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SOULEDGE   作者: ジャーキー
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第三話「魂の刃」

「がっ・・・・ひゅう・・・!!」

 鳩尾に叩き込まれた拳に、胃液が逆流するのを感じる。もう幾度目か分からない容赦の無い急所への攻撃が、シオンの小柄な身体を震わせた。

「はははははははははははっ!!!!よく持ちこたえるなぁ出来損ない!まだしも気絶したほうが楽だろう?くははははははははっ!!」

 長い三つ編みの一本を掴み、追っ手の男は楽しげに嗤う。いたいけな少女を嬲りながらも、その目には一切の情の色は浮かんでいない。むしろ、より侮蔑の色を強くしながら、拳を振り続けるその様は狂気的な情景を生み出していた。

「・・・・あなたが・・・そうならないよう・・・・力加減をしているのでしょう・・・・?」

 息も絶え絶えといった風ながらも、そう呟いてシオンは目の前の男を睨む。この存在が全力を振るえば、彼女など瞬きする間も無く絶命するだろう。そうならないのは、この男がより長くこの暴力を楽しんでいたいからに他ならない。

 その瞬間、ぼきんっ、と

 彼女の右手の小指が、存外軽い音を立てて、手袋ごとひん曲がった。

「ッッッッッ・・・・!!!」

 唐突に訪れた、湧き上がる熱さにも似た激痛に、声にならぬ叫びを上げるシオン。

「・・・まだ、そんな眼が出来るのか」

先ほどまでの愉悦はどこへやら、極めて不愉快そうに男が呟く。同時に容赦のない力で、激痛にさいなまれるシオンの三つ編みをぐっと引き上げ、顔を近づけさせた。

「あうっ・・・!!」

「貴様、自分の立場が分かっていないようだな・・・この俺に、純粋種たる俺に、貴様如きがそんな視線を向けていいと思っているのか・・・汚らわしいぞ家畜風情が」

 その目は間違いなく、彼女を別種類の生物として認識していた。人が牛や豚を見るように。 

 そこに違いがあるとしたら、そこには憎しみにも似た侮蔑の色が深く存在している事だろう。

 言いながら、シオンの顔の前に腕をかざす男。その手の形は、拳から平手へ、そして手刀の形へと。

「その生意気な目・・・抉り出してやろうか?・・・何、その内元に戻るだろうよ・・・出来損ないとて、我らが片割れなら問題あるまいて」

「・・・っ・・・・」

 まるで小型のナイフと見違える程の鋭い爪が、シオンの瞳の前に突きつけられる。僅かに息を呑み、硬直する身体。だが、その視線は決して外しはしない。

「・・・私は・・・・・例え目を抉られようと、四肢を断たれようと・・・・・あなた程度には屈しない・・・・!!あなた達の思う通りなんかにさせない・・・・!!」

 強い決意を込めた言葉だった。迷いも恐れも逡巡も無い。あるのはただ、目的を達成してみせるという、突き抜ける想いだけだ。

「もう引き返せない。私は行動した・・・・その結果が出るまで私は・・・・・!!」

「・・・もういい。黙れ」

 どこまでも冷え切った声が彼女の言葉を遮断する。

「いいだろう・・・ならばその戯言、どこまでが本当か確かめさせてもらおうか・・・!」

 再び狂気的な笑みを浮かべ、抜き手の形で腕を振りかぶる。

「くっ・・・・!!」

 恐らく次に来る激痛は、今までの比ではないだろう。必死に叫び出したくなる衝動を押さえつけ、シオンはぐっと目を閉じる。

(負けない・・・私は、負けられない・・・・!もう、多くの人を巻き込んでしまった以上、私は、何があっても負けることは許されない・・・・!!!!)

 心は未だ折れていない。しかし、恐怖による震えは止まらず、絶望による破綻も、すでに足音が聞こえ始めている。もう駄目なのか。ここまでなのか。その想いが否定しても否定しても湧き上がってくる。どう考えても、ここから逆転の目は存在しない。自分の弱さが、立ち向かうべき敵の強大さが憎い。自分の軽率な行動が憎い。誰も信じることが出来ない弱い心が憎い。

だけど、これは報いなのかもしれないと同時に思う。彼女は目的の為に、既にあまりにも多くの誰かを犠牲にしてしまっている。そして仮にここを切り抜けられたとしても、未来でそれは続いていくだろう。これは彼女が背負うべき痛みなのかもしれない。そうだとしたら、それは、甘んじて受けるべきもの。そう考えれば耐えられる。そう考えなければ、きっと耐えられない。

(私は・・・・・!!!!!)

 握り締めた拳の内側で、爪が食い込み血が溢れる。

 そして、


「何やってんだテメェ」


「・・・何・・・?」

「え・・・・・・?」

 声は、男の背後から聞こえて来た。

 すぐさま、男は声の主の姿を認識すべく、シオンを掴んだまま首を回して後方を振り返る。

 そこに飛び込んできた光景は、

「いいや、やっぱ答えなくていい」

 薄暗闇の中、既にこちらに接近を完了した一人の男。長すぎない程度に切り揃えられた黒髪、三白眼よりの鋭い視線、関節部に備え付けられた金属製の鋭利なサポーター、そして、ベルトにぶら下がる一本の剣らしき何かが特徴的な、どこにでもいる普通の青年だった。

 だが、そんなものは男とシオンのどちらの目にも入っては居ない。

 ただ、一つ酷く目を引いたのは、


「今すぐ、死ねッッッッッ!!!!!!」

 凄まじい速度で横薙ぎに振りぬかれる、白銀の剣閃だった。


「は――――」

 声を出す間など到底無かった。一切の躊躇無く放たれた電光石火の閃きは、驚くほどあっさりと男の肩から上のシルエットを激変させる。

 激しく回転しながら落下する頭部だったモノ。ぐらり、と生命としての活動を致命的に断たれた胴体が、出来の悪い泥人形のように崩れ落ちる。それから数瞬遅れて、思い出したかのように、切断面から鮮血が弾けた噴水のように舞い上がった紅い、生暖かい液体は、すぐに豪雨の如く静かになった路地へと降り注ぐ。

「あ・・・・・」

 その光景に、シオンは声を失う。あまりに唐突で、脳の処理が追いつかない。だが、次の瞬間、青年と視線が交差した途端、再び現実に引き戻された。

(・・・・次は、私・・・・・)

 直感的にそう理解した。というか、それが最も妥当な考えだと思った。それはそうだろう。

 彼はこの町の治安を守る騎士団だと言った。そして、彼女を始末するのを辞さない事は本人の口からも知らされている。それならば、あの状況から彼女を危険分子と判断して追って来たという事に何の不都合も無い。

 じゃり、と一歩血まみれの青年が足を踏み出す。未だ鮮血が蛇のように纏わり白刃を握り、また一歩、一歩と近づいていく。

 そして、

 次の瞬間それを放り捨てて、彼は一気にシオンの元へと駆け寄った。

「はあっ・・・・はあっ・・・・っと、大丈夫だったか!?怪我とかは・・・・!」

 一切の躊躇無く今しがたの惨状を生み出した青年は、荒い息を吐きながらも、そんな言葉を吐き出した。

「・・・・・え?」

 何を言っているのだろう。とシオンは本気で思った。今この青年はなんと言った?

 彼女の驚愕に気付かず、近づいた彼はシオンの様子を見て絶句する。

「・・・っ・・・・くそっ!結構酷くやられてるじゃねえか!小指が逝ってやがる・・・ちょっと待ってろ!即席で悪いが添え木くらいなら!」

 そう言うなり、彼は周囲に散乱していた角材の破片から小型の物を拾う。同時に制服の端を破り、包帯代わりすると、彼女の手を取る。

「痛いだろうが我慢しろよ・・・・くそっ・・この分だと病院に運んだほうが早いか・・・!?」

 そして、シオンの指に添え木を当てる為、手袋を外そうとした瞬間、

「・・・!!駄目です!!」

 はっと我に返ったように、シオンの意識が覚醒する。添えられた青年の手から腕を引っ込めると、それを抱えて後ろを向いてしまう。

「・・・!あ・・・悪い。えと・・・素肌に触んのはNGなんだっけか?」

 それでも尚、彼は何故だか謝って来る。その瞬間、彼女の堰が切れ始めた。

「っ・・・・どうしてっ・・・・!」

 ばしゃばしゃと耳障りな音を立てて落下する血雨の中で、少女は呆然と呟いた。

「なんで・・貴方が・・・・ここにいるんですか・・・!」

 到底信じられない、といった様子で彼女は続ける。目の前の光景が信じられなかった。自分が奇跡的なタイミングで助かった事よりも、その青年がここに立っていることが彼女にとっては有り得なかった。

「ん?ああ、君がここを出ようとするなら、まあ大通りは避けるだろうとは思った。そんでもって、出て行く時にやたら迷い無く走ってったっぽかったから、多分出口に当たりをつけてあるんじゃないかとも思った。んで、あの家から一番近場で外に繋がってるっつったら西ゲート。そこに繋がる最短ルートはここを真っ直ぐ行く事だからな。当たってたみたいでなにより・・・・・」

「そ、そうじゃなくて!!」

 見当ハズレな事をつらつらと並べていく青年に対して、悲痛な叫びとも取れる声を上げる。

「そんな事じゃなくて・・・・何でここに来たんですか!?私は・・・貴方を騙して、不意をうって逃げたんですよ!?それなのに、何で・・・・何で助けるような真似を!?関わらないでって言ったじゃないですか!!私は、今の私は存在するだけで、貴方に・・・この街を危険に晒すんですよ!!」

 自分でも何が言いたいのかよく分からなかった。だが、胸の中で渦巻く感情を吐き出さずにはいられ無かった。怒りではない、どちらかといえば困惑と悲しみがない交ぜになったような、そんな想いをお門違いとは思いながらも青年にぶつける。

 それを受けて、彼は思う。ああ、やはりだと。彼女の叫びを彼は良く知っている。今まで何度も何度も聞き続け、そしてその度に後悔してきた。彼が、何よりも、手を差し伸べたかった声。心の底から助けを求める魂の絶叫。

