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 もうすっかり、辺りは暗くなっていた。電車で行ける距離に観光スポットがあるのだが、時間の都合で今日は行くのを辞めにした。代わりに、花火で遊ぶことにする。


 海の家まで二人で歩き、着替えと一緒に花火セットを購入。トイレで着替えを済ませた後、バケツを借りて浜辺で花火を始めた。砂を集めてロウソクを立て、火を灯す。今まで暗くてあまり見えなかったスミカの顔を、炎が照らし出す。


「いくよ」


 手持ち花火を一本取り出して、火を付ける。炎はジワジワと燃えていき、音を立てて緑色の火を吐き出し始めた。


「なんか、魔法みたいだね」 


「確かに、炎の魔法使いになれるかも」


 まるでシャワーのように、白い砂浜に緑色の炎がそそがれる。煙がもくもくと上がってきて、目にしみる。スミカの悲しみも、僕の罪悪感も、全部この砂浜に落ちる炎みたいに吐き出してしまいたい。


「そうだ」


 いい事を思いついた。


「スミカ、僕のスマホを持ってて」


 少し設定を弄ってから、スミカにスマホを渡した。彼女にスマホを渡したところで、ちょうど花火が終わる。新しい花火に火を付けて、僕は急ぎ足でスミカから距離をとった。


「何これ、真っ暗な画面に白いボタンがあるだけだよ。どうすればいいの?」


「僕が合図したら、白いボタンを押して」


 シャッタースピードを通常よりも長くして、彼女にスマホカメラを渡したんだ。 


「押して!」


 叫んでから、握りしめた花火で星を描く。


「うわ!」


 スマホを見たスミカが驚いたような声をあげた。


「すっごい。すごいすごい。本当に魔法みたいだよ」


 スマホ画面には、赤い炎で星が描かれた写真が映っていた。

 花火アートだ。


 薄暗い暗闇に描き出されるのは光の文字。 


「私もやってみたいな!」


 それからスミカも僕と同じで星型の花火アートを作っていた。異世界の文字だろうか、見たことのない形をいくつも描いている。


「スミカ、それ君の世界の文字?」

「そうだよ」

「何て意味なの?」


 彼女は一度俯いた。スミカが今、どんな表情をしているのか分からない。


「ダメ! 教えてあげない!」


 少し考えてから、彼女はべーっと舌を出して、戯けてみせた。それから何度聞いても、彼女はその言葉の意味を教えてくれなかった。


 手持ち花火の数が少なくなってきた頃に、砂浜の奥の方にあったコンクリートにカメラを置き、セルフタイマーモードに切り替えて二人で花火アートを作った。スミカはその写真を大切そうに眺めていた。


「この写真っていう機能、すっごいね。それに、この炎も綺麗」

「後で現像しておくよ」

「げんぞう?」

 聞きなれない言葉に、スミカは首をかしげる。


「スマホの中だけじゃなくて、紙とかに印刷するんだ」


 言っていて、印刷の意味も分からないのかもしれないと思い至る。


「えーっと、凄い上手な絵みたいに、そっくりそのまま紙に描かれるんだよ」


「それ、すっごいね。一生の宝物にするよ」


 スミカは自分の髪を弄りながら答えた。でも、言葉の割には視線が下がっている。触っているのは髪先ではなく、おでこの右上だ。


 その場所を見て、思い出す。その場所には元々、スミカの花飾りが付けられていた。彼女が母親から貰ったという、物凄く大切なもの。


 一生の宝物にするよ。


 今、写真をあげると言った時にスミカはそう言った。本当は僕との写真なんかじゃなく、その花飾りを取り戻したいに決まってる。それなのに、僕との写真を一生の宝物にすると言ったんだ。自分に言い聞かせるように、彼女はそう言った。無性に、自分が情けなくなる。


