1話 「変化と変調」
とりあえず思いついたままに1話だけでも。
好評ならば絞り出して続きを書き綴っていきます。
空が降ってきた。
暗喩でも直喩でもなく、まぎれもなく見たままの光景である。
白、灰色、墨色と雲の一部がまるで重さに耐えきれなくなったかのように雫になって落ちてきた。
同時に青々とした空も少しずつ垂れ、重さを感じ取れる勢いで落ちてきた。
雫は地面と空のちょうど中間付近で雲散霧消する。
その隙間から5時間は早いであろう星空が顔を出してきた。
誰もが茫然自失と立ちすくみ空を見上げている。
俺も、彼女も、アイツらだってきっとそうだろう。
なぜこんなことになってしまったのか、原因も根源もすべて解っている。
きっと俺だけが・・・。
7月23日、その日は曇り空だった。
夏の曇天はいつも以上に一帯を湿潤とさせてくれるため、外を歩くと空気が鼻腔を湿らせてくれて慢性鼻炎の自分には幾分がうれしかった。
そんな通学路、しかし気分が乗らない。どうにも頭に靄がかかった感じがする。
『なんとなく』
これが一番怖い。原因がわからないことは不安でしかない。
体調も万全、寝不足でもないし懸案事項も目先のトラブルも特に抱えていない。
理由がない不調とも呼べない不調こそが一番苦手なのである。
授業もなんとなく上の空で、休み時間や昼飯時の友人の話もなんとなく右から左へ素通りしてしまう。なんとなく受け流してしまう。
どうしたのだろう?
気付けば放課後。
ぼんやりとしながら部室へと足を運んだ。
ドアを開けるとシンとした空気が広がっていた。
近くの吹奏楽部の金管楽器の音色や剣道部の発狂に近い掛け声が響くほど静まり返っていた。
「なんだ今日は1人か・・・」
ボソっと呟きながらパイプ椅子に腰掛けた。机に顔を突っ伏す。暇だ。
おもむろに画材道具を引っ張り出し、バケツに水を張りパレットに何色か絵の具を絞り出した。
たっぷり水で濡らした筆で一色ずつそれを掬い上げると、当然のごとく滴る着色した雫をバケツの中に垂らしていった。
バケツの色を映して青みがかった水に、ボワっと朱色が拡がっていった。
お次は紺色だ。贅沢にも別の筆を用意し、それを思う存分湿らせ同じ流れでバケツに色を垂らしていった。
色が混ざる。不均等にでたらめに。
別に何かに酔いしれてる訳でもどっかの創作作品の人物を投影して真似ている訳でもない。
ただ、ボウっとしてる時にこんなぼやけたことをするのが恒例となっているのだ。
キャンドルの火の揺らめきを眺めていると精神を落ち着かせる効果があるらしいが、それに近いものを無意識に感じ取ろうとしているんだと自分を納得させている。
どうにも俺は行動の一つ一つに意味を持たせないと落ち着かない性分らしい。
すると後ろからガラっと音がした。
不揃いな前髪が目立つショートカットを揺らしながら彼女が入ってきた。
「お疲れさまー、っとゆうくん1人だけ?」
「はい、お疲れ様です。」
彼女は1コ上の先輩で名前は堂嶋ゆめ。明るい声が特徴的で、声変りの被害者となった自分とは対照的である。
ちなみにゆうくんと呼ばれている俺は美空裕人だ。苗字に若干のコンプレックスを感じている。
「今試験期間だから人少ないね、ゆうくんは勉強、いいの?」
いつものトーンで痛いとこを突いてきた。
「どうにも身が入らなくて、だからこんなことしちゃってます。」
「通りでまた目が死んでると思ったよー。今度は赤点取らないようにしなよー。」
ふんわりとした口調で歯に衣着せぬ発言をする彼女に安心感を覚えつつ、バケツに水を取り替えに行った。
シンクが不思議な色に染まるのを見ながら少し物思いに耽っていった。
さて、ここで不意に見逃してきたある事実をお伝えする。
実はここに居る俺は『俺』ではないらしい。
これは狂言や妄言じゃない。ここ数週間でやっと理解、受容できた現実である。
なぜそう思い至ったか、そのきっかけが今からちょうど1か月前の6月23日に起こった自称『入れ替わり事件』である。我ながらネーミングセンスがない。
その日、いつものように起床し洗顔した俺はいつものように鏡で己が顔をジッと見つめた。
別にナルシストとかではなく習慣となっている朝の通過儀礼みたいなものである。
なんとなく「今日1日始まるんだな」と合図を自分に送っているのかもしれない。
この段階では俺はしっかり『俺』だった。いや、既に違ったのだろうが。
