ出すって言っても、それまで見つからないでいけるかな」


 外套のフードを目深に被り直しながら、スミカが不安を口にする。


「そうだよね」


 改めてこの《塔の街》の作りを確認する。


 《塔の街》は街の全ての建物が塔だ。スミカの暮らしていた塔を中心として、円形に街が広がっている。カンナの話によると、街は全長三メートル程の壁に囲まれており、外に出るにはその出口を通らなければならないという。街の円形に十字を描くようにして大きな道路が通っていて、その道路を進んで行くとその出口に辿り着くらしい。それ以外の道は非常に入り組んでおり、迷路のような作りになっている。街から出るなら、その大通りを通らなければならない。


「恐らくですが、もう検問が行われてるでしょうね」


 カンナの見立てでは、既に検問が行われているらしい。その検問を潜り抜けない事には《塔の街》から脱出することはできない。


 住民にスミカの顔がバレていないとはいえ、検問を担当する兵士達はスミカの顔を知っているはずだ。むしろ、知らなかったらお前らは何をしに来たって話だ。


「どうやってその検問を突破すればいいのか」


 風を操って壁を越えるか?


 ダメだ。見つかってしまう。


 素直に出口を通る?


 無理だ。出れるわけがない。


 螺旋階段が終わり、駅の出口に辿り着く。ここを抜けたら、もう周りは全て敵だと思った方が良い。


「それは私に任せて下さい」


 出口の前に立ちはだかり、カンナが胸を張った。


「これで、より私を信じてくれたら嬉しいんですけどね」


 言って、彼女は僕に手をかざす。


 一体何をするつもりなんだ。身を強張らせてしまう。チラリと隣のスミカを見ると、警戒しているのか一歩二歩と彼女は後ずさっていた。


 そんな僕達の様子を、カンナは笑いながら見ている。本当に、余裕のある態度だと思う。


「そんなに警戒しないでください。確かに、私は今から魔法を使います。だけど、私の魔法は別に人に害を与えませんよ。心配なら、まずは私にかけてみましょう」


 見ていてくださいと口にして、彼女は人差し指をくるんと動かした。


 その瞬間、視界からカンナの姿が消える。何が起こったのか分からず、呆けた顔になってしまう。


 まさか、透明人間になるという能力なのか。本気でそう思ったが、どうやら答えは違ったようだ。


「ここですよ。ここ」


 下から、幼児のような甲高い声が聞こえる。視線を下に向けて、気づいた。ような、ではない。そこにいたのは、まさしく幼児そのものだった。


「わあ、可愛い」


 スミカの甘ったるい声が響く。


 僕達の前には、幼くなったカンナが立っていた。


「どうです? これが私の魔法です」


 カンナは幼い子どもが見せるような、無邪気な笑顔を浮かべていた。彼女本来の背丈に合わせて作られた白いレースの袖も、黒のロングスカートの裾も、その全てが縮んだ彼女の身長にあっていない。


 もう一度指を回し元の身長に戻った彼女が、服に付いた汚れを払いながら聞いてくる。


「警戒する必要などないでしょう? これを貴方達に使えば、恐らくバレずに逃げきれると思います」


 いける。これなら、バレずにこの街から逃げ出せる。僕とスミカはお互いに視線を絡めた。そして、頷く。


「「お願いします」」


「じゃあ、魔法をかけますね」


 カンナは僕の前に手をかざした。


「私の魔法は魂の形を少し弄るってものなんですよ」


 僕の額の前でくるんと人差し指を回す。すると、一瞬で視界が真っ暗になる。何だ何だ、何をされた。焦ったのは一瞬だった。背が縮んだせいで外套が覆いかぶさっていたのだと気づく。


 短い上に反応の鈍い手を使って必死に外套をどかそうともがくも、上手に体が動いてくれない。


 そんな僕を見かねたのか、二人のうちのどちらかが外套を取ってくれた。


「ありがとう」


 予想よりも遥かに甲高い自分の声に驚きつつ、顔を上げる。すると視界の前にはしゃがみ込んで顔を輝かせるスミカの姿があった。


「やっばい。超可愛い」


 スミカは血走った瞳をしている。


「ねえ、スミカさん。なんだか目が怖いんだけど」


「どうしよう。超愛しい」


 彼女の呼吸は段々と荒くなっていく。


「ダメだ。ぎゅーってさせて!」


 猛獣のようになったスミカに抱きしめられ、頬をスリスリされる。


 口では「うぎゃあああ」と叫んでいたが、正直、美味しい役所だったと思う。神様、小さくしてくれてありがとう。本当に。


 その後、カンナの手によって小さくされたとスミカと並んで、駅を出た。 


 元着ていた服は大きすぎて使い物にならないので、カンナに預かってもらい、外套を引きずって街を歩く。外套の下は、正真正銘の全裸だ。見た目が三歳児でなければ、間違いなく捕まっている。


