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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編 タイトル未定1(読書家の彼女) 書きかけ

作者: 間の開く男

アナザー・ワン(もうひとつのじぶん)」というものが流行っている、とクラスメイトが話しているのを聞いて、どんなものか興味を持ってしまった。

 お風呂上がりの火照った体のまま、パソコンを点ける。

 言葉自体の意味は知っていたけれど、実物は見たことが無かった。動画や生放送で何やら可愛らしいキャラクターが画面の中で歌っていたり、踊っていたり。ゲームを実況するようなものもあるのだと聞いて、私の好きなものはないのかなと検索し始めた。おすすめや人気の放送と紹介されているものを色々眺めているうちに、聞き覚えのある声がイヤホンから聞こえてきた。

 

 小説の朗読と雑談をメインにしている放送らしく、彼女の声に合わせてキャラクターが口を開いたり、閉じたり。

 Web小説を区切りの良いところまで読み終えたのか、BGMが明るいものに切り替わった。

 

「ではみなさんお待ちかねの雑談タイムですー。ええと……あ、ありがとうございます。声が綺麗ってよく言われるんですけど、真面目に読んでると目と口だけに集中できるというか、読み間違えちゃダメだなって思って。あー、そうですね。今日も良い作品でした……読ませてくれてありがとう、ですね!」


 口調も似ているし、声のトーンも若干高いけれど……似てる。


「最近あった嬉しいこと……? みなさんが来て朗読を聞いてくれるのももちろん嬉しいんですが、朗読させて頂いた作者様から許可して良かったと言ってもらえたこと……とかですかね! 興味をもって読みに行ってもらえてるみたいで、ある種のメディアミックスになってるんじゃないかと。ホットケーキミックスみたいでおいしそうですよね、メディアミックスって」


 感性は独特のようだし、違うのかもしれない……。

 

「驚いたこと、んー。クラスの男子がドアに激突して鼻血を出してたとか……?」


 ……今日の昼間、高橋が開いてると思って走り出したドアを誰かが閉めて……。

 

「あっ、クラスは魔術学校のクラスで! そうですよねー、注意不足ですよねー!」

 注意不足、というのは男子生徒ではなく、自分に対しての言葉……なのかもしれない。

 

 質問、してみたい。けれどこのまま見守っていたいという気持ちもある。

 

「僕の小説も読んでみて欲しい……おおー、ついにこの放送にも書き手さんご本人がいらっしゃるように……! みなさん、明日の作品が決まりましたよ! ぜひ朗読させてください! 先に読んでネタバレする悪い子はいませんよねぇー? それではもうそろそろお時間が来てしまうので……いつものヤツで締めますよ! せーのっ、おやネルカー!」


 アナザー・ワン、ネルカとの出会いから30分ほどで終了となってしまった。

 彼女の声をもう一度聞きたい、私は迷わずにチャンネル登録のボタンを押した。

 

 

「おはよー、時山(ときやま)さん! 今日もいい天気だよねー」

「……おはよう、長船(おさふね)さん。相変わらず元気そうね」

 聞きたい。結局眠れずに彼女の声を頭の中で反芻して、考え続けた結果……徹夜してしまった。

 ここで「もしかしてアナザー・ワンとかやってたりする?」なんて聞けるほどの関係性でもないし、そこまで無謀ではない。

 

「元気だけが取り柄ですからー。ちょ、いま机にしまったの……小説だよね。何読んでたの?」

「ナイショ。恋愛ものだから少し恥ずかしいし……。読み終わったら貸してあげようか?」

「え、良いの? やったぜ! 恋愛かー、してみたいなぁ……。長船(おさふね)さんはクールにデートしそうなイメージなんだけど」「デートなんかしたこともないし、あんまり興味もないかなぁ……」

 男子に、という言葉は付け加えなかった。

 

「なんかこう……シュッとした感じで決めてきそう」

 両手を体の上から下までサッと撫で下ろして、彼女なりのシュッを表しているようだ。

「うーん、自分じゃよく分からないけど。そこまで女の子っぽくはないかもね」

 普段着もほとんど同じものを着回ししているし、あまり意識はしていない。

 正直なところ、ファッションにこだわりは無い。着て、外を歩ければ良い……恥ずかしくない程度に。

 

