2話 「偶然と必然」
目の奥がじんわりと痛い。
警察からの事情聴取が終わり、ようやく解放された。
まだ目に焼き付いている眩しいほどの赤。
しばらく瞬きをするたびにチカチカとフラッシュバックしていた。
どうやら俺が殺人犯候補として挙げられることはないらしい。
ドラマや映画の刷り込みで遺体の第一発見者の法則を思い込んでた分、より一層ホッとした。
候補から外された理由は大きく分けて二つあった。
1つ目は死亡推定時間。どうやらあの女の子が殺害されたのは俺が発見した時刻より遥かに前とのこと。詳細な時刻までは教えてもらえなかった。
2つ目は遺体の状況。腹部の刺し傷の印象が強かったため気付かなかったが、どうやら頸部に縄のようなアザが遺っていたらしい。また全身の要所要所に注射痕が確認できたとのことだ。つまり直接の死因は絞殺で犯人はその後『何らかの目的』で全身に注射針を刺し、腹部を切り裂いたという顛末である。
現場に駆けつけた母親が警察関係者に次々と頭を下げた様子を見て辟易としたが、母親含め終始周りの人達が気遣ってくれたおかげで徐々に落ち着きを取り戻すことができた。
家路につく頃には耳元まで鼓動が聞こえる程跳ね上がっていた心拍数も正常に戻っていた。
少し母親と話し、リビングで暖かいコーヒーを飲んでから自室に腰を据えた。
整理して考えを整頓したかったが、正直まだ頭の中を色々なものが駆け巡っていたため、早く眠りの世界へと滑り落ちたくなった。
「今日は大人しく寝よう・・・。」
無理やりにでも寝たい時は、好きな歌手のバラード曲をプレーヤーで聴きながら床に就くことにしている。
実際は音楽も聴かずに頭を真っ白にするのがベストな睡眠導入の手順だろう。
しかし俺は理屈よりも思い込みの方が睡眠を手助けすると決めつけている節があるため、今回もこの方法で眠りに入ってみせる。
そう息巻いて目を瞑った。
曲が大サビに入る前にすとんと寝入る感覚がした。
目を開ける。
陽光がカーテンの隙間から差し込んでいた。どうやら熟睡だったらしい。
無造作に枕の横に広がったイヤホンを見て「なぜ寝ると必ず耳から外れるのだろう。」などと疑問を抱きながら身体を重たく起こす。
体重がいつもの五割増しになった心地がした。
やっぱり相当疲れていたらしい。
夢は見なかった気がする。
というかここ最近てんでご無沙汰な気がしてきた。
変化が次々と起こっている割には、眠っている間にそれの整理整頓を行おうとはしないらしい。
何とも薄情で怠け癖のある脳だ。
「変化・・・。」
ここ数週間で本当に色々あった。謎の私物変化に突然迎えた成長期、殆ど無意味な改名に殺人事件目撃ときた。
やっぱり最後のは異質すぎる。
寝起き後真っ先に昨日の事件を携帯で検索してみた。
するとそこには『吸血鬼被害、4か月ぶりに発生』の見出しと共に件の事件の詳細が記されていた。
「吸血鬼・・・?」
違和感のあるフレーズを気にしながら読み進めていくと、これが単なる通り魔殺人ではないことが判明した。
どうやら犯行の手口と遺体の状況から犯人は『連続吸血殺人鬼(通称:吸血鬼)』であることが断定されていた。
なぜ犯人がこう呼ばれているのか。その答えはあの時の『アクリル絵の具』が示していた。
推察されている手口はこうである。
まず犯人は何らかの方法で被害者を拉致し殺害、その後注射器や凶器を用いて全身から大半の血を抜き取り、殺害現場から離れた人通りの少ない場所に遺体を捨て逃亡を遂げるらしい。
吸血鬼と呼ばれる理由が、この血液を抜き取る点にあるといえる。
この行為が操作を攪乱するためでも何らかの偽装工作のためでもないことは、多くの関係者や犯罪心理学者とやらが指摘しているらしい。