 カンナに手を繋がれて《塔の街》の大通りに出る。大型車が四台は倒れそうなとても大きな道だ。その道には、馬車から馬を抜いた乗り物が走っていた。そう、それはまさしく馬車から馬を抜いた乗り物だった。現代に走っている車とはまた違う。ボキャブラリーが貧弱な僕だと、馬車から馬を抜いた乗り物、と形容するしかない。あれが、スミカの言っていた魔導四輪車というやつだろう。


 それぞれ道路の端には、歩行者用の道も確保されており、そこは人でごった返している。


 塔や道路の端にはパイプのような物が張り巡らされており、恐らくそこから魔力が行き渡っている。この魔力で、この世界は成り立っているのだろう。そして、この魔力が、スミカを苦しめている。そう思うと、少し憎たらしい気がしてきた。


 歩道には小さな屋台がいくつも並んでいて、洋服を売っている店もあれば、白い煙を上げながら見たことのない食べ物を売っている店もあった。


 カンナはその露天商から子ども用の服を二着購入し、路地裏で僕達に着替えさせる。


「ちょっと、こっち見ないでよ」


 外套の中でもぞもぞやっているスミカがジトっと睨んでくる。


「ロリコンじゃないし、見たくて見てるわけじゃないよ」


 言っていて、スミカを背負った時の事を思い出す。彼女の慎ましくも確かな感触が、背中に蘇った。瞬間、爆発したみたいに顔が赤くなる。


「いや、なんか赤くなってるし! 絶対嘘だよ!」


 スミカも顔を赤くして「また脳内で私の事をひん剥いてたんでしょ!」と叫んでいる。


 僕は青、スミカは赤のボタン付きのシャツを買ってもらった。更には、羽織る用にボタン付きのストールまで。下にはズボンだ。


 スミカはストールをつまみながら「アヤト君のロリコン」と囁き、にははっと無邪気に笑う。


「しっかりとした格好じゃないと怪しまれちゃうかもしれませんから」


 カンナはそう言って、快くお金を払ってくれた。


 お礼を言って、再び大通りに戻る。


 少しして、目的の場所が見えてきた。他の塔よりも、横幅の広い塔だ。あそこに、魔導四輪車を預けているという。


 塔の中から魔導四輪車を引き出して、車内に乗り込む。


「後は検問を抜ければ完璧ですね」


 魔力を動力として動いているのだろうが、詳しい構造までは分からない。カンナは右手首に何かを巻きつけて、ハンドルを握る。


「じゃあ、行きますね」


 彼女の合図と同時に、バルルル、と車体が吠えた。荒々しい振動と共に魔導四輪車が動き出す。車輪のクッション性能が悪いのか、乗り心地はかなり悪い。地面からの衝撃がモロに尻に当たってかなりダメージが溜まる。


