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「はーっ。疲れたよ」


 ぐーっと伸びをして、スミカはホームに腰を下ろす。


「今頃大パニックだろうね」


 僕は欄干から身を乗り出して、地上を見下ろす。


 上空から見るとよく分かる。迷路のように入り組む《塔の街》の道を、黒ジャケットを着た連中があたふたと走り回っていた。きっと今頃大急ぎで僕達を捜索しているのだろう。


 僕達が逃げて来たのは、廃墟と化した駅だ。空を飛ぶと目立つと考えた僕達は、脱出後すぐに路地裏に降りた。幸いその場所には誰もおらず、街の隅に落ちていたボロ布同然の外套を拾い、逃げた。


 途中何度か兵士達と鉢合わせたが、浮浪者のフリをして誤魔化しきった。逃げる途中で、この廃駅を見つけたというわけだ。


 この駅は、見るからに廃墟だった。誰も寄り付かないような、陰鬱な空気を纏っている。


 異世界文字で書かれた入り口の看板には落書きが施されていて、ホームの中にも瓦礫や酒瓶といったものが無造作に置かれている。


 駅の大体の構図は僕の世界と同じだ。ただ一つ、上空に建てられているという点を除いては、だけど。


 何重にも巻かれた螺旋階段を登って、やっとホームに着く。その螺旋階段も既に錆び付いていて、一歩踏み込む旅にギィ、ギィ、と嫌な音を立てていた。


 恐らく、空走列車用の駅なのだろう。上空を駆け巡る列車のための駅だから上空に設置されているのだ。


「勢いで逃げて来ちゃったけど、これからどうするの」


 欄干から出した足をプラプラさせながら、スミカが僕に問いかける。


「そうだね。まずは情報を集めないと」


 誰も犠牲にせずに世界を救う方法。それを探すには沢山の情報が必要になる。例えば、なぜ魂が必要なのか、とか。代わりになるものはないのか、とか。


「本当に何も考えないで来たんだね」


「そうだよ。だって、考えてたら間に合わないと思ったから」

「もう、本当無茶するんだからさ」


 スミカは一度ジトッと僕を睨んだが、すぐに表情を和らげる。


「ごめん嘘。素直になるね」


 言って、彼女は笑った。


「本当は、すっごく嬉しかった。もう孤独じゃないんだって、一人じゃないんだって、助けてくれる人がいるんだって、そう思えたよ」


 彼女は一度腰を浮かして深く座り直してから、視線を斜め上に向ける。彼女の視界の先には、彼女が今まで閉じ込められていた《塔の最上階》があった。


 青い空に、高い雲が伸びている。


「私、また自由になれたんだね」


 こちらに振り向き、スミカは呟く。


「でもアヤト君、約束して」


 彼女の声音にはこれだけは譲れないという強い意志があった。


「もし奇跡を起こせなかったとしたら、私かアヤト君のどちらかが犠牲にならないといけないとしたら、犠牲になるのは私ね」


 暖かい風が吹いて、スミカの髪を揺らす。その姿は、まるで絵画のようだった。


 空中の駅に座る儚い少女。まさに、絵画の世界だ。


「分かったよ。もう嘘はつかない。約束するよ」


 今言った事に、嘘偽りはない。僕は本当に、彼女との約束を守るつもりだ。彼女がそれだけは譲らないというのを、僕はもう理解している。彼女は、どうしようもないほど優しいのだ。


 だからこそ、僕達は奇跡を起こさないといけない。


「じゃあまずは、どうやって情報を集めるか、だけど――」


 言いかけた時、ギィ、という音が鳴った。今しがた聞いたばかりの音。そう、ここに通じる螺旋階段が軋む音だ。ギィ、ギィ、という一定のリズムを刻みながら、何者かが螺旋階段を登って来ている。


 音はもう、すぐそこだ。 


 早く隠れないと。


 咄嗟に首を振り、隠れられる場所を探す。


 駅のホームの、ちょうど真ん中らへん。階段の手前に、駅長室のような小さな部屋があった。あそこなら、身を隠せる。というより、それ以外の場所ではまず見つかってしまうだろう。