「じゃあさ、今週末の日曜とか空いてる? 本屋でオススメの小説とかあったら教えて欲しいなー、なんて」

 彼女の提案は魅力的だけれど。

「……いいけれど、突然どうしたの……?」

 小説を朗読でもするの?とは聞けないし聞かない。

 

「あ、え、と……最近Web小説を読むのにハマっちゃって。それで……紙の本でも読みたいなー、と」

「へぇ……そうなんだ。じゃあ何時にする?」

 助け舟を出す。言い訳を考える時間をあげるんじゃなく。

 

「お昼過ぎちゃうと暑くなるし、午前中の方がいいかな……10時の開店直後で、誰も居ないところでゆっくり見たいかも」

「じゃあ……10時に本屋さんの前で。予報だと晴れだったし心配いらないと思うけど、雨が降らないといいね」

「そうだねぇ、予定があるときに雨が降るとションボリしちゃうからねぇ……週末にイベントが発生すると分かって、今ワタシは頑張れそうな気力に満ちております!」

「おおー、何かわからないけど……がんばれ?」

「おう! がんばるぜぇ!」

 騒々しい彼女との待ち合わせは、私のメモ帳にしっかりと書き込まれた。

 

 毎日、彼女の声を聞く。ネルカの口から紡がれる音の美しさに聞き入りながら、紅茶の香りに包まれる。これだけでも十分に幸せだ。画面上の声を拾い上げて楽しそうに笑い、顔の見えない者の悩み事にも真剣に向き合う。そんな彼女に憧れにも似た感情を抱きつつある。

 彼女にとって、ネルカにとってのもうひとり(ほんとう)の自分は、誰なのか。

 答えを知りたいのに聞いてはいけない。この関係性を変える一言は、エンターキーを押す前に一文字ずつ消されていく。善良なる心を持つ人差し指によって。

 

 知ってどうしたいのか。

 どうしても知りたいのなら、明日の朝に聞けばいいじゃない。

 放送終了を告げる画面の奥でうっすらとこちらを見つめる私が、そこに居た。

 

 待ち合わせの時間よりも20分早く着いてしまったけれど、待つのはそんなに嫌いでもない。まだ緩やかな日差しを浴びて徐々に熱を帯び始めた髪が、乾燥したビル風を受けて膨らみ、また元に戻る。行き交う人の波を見つめていると彼女の姿が見えた。

 

「ごめーん、あれ? まだ時間前だよね? 先に来て驚かせようとしてたのに……」

「せっかくの計画を邪魔しちゃったのかな」

「ううん、全然。まだまだ色々とあるのですよ、秘策がね!」

「それは言ってしまったら効果が半減しちゃうんじゃないの?」

「それもそうだね……じゃあ聞かなかったことに!」

「朝からほんとうに元気ね」


 他愛ない会話は寝ぼけている私の頭にちょうど良い。腕時計を見るとまだ時間がある。

 彼女の出で立ちはベージュのキャスケット帽にチェック柄のロングシャツ、やや色味の抜けたショートデニムに紺色のスニーカー。 虫眼鏡でも持たせたらかわいい探偵……の助手、といったところだった。


「……長船さん、私服も可愛いのね……」

「え! 本当? いやー、小説って言えば推理小説、それで――」

「探偵っぽい?」

「狙い通りだぁ! 褒められたのも嬉しいし、分かってもらえてもっと嬉しい!」

 胸を張る彼女のTシャツに書かれた「I want to know the 『Truth』」……私は真相が知りたい、なのかな。

 真相が知りたいのは、私のほうなのに……。


「時山さんの服もカッコイイよ、やっぱりシュッとしてる!」

「そ、そうなのかな……?」

 ネイビーボーダーのシャツを伸ばすように引っ張った。ここからの視点ではやや歪曲した横線が見えるだけで、シュッとしているようには見えない。


「足も長いしー、ほら。10cmは違うんじゃない?」

 真横にならんだ彼女が白い太ももを、サマースキニー越しに私の脚へと密着させる。

「あ、暑いからもう少し離れて……?」

「ほんと、朝だってのに暑いよねぇ。少し曇っててくれたら違うんだろうなー」

 帽子を少し上げながら太陽を見つめると、私の方へと急に顔を向けた。

 学校で見るよりも血色の良い肌は何かしらの化粧をしているように見える。

「もうそろそろ、開くかな?」

「うん、もう時間だね」


 彼女の顔が離れていくにつれて冷静さを取り戻していく。

 な、なんで同級生にドキドキしなきゃならないんだろう。

 