「・・・・君が、助けてくれって言ってたからな」

 だから、彼は、素直な感情を口にした。

「・・え・・・?」

「口ではそんなこと言ってなかったけどさ。でも、俺にはなんとなく分かる・・・・誰かが、本気で助けを求める時の声ってのを知ってるんだ。何度も何度も聞いてきたからな。君の言葉にも、そんな響きがあった・・・・・だから、追って来た」

 途中から、何だか気恥ずかしくなって、眼が泳ぐ。事情を知らぬ者が聞けば、途轍もなく下手くそで薄ら寒い落とし文句か何かに取られたとしてもおかしくない気がする。だが、それが、彼の本心なのだから仕方が無い。

「・・・俺は、君の力になりたい。迷惑じゃなけりゃ、頼って欲しい」

 気付けば、口が動いていた。それはきっと彼が誰かにずっと言いたかった言葉。自分勝手な自己満足かもしれない。だが、嘘偽りのない彼の本音だ。

「・・・まあ、何だ。俺は後悔したくないだけだ。このまま何も分からないままうやむやにするなんてのも、まっぴらだ。君が何と言おうと、俺は全部がはっきりするまで君に関わるのをやめるつもりはない。とりあえず、病院いこうぜ。立てるか?」

 それだけ言い終えると、彼は未だに後ろを向くシオンに向けて手を差し伸べる。

「・・・あなたは・・・・馬鹿なんですか・・・?そんな、あやふやな直感だけで、ここまできたって言うんですか?」

「ああ、まあよく言われる。特にうるさい上司からな。だけどこれが俺の選んだ道だ」

 震えるシオンの声に、苦笑いして答える。そう。結局はそうなのだ。エルス・プライウェンという男はそういう存在なのだ。

 シオンは、困惑していた。こんな存在には今まで出会ったことが無い。自分勝手で、行動理由はでたらめで、だが、それでも誰よりも彼女が欲しかった言葉をくれた。

「・・・・・いいん、ですか?私は、あなたに助けを求めていいんですか・・・?」

「当たり前だろ。それに、俺達はもう友達みたいなモンだろう?何も遠慮する事なんて無い。俺だけじゃない。他にも協力してくれる奴はごまんと居るさ。この街は意外といい場所だぜ?」

 いつの間にか、少女は顔を覆っていた。手袋に熱い何かが染みていく。それは、彼女がもう捨てたと思っていた物だった。もう二度と流すまいと誓った物だった。それが、とめどなく溢れ出し、止まらない。

 熱い、熱い、燃えるように熱い涙。だが、今まで流したどれとも違う。こんなに暖かい気持ちで流す涙は初めてだった。

「・・・私は・・・・私は・・・・・」

 そして、ゆっくりと彼女は振り向こうとする。伸ばされた手を取ろうとする。何よりも求めた、青年が差し出してくれた優しい手を取ろうとして、

 その瞬間、彼女は気付いた。


「・・・・・!!!!!エルスさんっ!!!!伏せて!!!!」

 

「え?」

 咄嗟の出来事に、青年は反応できなかった。間に合わない。少女は直感し、直後に行動する。

 跳ね飛ぶように立ち上がり、伸ばされたエルスの腕を、素早く掴んで、ぐいと力任せに引き寄せる。

「うおっ!?」

 唐突に予想以上の力を加えられ、バランスを崩し前めりに倒れこむエルス。その、瞬間、

 

ギンッ!!!!と、

 凄まじい速度で、彼の頭上を『死』が駆けた。


 「え・・・?」

 何が起こったのか、理解するには時間が足りなかった。頭頂部の髪が、寸断されてはらはらと舞い落ちる。そして、

 「・・・くっ・・・・あ・・・・」

 彼は、見た。目にした。目撃した。網膜に焼き付けてしまった。

 少女のわき腹を深々と抉る、彼の背後から伸びた手刀を。

「・・・・ッッッッッ―――――!!!!」

 そこからは、反射だった。雷光の如き速度で旋回。後ろに立っているのであろう『そいつ』に向けて、全力で左肘を突き出す。その先で鈍く光を放つは、刺突ではなく打撃を重視した、金属製の棘。

「っああああああああああああああああああああ!!!!」

 喉の奥底から絶叫が迸る。脳内は赤熱したように熱く、深い考えなど一切無かった。ただ、ただ、今は、

(この背後に居るやつを打ち殺す!!!!)

 純然たる怒りと殺意をもって放たれた一撃は、果たして目的を間違いなく捕らえた。

 ゴドンッ!!!と、爆発的な音と衝撃を放ち、渾身の肘鉄が背後に立つ『そいつ』を打ち据える。その胴体が、真後ろに吹き飛んだ。

「てめえええええええっ!!何者だああああああああっ!!!!」

 そのまま、足元に落ちた剣の柄を踏む。シーソーのように跳ね上がる軽い剣身。そこにすぐさまもう片方の足を突っ込み、リフティングの要領で空中へと飛ばす。

 それを僅かに身を低くして、真横から掴み取る。同時に回転。勢いを一切殺さぬまま、真後ろの敵に向かって切りかかろうとして、

「・・・っ・・・・シオンっ!!!」

 それよりも先に、少女の姿が目に入る。一瞬で背後の敵のことを頭から削除し、シオンの元へ駆け寄る。

「おい、大丈夫か!?おい!!!」

 上体を起こし、揺する様にして声をかける。返事は無い。薄暗闇の中でも分かる、脇腹から溢れる生暖かい血が、彼の焦燥に油を注いだ。凄まじいまでの焦りと怒りで、脳内が溢れ返りそうになる。だが、

「・・・・エルス・・・さん・・・私は・・・大丈夫・・・です」

「・・・っ!!気がついたか!?」

 か細い声が、彼の耳に響く。目を向けると、浅いながらもしっかりとした呼吸を続けるシオンと眼が合った。今にも再び気を失いそうになっているが、それでも生きている。

「大丈夫なわけ無いだろ・・・・!!待ってろ、今すぐ・・・・!!」

 喜びも束の間、急いで彼はシオンを安全な場所に運ぶべくその身体に手をかける。

 だが、

「いえ・・・まだ・・・・です」

「・・・・何?」

 弱々しく、シオンが警告の言葉を紡ぐ。

 直後、

「・・・・おいおい・・・・おいおいおいおいおいおいおいおいぃ・・・・・」

 それは、彼らの背後から聞こえてきた。ぞっとするような、闇の底から響くような、聞いたものに嫌悪と原始的な恐怖を与える声。怨嗟と怒りに満ち溢れた呪いの呟き。

「・・・てめえええええっ!!!!」

 その言葉に、はっとしたように振り向くエルス。そうだ、まだ自分達の背後には敵がいる。さっきの奴の仲間かどうかは知らない。だが、どうでもいいとエルスは思う。相手が誰であろうと、彼がそいつを許さないという事実に変わりなど無いのだから。

 だが、

「・・・・え・・・?」

 振り向いたその先の光景を見た瞬間、彼の脳内が真っ白になる。怒りに燃えた言葉が一瞬にして消え失せる。その代わり、背中にどこまでも冷たい戦慄が走った。

「おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいいいい・・・・ふざけているのか貴様ぁ・・・・・・」

 分厚い蜘蛛の隙間から、淡い月光が路地に差し込んだ。光に照らされたそこには、新しい敵など居なかった。先程切り倒した敵の胴体と頭があるだけ。何も増えてはいないし、何も減ってはいない。

 ただ、それらは地面に転がってなどいなかった。

「なん・・・だ・・・こりゃあ・・・・」

 上から下まで真っ黒のスーツに近い服装に包まれた崩れ落ちたはずの胴体は、その足で大地を踏みしている。毛髪を一切持たず、丸められた、所謂スキンヘッドと呼ばれる風体の頭部はその腕の中に包まれていた。そして、怨嗟の声は、その頭から響いてくる。ギラギラと血走った瞳。鷲を思わせるような鉤鼻、そして、人が持つそれよりも明らかに鋭い犬歯を誇る口を間違いなく動かして、その生首が喋っていた。

「・・・・貴様貴様貴様貴様貴様貴様ァ!!!!!」

 悪い夢だ。それ以外に言葉が出なかった。そうでなければ、一体どこの誰がコレを説明出来るというのだろうか。

「貴様・・・・人間の分際でぇ・・・この、この俺を!!この、ベルシア・ハルバードの首を落としただと!!?ふざけるのも大概にしておけよ家畜がああああああああああああああああああ!!!!!」

「なんなんだよ・・・・これは・・・」

 激昂する目の前の意味不明に対して、エルスは未だ現実を受け入れる事が出来ない。そこに、背後からか細い声が響く。

「・・・・『死役の血』・・・・あなた方が、そう呼ぶ存在・・・・・」

「・・・・!!!!まさか・・・・!?」

 告げられた名前、『死役の血』。伝説に語られる、人と同じ見た目を持ちながら、『魂』という概念を持ち、異形の力を操る存在。そして、その特徴は、

「・・・マジで、不死・・・・なのか・・・」

 呆然と、呟く。話には聞いていた。知識としても知っている。だが、いざその存在を目の前にしてみると、脳の処理が追いつかなかった。頭を胴体が離れても、生きている生物。それが、今彼の目の前に立っている。

 これが、『死役の血』。

 これが、人類主を滅ぼしかけた存在。

「・・・決定したぞ、人間」

 驚きに固まる青年に対して、ゆっくりとベルシアと自らを呼称した男は呟いた。先程よりも幾分か落ち着いている様子だが、その口調からは怒りと憎悪が滲み出ている。

「貴様は・・・・消す。ただ、消す。微塵も残さず、消してくれる」

 そして、その手の中の頭部を持ち上げ、切断面を下に向ける。いつの間にか血は止まっていた。そして、

 ぐちゃり、と

 胴体と頭部をがっちりと組み合わせる。

「・・・・っ・・・・」

 その瞬間、エルスは見た。薄暗闇の中で、組み合わさった切断面が、淡い光を帯びる。そして、瞬き一回の間が過ぎぬ内に、その二つは完全に結合していた。傷口など、欠片たりとも見受けられない、完全な再生。

(これが・・・・『死役の血』・・・・!!)