「スミカ。大事な話があるんだ」


 新しい花火を取り出し、俯いたまま、そう呟いた。


「スミカが頭に付けてた、スミカの花飾りについてなんだけど」


 一度言葉を区切り、花火に火を付ける。数秒後、赤い炎が砂浜に流れ出る。この炎と一緒に、僕の思いも吐き出すべきだ。

「僕、ちょっと前に花飾りを探しに行ったんだ。でも、結局、スミカの花は見つからなかったんだよ」


 目の前には、赤い光に浮かび上がるスミカの顔がある。彼女は、僕の持つ花火を見ながら、ゆっくりと口を開いた。


「そっか。わざわざ探しに行ってくれたんだ」


 海風が吹いて、花火が終わる。同時に、スミカの柔らかい髪が揺れた。


「スミカの花ってさ、どうやったら手に入るのかな。やっぱり、この世界にはないよね」


 先ほどの風でロウソクの火も一緒に消えてしまい、スミカの表情が完全に見えなくなる。だから、この時スミカがどんな顔でこの言葉を言ったのか分からない。


「もう、無理なんだよ。スミカの花は、手に入らない」


 暗くて、表情は分からない。でも、その声は消え入りそうなほど弱々しいものだった。


「どうして決めつけるんだよ。その気になれば、僕は異世界に行くことだって躊躇わない。僕はやっぱり、君にあの花を返してあげたい」


 その時、前から少しだけ風が吹いた。ほんのりと甘い香りがする。僕が新しく買ったシャンプーの匂いと似ている。少しして、スミカが首を横に振ったのだと気づいた。今のは、スミカの髪が起こした風だ。


「無理なんだよ。私の世界に行くとか、そういうのは関係ないの。スミカの花は、ほとんど咲かないんだ」一拍おいて、スミカは続ける。


「スミカの花の別名って知ってる?」

「いいや、知らない」

「スミカの花は、奇跡の花って呼ばれてるんだ」


 スミカはそれから、スミカの花と彼女の出生について教えてくれた。


「スミカの花はね、世界規模での奇跡が起きた時に咲くんだ。それで、スミカの花は私が産まれた時に咲いたの」


 奇跡の花が、スミカが産まれた時に咲いた。それはなぜか。そんなの、決まってるじゃないか。


「私が、命をかけて世界を救う存在だったからだよ。世界を守る存在が産まれた。その瞬間、スミカの花が私の家の周りで咲き誇ったんだ」


 ねっとりとした濃い暗闇が、身体中にまとわりつく。呼吸が荒くなる。信じたくない現実が、襲いかかってくる。


「次にスミカの花が咲くのは、私が死んで世界が救われた時だよ」


 苦しかった。信じたくなかった。背中におぞましい何かが張り付いていて、身体中を這いずり回っているような錯覚に陥る。


 スミカが死ぬ。そして、スミカの花も返すことができない。もしかしたらどうにかなると心の奥で思っていた。無理な事なんてないと勝手に信じていた。現実は、非常だというのに。


 僕がスミカと楽しんで過ごしていた間にも、彼女はこんな苦悩を抱えて過ごしていた。大切な人の苦悩も見抜けずに、何が友達だ。本当に、情け無い。


 頭の中に描いていた希望が音を立てて崩れ落ちる。熟れてぐじゅぐじゅした嫌な感覚が、身体中でのたうち回っていた。


「どうにか、ならないの?」


 震える声で尋ねる。


「どうにもならないよ」


 小さな声が帰ってくる。


「なんで君は、死ななきゃならないんだ」


 理不尽だと思った。どうしてスミカなんだと頭を抱えた。なんで彼女は、命をかけて世界を救わなきゃいけないんだ。ずっと塔の上で、まるで死刑囚みたいに、死ぬのを待つために閉じ込められてる。そんなの、あんまりじゃないか。


「私の世界が魔法で成り立ってるって前に説明したよね」


 見えるか分からないが、僕は頷いた。


「《塔の街》を維持するには、莫大な魔力が必要なんだ。でも、強大すぎる魔力を制御するには、それ相応の力が必要になるんだよ。それで、その魔力を制御するためには生贄が必要になるんだ」


