傷跡
目が覚めると見慣れた自室の天井が見えた。
……死ねなかったんだ。
左手首はズキズキと痛む。しかし、指は動いた。神経を傷つけることはなかったようだ。星空がゆっくりと左腕を持ち上げてみれば、手首には痛々しく包帯が巻かれていた。
『 美海ちゃん、大和くんのことすきだったのに……!』
不意に聞こえる声にとっさに耳を塞ぐ。
「うう……っ!」
手首が痛む。大きく動かしたことでさらに激しい痛みへ変化する。声は消えず、『星空ちゃん裏切った!』という 女子の声が 同調する。
裏切ったのは私じゃない。私じゃ、ない。
まるで、少女マンガの一編のように星空には思えた。イケメンの男の子が主人公を好きだったと発覚し、クラスメイトから主人公が罵倒されるシーンによく似ている。マンガなら男の子が助けてくれて、主人公も自殺しようなんて思わない。クラスメイトから嫌われても、大好きな男の子と一緒に居られて最終的にはハッピーエンドになる。クラスメイトとも仲直りできる。
現実はそうではない。
仲直りなどできるわけもなく、チャットアプリのグループチャットからは追放され、友達登録していたクラスメイトも挙って登録を消した。当然のように星空はクラスからないものとされた。
その原因は、星空はもともと大人しくクラスの中で自己主張が少ない子だったことと、相手の方が力関係が上だったことの二つであった。
星空は競争から負け、ひとりぼっちになった。
そして、彼女はその事実を受け入れることができなかった。
「……私は何もしていないのに……」
ポツリとこぼれ落ちた言葉は、空へと消える。
その日から、星空は家を出ることを拒絶した。家族とは口を聞くものの、兄の持ち物を勝手に持ち出して、部屋に引きこもるようになった。それまではほとんど触れることのなかったゲームをやり、少年漫画やライトノベルを読みふけった。
そんな彼女を見かねて両親は彼女に家庭教師を付けた。しかし、家庭教師がなんといっても、彼女はいうことを聞かなかった。結局、彼は付き人として彼女が欲しいものを父親に交渉するという 立ち位置に落ち着いたのである。否、そこに収まることができなければ、彼女から信頼を得ることもできなかったと言ったほうが正しいだろう。そして、星空は自分の 部屋を作り上げていった。
「鈴木、このゲーム飽きたわ」
コントローラーを投げ出し、星空はベッドに倒れこむ。
「お嬢様、そのゲームは先日届いたばかりのものですが」
「だって、前作とほとんど変わらないじゃない。つまらない」
ほぼ毎日ゲームをやり続けて、 1年半が経つ。星空にはテレビゲームも携帯用ゲーム機もどれも同じようなストーリーに見えてつまらなかった。
「どれも、敵をなぎ倒して、最終的にキャラクターが勝てば終わりでしょう。ハッピーエンドの少女マンガとほぼ変わらないじゃない」
「それがゲームの王道というものですよ」
「それがもう飽きたの」
このスタイルのゲームは散々やった。小説だって読んだ。確かにキャラクターは格好よくて、強くしたいって思うけれど、ゲームの内容は単調だ。星空の声には答えてくれない。
星空のわがままに元家庭教師の鈴木は真面目になって首をひねる。
「……では、ネットゲームなどはいかがでしょう」
「ネットゲーム?」
「はい。お嬢様がお好きなキャラクターを作って、その世界を好きなように冒険するのですよ」
「……でも、ネットなんでしょ……」
かつての恐怖が蘇る。一人だけ、仲間はずれにされた時の。
星空は顔を大きなぬいぐるみに埋め、左の手首を無造作に掴んだ。柔らかい生地の手袋が掌に馴染む。人に関わりたくはなかった。
「大丈夫ですよ、ネットサーフィンと同じように同じ空間にいるだけの他人と思えばいいのです。攻略サイトやネットショッピングをするのとほぼ一緒です。あまり怖くはありませんよ」
確かにそれだけならできる。スマートフォンを解約した今も、家の PCでよくやっていることだった。
恐怖心と好奇心。二つの心が星空の中で混ざる。
人と関わることは怖い。しかし、やったことがないスタイルのゲームは少女の心をくすぐる。
「やりたい」
「畏まりました。旦那様に掛け合ってみましょう」
星空の部屋には PCはない。外と繋がるものを日常的に置くことを星空は嫌がった。だから、まずはPCとネット環境を手に入れなければならない。
「そのゲームはどんなゲームなの?」
「〈エルダーテイル〉というゲームです。 20年続く老舗のMMORPGですよ」