 改めて戦慄が走った。こんな、こんな存在が、この世に居る。未知の存在と直面した時、人はどうしようもない恐怖に蝕まれるというが、これが、それなのか。

 そして、それよりももっと厄介な事は、

「はああああ・・・・・・・・痛む・・・痛むぞ糞が」

 ゴキリゴキリと音を立てて調子を確かめるように、男はくっついたばかりの首を回す。

 そして、

「・・・・とりあえずは・・・・・・まずはこの痛みを億倍にして返すところから始めるか」

 この不死身の生命体が、今現在エルスに底知れぬ殺意を向けているということだった。


「・・・・っ・・・・!!!!」

 爆発的に広がった危機感。前から死が来る。直感は思考よりも疾く身体を動かす。彼我の距離を詰めるのに要したのは二歩。走るというよりは滑りこむと言う表現が似合う姿勢で、エルスは目前の脅威に向けて攻撃を放つ。逃げるという思考は存在しなかった、むしろ背中を見せた瞬間に、全てが終わると彼は本能で悟っていた。シオンを介抱するためにも、こいつは何とかしなければならない。

「シィッ!!!」

 獣のような低姿勢の疾駆から勢いを殺さず、倒れこむように両腕を地に着ける。同時に、腰から下を力任せに振り回す。初手としてはやや意外性のある足払い。対人戦闘におけるエルスの定石だ。騎士というよりはダンサーのような動きで素早くベルシアの足へとしなる右脚を殺到させる。

「フン」

 電撃の速攻。だが、『死役の血』はまるで意に介さないというように動く。ほんの半歩だけ後ろに下がる。たったそれだけの行動だったが、エルスの足払いを鮮やかに回避してみせた。

 だが、かわされることは織り込み済みだ。

(下がった・・・なら!)

 かわされた足払いの勢いを止めることなく、身体を半回転させる。結果的に敵に背を向ける形となるが、問題は無い。すぐさま、彼は思い切り背を逸らし、足を跳ね上げた。

「・・・・らあっ!!」

 即ち、座った姿勢からのバック転。剣を携えたまま、彼は曲芸氏のように身を回す。ほんの僅かに開いた二人の距離が、再びゼロとなる。

「ほう、中々身軽じゃないか」

男の嘲笑うような言葉が聞こえた気がするが、一切無視して行動を続行。天と地が入れ替わった瞬間、剣を振り上げさらに身を捻る。

「今の内に嗤ってろ!!」

瞬間、捻り上げた全身の筋肉を開放。左足を軸に、爆発的に右回転。ぎゅるり、と彼の周囲の空気が流動する。そして、放たれるのは、全体重と遠心力を乗せた、渾身の回転斬撃。

「はあああっ!!!」

 腕に握る小型の剣の切っ先が音速を捉える。白い刃の軌道と、腰に据えた黒鞘の軌道が月の光の中で踊った。首筋に向けて放たれた必殺の一撃。

 だが、

「単調だな」

 ベルシアは一切焦ることなく、嘲りの言葉すら吐く余裕で対応した。エルスの刃がその首を捉えるコンマ一秒寸前、グンッ!と大きく背を逸らす。

「っ!!」

 対象を失った空間を虚しく白刃は通過した。まるで予定調和というような反応。

「くははははっ!!人間如きが考える事など分かりきっている!俺を一度地に伏せさせた首を刈り取ろうというのだろう?一度与えた効果的なダメージにすがりたいのだろう?くははははははははっ!!!無駄だ!不意打ちならいざ知らず、ただの人間が二度も俺の首を跳ねる事が出来るか!!」

 その姿勢のまま、勝ち誇るように嗤うベルシア。どこまでも人を見下しきった態度で刃を振りぬいたエルスを罵倒する。

 しかし、笑みを返したのはなにもベルシアだけではない。

「・・・もう一度言うぜ、今の内に嗤ってろ」

 そう切り返すエルスは、既に次の行動の布石を打っていた。回転の勢いを再び殺さず、軸足だった左足を前に踏み込ませる。そして、振りぬいた右腕を素早く引き戻し、左肘を構えた。

「・・・!」

「どれだけかわされようが関係ねえ・・・・・当たるまでやるだけさ!」

 ぎらり、と刺突兵器のように突き出たサポーターの先端が怪しげに光る。彼の武器は剣だけではない。彼そのものが一本の剣として機能する。それこそが、エルスの強さ。多対一でこそその真価は発揮されるが、一対一の状況でも、アクロバットな機動による高い戦闘距離継続能力と途切れる事ない連続攻撃によって相手を制圧する。そして、今から放つのは、軽度の鎧としての役割を果たすサポーターを利用した、彼が最も得意とするフィニッシュブローの一つだ。

「存分に、食らえッ!!!」

 そして、短く咆哮。直後、

 ズドンッ!!!!と、全体重を満遍なく乗せた、激烈の肘打ちがベルシアのがら空きのボディにめり込んだ。ゴキンッ!!と、弓なりに反っていた男の身体がくの字に折れ曲がる。

 通常の人間ならば、数時間は立てなくなる程の衝撃。決して大柄とはいえないエルスだが、それでもその鍛え上げた肉体の体重は七十キロ前後。その体重を全て乗せた、渾身の一撃。彼が最も信頼する、必殺の技。

 どれだけ『死役の血』が不死身だろうと、先の発言からして痛みは存在するらしい。それはつまり、大ダメージを与えれば、人と同じく動けなくなる可能性があるということだ。殺す事は不可能かもしれないが、気絶させる事くらいならできるかもしれない。そうなれば、ひとまずここを凌ぎ、シオンを連れて撤退するまでだ。この戦いは決して勝機の無い物ではない。彼はそれを確信していた。

 だが、

 全力の一撃を打ち込んだ瞬間、背筋が完全に凍った。

「・・・・・え・・・・・」

 打ち込む寸前、確実に仕留めたと感じた。距離も力の入れ具合も完璧。理想的な一撃だったと認識している。だからこそ、彼は戦慄した。理由は単純。

「・・・んんんん?」

 どこまでも、どこまでも馬鹿にしたような声が、頭の上から響いてくる。

「今・・・なにかしたかぁ?」

 打ち込んだベルシアの肉体からは、手ごたえという物が一切感じられなかった。まるでゴムの塊に打ち込んだかのような無反動。あまりにも体格の違う存在に向けて拳を放ったかのような錯覚。即ち、

(・・・・効いて・・・・ないっ・・・・!?)

 一切、全く、全然、欠片も。エルスの必殺の肘打ちは、ベルシアにダメージを与えていなかった。

(馬鹿な・・・・!?何・・・で・・・!!)

 全くの予想外の事態に、エルスの脳内は戦闘下にあって混乱の極みに陥った。

 だが、それは当然のことながら、愚の骨頂。

「終わりか?」

「っ・・・・・・!!」

 嗤うベルシアの瞳に、反攻の色が宿る。一片の混じりけも無い死の予感が、激しくエルスの全身を駆け抜けた。

「っあああああああっ!!!」

 考えるよりも先に、身体が動いた。右手の刃を、ベルシアの首筋めがけて真横に振るう。何でもいい、今すぐこいつの目の前から退かなければ、問答無用で死ぬ。その直感と戦場に置ける彼の経験が、反射的に攻撃を放っていた。だが、正確さは微塵も無い、明らかなる苦し紛れの一撃。そんなものが、この異質に通用するはずも無い。

「なんだ、なんだ、先程までの威勢はどこへ消えた?」

 ぱしっ、と。

 まるで、蝿か何かを掴むかのような軽さだった。左手の親指と人差し指。たったそれだけでエルスの剣は容易く止められていた。

「なっ・・・・・」

「貴様・・・・・俺を、我らを、只の『死なない』だけの存在だとでも思ったかね?」

 びきり・・・・と、嫌な音が響く。

 指先でつまんでいるだけのはずの刀身。本当に、大した力が掛かっていないように見えるその部分が、ひび割れていた。見る見るうちに、そのひびは、刀身全体を侵し始める。そして、

 限界を超えた鋼鉄製のエルスの愛剣が飴細工のように粉砕される。

 それは、彼が抱いていた希望のようで。

「っ・・・・あ・・・・」

 柄を手放し、下がろうとした時には、既に遅かった。

「・・・!エルスさん!!!」

 気配も前兆も、一切感じ取れなかった。ただ、『それ』は彼の胸板の前に出現していた。 

 振りかぶるモーションも、そこに至るまでの風圧も無い。まるで異次元から突然姿を現したかのような、その質量の名は拳。

 そして、

「貴様らと同じ程度の肉体な訳がないだろうが。浅ましいんだよ、この家畜が」

 聞いた事の無い音が響いた。

 それが自分の肋骨から鳴った事を認識した瞬間には、エルスの意識は飛んでいた。


 轟音が、静寂満ちる夜の街に響く。それが、人間一人が吹き飛ばされた音だと誰が信じようか。それほど莫大な一撃が、そこには確かにあったのだ。がらがらと降り注ぐのは、エルスが激突した事で、再度舞い上がった角材たち。

 これが、『死役の血』。文字通り人外の力を行使する化け物。

「エルス・・さんっ!!!」

 激痛に震える身体を引きずって、吹き飛ばされた青年に近づこうとするシオン。だが、闇はそれすらも許しはしない。

「おおっとぉ、姫君ぃ!貴様はこちらだ」

「うっ・・・・あああ・・・・!!」

 音も無く接近したベルシアが乱暴のシオンの三つ編みを引っ張り上げる。

「くはははははははっ!!!何とも貴様らしい、出来損ないらしいな姫君ぃ!!人間如きに助けを求めるとは!!くははははははっ!その上このザマだ!お前は一体何がしたいんだ!?くはははははははははははははっ!!」