 体感にして三十分くらい走った頃だろうか《塔の街》の出口が見えてきた。観音開きの中央に、兵士が四人、待ち構えるようにして立っていた。


「止まれ」 


 黒のジャケットを翻しながら、彼らは低いで叫ぶ。すぐに外側の二人がやって来て、窓から中を覗き込んだ。


「詳しいことは説明できないが、人を探している。外になんの用がある?」


「地元に帰るところなんですよ。今日は子ども達と一緒に《塔の街》の観光に来ていたんです」


 カンナは振り向き、僕達を見ながら説明する。その間、兵士達はカンナの顔を凝視していた。子どもである僕達のことなんて全く見ていない。


「そうか。分かった。貴重な時間をすまない」


 軽く謝罪しながら、彼らは扉を開ける。


 手を上げて兵士達に合図してから、カンナは魔導四輪車を発進させた。


 《塔の街》を脱出して、平原に出る。《塔の街》よりも更に地面が荒れているので、腰に蓄積されるダメージはどんどん増して行く。 


「ね、バレなかったでしょう?」


 チラリと振り返ったカンナが、したり顔で聞いてきた。


「はい。この魔法があれば、逃げ続ける事は可能だと思います」


 兵士達から追われる心配は限りなくゼロに近くなったと思っていいだろう。問題は、どうやって魔力超過を止めるか。


 魔力超過が起こると、高密度の魔力が上空に溜まり、世界は簡単に滅びてしまう。


 それを避ける為に、新たに魔力を制御できる者を生贄に捧げる。その生贄に選ばれたのが、スミカだ。


 そこである疑問が頭をもたげた。


 カンナはなぜ、僕達を助けてくれたのだろうか。スミカが逃げるのは、彼女にとって都合が悪いはずだ。誰だって、死にたくはない。


「聞いてもいいですか?」


「どうしました?」


 ハンドルを握りしめたまま、カンナが言葉を返してくる。


「貴女はどうして、僕達を助けてくれようとしているんですか?」


 その時、少しだけカンナの瞳が細められた。すぅっと息を吸い込んでから、彼女は答える。 


「そうですね。私には昔、恋人がいたんですよ」


 遠い過去を懐かしむような、優しい声。


「彼と私は小さい頃から仲が良くて、ジンっていうんですけど、いわゆる、幼馴染って奴だったんです」


「おさななじみ?」


 スミカが尋ねる。


「カンナさんが始め言ったろ。小さい頃から仲が良かったってことだよ」


「そうなんだ」


 僕が説明すると、スミカの顔に影が落ちる。彼女には幼馴染なんていないんだ。幼い頃連れ去られて以来、ずっと孤独だったんだから。


「じゃあ、今の私とアヤト君だったら、幼馴染って事?」


 スミカは自分の体と僕の体とを見比べながら言う。カンナの魔法で僕達の体は今や三歳児やそこらと変わらない。


「あははっ。確かに、今の二人がそのまま仲良く成長したら幼馴染って事になりますね」


 運転しながら、カンナが笑う。


「それ、嬉しいな」


 胸の前で手を組んで、スミカも幸せそうに笑っていた。


 僕とスミカが、幼馴染。思えば、僕にもそんな存在はいなかった。誰かと仲良くなって、どうしても守りたいだなんて思えたのは、スミカが初めてだ。


「話の腰を折ってすみません。続き、お願いしてもいいですか?」


 照れ臭くなってしまった僕は、逃げるようにカンナに続きを促す。


「はい。大丈夫です」頷いて彼女は続ける。「ジンのことなんですけど、彼、凄く体が弱かったんですよ。すぐに風邪をひいて熱を出しちゃって、彼が熱を出すたびに、私が看病してたんです」 


 困ったもんですよ全く、と言ってカンナは口元を綻ばせる。言葉とは裏腹にその表情は明るかった。きっと、看病も苦にならないほどジンの事が大切だったのだろう。


「ジンはずっと部屋に閉じこもってたんです。体が弱いから、外で遊ぶことができなかったんですよね」


 隣を見ると、スミカが俯いていた。部屋に閉じこもってるジンと自分とを重ねてしまったのかもしれない。もしくは、カンナに大切に思われているジンの事が羨ましいと感じているのかも。


「私達はそうやって部屋の中で遊んでたんですが、その時間にも終わりが来てしまうんです。大人になると、やっぱり、働かない事には生活できないんですよ」


 そう語るカンナの横顔に、暗い影がさす。


「大人になって、ジンは働きに出ました。村の中じゃ稼げないっていうから、彼は《塔の街》にまで働きに出たんです」


 カンナの声の調子が落ちる。


「それで、やっぱり、結構キツかったみたいなんです。どれくらい辛かったのかは分からないんですけど、彼、自殺しちゃったんですよ」 


 息を呑む。周りの空気が、凍った。


「貴方達と会ったあの駅。あそこから、ジンは飛び降りました。それで、呆気なく死んだんです」


 あの時カンナが泣いていたのは、そういう事だったのか。彼女が最初僕達を呼び止めたのも、もしかしたらジンが生きているのかもしれないという薄い希望に賭けてのものだったのかもしれない。


 しかし、気になることもある。あの駅で彼女が言っていた言葉。


 ――この場所は、大切な人との思い出の場所なんですよ。

 何を思って、彼女はあの駅が思い出の場所だと言ったのだろうか。その真意を尋ねる勇気は、僕にはない。


「だからという訳じゃないんですけどね、ずっと部屋にいたジンと、ずっと塔の上に閉じ込められていたスミカ様を重ねてしまったんです。ずっと塔の上なんて、そんなの可哀想じゃないですか。だから、助けられなかったジンの分として、スミカ様をいつか助けたいって思ったんです」


 隣に視線をやると、スミカの瞳はふるふると震えていた。

「でも、私の魔法じゃ兵士達を敵に回す事が出来なかった。だから、貴方達を見つけた時は驚きましたよ。もう助けるしかないって、そう思いました」


 微かに震えているスミカの肩に、そっと手を置く。


「良かったね。やっぱり、君は一人なんかじゃなかった。世界中の誰もがスミカの死を望んでるなんて、そんな事なかったんだよ」


「うん」


 それは掠れた声だった。彼女はギュッと目を瞑って、ズボンを握りしめている。

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