 こうしている間にも、足音は近づいている。今ならまだバレずに駅長室に隠れられる。


「スミカ、静かに移動しよう」


 人差し指を口に当てて、スミカを手招きした。彼女は立ち上がり僕に近づいて来る。


「どうしたの?」


「耳を澄まして、足音がする」


 一瞬の静寂、それを砕く鉄の軋む音。


「追っ手がもう来たの? なんでここがバレた?」


「いや、まだ追っ手と決まったわけじゃない。だからと言って、バレていいわけじゃないけどさ」


 追っ手じゃなくとも、スミカの死は世界中から望まれている。


 スミカが逃げたと知られれば、街中、ないしは世界中が大パニックだ。何しろ、世界が滅んでしまうのだから。


 街の住民の様子を見る限り、まだスミカの脱走は知られていないはずだ。けれど、スミカの素顔の認知度がどれだけ高いのか分からない。


 そうなると、やはりここで見つかるのはまずい。


 音を立てないよう静かに移動して、駅長室に入り込む。


 駅の構内同様、駅長室もかなり乱雑としていた。書類が山のように積み上げられているし、見たことない機械が備え付けられている。何年も使われていないのか、埃も充満している。


 列車の確認をするためか、駅長室には大きな窓が備え付けられていた。そこから、ホームの様子が見える。


 外側から見られないように、僕達はしゃがみ込んで壁に寄りかかった。


 ギィ、ギィ、という音は未だ響いている。しばらくして音が止み、今度はコツン、コツン、という音に変わる。何者かが、ホームに辿り着いたんだ。


 音の調子からして、どうやら人数は一人のようだ。


「ちょっと様子を見てみるね」


 呟いて、僕は慎重に窓から外を伺った。


「え?」


 その人物を見て、僕は思わず声を出してしまった。


 ホームに立っているのは年若い女性だった。少女というには大人びていて、二十代前半くらいに見える。


 彼女は白いレースに、黒のロングスカートという出で立ちをしていた。


 一目で、兵士でないことが分かる。


 彼女は泣いていたのだ。


 空を見上げながら、透明な涙を流している。


 何に驚いたのかというと、彼女の視線の先にはスミカが閉じ込められていた《塔の最上階》があったんだ。


 なぜ、彼女はスミカが閉じ込められていた塔を見て泣いているのだろうか。


「どうしたの? 誰がいるの?」


 スミカが尋ねる。


「あ、いや、」


 答えようとして、手が山のように積まれている書類に当たってしまった。


「うわあ!!」


 書類が雪崩のように崩れ落ち、スミカの上に覆い被さった。彼女は情け無い叫び声をあげてしまう。


 まずい。今のは絶対にバレた。


「ごめん」


 短く謝って、すぐに身を隠す。でも、隠れる直前、見てしまった。女性がバネのように身を弾ませた後、すぐにこちらに振り向いているところを。


 最悪だ。がっつり、絡みつくように目があってしまった。もう一度窓から外を見ると、彼女がゆっくりとこちらに近寄って来ているところだった。


「やばい。スミカ、バレちゃったよ」


「えぇ、どうするの?」


 兵士達に報告でもされてみろ。次に逃げきれる保証はない。捕まったら、その時点でおしまいだ。奇跡を起こすどころの話じゃない。


 どうする。どうやってこの場を凌ぐ。


「スミカ、あの人に攻撃するのは、流石に良くないよね」


 魔法を使って女性を無力化し、逃走を図る。


「ダメだよ。そんなの、絶対ダメ」


 聞くまでもなかった。スミカは、人が傷つくのを良しとしない。


「じゃあ、魔法を使って注意を引く、とか」


 火球を放って小さな爆発を起こす。流石に、隙くらいは見せてくれるだろう。


「それも良くないよ。もしこの廃駅が崩れちゃったら大変だし、それに兵士達に気づかれるかも」


 その通りだった。くそ、どうすればいい。


「でも、万が一の為にすぐに魔法を使える準備はしておいた方が良いかもね」


 スミカは息を潜めながら呟く。体内に魔力を作っておけという事だろうか。


「分かったよ」


 こうしてる間にも、女性は僕達に近づいて来ている。もうダメだ。魔力を作ってる余裕なんてない。シンプルに、何の作戦もなく逃げるしかない。


「スミカ、僕が今だって言ったら、同時に階段を駆け下りよう」


 外套のフードを目深に被り、入り口に背を付ける。


「スミカ! 今だ!」


 勢い良くドアを開け、螺旋階段目掛けて走り抜ける。


「待って!」


 耳をつんざくような叫び声が聞こえた。


「ジン? ジンなの?」


 後ろから、声がやって来る。


「ねえ、返事をして」


 彼女の声は、酷く震えていた。何かに縋り付くような、そんな声。


「ねえ、お願い。置いていかないで」


 進めなかった。そんな声で願われて、逃げられる訳がない。

 フードを少しあげ一度スミカと目を合わせる。同時に頷き、振り返った。