「くっ・・・・・」

 狂ったように嘲笑し続けるベルシア。そして、シオンの細い首を容赦なく掴み上げた。

「か・・・・は・・・・」

 酸素を取り込むための器官を圧迫され、苦しげにうめきを上げる少女を前にして、男は酷く無機質な声で続けて見せる。

「くはははははははっ・・・・・この俺をここまで手間取らせた上に、不意打ちとはいえ、人間風情に首を跳ねられる・・・・本当にロクな事が無い任務だったぞ・・・・・俺はこの鬱憤を何で晴らせば良い?貴様を殺せば少しはすっきりするのか?」

改めて、シオンは確信した。この男は、どこまでも人間と自分を軽蔑しつくしている。『死役の血』という存在に陶酔し、慢心し、それ以外を家畜としか考えていない。

「まあ、今すぐは殺さん・・・・我らが城に帰ってからを楽しみにしているがいい姫君」

「ぎっ・・・あ・・・・・」

 当然の事ながら、シオンに声など出せるはずも無い。それを知りながら、いや、知っているからこそ、ベルシアは手を緩めない。溢れ出る怒りを、鬱憤を容赦なくシオンにぶつける。苦悶に歪む少女の表情。そして、彼女の意識が飛びかけた、

 その時、

「・・・・その子を・・・・放せ・・・糞野郎が・・・・・・」

 その声は、確かに路地の奥から聞こえてきた。

「・・・・・何だと?」

 ほんの少しだけ驚いたような表情を浮かべ、ベリシアがそちらへと目を向ける。同時に、シオンの首にかかった力が、少しだけ弱まった。激しく咳き込むシオン。だが、そんな事は『死役の血』は意識の外に放り出している。暗闇の中に立ち上がるその影。それに対して、彼は問いかける。

「・・・・何故、立ち上がれる。人間風情が」

 そこに立っていたのは、紛れもなく先程自分が全力で殴り飛ばした人間だった。

「はぁーっ・・・・はぁ・・・・っぐはあ・・・・・」

 決して無傷ではない。全身は荒い裂傷に苛まれ、額が切れたのか、だらだらと血が顔面を伝っている。膝は完全に笑っており、少し小突いただけでも再び硬い地面に沈みそうな状態。

 だが、それでも、エルス・プライウェンは確かにそこに生きて立っていた。

「あんまり・・・人間嘗めてんじゃねえぞ・・・化けモンが・・・」

 心底意外そうな視線を向けてくるベリシアに啖呵を切りながらも、内心ではエルスは自分の状況が相当どころの騒ぎではないレベルで危険な領域にあるということを認識していた。

(・・・・今、反応できたのは奇跡だった・・・・・まともに食らってたら、貫通してたんじゃねえか・・・?)

 事実、彼は先程の拳を完全に捉える事が出来なかった。インパクトのその瞬間まで、自分が攻撃された事に気がつかなかった程だ。

 だが、拳が身体にめり込むその瞬間、彼の『魂殻』との実戦経験が積み上げた反射神経が、ギリギリの所で身を捻る事を可能とさせた。拳の進行方向に並行に身体を捻る事で、ほんの僅かだがインパクトの衝撃をかわす事に成功したのだ。

 だが、その回避をもってしても尚、受けたダメージは甚大だったと言える。

(右の肋骨は完全に逝ってる・・・・肺とかに刺さっては居ないのは死ぬほどラッキーだな。頭は額が切れただけって感じだが・・・・左足がやべえ・・・・!ついでに、剣も砕かれたときたもんだ・・・・)

 恐らくは吹き飛ばされた時に、変な捻りが掛かったのだろう。左足首に、立っているだけでも激痛が走り続けている。回転と機動が戦闘の根幹を成すエルスにとって、致命的とも言える損傷。最早、先程のような高速戦闘は望むべくも無い。増して、相手は『死役の血』。このような状態で挑むなど自殺と何ら変わりない。

 それを認識して尚、

(・・・さて、この状況から、どうやって逆転する・・・?)

 彼の脳内に逃走の二文字は存在しなかった。今あるべき手札で、この状況を切り抜けるべく、ふらつく頭で思考をめぐらせる。

 そして、そんな人間の姿を目にした、ベルシアは、

「・・・ぶはっ」

 滑稽で仕方が無い、とでも言うように噴出した。

「くはははははははははははっ!!!くははははははははははははっはははははっ!!!!健気だな人間!!はははははははは!!そんな死に体になってまで、この女を救いたいか!?くはははははははっははははっ!!おいおい姫君、えらく気に入られているではないか!!一体どんな手を使った!?人間相手にここまで入れこませるとは!身体でも売ったか?はははははははははははははは!!!!!」

 先程までの怒りはどこへやら身体を二つに折り曲げ、腹を抱えながら爆笑するベリシア。その姿に、エルスはどうしようもない怒りが全身を支配するのを感じる。

「・・てっめえ・・・・その汚え口、それ以上開くんじゃねえ・・・・!!!」

 全身全霊を込めて目の前の脅威を睨む。マグマのような怒りが、脳内を埋め尽くす。あまりの激情に、ぐらつきそうになりながら、彼はそれを吐き出す。

「そもそも・・・何でその子を襲ってやがる!!!『死役の血』だか何だか知らねえが、てめえは何だってシオンをこんな目にあわせやがる!!!!!ふざけんじゃねえぞ・・・・・こんな理不尽がまかり通ると思ってんのか糞野郎が!!!!」

 これ程の凶悪な存在が、たった一人の少女を痛めつける。執拗に、憎悪すら込めて。嗤いながら。こんな理不尽が、この世にあるというだけで、エルスは腸が煮えくり返る思いだった。 

だが、そんな彼の怒りなどまるで意に介さないように、ベリシアは嗤い続ける。

「くははははははっ!!お前もお前だ、人間!よくもまあそこまで本気になれるものだ!!こんな出来損ないにそこまで入れ込むとは・・・・くくくくくっ・・・気味が悪いとは思わんのか?こんな存在が、『自分と同じ形をした異質』が!こんな物が日常に入り込んできたとしたら、俺ならば発狂しかねん!くはははははははははははははっ!!!」

「・・・・っっ・・・!!」

 その言葉に、シオンがびくんと身を震わせた。

「・・・・?何を・・・・言ってやがる・・・?」

 エルスもまた、そのワードに眉をひそめる。一瞬、怒りよりも困惑が先行した。ベルシアの嘲笑に、エルスの中の何かが引っかかる。

「『自分と同じ形をした異質』・・・・だと?・・・どういう・・・意味だそりゃあ・・・・」

 それは、シオンのことを指して言っているのだろうか。だとしたら、一体何が異質だというのか。純粋な疑問を浮かべて呟くエルス。 

 そして、それに対し、

「・・・・?・・・まさか、貴様・・・・何も知らずにこの女の手助けをしているのか?」

 エルスの表情から困惑を悟ったのか、ベルシアは笑いを止めてそう問いかける。

「はあ・・・・?何のこと言ってやがる・・・・?」

「・・・・っ・・・・・・・・!!!!」

 エルスは文字通りの困惑を。そして、シオンは傍から見ても分かるくらいの動揺を。それぞれの反応を目にした瞬間、ベルシアは再び爆笑を始めた。

「くははははっははははははははっ!!!そうかそうか、それはそうだよなぁ!!真実を話せる訳が無いよなあ姫君いいいいい!!」

 同時に、シオンの後ろ首を掴み上げ、高く持ち上げた。そして彼女をエルスに見せ付けるように向けてくる。

「くっ・・・・・」

「・・・!てめえ・・・何してやがる!!」

「くくくくくくっ!!!まあ、見ていろよ人間・・・これを見れば、すぐ理解できる」

 そして、

 ズバンッ!!!と、

 鋭利な音を響かせて、空いた左手でシオンの太もも当たりを深々と切りつけた。

「くっ・・・あああああ・・・!!!」

「っ・・・・・!!!てめえええええええええええええええ!!!!!」

 唐突なベルシアの凶行に一瞬で再び沸騰する脳内。傷ついた身体など構っている場合ではない。武器すらも無いが、関係ない。一秒でも速く眼前の理不尽を殴り飛ばすべく、足を踏み出そうとした、

 その時、

「・・・・・・・え・・・・?」

 彼は、見た。

「う・・・ああああああ・・・・」

 薄暗闇の中でも分かるほどに深く切り裂かれたシオンの脚。そこからは次々と鮮血があふれ出している。一刻も早く治療しなければ、弱った今の彼女にとっては致命傷になりかねない。     

はずだった。本来ならばそうあるべきだった。だが、違う。

溶け出す溶岩のような血液が溢れたのは一瞬。次の瞬間には、今しがた刻まれた傷からの出血は既に止まっていた。

 否、それどころではない。

 彼の眼前で、僅かに流れ出した先決すらも、彼の目の前でするすると『逆流』を始める。まるで時が巻き戻っているように。瞬き数旬の間に、それらは全て傷口へと消えていく。

 そして、それを唖然と目にしている中で、その傷口すらも完全に消えてしまった。

「・・・・・なん・・・だと・・・・」

「っ・・・」

 呆然と、エルスは呟く。何だ、今の光景は。一体全体、何が起こった。

「これで、分かっただろう?ヒーロー」

 そして、そんな彼を眺めながら、ニヤニヤと。心底吐き気のする笑みを浮かべてベリシアは言い放つ。

「この女はお前が思うような存在などではない」

「っ・・・・や・・・やめて・・・」

 そこで始めてシオンは哀願するように声を発した。どんな痛みにも、泣き言を漏らさずに耐え抜いてきた少女が、次に放たれる言葉を恐れて震えていた。

「やめて・・・・!彼は・・・・彼には・・・!!」

 涙すら浮かべて、彼女は必死に搾り出す。その言葉は、どんな痛みを受けるよりも、彼女にとっては恐怖だった。優しく笑ってくれたエルス。裏切った自分を、それでも助けようとしてくれたエルス。そんな彼に、それだけは知られたくない。

 だが、無慈悲にも、その瞬間は訪れる。


「この女の正体は、『死役の血』、我ら『魂喰らい(ソウルイーター)』の出来損ないよ!!!人間と『魂喰らい』の間に生まれた不浄なる存在だ!!!」


「・・・・・!!?」

 言葉を失う。一体、今この男はなんと言った?彼女が、『死役の血』と人間のハーフだと、この男は言っているのか?