 ガラスドアを開けると冷気が漏れ出してくる。熱気に包まれた世界でくらす人々を癒やす風が首筋を撫でて、薄手のカーディガンの襟元を少しだけ寄せた。

 

「うわー冷えてるぅー。人がまだ居ないからなのか余計に寒く感じるよね」

「これ、着てきて正解だったかも」

「いいなあ……ちょっと袖だけ分けて?」

「返してくれるなら分けてあげたいけれど」

 目的のフロアへとエスカレーターで上がりつつ、会話を楽しむ。

 どんな本がいいか、好みの作者は、舞台は日本か外国か。聞き出した情報を元に絞り込んでいく。

「よっと」

 動く足場から動かない足場へと飛び移った彼女を見ながら、私も最後の一段をジャンプしてみた。

 着地の振動で、心がまだ跳ねているような気がする。

 

 本棚で作られた城の中にはほとんど誰も居ない。城内の清潔さを保つため動き回るメイド(てんいん)さんと、困った時に助けてくれる執事(てんいん)さん。それと彼女と私だけがここに居る。

 

 迷わずに突き進む小さな探偵が私の手を引く。

「さあさ、どれがオススメ?」

「うーん……さっき聞いた中だと……この本とか」

 有名な推理モノの一冊を本棚から丁寧に抜き出して、表紙を彼女へと見えるように持つ。

「あ。それはこの前読んじゃったなぁ……」

「じゃあ、こっちは?」

 本をゆっくりと戻しながら、別の一冊を抜き取った。推理もすごいけれど恋愛の描写も濃くて、私のお気に入り。

「読んだことはないけど、どういう感じ……あ、ネタバレ怖いから買う!」

 本を手渡す時に指先が軽く触れた。少しヒヤッとした感覚に、あまり長居させては体に良くないな、と思った。

 

「何冊くらい買うの?」

「あんまり考えてないかなぁ。時山さんの教えてくれたヤツは全部買いたい!」

「そこまで自信はないけど……もし参考書って言ったら買って勉強する?」

「うぐ……? 読むけど勉強までは……」

「冗談。最近気に入ってる作家さんのとか、あと2冊くらいだけ紹介させて」

「おっけーい」

 最近アニメ化された小説の原作と、もう続きが書かれることのない未完の小説。

 2冊と言っていたけれど、「ネルカ」が読む話のジャンルに近いものも一冊。

 全て手にとって彼女が振り向く。

「そろそろレジに……おっと、その前に」

 趣味やカルチャー系の雑誌が置かれたコーナーに近づき、彼女がその中の一冊を持ち上げた。


「やっぱりこういうのがウケるのか……」

「え? どういうのなの?」

「いやいや何でもないよ。最近釣りを始めましてね、これの最新号が欲しかったんですよワタクシは」

 もう一冊を手にとってこちらに見せてくれた。バス釣り……まだ踏み込んだことのない領域だ。

 魚に、ウケる?

 

「長船さん、シブい」

「そ、そう? クールに対抗するなら渋さも必要かなーなんて。対抗するもんじゃないんだけどね」

 誤魔化すようにあははと笑う彼女へと微笑みを浮かべながら、視界の端にある……先に持ち上げたはずの本を観察する。

 どうやら、アナザー・ワンについて特集されている音響関係の雑誌のようだった。

 


「いやはやー、本っていいものですねぇ!」

「読んでからもう一度言ってみて欲しいけれど、そのセリフには同意できるかな」

「……細かいことは喫茶店(むこう)で聞かせてもらおうか!」

 空いている方の手で帽子をクイッと持ち上げながら、刑事のような口調で私を連行しようとする。

 あれ、探偵じゃなかったの……?

