第二話 せっかく超絶美少女になったので、石油王と出会いに行く
俺は今、日本の空港にいる。
中東に向かう準備は万端だ。
ヒジャブっていう頭を隠すスカーフみたいなやつも買ってきた。
ネットで探したけど、結構高いのなこれ。
パスポートもちゃんと持ってきた。
当然チケットも……。
あれ、チケット?
持ってきたっけ?
「おい新井藤、様子がおかしいが大丈夫か?」
小次郎が高い位置から見下すように言ってきた。
今の俺よりちょっと背が高いからってバカにしやがって。
「だだだだだだ、大丈夫だし? なななななななんでもねえし」
「いや、カバンを高速でひっかき回してるのが、ただ事じゃない感を醸し出してるが」
「わわわ、忘れ物がないか、最終確認してるだけだし?」
「その割には、めっちゃ手が震えてるが」
「さ、寒いんだよ!」
「いや、黒ずくめで暑そうなんだが。っていうかその頭に被ってるやつ、まだ早くないか?」
「ああ、分かったよ。分かりましたよ! 脱げば良いんだろ!?」
そう言って、俺はヒジャブを床に叩けつけ……ようとしたが、結構高かったのでやめておいた。
あとでネットで売ろう。
「突然どうした」
「石油王と結婚するなんて、しょせん夢だったんだ! 俺はもう、毎晩お刺身食べて、発送作業に追われる人生を送るしかないんだ!」
「……お前まさか、パスポート忘れたか?」
「ちげえよ! 忘れたのはチケットだけだ!」
「それなら、まだ諦めるのは早いぞ。俺らが買った航空券、チケットレスだし」
「……チケットレスとは、なんぞや」
「メールで受付番号が送られてきただろ? それを入力すれば、この場で搭乗券が発行される」
「……もっと噛み砕いて説明してみろ」
「つまり、お前は中東に行ける」
「……ふっ、なんだそういうことか。ビビらせやがって」
「こっちのセリフだ」
こうして俺たちは、日本を出国した。
中東に着く前からこれじゃ、先が思いやられるぜ。
飛行機での移動は、とにかく暇だった。
ダラダラしてはいけない中でのダラダラには一種の快感があるが、ダラダラしか出来ないというのは苦痛だ。
真のダラダラとは、自由の中でしか生まれない。
仕方ないので、小次郎で暇を潰してやろうかと思ったが、奴はずっと本を読んでいた。
『中東での過ごし方 マナー完全習得』や『上級アラビア語 実践編』などだ。
情弱め。
そういうのは本を買わなくてもネットで調べれば良い。
だいたい、なぜこのタイミングでアラビア語を学ぶ。
アラビアータと言えばイタリアの地方だろ。
そんなマイナーな地方の方言を習得してどうする。
そんなこんなで、うとうとしていると、気がついたら中東についていた。
空港はかなり豪華だ。
さすがオイルマネーはハンパない。
これは石油王への期待もふくらむ。
空港を出ると、ボロボロの服を着て地面に座った老人たちが、手を差し出してきた。
小次郎が彼らに近付こうとしたので、腕を引っ張って止めた。
「あいつらの年収、日本のサラリーマンの数十倍だぞ」
「え、マジで?」
これだから、ネットを大して使わず、紙媒体に頼る情弱は困る。
やつらは月に八百万くらい稼ぐ、プロの物乞いだ。
プロということは、ああして座ってるだけで働いてることになるのが減点対象ではあるが、時間あたりのコスパという部分では高得点だ。
万が一、石油王と結婚出来なかったら、彼らに混ざるのも良いかもしれない。
「……来ねえな」
小次郎が突然つぶやいた。
空港の前で、かれこれ一時間ほど、ホテルからの迎えの車を待っている。
「ホテル代ケチり過ぎたか……」
金額を考える時に、つい何パンツ分かで計算してしまうのは悪い癖だ。
この一時間の間に、何枚のパンツを発送出来たか考えると、もったいなかった。
「今更言っても仕方ないし、待つしかないな」
「いや、もうタクシーに乗ろう」
こうしている間にも、パンツを発送出来たはずの時間は刻々と経過している。
タクシー代も、何パンツ分かで払えるだろ。