「本気で・・・言ってるのか?」

 思わず、と言った具合にエルスは言葉を返す。それを受け、再び『死役の血』を自称する者は高らかに嗤う。

「はははははははははははっ!!認めたくないか、人間ん?だが、お前も見ただろう?こいつの再生能力を!不審に思ったことは無かったか?只の人間というには、あまりにこいつは異質だったんじゃあないか?」

 ベルシアの言葉に、エルスは激しい驚愕を覚えながらも、深い納得を得ていた。明らかに早すぎる傷の治り。騎士団仕込の自分すら反応できぬ速度の動き、そして彼女に触れた直後に訪れた謎の現象。どれも、彼女が人間とは異質なる存在の血を引いているとすれば説明がつく。

「お前が守ろうとしたのは、お前が化け物と呼ぶ俺と大して変わらない存在だ!くはははははははははっ!!そうとも知らず、必死になってこの女に肩入れしていたとは・・・・はははははははっ!!滑稽極まる!!くはははははははははははっ!!!」

「・・・・っううううう・・・!!」

 ベルシアの耳障りな嘲りが響く中、シオンは涙をたたえた瞳をぎゅっと閉じ、エルスから顔を背ける。エルスの顔を見ることが出来ない。今、一体彼はどんな表情をしているだろう。嫌悪?侮蔑?それとも怒り?

 彼女は知っている。他人に、自分が『死役の血』と人間のハーフだ等と知られたら、一体どんな反応が待ち受けているのか。恐怖の顔、軽蔑の態度、罵倒の声、心の底からの嫌悪を込めた視線。それらは全て彼女が過去に受けた反応だ。

忘れもしない、幼き頃の光景。それが、唐突にフラッシュバックしてくる。

『人間との子だと!?』、『嫌だ、気持ち悪い・・!!』、『何でお前みたいなのが生まれて来たんだ!!』、『死ね!我らと同じ空気を吸うな!不浄の子が!!』、『生きているのが、恥ずかしくないのか?お前は』、『黙れよ不浄の血!口を開いていいと思ってんのか!?』

 何度も何度も聞いてきたその声。もう二度と聞きたくないと思った声。それが、目の前の青年からももうすぐ放たれるのだろう。それは、彼女にとって何よりも恐ろしかった。

「お前は先程、何故こいつを襲うのかと聞いたな・・・?今なら分かるだろう?気持ちが悪いからだよ!!お前ら人間などという家畜と、我らの血が混ざった存在だぞ!?貴様らに分かりやすく例えれば、牛と貴様らの混血のようなものだ!!軽蔑された当然だろう!?」

 勝ち誇ったようなベルシアの声が続く。嫌だ。やめて。

 彼は自分に笑ってくれたのだ。自分を心配してくれたのだ。自分との食事が楽しいといってくれたのだ。そんな事を言われたのは何年ぶりだ。心の底から彼女を思ってくれた存在など、もうこの世には居ないかもしれないというのに。彼女の力になりたいと言ってくれた初めての人なのに。例え、それが彼女という存在の真実を知らなかったからだとしても。エルスという青年からだけは、その言葉を聞きたくない!!

「その上、こいつは少々厄介な出自でねえ・・・・今動き回られると我々の計画に響く恐れがあるんだよ・・・・最早殺さない理由が無い!分かっただろう?人間。お前がどれほど愚かな事をやっているのか。どれほど馬鹿げた事の為に身を削っているのか?」

 地獄のような沈黙が場を支配した。ベルシアもエルスも、誰も声を発さない。シオンにとっては、最早拷問に近い。次にエルスが口を開いた時、きっと彼女の心は粉々に砕ける。

 そして、

 ゆっくりと、静かに、

青年はその言葉を吐いた。


「・・・・それが、どうした?」


「・・・・え・・・・?」

「・・・・何・・・・?」

 その場にいた誰もが予想した物とも違う言葉が走った。同時に疑問の声を上げるベルシアとシオン。

「・・・・貴様、今何と言った?」

「それがどうしたって聞いてんだよ、ハゲ」

 ベルシアの問いに答えるエルスの口調は比較的静かな物だった。

「彼女が人間と『死役の血』のハーフ?それが、何だ?何か問題か?」

純粋に、彼はそう口にした。

「お前が何をそんなに面白がってんのか、さっぱり分からねえがよ」

 だが、それは徐々に激しいものへと変貌していく。水が沸騰するように、鉄が白熱するように、彼の中の怒りが急激に言葉を熱くしていく。

「それが・・・お前のその死ぬほど下らない理由の群れが・・・!、その子を、シオンをこんな目にあわせる理由だってんなら!!!」

 既に立っているのもやっとの筈だった。全身は砕かれ、内臓は限りなく混沌にシェイクされ、一言一言発するたびに、血の塊が喉からせり上がってくる気すらもした。

 加えて、目の前に居るのは『死役の血』。化け物中の化け物。人間を軽蔑し、嫌悪し、明確な敵意を向ける、人類の天敵。今すぐに滅却されても不思議ではない状況。さらには、唯一の武器であった剣すらもいとも容易く砕かれた。

 だが、それでも、

 彼は宣言する。

「お前は俺の敵だ!!俺はお前の敵だ!!俺がシオンに力を貸す理由も、てめえをぶち殺す理由も、何も変わらねえ!!テメエみたいな理不尽は、俺が叩き斬る!!!」


「っ・・・・・!!!!!」

 その瞬間、シオンは確信する。

 この青年なら、きっと変えられる。

 この理不尽に満ちた世界を。歪んで歪んで歪みきった世界を。

 何にも屈する事のない、鋼の心。純粋にして無垢な魂。

 彼こそが、彼女の追い求めていた存在だと。


「・・・・・・・・はぁ」

 エルスの怒号を聞き届けた瞬間、ベルシアは短くため息をついた。

「・・・・分かった分かった。分かったよヒーロー。お前の志は立派だ。そこまでボロボロになりながらも、そんな言葉を吐けるとは、恐れ入った。いやあ全く、格好いいじゃないか」

 そう呟きながら大げさな身振りを加えてベルシアは一歩踏み出す。同時にシオンを掴んでいた腕を手放し、彼女をぞんざいに放り投げる。

「うっ・・・!」

 派手な音を立ててシオンが転がる。

 その、瞬間、


「・・・・分かったから、後は俺のサンドバッグになって死ね」


 ベルシアの笑みが裂ける。

 今まで生きてきた中で、最大級の悪寒がエルスの全身を駆け抜けた。

「っ―――――!!!!!」

 直感的に、再び身体を捻ろうとする。襲い来るであろう衝撃を、ほんの僅かでもそらすために。だが、その反射すらも、『死役の血』は凌駕した。

「はははっははははっ!ははははははっ!!!!!」

 文字通り、目にも止まらぬ速度で、接近は完了していた。ベルシアの姿が目の前に現れたと思った瞬間には、既に脳を凄まじい衝撃が揺らしている。

「ぐっ・・・は・・・!!!?」

 恐らくは、ベルシアからしてみれば顔を撫でたに等しいレベルの攻撃だっただろう。だが、エルスにとっては、鉄球か何かが直撃したのかと錯覚するほどの重さだった。大きく仰け反ると同時に、足の力が抜ける。だが、倒れることは、許されない。

「どうした?まだ寝るには早いだろう?」

「なんっ・・・・!?」

 驚くべき事に、声は背後から聞こえてきた。一瞬にして、エルスの後ろへと回り込んだベルシアが、再び拳を握る。

「しっかりそこに立っていろ、サンドバッグ!!!」

 めり込むのは、背骨。まだ一撃前の体制を立て直す暇すら無いところに、深々と打ち込まれ、声すらも上がらない。出来の悪いやじろべえのように、再びエルスの身体が前にのめり込む。

「先程までの威勢はどうした?俺を叩き斬るのだろう?」

 声は再び前から。まるでマジックのような移動。傍から見れば、エルスの前後で分身しているかのように見えたかもしれない。驚異的な『死役の血』の膂力。それを全力で余すところ無く使用して、ベルシアはエルスを嬲る。

「ぐっ・・・・があああああああああああああああ!!!?」

「ははっはははははははははははははははは!!!くはははははははははははは!!!!」

 ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ!!!!!!!と、まるで豪雨が打ち付けるかの如き勢いで、拳が、足が、頭が繰り出される。殴打の嵐という表現がまさにぴったりだと言えるだろう。猛風の中で舞い散る木の葉のように、エルスが蹂躙される。

「っ!!エルスさん!!!」

 シオンの悲痛な叫びも、最早エルスには届いていなかった。絶え間ない拳の雨の中で気絶する事も、死に至る事も許されずに、力無き人間は嬲られていく。

 唐突に、連打が止み、エルスの首が凄まじい力によって掴まれる。

「かっ・・・・は・・・・・・」

「どんな気分だ、人間?前後左右から絶え間なく殴られるなど、中々味わえんだろう?」

「く・・・・そが・・・・・」

 弱々しい腕で、自らを締め上げる腕を掴もうとするエルス。だが、最早虫の息と表現する事すらも難しいその身体では、まともな抵抗など出来るはずもない。何とか持ち上げた腕を、ベリシアの腕に触れさせるのが精一杯だった。