 私は大人しく、「はい、刑事さん……私が紹介しました……」と両手をくっつけて差し出した。


 店内はリラックスできるBGMが流れていて、ときおりティーカップの立てるカツンという小さな音と、グラスを置くコトンという音がそれに混ざる程度だった。

 

 予算を少しオーバーさせてしまった罪滅ぼしとして奢らせて欲しいと伝えると首をぶんぶんと横に振って。

「いい本を紹介してくれただけだし、こっちが奢りたいくらいだよ!」

 店員さんがメニューを持ってきてくれるまで続いた会話は、メロンフロートとクリームソーダの相違点へとすぐに変わった。

 

 結論がテーブルへと運ばれる。

「おおー、アイスが乗ってる。当然っちゃ当然なんだけど、クリームだよね」

「50円の差がこれほどとは……ね」

 メロンフロートは小さくくり抜かれたオレンジ色の、メロンの珠がアイスの島の横に2つ浮いていた。

 

「……ずるい。交換して」

「えーと……ほとんど変わらないよ?」

「知ってたら同じの頼んだもん」

 少しだけ頬を膨らませる彼女のグラスへと、パフェスプーンで球体をすくって移し替えた。

「これで同じになりました。溶けちゃう前に頂きましょう?」

「時山さん、アンタ……女神か?」

「だってこうしないと2つとも取られそうだし、妥協点かなと」

「本当にすると思ってたんだ、そんなことしないよー!」


 バニラアイスの表面がメロンソーダ色のシャーベットになっていて、スプーンをシャクッと突き刺して。

 ふたつのいいところが混ざり合い、舌の上でほどけてゆく。

 

「あのさ、これってデートみたいだよね」

 ストローを口から離し咳き込むと、彼女が席から立ち上がり背中を撫でてくれた。

 

「ああ、ごめんごめんって。そういう事じゃなくってさ。可愛い女の子と喫茶店だなんて幸せだなぁーって」

「……な、何を言い出すのかとおもったら。え? デート?」

「……こうやって聞くと……恥ずかしいね。やっぱり聞かなかったことに!」

 その後はお互いに吹き出させるような話題も無く、好きな食べ物だったり動物だったりの話をして、結局二人でワリカンした。

 

 無意識なのか、デートや恋愛を連想させる言葉を回避しながら。

 

「今日はありがとね、本選びにつ……誘っちゃって」

「うん、楽しかったし。また誘ってほしいな」

「じゃあ……というか明日も会うんだし、また明日でいいかな?」

「……うん、また明日」

 手を振る彼女へともう一度振り返して、改札口へとパスケースを軽くタッチさせる。

 メロンのほのかな香りが口の中にまだ残っていて、さっきの言葉を思い出しそうになる。

 きっと顔が……やっぱり熱い。きっとこれは日差しのせいだと思い込みながら、丁度到着した電車に乗り込んだ。

 

「みんなー、晩ごはんは済んだかな? それじゃあいつも通り、9時から朗読はじめるよー!」

 ネルカを待っていた人々がそれぞれ挨拶していく。その様子を見ながら、私もこの中に混ざりたいと考え始めていた。

 でも、この距離感のほうが良い。長船さんとネルカが同一人物じゃなかったとしても、このままの距離で。

 

 朗読がはじまり、優しい声が眠りの世界へといざなう。

 朗読が終わるまで必死に抵抗しながら、美しい物語の世界で睡魔を上書きする。

 そして、雑談タイムが始まった。


「今日はねー、嬉しいことがあったの! 本屋さんで買ってきた本が面白くって……あのね、魔法の世界にも厳しい制約がありまして……これを朗読することは出来ないけれど、読み終わったら感想とタイトルは言えるかなー、なんて。それじゃあ今日も元気にみんなのお話を、聞かせて!」

 

 えー、誰と買いに行ったの?

 いいなぁ、俺もネルカとショッピングに行きてぇ。

 そんなコメントが送られ、それに彼女はこう答える。

「ひ……一人で行ったから最初は迷っちゃってさぁ。オススメのを聞いて買ってきたよ!」


 何かを言いかけて途中で軌道修正した。それは見てくれている人への心遣いなのだろう。

 自分より親しい存在があれば妬む声もあがり、純粋に観に来ている人が悲しむ。

 

 きっと、そうに違いない。

 

 初めて、彼女を見ている途中でブラウザごと閉じた。

 

 

「おはよー時山さん! あれ……? 時山さん……?」

「ああごめん、おはよう。ちょっと考え事しててね」

 読み終わっていたけれど心を落ち着かせる為に読もうと、開いたままにしていた本を閉じる。

 

「考え事、かぁ。何か悩みがあるなら相談に乗ろうか……?」

「ううん、全然大したこともないから」


 嘘だ。

 このもやもやとした気分をスッキリさせる言葉があるじゃないか。


 長船さんは、ネルカなの?