「なんでその生贄がスミカなんだよ」


「言ったでしょ。強大な魔力を制御するには、それ相応の力が必要なの。私の魔法は世界規模なんだ。大雨を降らせることだってできるし、大地震だって起こせる。魔力を制御するには、私クラスの魂が必要なのよ」


 そんな理由を聞いたって、引き下がれるわけがない。


「もし、魔力が制御できなくなったらどうなるの?」


 科学力のなくなった現代社会を想像してみる。きっと、大パニックだ。大勢の死人だって出る。でも、それでも、スミカが死ぬのは嫌だ。


 しかし、帰ってきた言葉はより絶望的なものだった。


「魔力超過が起こるんだよ。定期的に、五百年に一度なんだけど、制御できなくなった膨大な魔力が《塔の街》上空に溜まって、次第に全世界に広がって行くんだ。その魔力が凄い力を持ったまま、地上に降ってくる。世界なんて余裕で滅ぶよ」


 ふっ、という力無い笑いが聞こえた。


「世界の人々と、私一人の命。それを天秤にかけた時、天秤が傾くのは世界の人々の方だよ。歴代の生贄達も、きっとそうだった」


 スミカは今、どんな顔をしているのだろう。暗くて、表情が良く見えない。


 滅ぶのはスミカの世界だ。スミカの世界が滅んだって、スミカがこっちの世界で生きていれば、スミカは死なないですむ。


 それをスミカに言おうとして、開きかけた口が止まる。


 目の前から、鼻を啜る音が聞こえてきたからだ。数日前、スミカの花を見つけられずに帰ったあの夜。あの夜と同じだ。


「本当は、全てを投げ出してこの世界に逃げたいよ。でも、多分それも許されないと思うんだ」 


 嗚咽混じりの声で、しゃっくりを懸命に堪えながら、スミカは静かに本音を漏らす。


「私のせいで物凄い数の人が死ぬのは、耐えられない。それに、多分、この世界で暮らそうとしたところで、兵士達に連れ戻されるよ」


 スミカのその言い分は、まるで僕の胸の内を見透かしているかのようだった。


「大丈夫だ。僕が守るよ」


 咄嗟に出た言葉が、それだった。


 どの口がほざいてるんだと思う。僕は今、やっと魔力の操作ができるようになった程度なんだ。でも、それでも、こう言うしかないじゃないか。


 下唇を噛み締めて、スミカの肩に手を置く。彼女は、微かに震えていた。


「ううん。いくらアヤト君が強くなったって、一人じゃどうにもならないよ。兵士達は、私が戻らなかったら確実にこの世界に攻め込む。この世界を滅ぼすつもりで攻撃を仕掛けるよ。それを黙って見てるなんて、私にはできない」


 どうすれば、彼女を助ける事ができる。情け無い。何もできない自分が、情けなくて仕方ない。


 彼女の夢を見れても、彼女の思いが心に届いていても、僕には、何もできない。魂が通じているはずなのに、僕には、何もできない。彼女を救う事が、できない。


 スミカの花を彼女に返して、尚且つ彼女が死なない方法。そんな、奇跡みたいなこと、起こせるわけがない。


 砂浜に両手をついて、項垂れそうになったその時だ。


 気づいた。


 スミカを死なせずに、世界を救う。それこそ、まさに奇跡じゃないか。スミカの花が咲き乱れる。


「スミカ」


 僕はスミカの肩をもう一度しっかりと掴み、彼女の顔を凝視した。暗闇の中でも必死に目を凝らし、彼女を見つめる。薄っすらとだが、彼女の表情が見える。彼女の瞳は真っ赤に腫れ上がっており、酷く怯えていた。 