「くっははははははははははははは!!!健気だなあヒーロー!!そこまでされては・・・・もっともっとサービスしたくなる!!!」

 この上ない愉悦に笑う『死役の血』。その瞬間、エルスを縛る戒めが解かれ、彼の身体が短い距離を自由落下し始める。

 その刹那、

 ズガンッ!!!!という爆音と共に、エルスの顎に、つま先が叩き込まれた。

「かっ・・・!!??」

 意識が一瞬完全に吹っ飛ぶ。途轍もない勢いで上顎と下顎が激突し、脳内で星が炸裂する。

 ギュルンッ!!と、冗談のような勢いで、エルスの身体は空中で後ろ向きに一回転した。

 そして、再びエルスの頭が最上点に達した瞬間、

 再びその首を異形の腕が襲う。雷光の速度でエルスの首を引っ掴むと、その勢いを止める事なく加速。その先に存在するのは、言うまでも無く、石材が積み上げられた壁。

「っ!!やめてっ!!!!」

 次の瞬間訪れるであろう光景を察し、悲痛な叫びを上げる少女。

 だが、そんな事でこの異形の暴力が止まる訳がない。

 直後、

「こいつで、仕舞いだ!!!」

ベルシアの腕が突き出される。豪速を超えたその動作は、極めて単純な結果を生んだ。

即ち、その先に捉えられた青年の身体が、爆音と共に壁に叩きつけられたという事だ。

 びしいいっ!と、まるでガラスかなにかのように、石材の壁に亀裂が走る。その衝撃がどれ程のものであったのか、最早シオンには想像が付かなかった。

「ぎっ・・・ぐああああああああああ!!!!!!」

 意図せずして、絶叫が迸る。それと同時に、喉の奥から熱い液体が飛び出した。胃液が吐瀉物に塗れたそれは、巨大な血液の固まりだ。

「か・・・あ・・・・・・」

 だらり、と腕が、足が、頭が垂れ下がる。

 今度こそ、エルス・プライウェンという人間の戦闘能力は完全に喪失された。

「はははははははははははははっ!!!脆いなぁ人間!!だが、まあよく持った方じゃないか?ストレス発散程度には役に立ってくれたよ。ははははははははははははっ!!!」

 満足げに笑い飛ばすベルシアがその腕を放すと、エルスの身体は何の抵抗も示さず、その場に崩れ落ちる。そこには生物としてあるべき反応が一切感じられなかった。誰もがその光景を見れば思うだろう。もう彼は立ち上がれないと。

からん、と軽い音が響いた。エルスの腰に据えられた、剣の張りぼて。それが鞘から外れて地面に転がった音だった。だが、それでもエルスの身体はぴくりとも動かなかった。

「エルスさんっ!!エルスさんっ!!!!」

 目の前の倒すべき敵の嘲笑と、守るべき少女の叫びが響く中、泥の中に沈み込んでいくように、ゆっくりとエルスの意識は墜ちていく。

 


(・・・あー・・・・・強いなぁ・・・・コイツ・・・)

 薄れ行く意識の中、エルス・プライウェンは酷く落ち着いていた。激痛が体中から湧き上がり、指の一本も動かせない。視界はぼやけて、聞こえる音は、水の向こう側かと思うほどにはっきりとしない。だが、不思議と精神は一周して静かだ。

(・・・さっきのアレなんて、何されたか全然分からなかったしよぉ・・・・一回転したよな?俺。蹴りで回されたのは流石に初めてだわ)

 数秒前の出来事だというのに、正確に思い出せない。それ程、敵の攻撃は素早く、強く、鋭く、馬鹿げていた。相対していたのが夢だったのではないかと思うほど、常軌を逸していた。

(・・・しかも、本気じゃねえんだろうな・・・・・あれだけ笑いながら殴ってたくせに、息一つ乱してやがらねえと来た・・・・ははっ・・・・笑えて来るぜ)

 戦力の彼我は、最早思考が及ばぬ域に達していた。そもそもが、人間が相対していい存在ではない。伝説に聞く化け物は、彼の想像を絶する理不尽だった。

(弱いな・・・・俺は・・・・)

 かつて、彼は自らの無力を知り、そこから我武者羅に強くなることを求めた。例え剣が無くとも、その身一つで誰かを救えるように。だが、現実はどうだ。あの異形に、文字通り手も足も出やしない。この数年間は全て無駄だったのか。結局自分には無理だったのか。何よりも知りたくなかった事実が、冷たく押し寄せてくる。そう思うと、急激に身体の中から血と共に力が抜けていくのが分かった。

(・・・・・ああ・・・・畜生・・・・眠いな・・・・・・)

 気付けば、あれほど喧しく身体を蝕んでいた激痛が綺麗さっぱり消えていた。生暖かい温もりが全身を包んでいく。それが、自分が吐き出した血溜りに転がっているからだと気付いた瞬間、彼は確信する。

 これが、死に至ると言う事なのだと。

(・・・もう・・・・疲れた・・・・・・)

 妙に心地が良かった。もう、目を開けたくなかった。数瞬前まで、地獄のような痛みの嵐を受けていたのだ。このまどろみに抗う術をエルスは持っていなかった。

 ゆっくりと、眠気に身を委ねて行く。全身から、真の意味で力が抜ける。このまま全ての活動を止めてしまえば、どれだけ楽だろう。もう何も悩まなくていい。何もしなくていい。それは、ある意味で何よりも得難い救いの道なのだろう。そして、その先に待つ、無という快楽へと、彼は手を伸ばし、


「・・・・くっ・・あああああああああああああ!!!!」

 

 その全てを切り裂いて、彼の耳を悲鳴が劈く。

(・・・・何だ・・・・)

 眠りに落ちかけた意識がほんの少しだけ覚醒する。極めて億劫だったが、何が起こっているのかを確認するべく、目を薄らと開いた。

 そこには、

「さあ・・・・次はお前の番だぞ?姫君いい・・・!!」

「くっ・・・離して・・!エルス・・・さんっ・・・!!!」

 数秒前の自分と全く同じ状況に陥った、少女の姿がある。

 当然といえば当然の結果だ。エルスは戦いに負け、守ろうとした彼女がベルシアの毒牙の対象となる。分かりきった光景。あるべきと言ってもいい光景。最早、戦いに敗北したエルスにとって、何の関係も無いはずの光景。

 だが、

(・・・・・・っっっっっ・・・・!!!!!)

 瞬間、吐き出しきったはずの血が、全身を、そして脳内を駆け巡る。冷えかけた身体に、熱量が戻る。

(まだだ・・・!!!!)

 最早、立ち上がる気力、指先を動かす体力一つも残ってはいない。戦力の差は絶望的な程に広がり、相手を傷つけることすら武器無き彼には出来はしない。

 だが、まだ叫んでいる。吼えている。エルス・プライウェンの全ては死んでいない。

(このまま死ねるか・・・!!俺は・・・あの時と同じじゃ無えだろう・・・!!!)

 今、目の前で行われようとしているのは、許されるはずの無い理不尽だ。かつて、闇の中で震えていることしか出来なかった時と同じように。自らの無力さを知り、踏み出せなかったあの時と同じように。

(武器が無いからどうした・・・・・勝ち目が無いのがどうした・・・・相手が死なないのが何だ・・・!!俺はまだ、何一つ救えちゃいないだろうが・・・・!!彼女を、シオンを助けるんだろうが・・・それも出来ねえとあっちゃあ、死んでも死に切れねえ・・・!!!)

 ずるり、と緩慢ともいえる動作が、血溜りに波紋を刻む。死体と見まごうほど傷つき、動かないはずの腕を、足を、頭を地面に突き立てる。それだけで、骨は軋み、内臓は揺れ、激しい嘔吐がせり上がる。だが関係無い。

(腕が飛ぼうが足が飛ぼうが、何だっていい・・・・彼女を逃がす!生き残らせる!何がなんても!!)

 死体同然の身体がほんの少し持ち上がる。同時に痛みが戻ってきた。全身を絶え間なく砕かれているような錯覚に、それでも彼の口から笑みがこぼれる。

(・・・ああ・・・・痛えな・・・・俺は、今、確かに命を賭けてる・・・!!)

 それが、嬉しかった。まだ、自分は誰かの為に命を賭ける事が出来る。踏み出す事が出来る。

 何よりも求めた、その事実。それだけで、まだ彼は戦える。

 あれほど自分の中に渦巻いていた虚空は消えていた。彼の中で、全ての迷いが払われる。

 今この瞬間、彼女を守る。全ての神経は只それだけの為に向けられてた。

 もぞもぞと地面を這った指が、何かに当たる。それは、剣の柄。張りぼての鞘から零れ落ちた、彼の未練の塊。握り締めたそれを地面に突き立てる。

(もう少しだけ・・・・付き合ってもらうぞ・・・・!!!!)


 


「・・・・・・・待てよコラ・・・・まだ・・・終わってねえぞ・・・・・・」

「・・・・!!!!?」

「・・・・・はあ?」

 その声が響くのは、二度目だった。全く同じ構図。それが、この一晩に二回も訪れようとしている。即ち、有り得ない状況からの、復活。

「・・・貴様・・・・本当に人間か?」

 驚きというよりも、呆れに近い声を上げてベルシアが億劫そうに振り返る。そこには予想通り、先程骨の髄まで叩き潰したはずの人間が立ち上がっていた。

 確かに殺してはいなかったはずだ。だが、それでも立ち上がれる傷ではない。最早両足が体重を支えているのが奇跡的だと言っていい。

「・・・第三ラウンドだぜ、化けモン・・・・!」

 なのに、この男は薄らと笑みすらも浮かべている。ベリシアは初めて人間に侮蔑以外の感情を向けた。それは困惑。何故、このひ弱な生命体が、ここまで執拗に立ち上がる?