つまり犯人が血液を何かに利用・使用するためにわざわざ抜き取っているというのが彼らの見立てだ。
全くおぞましい話だ。
しかし特筆すべきはここからである。
犯人がわざわざ『抜き取った血液と同じ量』だけ『赤い液体状のもの』を『遺体に注入している』ということだ。
この行動にはネット上でも匿名非匿名含めて喧喧囂囂たる状況となっている。
事件の異常性を際立たせるポイントだと断言できる。
事件の発端は遡ること8年前、ここからそう遠くはない山間の田舎道で発生した。
被害者は30代の女性。今回のケース同様全身に注射痕があった。
しかし腹部ではなく頸部に深い殺傷痕があり、これが直接の死因であったと見られている。
これを皮切りに半年から約1年のペースで、毎年少なからずも一名は血の代わりに赤い液体で満たされた遺体が発見されている。
その内容物はトマトジュース、水に溶かしたケチャップ、赤い溶性ペンキ・・・と変化している。
しかし時折被りも見せ、その選出基準に法則性はないとの見方が強い。
俺が昨夜発見した遺体を含めると、被害者は8年間で21名にも上っている。
また殺害場所も全国を転々としており、犯人の現住所特定は困難を極めている。
殺害の時期もまばらで画一性がないため、定職に就いていないか自由に休日を定められる立場の人間であることまでしか特定できていないのが現状だ。
これが今回俺が巻き込まれた事件の大まかな全容である。
現実味に欠けていて、正直未だにふわふわとした感覚に陥っている。
今日一日は母親と学校側の配慮で休みにしてもらえた。
俺自身は食欲も落ちていない上、意外と元気だった。
異常に対する耐性が少なからずついたみたいだ。
とりあえず可能な限り先の事件に関する情報収集をして、自分なりにこれまでの出来事をメモ帳にまとめ、夕方頃から友人達からのチャットに応対していたらあっさりと一日が終了した。
ちなみに俺が事件の目撃者であるという情報は洩れなかったらしい。
通り道が人通りのない場所だったため、俺を目撃した人がいなかったみたいだ。
運がいい。
それと周囲の大人の配慮が痛み入る。
翌朝。
またも深い眠りだった。夢は見ていない・・・気がする。
身支度を済ませ早めに家を出た。なんとなく休んだ次の日って気持ちが焦ってしまう。
俺は体調不良で欠席したことになっているため、学校に到着するとまずは軽くそれに触れ挨拶。
そしてからいつものように他愛もない会話に移行できた。
ひとまず一安心。
・・・と思ったのも束の間だった。
授業と授業の間の小休憩の時間。男子便所で不意に声をかけられた。
「びそら・・・・・・ひろと君?・・・・・・だよね。」
一瞬フリーズした。
久方ぶりにその名前で呼ばれて、何が何だかわからなくなった。
振り返るとそこには目元までかかりそうな前髪が目立つ男子生徒が立っていた。
そして再び硬直。
俺は重い口を開いた。
「な、え・・・な、なんで名前を・・・俺の・・・?」
つい倒置で受け答えるくらい動揺してしまっていた。
「君が本名じゃないことはぼかぁ知っとるよ。なぜか知りたいでしょ?ね?」
「あ、そりゃ・・・勿論・・・。」
「じゃあ昼休憩の時、旧校舎2階突き当りの2-1空き教室まで来て。もし先約がなければ、だけど。」
若干聞き取りづらいほどのボソボソ喋りだったが、思ってもみない提案だった。
事情も理由もまるで解らない、判らない。
が、思いがけず渡りに船だ。ここは乗るしかない。
OKの返事をしたら彼はスッと便所の外に消えた。
なんとなく後を追ってみたが、どうやら同じ学年の隣のクラスだということが判明した。