決定的なのは一階で朝食をとり始めた時だった。
母親が俺を「ゆうと」と呼んだ。
一瞬呆気にとられたが、何かのジョークかと思い笑い飛ばそうとしたら母親がキョトンとした表情を見せた。
背筋が凍りついた。
どういうことか、と追及したくなったが嫌な空気になるのをなんとなく予想できたので自制した。
こういう無駄に空気を読もうとする性格が俺の消極性を形成したと言っても過言じゃないな、と混乱した頭とは裏腹に冷静な自己分析を始めた。
人間パニくった方が案外冷静になれるのかもしれないな。
食欲が一気に落ちたがなんとか完食し、部屋に戻って机の中を慌てて漁った。
名前にふられたルビを見て驚愕した。
『みそらゆうと』
記憶が確かなら、俺は、俺は『びそらひろと』と呼ばれていたはず・・・。
そう、名前の漢字だけが合致した上で別名になっていたのだ。
この出来事以降、自分にとっての異常が正常に、不自然が自然となっていたのが詳らかになってきた。
まず俺の学年がおかしい。
俺はもう受験期を迎え、志望校目指して孤軍奮闘しなければならない3年生のはずだった。
しかし学生証を見てみれば1年C組と記載されているではないか。組まで違う。
頭が真っ白になった。西暦は変わっていない。日付だって昨日からしっかり繋がっている。
「何かがおかしい。」
そう言わざるを得なかった。
しかし、勤勉実直にも学校を休むという選択肢が思い浮かばなかった俺は自然と通学していた。
登校している生徒の顔ぶれも制服姿にも違和感はない。
生徒指導の教員までそのままだった。
恐る恐る学生証通りの教室に入っていくと、そこには『以前』と変わりない面子が揃っていた。
そう昨日学校で会った、友人と顔見知り、生徒会長、メガネ、もっちゃん、アイツにソイツ・・・。
席まで以前のクラスである3年D組と変わっていなかった。
整理がつかないまま会話を素っ気なくして授業が始まる。
当然のごとく一度やった内容のままだった。
「(タイムスリップ・・・?でも西暦は全くズレてないし・・・。)」
そもそもの疑問が謎の改名である。なぜ漢字そのままで読みだけ変わったのか。考えても考えても解法が導き出せそうにない。
どうしようか考えながら1日を何とかこなしていく中で、謎が謎を呼ぶ事態は手を休めることもなく次々と押し寄せてきた。
俺の推定身長が10cmは伸びているであろうという点。実はかけていた眼鏡のフレームが全く違う色の黒ぶちになっていた点。その他身の回りの文具、小物、用品の半分以上が全く違うデザインに摩り替っていた点。右頬にできかけていたニキビが左頬に移っていた点。etc・・・。
挙げればきりがないほどに、しかしやけに地味な変更点が次から次へと見つかった。
そしてここまで違いが見つかったのに対し、交友関係は以前と全くズレがなかった点にも驚かされた。
携帯の電話帳はアドレスの羅列や電話番号も含めて全く変わっていなかったし、俺がここまで変化したのに友人達の出で立ちは全く同一だったのである。
実は先ほどの部室でのやり取りもつつがなかったのは、俺がまだ1、2年だった頃の先輩がそのまま彼女だったためである。
そういった点も変わっていなかった。
もしこのまま何も起こらずに時が流れていくなら、おそらくこれから入部してくる部員も俺がよく見知った顔ぶれなんだろう。
そんなことを考えていた。
俺はその日を起点に、探りを入れるように慎重に俺のことを調べ上げていった。
響きだけなら完全に狂人である。
どうやら決定的な変更点は身長と名前、そして年齢だけらしい。それ以外は前述の眼鏡の件を筆頭に物理的に容易に変えられるものばかりであった。
しかしご覧のように未だ解決には至っていない。
故に、頭に靄がかかった感覚も実際は『なんとなく』ではないのかもしれない。
しいて言うならなんとなく不安。
漠然と、でも着実に暗雲が立ち込めているような不気味な感覚。
一歩踏み出したら地面がそのまま崩れ落ちてしまうんじゃないか、といったグラつき。
この1か月で行動を起こし変化についていこうとした自分が居たおかげで、ある程度安定感を得られた気にはなっていた。
が、ふわふわとした不安感は拭い切れない。
「どうせならもっと大胆に、何かが起こってくれなきゃ・・・。」
少し不謹慎な発想が浮かぶくらい、憂鬱だった。
しかし実際そうなのだ。この『変化』がもたらすものが『何』か?