 初めて持った未知と言う感覚。ベリシアは気付いていない。それが、後に恐怖へと変わる感情だという事を。

「・・・・・いい加減に、しておけよ」

 最早、笑いは浮かんでこなかった。一刻も早く、この訳の分からぬゴミを排除せねばならない。理由も分からぬ焦燥が、彼の殺意を研ぎ澄ます。

「っ・・・・!!エルス・・・さんっ・・・!!逃げて・・・早く!!!」

 それを敏感に感じ取ったのか、シオンが叫ぶ。もう見ていられなかった。彼は、間違いなく自分の為に戦い、そして自分の為に傷ついている。

 だが、そんな彼女の言葉にすら、エルスは血みどろになりながらも笑って返す。

「・・・・そうはいかねえだろ?俺は・・・お前を助ける為にここにいる。それなのに逃げるなんて格好悪すぎだろ」

 同時に、震える腕で、柄を構える。勿論その先に刃など無い。だが、常に剣と共にあった彼にとっては、それが自然体なのだ。

「・・・さあ、さあ、さあ来いよ『死役の血』・・・!まだ何も終わっちゃいないぜ・・・!!」

「・・・・いいだろう。お望みどおり・・・・・」

 構えるエルスに対し、ベルシアはこれ以上この存在に、付き合う気は無かった。

「念入りに、殺す!!!!!!!」

 瞬間、シオンを放り捨て、『死役の血』は、今夜初めて全力で機動した。


 風が弾ける。夜が切り裂かれ、音が消える。

 正真正銘、全力全開の『死役の血』の動作は、一陣の現象と化した。

 これは、嵐や地震と同じ。圧倒的な暴力に抗うすべは無く、人はただ蹂躙されるしかない。

 そんな、大自然に向ける畏敬の念。それに近い感覚が、今目の前に迫っている。

 瞬間、エルスは、自分の感覚が引き伸ばされるのを感じた。景色が妙にゆっくりと流れ出す。

(・・・俗に言う、走馬灯って奴か・・・!?冗談じゃねえ!!)

 確かに前方から迫る死を彼は痛いほど認識している。だが、ここでは死ねない。そう決めたからこそ、彼は立ち上がったのだから。

(何か・・・・何か無いか・・・!?この状況を覆す、何か・・・・!!)

 自分が無力である事などもう嫌というほど分かった。ならば、次はどうする。

(・・・・・力が欲しい)

 シオンの悲鳴が尾を引いている。前方からの風が強くなる。その中で、ギリリと歯を食いしばり、目を見開く。

(足りない・・・今のままじゃ、何も守れないんだ・・・・!!!)

 どれだけ肉体を鍛えても、どれだけ戦闘経験を重ねても埋められない差。それを埋める何かが、今この瞬間に必要なのだ。軋む音が聞こえるほど、柄を握り締める。

(俺は・・・俺は・・・・・俺は―――――後悔したくねえ!!!!!)

 そして、


 その瞬間、

 ふと、それは見えた。


(・・・・え・・・・?)

 極限まで引き伸ばされ、スローモーションに流れる世界。その中に、今までに無かった、何かが見える。

 空間の揺らぎ、とでも言えばいいだろうか。目前の景色の中から、彼の首元に向かって伸びる、薄く煌く不可思議な揺らめき。

(何だ・・・・これ?)

 彼は疑問に思いながらも直感する。自分は、似たような物を知っている。

 それは、何度も何度も何度も何度も何度も、『魂殻』と、同期の隊員達と交し合ったそれ。

 そう、

 目前の敵が放つ、『敵意そのもののようだと』。

 それを認識した瞬間、彼の神経は現実へと引き戻される。

 同時に、来た。

 音速を超えた死が。認識する事すら難しい脅威が。避け様のない無慈悲な刃が。

 エルス・プライウェンという存在を全力で否定するその一撃が、


 バシイッ!!!!と、

 青年の腕によって、止められていた。

「・・・・・・・・・は?」

「・・・・・・・・・え?」

 目の前の光景が、その場に存在する誰にも理解できなかった。

 文句のつけようも無く、全力を込めた一撃だった。生物が出せる限界をを超えた手刀は、何の抵抗も無くこの人間の首を落とす。それで終わるはずだった。そうでなくても、この暴力的な速度を持った一撃が、かすりさえすれば生身の人間がその場に立っていられる筈もなし。

 なのに、何故。

 何故、人の目には認識すらもされないはずの必殺が、あろうことか死人同然のこの男に止められている?

「・・・・・!!!」

 そして、止めた当の本人こそが、誰よりも衝撃を受けていた。

(・・・・何だ、今の感覚・・・!?)

 先程目にした光の道。それを目にした瞬間には、彼の身体は動いていた。あの道が示す通りの場所をガードするような形で。

(まさか・・・・アレは・・・・!?)

 その答えが脳内で花開く前に、次の驚愕が彼等を襲う。

 初めに感じたのは熱だった。次にやってきたのは、夜を照らす光。

「な・・・・に・・・・?」

「こいつは・・・・?」

 それは、立ち尽くす二人のすぐ近くからやってきていた。具体的に示すならば目の前の男の腕の中から。 もっと言うならば、

 エルスの握る、剣の柄『だったもの』から。

「・・・・・・!!!!!」

 それに目を向けた瞬間、一際強い輝きがそこ炸裂する。

 同時に、彼の身体は再び動いていた。無意識の内だったが、今度は先程とは違う。

 まるで、『それ』をそう使うのが当たり前であると、ずっと前から知っていたかのように。

 極めて自然に、だからこそ、最適な動作で、

「・・・・おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!!!!!」

 エルスは、それを『振り抜く』

 ズバンッ!!!!!!!と、

 有り得ない筈の音が響いた。

「・・・な・・・・・?」

 同時に、ごとん、と重量感のある何かが地面に落下する音。

 それは、腕だった。

 ベルシア・ハルバードの、突き出した右腕が、根元から切断されていた。

「っっっっ―――――!!!!!?」

 驚愕と同時に、水を浴びた猫の様にその場を飛び退る。

 そして、三人は同時に目にする。顕現した、その姿を。

「・・・な・・・・・に・・・・!!!?」

「・・・あれ・・・は・・・・・・!!!」

「こいつは・・・・!?」

 エルスが振りぬいた腕の先にあったのは、先程と同じく、張りぼての剣の柄。

 だが、今はその先に、激しい変化が生じていた。

 それは、闇を払う光。それは、夜を焼く熱。それは、風を切り裂く質量。それは、鋭く研ぎ澄まされた脅威。それは人が生み出した、最強の力。

 そこに存在したのは、白く揺らめく、不定形の刃。

 エルスが心の底から求めた、純粋なる力が顕現していた。


 かつて、『死役の血』と人間は世界の覇権を賭けて争った。

 人は互いの確執を忘れ、一丸となって迫り来る異質な脅威に立ち向かった。

 だが、それでも話にならなかった。戦いと呼べる物は起こらなかった。確認された限りでは、たった数体の『死役の血』によって、人は滅びの道を着実に歩まされた。

 だが、ある時、一体の『死役の血』が裏切り、人間側に加勢した。

 そして、人類は絶望的な状況から、反旗を翻し、不死の異形たちに勝利を収めた。

 ここまでが、この世界の誰もが知る、『魂絶戦争』のあらましだ。

 だが、一体どういう手段をもって人間が『死役の血』に勝利したのかを知る者はいない。

 意図的に隠された歴史の真実。かの大戦の最後には、一体何が存在していたのか。

 その真実の一端が、今青年の手に現れた。 

 

「馬鹿な・・・・!!!?」

「嘘・・・・『ソウルエッジ』・・・・・!!!!!!!」

 エルスの手の中で輝く白き刃を目にした瞬間、シオンとベルシアは同時に驚愕の声を上げた。

「ソウル・・・・・エッジだと?」

 突如として現れたそれのに目を向け、エルスは呆然とその名を反芻する。SOULEDGE。魂の刃。

 普通なら、困惑するところだろう。こんな訳の分からない品が、訳の分からないうちに自分の手の中から出現したら誰だって取り乱すに決まっている。

 だが、不思議とエルスは落ち着いていた。まるで、これを遥か昔から知っていたかのように。

(・・・さっき振るった時も無意識だった・・何なんだこれは・・・)

 じっとその刃を凝視する。ゆらゆらと、不定形に形を変える刃。まるで白い炎のようだが、確かな質量と切れ味が存在している。全くもってこれが何なのか分からないエルスだが、どうやらそれは、彼一人だけの話であるらしい。

「馬鹿な・・・馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な・・・!!!貴様は先程まで確かにただの人間だったはずだ・・!!何故、何故それを、その刃を持っている!!!」

「・・・あれが、ソウルエッジ・・・・初めて見た・・・・」

 先程までの余裕がベリシアから吹き飛んでいた。冷や汗を流し、目を見開いて、エルスのソウルエッジを睨んでいる。横にへたりこむシオンの表情にも、畏敬に近いものが浮かんでいる。   

その両者の瞳に共通して映るのは、確かな恐怖。

(・・・さっきからコイツとシオンは、コレが何なのか知ってるのか?)

どういう訳だがかは分からないが、あの絶対的な力を行使する『死役の血』が、この刃を恐れている。それがどういう事なのか、エルスは本能的に理解した。

「・・・・どうしたよ『死役の血』?お得意の再生能力は使わないのかい?」

 数秒前に落とした腕を指しながら言葉を吐く。未だ地面に転がったままの腕は、ぴくりとも動きはしない。

「・・・ぐっ・・・・この・・・・!」

 見え透いた挑発。だが、ベリシアは歯をかみ合わせるだけで動こうとしなかった。再生が始まる様子も無い。それを認識し、エルスは確信する。

(・・・どうやら、こいつで斬ったモンは、再生できない・・・・って事か?)

 先程腕を振るった瞬間、通常の剣とは違う手ごたえがあったことをエルスは思い出す。あれは、生物の肉体を断ち切った感触ではない。

 もっと違う、別の、今まで感じ得もしなかった『何か』。どうやらその『何か』を、この刃は断ち切ることが出来るらしい。

(・・・・何だよ、簡単な話じゃねえか)

 ボロボロの身体を引きずりながらも、エルスはその事実を認識して尚笑った。

これは、一体全体何なのか?何故あの張りぼてからこんな物が出現したのか?分からない事だらけだ。だが、分かっている事もある。

 それは、これが、彼の望んだ力だという事だ。

「・・・・今は、色々考えるのはやめだ」

 ゆらりと、エルスの打撲塗れの腕が上がる。そこに握った新たなる刃を、きっちりと目の前の倒すべき理不尽に向ける。

「こいつなら、てめえを斬れる。それだけで、今は十分だ」


「・・・っ・・・!!!でかい口を叩くなよ、人間風情があああああああああっ!!!」

 歯を剥き出しにして、ベルシアが吼えた。怒りのままに踏み出したその一足で最大まで加速。

 再びその姿が、人の認識の外へと消える。

(ふざけるなよ・・・・何がソウルエッジだ!!人間如きが、我らを殺せる力を持つなどと・・・・・有り得てはならない!!今すぐ、こいつを、消す!!!)