「(あんな奴いたっけか・・・?)」
チラっとドアの小窓からのぞき込むと、彼は猫背気味の姿勢で椅子に座り一人で携帯をいじりながらブツブツと呟いていた。
人を寄せ付けないオーラを間違いなく発している。
なんだか見てはいけないものを見てしまった気がする。
ちょうど授業開始直前を告げるチャイムが鳴ったので俺は教室に戻った。
強烈なインパクトの余韻が残る。
そこから昼休憩まではまるで授業に集中できなかった。
「(アイツが何らかの事情を把握しているのは間違いない。けど一体何故?そして何を知っているんだ・・・?)」
そわそわした気持ちを抑えるように教科書をペラペラと捲りながら、しばらく考え込んでいた。
そして待ちに待った昼休憩である。
いつもの面子には断りを入れて、足早に席を立ち旧校舎へと向かった。
そして約束の空き教室に近づくと、教室前に一人の男子生徒が立ってウロウロしているのを発見した。
それなりに日に焼けた肌と短めの髪が目に入る。
入るべきか入らざるべきかを思案してる雰囲気だった。
もしかして、と思い声を掛ける。
「そちらも空き教室に来るように呼ばれた・・・んですか?」
すると仰天した顔で俺を見て答える。
「え、あー・・・もしかして君も前髪の凄い男に・・・?」
思った通りだった。
「そうです!良かった・・・何年生ですか?」
「1年・・・E組です。」
同学年らしい。そこからは互いに敬語をやめ、軽く自己紹介を済ませた。
「俺は美空祐人。今はC組。」
「自分はすがわらじん。よろしく。」
色々と尋ねたいことがあったが、まずは目前の空き教室が互いに気掛かりだったため、詳細なことは語らずに教室のドアをノックした。
「・・・どうぞー。」
囁くような声で返事があった。
ガラっとドアを開けるとそこには先ほどの彼のほかにもう1人、男子が席についていた。
「・・・・・・。」
気まずそうに俺たち2人を見上げ、すぐに目をそらした。
色白で細身の天然パーマが特徴的な生徒だった。
「来てくれたね。さ、さ、君たちの席はそこだ。」
俺たちを呼んだ彼と向かい合うように3つの木椅子が横並びになっていて、右端にさっきの色白の子が座っている。
俺は真ん中の席についた。
前髪からギラっと目を光らせ3人を見渡してから司会を進行するように彼が話し始めた。
「さて、まずは自己紹介かな。ここは僕からいくね。ぼかぁ、1年D組の小早川翔。謎を探して解き明かすのが好きなんだ。とりあえずよろしく。」
相変わらずのボソボソ声でサラっと自己紹介をし始めた。
そして俺たちにも促す。
「それじゃ君たちも、名前とクラスだけでいいから。」
俺たち3人は無言で顔を見合わせる。先陣を切ってじんと名乗った彼が口を開く。
「自分はすがわらじん。クラスは1年E組。・・・というか君に話した名前の件ももう言っていいのかな?」
遠慮がちに翔に問う。
「ん・・・。そうだね劇的に発表したい訳じゃないし、もう明かしちゃっていいよ、その件を。」
その返答に安堵の表情を見せつつ、右を向いて俺たち2人を軽く見てから再び話し始めた。
「えー、すがわらじんは漢字だと、試験管の『菅』に原っぱの『原』、仁義の「仁」って書くんだけど・・・、その『以前』は読みが違くって・・・・・・『かんばらひとし』って読む・・・んだ。」
心臓が跳ね上がった。
俺も色白の彼も驚きに満ちた表情を見せた。
翔はニヤニヤと嬉しそうな顔をしている。
どうやら『そういうこと』らしい。
嬉しさと困惑と疑問と、様々な感情がせめぎ合っている。
「(やっと・・・。やっと・・・・・・!)」
久方ぶりの感動だと思う。
俺は心の中でガッツポーズをする。
目の奥がじんわりと熱くなってきた。