その結果がまるで見えてこない。
なぜこんな不思議に巻き込まれているのか、『誰』が『何』を意図して『どう』やって『こう』なったのか。
過程でしかないこの状況がひたすらに落ち着かない。
「(早く・・・。誰か・・・。)」
しかし、そんな後ろ暗い感情は杞憂に終わった。
あっさりと過ぎていった。
次に起こる衝撃がそれをすべて掻き消したのである。
翌日、昨日と比較して少し気分が晴れてる自分に安心しながら学校へと歩を進めていた。
多分雲をすべて吹き飛ばしたような快晴のおかげだろう、とプラスに考えを巡らせていた。
今日は授業は以前の復習のようなものだった。とはいえ、さすがに1年の内容はザックリとしか覚えていなかったが。
放課後、部室に入ると今日は人で賑わっていた。
堂嶋先輩や細い眼鏡とおさげが特徴の青井先輩、とても美術部とは思えない筋肉質な角刈りの潮田先輩。
それに同級生で友人の琢磨ともっちゃんに、顔見知りの青山さんと鏑木くんの二人だ。
試験期間ではあるものの週末を挟むためか、金曜の今日は全員がどこか弛緩した表情で思い思いの時間を過ごしている。
この時期は部活動にも力を入れていないためか、筆を手に取る人もあまりいない。
キャンバスに向かい色を重ねる人と他愛無い会話を楽しむ人、俺たちは後者でのんびりとしていた。
正直、混乱の最中にいる俺にとってはこの部室のにおいが何より落ち着く。
年季の入った木造校舎特有のぼけてしけった匂いと少し鼻を刺すアクリル絵の具のツンとした臭い。
これらが混じると精神安定剤にでもなるのだろうか。とにかくリラックスできる。
今、この瞬間、この空間では余計なことは考えないようにしよう。
そう思えた。
「(こんな日々がしばらく続けばいい・・・。)」
・・・・・・
・・・・
・・・
その夜、夕飯を早めにとったせいか小腹が空いた俺は戸棚を漁った。
目ぼしいものがないのと、偶然テレビで見たコンビニスイーツが脳内に刷り込まれていた影響か即断即決で軽い夜食を買いに行くことにした。
思い立ったが吉日。こういう行動力だけは我ながら感心できる。
門限が緩い高校なので21時を回ろうかとしている時間帯でも焦らずに外出できるのは嬉しい。
久々に来た前向きな気分に心躍らせながら坂を登っていく。
軽快に、空を切るように。
「・・・・・・ん?」
思わずペダルを漕ぐ足を止めた。
よりにもよって登坂の中腹で、である。
何か人影みたいなものが街灯に照らされていた気がしたからである。
それは坂を滑り落ちないように電柱にもたれかかっていた。
まぎれもなく人だった。
しかしその風貌はとても正常じゃなく。
腹部が真っ赤に・・・。
血に塗れていた。
驚愕して自転車を倒しながらも即座に駆け寄った。
こういう時に性格上絶対後ろに退くと思ってた分、自分の行動にもある程度驚いた。
そんなことより、声を掛けなくては。
慌てて生死を確認した。
ぎこちない動きで身体に抱え上げ必死に声を掛ける。
「だ、大丈夫ですか!大丈夫ですか!!」
他に言葉が出てこなかった。幾度となく同じ言葉を繰り返したが反応がない。
やっと脈を診ることを思い出し血塗れた首筋に震えた指をトンと置いた。
「(し、死んでる・・・。)」
青ざめた顔からより一層血の気が引いてくのを実感した。
人が、死んでる。
こんな間近で。
どうしよう。
どうすれば・・・。
「うわあっ!」
後ろから張り上げた声が聞こえた。
即座に振り返るとスーツ姿の初老の男性が立ちすくんでいた。
数秒後、どうやら事情を察してくれたらしく電話をポケットから取り出し始めた。
「な、なにがあったんだい!?」
110番する前に必要だと判断できたのか、俺に説明を求めてきた。
「かくかくしかじかで・・・。」
要領を得ない話し方だったが伝わったらしく、その勢いで警察に電話してくれた。
人に状況を話したおかげか、真っ白だった頭に少しずつ色が取り戻っていった。
と、同時に自分の不甲斐なさを猛省した。
「(俺、携帯持っているのに、何もできなかった・・・。変化についていけた自分に自信を持とうとした矢先これだよ。こんなんじゃ解決なんて当分無理だ・・・。)」
場に似つかわしくない自分勝手な反省だった。
こんな状況でも自分のことしか考えられないのか。
もっと現実を見つめなきゃいけないな・・・。
またも身勝手な反省。
ゆっくりと遺体に目をやる。
よく見たら自分と同い年くらいの女の子だった。
口からも血が滴っている。
白いワンピースに鮮血が痛々しく目立つ。
街灯に照らされているせいもあってか、まぶしいくらい赤々としている。
血の臭いがここまでしてきそうなくらい・・・
・・・・・・・血の臭い?
またも違和感だ。
パニックで気付かなかったが、ここに立ち込める臭いはまるでおかしい。
鉄分の臭いなんてどこにもない。
そこにあるのは
鉄というより
アクリルの・・・
・・・そう、よく知っているアクリル絵の具の臭いだった
手についた赤い液体を嗅ぐ。
・・・・・・アクリル・・・
無様な姿勢で遺体に駆け寄る。
そしてこれでもかというくらいに鼻を近づける。
さながら異常者である。
・・・やはりそうだった。
遺体から・・・、女の子から流れ出ているのは血液じゃない。
アクリル製の赤い絵の具だった。
俺はこれからどうなるんだろうか。
凪となりかけていた感情が激しく揺らぎだす。
漠然とした不安が波のごとく、また押し寄せてくる。
つづく