「奇跡だよ。奇跡を起こすんだ」


 言っていて、間抜けだと思ってしまう。やはりどの口がほざいてるんだと、本気で思う。 


「スミカを死なせずに、スミカの世界を救う。それこそが本当の奇跡だと思うんだよ」


「そんなの、できるわけがない」


 スミカが小さくも、確かな声で言った。


 しかし、僕には名案が浮かんでいた。この方法なら、絶対にスミカを死なせずに世界を救う事ができる。むしろ、それしか方法がない。


「いや、できる」


 元より、僕はスミカの夢を見ていた。スミカと出会ったのだって、魂が共鳴しているように感じ、彼女が助けを求めていると思ったからだ。


 僕の予想が正しければ、僕とスミカは殆ど同じ魂を持ってるはずだ。


「スミカ。炎で辺りを照らしてくれ」

「どうして?」

「いいから」 


 言われた通り、スミカは魔法でロウソクに火を灯した。辺りが少しだけ明るくなる。


「いい? 見ててよ」


 今なら、魔法を使える気がする。スミカと似た魂を持つ僕の、魔法が。


「いくよ」


 言って、イメージする。生命のガソリンが身体中から湧き出し、指先に集まるイメージ。


 指先の力が電流に変化し、海を割る。


 頭の中で確かな絵を描き、僕は腕を振るった。すると、激しい衝撃と共に僕の指先から雷撃が現れる。雷撃は物凄いスピードで海を裂き、進んでいく。


「やった。やっぱり、僕の予想通りだ」


 緊張と興奮で息が激しく乱れている。肩で呼吸をしながら、僕はスミカに向き直った。


「見たでしょ? これは、スミカと同じ魔法だよ。僕とスミカの魂は、とても近い作りになっているんだ。だから、僕と君はお互いの夢を見てた」


 僕の言いたい事を段々と理解してきたのか、スミカの表情がみるみる内に崩れていく。


 それでも構わずに、僕は続けた。


「僕が君の代わりに犠牲になれば、君の世界は救われて、スミカの花も咲くよ」


 直後、鋭い痛みが頬に走った。


「馬鹿なこと言わないで!!」 


 ジンジンと頬が痛む。スミカが僕の事を鋭い瞳で睨んでいた。


「もう二度と、そんな事は言わないで!」


 彼女の呼吸も、凄く乱れている。彼女の胸が激しく動いていた。


「でも……」


 彼女のそんな姿を見ていたくなくて、顔を伏せる。


「約束して!」


 更に強い口調で、彼女は迫ってくる。


「そんな事をされても、全然嬉しくない。そんな世界で、私は生きたくない! アヤト君には、死んで欲しくないの!」 


 それは、僕だって同じだ。


 何か言い返そうと思って、僕も彼女をきつく睨む。その時、彼女の顔が目に飛び込んできた。


 スミカは、先ほどよりも更に瞳を赤く腫らして、大粒の涙を流していた。


「私……そんなこと許さないから、ねえ、約束するって、言ってよ……」


 スミカは僕の服を両手で掴み、崩れ落ちてしまった。彼女の体重に押される形になって、僕はたたらを踏む。そのまま体制を立て直す事が出来ず、砂浜に尻餅をついてしまった。


「ねえ、お願い」 


 スミカは僕の胸で泣きじゃくりながら、僕を力無く殴り続けた。ぽか、ぽか、と鈍いダメージが蓄積されていく。


「ごめん。分かったよ。約束する」 


 そう言うと、スミカは安心したように頷いた。


 でも、この時まだ、僕の胸にはどす黒い靄が立ち込めていた。身体中を駆け巡っている暗く憂いを帯びた感情も、全く消えてくれない。


 ごめん。やっぱり、約束はできないよ。どんな手段を使ってでもスミカにだけは死んで欲しくない。例え、自分の命を犠牲にしたとしても。


 小さなロウソクに照らされる薄暗い闇の中。聞こえてくるのは寄せては返す波の音だけ。そんな世界の果てのような場所で、僕はそう誓った。奇跡を起こす事を、誓った。

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