17話 ゲットミー・ダウン
俺はそのまま振り返り、優の唇に触れようとした。
「だめっ…」
はっきりとした意思の篭った拒絶だった。
「ご、ごめん…でも俺っ」
「ハルの事は私も…でも、そういう風にはなれない…」
優は、他人と深く関わる事を拒絶しているのだろうか。
「そうだよな…いきなり本当ごめん」
「ううん、私こそごめんね。抱きついたりして」
それから、生温い沈黙の中で食事の続きをした。
やっぱり美味しかったが、味をまともに感じられていたかは分からない。
食後、優は何かの錠剤を数種類飲んでいた。
この数ヶ月、優が薬を飲む所を何度か見たことがあった。
その度温存しておいた「余計なお節介」を引っ張り出し、どこか悪いのかと聞くと、持病で胃が少し悪いだけだから大した事ないという答えが返ってきた。
「じゃあ、そろそろ帰るよ。飯、マジで美味かった。ありがとう」
「ううん、私も一緒に食べられてよかったよっ…あ、あの、ハル!」
「なに?」
「さっきの事は、忘れて…またいつも通り…」
「分かってるよ。いつも通り」
力無く微笑んで、部屋を後にした。
家に帰ると、理香姉がソファーで寝転んでいた。
「ただいま」
「あーおかえりハルくん。今日もバンド?」
「まあね」
「…元気ないけど、どうしたの?」
「なんでもないよ、ちょっと疲れただけ。ここんとこバイトとバンドで休んでなかったから」
「そう?ハルくんのそういう顔、久しぶりに見た。なんか抱え込んでる顔。ご飯は?」
理香姉は鋭い。
子供の頃から俺を見てきたから分かるのだろうか。
「食ってきたよ、理香姉は?」
「まだだけど…」
「冷蔵庫になんかあったかな…チャーハンとかでいい?」
俺は冷蔵庫の中を漁る。
このブーンという無機質な音が、苦手だ。
なんだか自分の心の隙間が、広がって行く音のようで。
中のものが腐ってしまうから、はやく閉めろと焦らせるのだ。
俺は、冷蔵庫を閉じた。
開きかけていた、自分の心と一緒に。
中のものを腐らせないように。
「あっ、いいよ。自分でなんか適当に食べるから。
ハルくん…今日はもう寝なさい」
「うん…わかったよ、おやすみ理香姉」
シャワーも浴びずに、ベットに身体を預けた。
天井を見ながら、何度も何度も今日の出来事を思い返す。壊れたジュークボックスみたいに。
こうなってしまうと、思考は止まらない。
とめど無く、訳も無く、ただネガティブが溢れ出す。
それを受け止められるだけの強さを、俺は持っていない。
この部屋にはネガティブを食い物にする死神が居て、鎌で俺の心臓を狙っている。
そんな気すらしてきた。
きっと身体の限界が来るまで、今日は眠れないだろう。
気が付くと、忘れていた片頭痛がぶり返していた。
それから一週間程経っただろうか。
俺はほとんど部屋から出なかった。
携帯の電源を切り、暗い部屋で特に何もせず過ごした。
きっと、ガキの戯れ言なんだろうけれど、この世界に何かを頑張るだけの価値はないと、本気で思ってしまう。
誰かを傷つけて、押しのけて、自分も傷付いて、苦しんで。
それでも欲しいものなんて、俺にはない。
だったら一生、耳を塞いで目を閉じて、孤独に生きた方がマシだ。
でもそれはやっぱり虚しくて。
答えの出ないと分かっている問いを延々繰り返していると、唐突に部屋のドアをノックされた。
「…理香姉?」
扉が開く。
「ハル…」
そこには、智沙が立っていた。
「智沙、お前なんで」
「だって、電話もメールも繋がらないし、アウェスプのみんなは練習にも出てないって言うし!
優ちゃんに聞いたら泣き出しちゃうし、もう、どうしていいかわかんなかったから…」
アウェスプって略すんだ。初めて聞いた。
そんで、やっぱり俺は優を傷つけたんだ。
「そっか、心配かけてごめんな、智沙」
「…ハルはバカだよ!私、ライブの日からずっと、ずっと心配で…でも、優ちゃんに任せればハルも大丈夫だと思ったのにっ!ハルは優ちゃんが好きだから…!」
智沙の目に溜まった水分が、暗闇の中の僅かな光に反射する。
「いや、もう終わったんだ」
「え…?」
「フられた」
「そ、そう、なんだ…」
「そうだよ、まあそんな上手くいくもんじゃないよなあ」
「私は、嫌な子だ…」
智沙は俯く。
「なんで?」
「…なんでもない。
そっ、それよりさ、さっき理香さんに聞いたけど、明後日から泊まりで山梨に帰るんでしょ?」
「ああ、そう言えばそうだったな」
「それ、私も行くから」
「は?」
「さっき理香さんに許可取った!ハルのママにも久しぶりに会いたいし」
「ま、まじか…」
「マジです」
そして、二日後。
俺と理香姉、それから何故か智沙も加え、俺たちは山梨へと向かった。
母親と、親戚が待つ、あの寂れた町へ。