 一言、つぶやくだけでハッキリする。彼女の性格なら嘘なんてすぐに見抜ける。

 そうじゃなかったとしても、本人から否定の言葉を引き出せたら上出来じゃないか。

 

「隠し事は良くないぞぉ。ほらほら、言ってみて?」


 隠し事をしているのは、どちらだ。

 

「特に無いよ。そんなことよりも昨日の本は、どうだったの?」

「あれね! すっごく面白かった。寝ないで読んじゃうほど……そのせいでちょっとだけ寝不足だけど。全部読み終わっちゃったからまた別のを一緒に――」

「じゃあ今度は"一人"でも探せそうだね」


 違う、こんなことを言いたいんじゃない。

 

「……読んでるのが丁度いいシーンなの。集中しててもいいかな?」

「あ……えと……その……」


 狼狽える彼女から視線を手元の本に戻し、読んでいるフリを続ける。


 昨日のあの一言のせい?

 長船さんがネルカじゃなかったとしたら、どう弁解すればいいのかなんて考えてもなかった。

 

 授業中に何度か視線があったけれど、意識的に隣を振り向かないようにした。

 さっきはごめん、そう言えば許してくれたのかもしれない。

 机と机の間に、大きな溝が出来てしまったみたいに感じる。

 どちらからも話しかけず、全ての授業が終わるなり帰った。

 


 家に着く頃には頭の中がクリアになっていて、なんてことをしてしまったんだと自分を責めていた。

 もし違っていたのなら……いや、どちらにせよ明日必ず謝る。

 心に誓いながら、ブラウザを開いた。

 

「朗読を楽しみにしていたみんな、ごめんね。今日はちょっと読み上げる気分じゃなくて。明日……にはちゃんと元気になってるから、今日はおやすみで! いきなりだけど雑談タイムにしよっか!」


 いつもと同じように振る舞っていても、声が違っている。

 自分を奮い立たせるためのように強い声で。

 自分を責めるようなか細い声になりつつも。

 カノジョはみんなの声と、会話していた。

 

 一言も発さない私は、みんなの中に含まれていない。

 私もカノジョと話がしたい。

 勘違いから傷つけてしまった、彼女へと謝らなければ。

 

 

 ドアが音を立てる度に振り向き、正面へと向き直る。こんな事を何度も繰り返している。

 彼女が来たら真っ先に謝る。あんな態度を取ってしまってごめんなさい。たぶん、また本屋に誘ってくれようとしていたのに、遮ってごめんなさい。

 

 そう決めていた。

 ドアがまた開き、その顔を見た瞬間に立ち上がった。

 彼女へと近づき、頭を下げた。

 

「ごめん、ごめんなさい。昨日の……」

「え、うそ。ちょっと……顔あげてよ。どうしたの?」

 

 

「いきなりでビックリしちゃったけど、そういう事だったのね。本を読んでたから話しかけちゃマズいかなー、とは思ってたんだけど、そこまで気にしてなかったよ?」

「いや……その……ほんとにごめん」

「だからぁ、気にしてないって。また一緒に本を選んでくれたらそれでいいし。今週の土曜日、とか?」

「……うん、土曜日……」

「あ! あのさ。ひとつ言い忘れてた。言ってもいい?」

「いいけど……」

 つばを飲み込み、彼女の言葉を待った。

 

「おはよう、時山さん!」

「……え?」

「いや、さっきいきなりだったから挨拶してなかったなって。やっぱりこれやらないと調子が出ないじゃん?」

「あの…………おはよう、長船さん」

「はいはい、おはよう!」


 普段どおり接してくれた事にありがとうと言いたかった。

 私が勝手に勘違いして、勝手に落ち込んでいただけだったんだ。

 

 普段どおり。

 国語の授業中に居眠りをする彼女をつついて起こしてあげたり。

 数学の授業中にカックンと頭を揺らす彼女を見ていたり。

 半分眠りながら英文を読み上げて注意されていたり……化学の先生は笑って許してくれていたけれど。

 