 女性は期待と不安が入り混じった、筆舌に尽くしがたい表情をしていた。


「すみません。僕達は、ジンという名前の者ではありません」


 女性は顔を歪めてしまう。


「そう、ですよね。では、貴方達は……」


「私はスミ、んぐっ」


 馬鹿。堂々と名乗ってどうするんだ。


「彼女はスミレというんです」


 一応、魔力を作った方が良いかもしれない。この余裕なら、作れる。何が起こるか分からないのだ。魔法を放つ用意をしておいて損はない。


 僕達が名乗ると、女性はピクリと眉を動かす。


 陽の光が、とても眩しい。透明な光が、一筋の線を作って女性の横顔を照らしている。


「私はカンナというんです。時々、この街にやって来るんですよ」


 そう言って、カンナと名乗った女性はこちらに近づいて来た。大丈夫。カンナは、スミカの正体に気づいていない。


「ここは、大切な人との思い出の場所でした。だから、ついつい立ち寄ってしまうんです」


 そう語るカンナの瞳は細められていた。遠い昔の出来事を、頭の中に思い描いているのかもしれない。


 カンナはスミカの横に立つ。腰をかがめ、スミカの顔を覗き込んだ。


 何だ、何をしようと言うんだ。


「ところで、一つ聞きたいんですが……」 


 そこでカンナは一度言葉を区切る。


 何か嫌な予感がする。たらりと、汗が伝う。


「貴方達、何か嘘を付いていませんか?」


 悪寒が走り抜けた。バレている。スミカの正体がバレている。


「ダメだ! やっぱり逃げよう!」


 スミカの手を引いて、階段を駆け下りる。


「待ってください!」


 もう一度、耳をつんざくような叫び声で引き止められた。だけど、もうそんなのに構っている場合ではない。嘘がバレた。逃げるのがベストだ。叫び声など気にせず、僕達は階段を駆け下りる。


「私は、貴方達の味方です!」


 今度は、より一層大きい声で、カンナが叫ぶ。


 振り返ると、彼女は両手を挙げていた。私は何の危害も加えない。彼女の行動は言外にそう語っている。


「信用できない。味方だなんて証拠がどこにある」


 出来るだけ低く、相手を威圧するように言う。


 味方なんて言葉に騙される訳にはいかないが、正直、二人だけで逃走を続けるのには無理があると思っていたのだ。協力してくれるのなら、是非、お願いしたい。


 相手がもし怪しい動きを見せたら、すぐにでも火球を放って逃げられるよう準備をしておく。


「証拠を見せろと言われましても……難しいですね」


 確かに彼女の言う通りだった。味方である証拠など、簡単に見せられるわけがない。ましてや、今出会ったばかりなのだから。


「そうですね。強いて言うなら、私がまだ兵士達に通報していないことが証拠になるでしょうか」


 女性は淡々と言う。そこには何の敵意も感じない。むしろ、同情や共感に近いものを感じた。


「貴方達のどちらかがスミカ様なのでしょう?」


 見すかすような目で、彼女は問う。


 どうやら僕とスミカのどちらが本物のスミカか分かっていないようだ。ということはつまり、一般の住民にはスミカの素顔が知られていないということになる。


「まあ、でも、先ほどの名乗りを聞くところそちらの女の子の方がスミカ様なんでしょうけどね」


 女性は口元に手を当てて、上品に笑っていた。


 馬鹿。僕はスミカを睨んだが、彼女はそれどころではないようだ。真面目な顔で、カンナを見つめている。


「私がスミカだったら何? 私がスミカである証拠はあるの?」


「有りますよ」


 氷は冷たいだとか、火は熱いだとか、決まりきった事を確認するように、自信を持ってカンナは答えた。


「貴女、駅長室から逃げようとした時、魔力を練りましたよね? あのとき感じた魔力が、まさに世界を救う力を持つ魔力そのものだったんですよ」


 世界規模の魔法を使う者特有の魔力。カンナはそれを感じたのだという。その魔力により、カンナはスミカの存在を見破ったのだ。


 でも、彼女のこの話には決定的な穴がある。


「じゃあ貴女はなぜ、その世界規模の魔力を知っているのですか? 前回の魔力超過は五百年程前のはず。世界規模の魔力を持つ者は今現在、私以外には存在していない」


 そう、今スミカの言った通りだ。世界規模の魔力を知らないのに、スミカの魔力を世界規模のものだと判断できた理由はなぜか。


「私、田舎で魂の研究を行なっているんです。それで、サンプルとして持っているんですよ。五百年前の、つまりは前回の犠牲者の、魔力を」


 カンナは続ける。


「私は貴女を助けたいと思ってるんです。何の犠牲も出さずに魔力超過を止める方法を、ずっと、探しているんですよ」


 カンナははっきりと、一点の曇りもなく、そう宣言した。


 それはまさに僕達が探し求めていた答えだった。

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