多分。
「……危なくねえか?」
「こういう時は迅速な判断がモノを言うんだ! 行くぞ!」
小次郎は色々ゴネたが、強引にタクシーに押し込んだ。
タクシーの運転手のおっさんに、スマホに映ったホテルの写真を指差す。
おっさんは頷いた。
ホテルは車で十数分ということだったので、すぐに着くはずだ。
いや、はずだった、というべきだろう。
全然到着しない。
三十分くらい経った頃に、小次郎が焦り始めた。
タクシー代が心配になってきたのだろう。
パンツを発送するの結構めんどくさいしな。
いや、男はパンツ売れないか。
そう考えると、男って人生ハードモードだな。
俺は女になって良かった。
石油王とも結婚出来るし。
小次郎がおっさんと何か話している。
内容は分からないが、どうやら会話が成立しているようだ。
お前、中東語が話せたのか。
会話が怒鳴りあいに近くなったので、さすがの俺も止めようと思った時だ。
おっさんが銃を取り出した。
おい、小次郎。
なんでおっさん怒らせてんだよ。
「なになに、一体なにが起こってんだ?」
「……俺ら、人質になった」
「ひ、人質って誰の?」
「過激派テロ組織」
おいおい、マジかよ。
石油王と結婚出来なくなったらどうしてくれるんだ。
タクシーが止まると、黒ずくめの男が十人くらい待っていた。
小次郎に『石油王の関係者の方はいますか?』と聞いて貰おうと思ったが、やめておいた。
雰囲気がそれどころじゃない。
銃を突きつけられて、歩くように促される。
黒ずくめ同士のお友達特典で、なんとかならないだろうか。
それとも、パンツの販売ノウハウで許してもらえないものだろうか。
パンツは無理か。
なにかの決まりごとに触れそうだし。
などと考えていたら、地下室っぽいところに、小次郎と二人で閉じ込められてしまった。
天井に小さい窓がついてはいるが、薄暗い。
「やばいな。どうするか……」
小次郎は初めて見るような深刻な顔つきをしている。
不安になってきたのだろう。
仕方がないやつだ。
俺がいて良かったな。
「案ずるな、小次郎。この国では、男色は禁止だ!」
どうだ、ネットマスターの中東知識に、さぞかし驚いただろう。
「いや、知ってるし、その心配はしてない」
「ちっ」
つまらんやつだ。
「……それで言うと、お前のが危ないぞ」
「これだから情弱は。男女間でも婚前交渉は禁止されているっ!」
「その回避方法があるんだよ」
え、マジで?
「……詳しく話してみろ」
「事前に簡易的な結婚式を挙げてだな……その後は言わすな」
「……そ、それはちょっと困るんですけど」
「だよな……」
「石油王のお嫁に行けなくなっちゃうじゃないか!!!」
石油王が処女厨だったらやばい。
婚約破棄される。
まだ婚約してないけど。
「……どうにかして逃げるか」
覚悟を決めたように小次郎がそう言ったので、とりあえず頷いておいた。
天井の窓から入る光がなくなった頃、扉が開いた。
明かりを手に入ってきたのは、ヒゲモジャの男だ。
もはや、このヒゲモジャが石油王であることを祈るしかない。
どうか、石油王であってくれ!
最悪その息子とかでも良い!
目をつぶりながら、世界の神々の名を唱えていたら、鈍い音がした。
目を開けると、ヒゲモジャが倒れている。
神々やるじゃん。
何番目に唱えたどの神様が助けてくれたのか分からんけど。
「ほら、行くぞ!」
小次郎が俺の手を引く。
やつの切れ長の目の横で、黒髪が揺れていた。
カッコつけやがって。
俺が神々に祈っていなかったら、どうなっていたことか。
そんな感じで俺たちは、過激派のアジトっぽいところを抜け出した。
そのあと、めっちゃ走った。
女になってから初めて走ったが、すごく走りづらい。
砂漠なのを差し引いても、胸は重いし歩幅は狭いし最悪だ。
まあでも、石油王と結婚したら走る機会もないだろうし、良いんだけどね。
虎の毛皮の上に寝そべって、ブドウとか食べる生活が待ってるはずだ。
多分。