 土曜日が待ち遠しくなるような、日常が戻ってきた。


 その日の晩から、ネルカが放送開始と同時に一言つぶやくようになった。


「ねぇ、聞いてる?」

 

 誰に対しての問いかけなのか、そんな事を考える前に指が動いていた。

「聞いてるよ」

 Tokizanというユーザーとして、一人の視聴者としての声が彼女へと届くはず。

 私からカノジョへの、初めての挨拶になった。

 誰よりも早く届いたはずのその声に。

「今日も来てくれて、ありがとう」


 それがみんなに対しての言葉であることは分かっていた。

 私だけが独り占めできる言葉じゃない。

 だけれど、私に対して言ってくれているような、そんな気がした。

 

 長船さんとの会話がネルカの話題とリンクする事は少なくなっていった。

 たまたま、だったんだ。

 そう、最初から長船さんは長船さんで、ネルカはネルカ。

 

 別人だったんだ。

 一人で考え込んで疑ってみたり、冷たい態度を取ってしまったり。

 悩む必要なんてなかったんだ。

 明日こそ、長船さんが喜びそうな本を紹介してあげよう。私が好きな本よりも、彼女が好きそうな本を。

 穏やかな海を見ているような気分のまま、電気を消してベッドに向かう。

 タオルケットをかけて横になると、すぐにアラームで目を醒ました。

 

 

 土曜日が、来ていた。

 以前と同じようにビルの前で待ちながら、ガラスに写った自分が背筋を伸ばす。

 今日の服が変じゃないか、寝癖が直っているか。最終チェックを済ませる。

 ふと、背後から忍び寄る人物が……両手をワキワキと動かしながら近づいてくるのが見えてしまった。

「今日も相変わらず……大きいですなぁ!」

 振り向かずに一歩前へと踏み出す。その両手は私が居た場所を掠めたのだろう。大きくバランスを崩した人物が背中へとぶつかり軽い衝撃が伝わる。

 

「せ、背中に目でもついてるの?」

「だって、見えてたんだもの。ほら」

 振り向きながら彼女へと、後ろのガラスを親指で指した。

 

「あー……。それって、ズルくない?」

「不意打ちを狙うのって、ズルじゃないの?」

 可愛らしい服を着た彼女へと問いかけると、言葉をつまらせた。

 開店を知らせる店員へと一礼してから、彼女へと手を差し出した。

「じゃあ、行こっか」

 すこしむくれたままの彼女が、私の手を握った。

 

 前回来たときよりも暖かく感じるのは、彼女が近くに居るからなのかもしれない。

 エスカレーターから降りると、彼女の着地音が真後ろから聞こえる。

 ああ、そうだった……ジャンプするんだったっけ。

「そういえば……なんでジャンプするの?」

「だってその方が『到着っ!』って感じがするから。しない?」

「うーん……するような気も、する」

「……次回に期待しているぞ、時山くん」

「探偵だったり刑事だったり、もう何の役になりきってるのか分からないよ」

「気分で切り替えられるのが持ち味です!」

「次は何味なのか楽しみにしてるね……」

 やはり、朝のテンションについていけてない。昨日も配信を最後まで見ていたから、まだ眠い。

 

 店内はかすかに聞き取れるくらいのBGMが流れていて、本を選ぶのには丁度よい。全くの無音で足音だけが響くのも良いが、それを打ち消してくれる。

「それで、今日はどんなご本を選んでくれるの? おねえさま」

 ……心臓が嬉しさに飛び跳ねる。

 

「え、えと……もう一回、お願いできますか」

「……ふーん、こういうのが好みだったのかぁ」

 いたずら好きな子供のような、口元を少し邪悪に歪ませた顔で。

 頭一つ分下の、その顔が私の目を見上げながらささやいた。


「おねえさま?」


 ああ……妹が欲しいと思っていたけれど……今はそんな事どうでもいい。

 抱きしめたくなる衝動を抑え込みながら、本棚の間を無言で進む。ぱたぱたという足音がリアクションを求めて近づいてきても、無視する。1秒で2回存在感を示す心臓を、彼女に見られないように深呼吸して落ち着かせる。

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