後編 1
まとまらなかったので、もう少し続きます
少しずつ、暮らしに馴染んでいく。
仕事にも徐々に慣れてきて、字の勉強もはじめた。子供用の練習帳はアカリがプレゼントしてくれた。
毎晩カムルさんの家で晩ごはんを一緒に食べる。人に食べさせると思うとあまり手が抜けない。
アカリにレシピを貰う以外に、大家さんの奥さんにも教わったり、レシピ本を読めないなりに絵の解説を見てみたり。
けど、元々がオタクである私は、単純に本を読みたいのもあって、レシピ本を読む必要も加わり字は読むだけならかなり覚えた。書くのは下手だけど。
ごはんを食べてお風呂を借りたらすぐに帰る。余計には居座らない。
きちんと線引きをして、踏み込みすぎない。たぶんお互いに、なんとなく暗黙の了解だった。
礼儀正しく、ご近所付き合いの距離を守る。
「アカリ、いるー?」
呼び鈴を鳴らしてノックする。
しばらく待っても出てこないので、ちょうど二人とも不在だったみたいだ。
借りたレシピ本を返すついでにお礼のお菓子も持ってきたので、しばらくしたら帰ってくるかと少し待つことにした。
ぱらぱらとレシピ本を開いて読み返していると、シズイさんとアカリの声が聞こえて顔を上げる。
向こうから手を繋いで歩いてくる、笑い合う二人が見えた。
まだこちらには気づいていない。
いいなあ。
純粋に羨ましくなって、淋しさが胸を塞いだ。
「お、シホも来てたのか」
後ろからした声に振り向くと、反対からやって来たカムルさんがいた。
カムルさんの視線が私の向こうの二人に向く。
「ああ、帰ってきたとこか」
ほんの僅かに、気のせいかもしれないけれどその声のトーンが下がったように聴こえて、じっと見てしまう。
カムルさんはこちらに向き直るといつもと変わらない声で話しかけた。
「シホ、丁度よかった。俺、今日は集まりがあるから晩飯いらないから」
「あ、うん。わかりました」
「合鍵あるだろ?帰るの遅くなるから、勝手に使って良いからな。戸締まりだけ頼むわ」
「え、うん、ありがとう。ごめん、じゃあ借ります」
何だろう、今までこういうことなかったから、ちょっとだけ信頼関係ができたみたいで、なんかくすぐったい。でも嬉しい。
ついでに言ったらなんか会話だけなら合鍵預けてる恋人っぽいみたいな……だめだめだめ妄想退散、邪念退散。あとで虚しくなるだけよ志歩さん。
そうしてる内に新婚夫婦が私たちに気づいた。
「シホさーん、カムルさーん」
アカリが手を振っている。程なくしてすぐ側までやって来る。
「どうしたんですかお揃いで」
「偶々だ。シズイ、これからいつもの面子で集まるけど、お前来るか?」
「ん?なんかあるの?」
ハジさんというお友だちが五年来の彼女に振られたらしい。
な、なんとまあ…。
「そりゃあ…呑むしかないか。でも夕飯作っちゃったんだよな」
「シズイさん行ってきなよ。あっ、カムルさんも行くんならシホさん、うちでごはん食べませんか」
「…えっ?あっ、いいの?」
やり取りを眺めながらカムルさんを横目で観察していたら反応が遅れた。
「もちろんです!やった、女子会だ」
嬉しそうに言うアカリに笑って答える。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
お酒まで開けたおかげで女子会の会話は大いに弾んだ。
「カムルさんとシホさん、実際どうなんですか?」
「どうもこうもないよー、てかカムルさんて彼女いないの?」
「いないと思いますけどー。あれでカムルさんて結構お堅いから、彼女とかいたら嫌がりそうなことはしないと思うんですよねえ」
「あー…。いや、彼女がめちゃくちゃ心広い出来た人なのかもよ」
「えー、でも誤解を招きそうなことは避けそうじゃないですかあ?」
「確かにい」
ほーんと気遣い屋だし、誠実だよなあ。
「わたしはーシホさんとお似合いだと思うんですけど」
「いやあお世話になってるのに迷惑かけらんないよー」
「なんで迷惑なんですかあー」
迷惑でしょうよ、こじらせてるアラサーなんてさあ。
「うるさいぞ新婚め~」
「え~? でへへ~」
お互い、いい加減酔っ払いだった。
お礼のはずのお菓子もデザートに二人で食べ尽くしてしまったので、遅くなりすぎないうちにお暇することにした。
シズイ家もたいがいご近所なのでさほど離れていない。たらたら歩いてもすぐに着く。
一度部屋に戻って着替えを取ってから、カムルさんちへ行く。
はじめて合鍵を使うのが、なんだかどきどきわくわくしてしまう。
「シホ、今来たのか?」
にやけつつ鍵を差し込んだところでちょうどカムルさんが帰ってきてしまった。がっかりだ。
「……おかえりなさい。早かったんですね」
「まあな、シホはちょっと遅かったんじゃねーの」
「いいんですー楽しかったし明日お休みだし」
「シホも飲んできたのか?」
問いかけに答えず、カムルさんの手にある瓶が目に入って尋ねる。
「カムルさん、それお酒?」
「そうだけど」
「飲みません?」
酔っ払ったアラサーの図々しさを最大限に発揮した。
気分が良くてもうちょっとだけ飲みたかったんだもの、ホントは。旦那さんが帰ってくるまでにアカリを酔い潰したら悪いと思って遠慮したけれど。
いつになく押しの強い私に、カムルさんは頷いてくれた。
つまみを勝手に作って、美味しくお酒を飲む。
もともとお酒は好きなのだ。
ふわふわ気持ちよくなって、酔いの勢いに任せて気になっていたことを訊いた。
「カムルさんはさ、アカリが好きだったんじゃないの?」
「は? いや、それはない」
めちゃくちゃ訝しげな顔で返事をされた。でも構わずさらに訊いてみる。
「じゃあシズイさんが好きだった?」
「はあっ? なんでそうなるんだよ、お前ほんとにびっくりするわ」
「ふーん」
本心から心外そうな反応なので、度が過ぎる人の良さということらしい。
だけど、本当はちょっとくらいあったんじゃないかな、そういう気持ち。自分でも自覚しないくらいの。
それに気づかず蓋をするから「いい人」なんじゃないかと、勝手な推測をする。
相手の負担にならない、下手したら気づかれないような優しさを惜しげもなく振りまいて。
それってすごい事だ。普通は、気づいてほしいし、報われたいって思ってしまう。
意識してても無意識でも人に優しくしてばっかりのこの人が、同じくらいたくさん周りから優しくされるといいなと思う。
私はこの人にいちばん優しくしてあげたい。
「優しいなあカムルさんは」
「何言ってんだ酔っ払い」
「カムルさんには私が優しくしてあげるね」
二人でお酒を飲めたことが嬉しくって、にこにこ笑ってしまいながら心からの本音を言った。
「……何言ってんだ、酔っ払い」
カムルさんも、ちょっとだけ笑ってくれて、もっと嬉しくなった。