 その脳内は、完全に沸騰していた。右腕を落とされた怒りと、全くの予定外の脅威の出現による焦り。それが、ベルシアに安直な攻撃を許した。だが、彼は忘れている。先程の攻防で、一体何が起きたのかを。

「シイイッ!!!」

 再び突き出す必殺の手刀。このボロボロの男に、これを受ける余裕も回避する力も、認識する能力も存在していない。してはならない!!

『死役の血』の誇りを賭けた、即死の一撃。

 だが、

(・・・・見える・・・!)

 今のエルスには、見えている。それは攻撃を放つベルシアの姿ではない。その目に一瞬だけちらつくのは、先程と同じ鈍く耀く軌跡。その正体を既にエルスは察し始めている。

「ここ・・・かっ!!?」

 ほんの僅かに、だが最速で頭を右に傾ける。だったそれだけの動作しか行える暇は無かった。 

 だが、それでも、

 ギュンッ!!と、風圧すら感じさせるベルシアの突きは、エルスの左頬を僅かに掠めただけに留まった。

「なっ・・・!!馬鹿な!?」

 再び、防がれる必殺。間違いなく全力を課した筈の一撃をかわされ、決定的な隙が生じる。

(・・・やっぱそうか・・・・アレは、コイツの攻撃の軌跡!!ここにぶち込んでくるというあいつ自身の殺気か・・・!)

 長く実戦経験を積んできたエルスには分かる。戦いをいくらか重ねると、いつしか敵と相対した時、ほんの僅かに相手がどこを狙ってくるかと言う事が分かるようになってくるのだ。それは、相手の視線、筋肉の動き、そして向けられる集中などから紡ぎ出される、ほんの一瞬の予測に過ぎない。だが、それが生死を分けることは十分にある。それと極めて似た現象が、今のエルスには起こっていた。

(動きが見える訳じゃねえ・・だが、解る。こいつが何処をどう狙ってくるのか・・・!)

 相手の敵意や殺意というものが可視化されていると言うべきだろうか。今のエルスには、ソウルエッジに加えて、彼が今まで知りもしなかった新しい概念が芽生えようとしている。

 それが、『死役の血』が持つ、『魂』という概念だという事を、彼はまだ知らない。

「はっ!!」

 気合一閃。短く吐かれた呼気に乗せて、脱力から、一気に右腕を加速させる。逆袈裟に刃が走る。揺らめく白い刀身が、闇を切り裂き、ベルシアの胴へと殺到する。

「っおおおおおっ!!?」

 今度は、ベルシアが全力で回避する場面だった。全身を無理やり稼動させ、渾身の一撃を打ち込んだ後の硬直を強引に解除。それでも大きく踏み込んだ身体を引き戻すのは、彼の身体能力をもってしても、容易くは無かった。

 ピッ、と、ほんの僅かに、切っ先がベルシアの胸を掠めた。

「っ・・・!!」

 初めて、その顔が青ざめる。それは、不死を振りかざす『死役の血』が知るはずもなかった寒い感情。即ち自らの死の恐怖。

(ば・・・かな・・・!!この俺が、恐れているというのか・・・!!) 

 ギリリとこれ以上無い程歯を食いしばり、その感情を嫌悪する。有り得ない。有り得るはずが無い。人間が振るう刃に恐怖など、持って良いはずがない。だが、溢れ出る未知の感情に、ほんの僅かにその身体が強張った。

 それを見逃すエルスではない。

「まだだ!!!」

 切り上げた刃を、瞬時に手放す。同時に、身を左回りに捻り、小さく跳躍。そして、上半身の捻りを開放。素早く空中に浮かんだ揺らめく剣を左腕で引っ掴むと、そのまま上半身ごと左腕を叩きつけるように、振り下ろす。

「なっ・・・・!」

 絶妙なタイミングで放たれた、エルスの連撃。無理に姿勢を戻さず、そのまま次のモーションに移行するその動きは、硬直したベルシアの決定的な隙を完璧に突いた。

 振り下ろされる、不死殺しの一撃。

 それが、ベルシアの脳天へと殺到する、

 その瞬間、

「・・・げっ・・・ごほっがはっ!!!?」

「!!エルスさん!!」

 エルスの身体が、悲鳴を上げる。口から、再び血の塊が飛び出した。

「がっ・・げえっ・・・!!」

 同時に姿勢を崩し、刃はその勢いを失う。必殺の一撃はあえなく中断を余儀なくされた。

「っ・・・!!は・・・はははっ・・・はははははははっ!!!!」

 既に身体を動かし、バックステップで距離を取ったベルシアは、その様子を見て思い出したように笑い始めた。

「はははっ!はははははははははっ!!!そうだ、お前の身体はもう限界も限界!死人同然!最早立っているのも奇跡だろう!そんな状態で、まともに動けるはずが無い!」

「ち・・・っくしょ・・・・」

 がくがくと、痙攣する身体を何とかして押さえ込む。騙し騙しやってきたが、今の動きで完全に色んな場所が逝った。そもそも、肋骨にも背骨にもひびが入っているのだ。ほんの少しでも動くたびに激痛が走っている。何だか姿勢がおかしい気がする。自分が真っ直ぐ立っているのかどうかも怪しい。

(そうだ・・何を恐れる事がある・・・!こいつは人間!それも、死人同然に加えて、まだ、ソウルエッジのまともな使い方も知らない様子ではないか・・・!問題など何も無い・・・むしろ、コイツを『喰らえ』ば・・・俺は・・・!!)

 自らの優位には変わりないということを再認識し、ベルシアの脳内が冴え渡っていく。焦って一撃で決める必要など無い。隙を晒さなければ、相手はまともにこちらに刃を届ける事は不可能なのだ。

(どういう仕掛けかはしらんが、奴は俺の攻撃が見えているらしいが・・・・それがどうした!!)

 余裕を秘めた笑みが復活する。そして、ベルシアは無造作に一歩踏み込んだ。全力の機動ではない。速度を全開にするよりもむしろ、あえてエルスの目に止まる程度の走りで接近する。

「ちっ・・・・!」

 せき込む身体を何とか動かし、ベルシアに目を向けるエルス。最早、こちらから動く事は出来ない。相手の隙を突いて攻撃しなければ、まともに直撃を取る事は不可能だろう。

 だが、それは勿論ベルシアにもよく分かっている事だ。

「はははははっ!!」

 接近したベルシアは、無造作に拳を突き出す。特段の殺気も込められていない、適当なジャブといった具合のパンチ。だが、それすらも、今のエルスにとっては致命傷になりかねない。

「ちいっ!!」

 何とか足を動かし、半身をずらす。直後、激痛が雷光のように全身を駆け抜けた。

「ぐっ・・・・あああ・・・!!」

 内から湧き出る原始的な痛みに、身体が固まる。今度はエルスが致命的な隙を晒す番だった。

「そこだ」

 目の前のベルシアの姿がぶれる。瞬き一瞬の間、その気配が後方に移動した事が理解できた。

 同時に、左腕がつかまれ、足を払われる感覚。天地が逆転したと感じた直後には、エルスはその場に組み伏せられていた。

「ぐっ・・・!?」

「ははははははっ!!片腕でも、貴様を組み伏せる程度の力はある事を忘れるな!!」

 大して太くも無いベルシアの腕が、ギシギシとエルスに左手を締め上げる。人体の構造上、全く力が入らない今、剣を振るうことも出来はしない。

「こうなれば、ソウルエッジ如き、恐れるに足りん!!」

「くっ・・あ・・・・・・てめえこそ・・・忘れてるのかよ?腕飛ばされてんだぜお前は・・・・!片腕で俺を締め上げてんだ。これじゃあ、俺は殺せねえぞ・・・!」

 きつく締め上げられながらも、エルスは嘲笑を返してやる。組み伏せは相手を捕縛する、もしくは確実に止めを刺すために使用するものだ。だが、今のベルシアは片腕。エルスを殺傷できる手段は持っていないはずだ。

 だが、その問いに、ベルシアは極めて嫌な笑みを返した。

「なぁに・・・心配するな人間。貴様を殺す術は無くとも、『喰らう』術ならある」

「・・・!!駄目!!逃げて!!エルスさん!!」

 その単語を耳にした瞬間、それまでへたり込んでいたシオンが、血相を変えて立ち上がる。

「・・・?何・・・?」

「もう、遅い」

 少女の叫びが虚しく響く中、それは訪れた。


「『『魂吸収ソウルドレイン』!」


 エルスを掴むベルシアの腕が鈍く耀く。

そして、ずるっ・・・・と、腹の底から、何かが抜きだされる感覚が走る。

「・・!?っ・・・ぐ・・・あ・・・っ!!!?」

まるで臓物をまるごと掴まれ、体外に引っ張り出されているような、そんな最悪の嫌悪感。 

同時に全身の神経を襲うのは痛みでは無く、強烈な脱力感だ。

(こ・・・れはっ・・・!?)

この感覚には覚えがある。そう。シオンに昏倒させられた時味わった状態に極めて似ている。だが、感じる嫌悪はあの時の比ではない。文字通り、生きたまま命を吸われている。

「くははははははははははっ!!貴様の『魂』、頂くぞ!!」

「魂・・・だと・・・!?ふざけ・・・んな・・・!」

 響く高笑いの下で何とか拘束を解こうともがくエルス。だが、身体に力を込めようとした瞬間には、激しい脱力が全身を駆け巡る。まともに動く事すらままならない。

(また・・・かよ・・・何なんだコレっ・・・!!)

 必死になって抵抗しようとするも、全くの無意味だった。指の一本もぴくりとも動かない。さらには、急激に体温が下がってくるのを感じる。意思に反して、瞼が落ちそうになる。

(やばい・・・眠い・・・)

 冬山で眠るとそのまま凍死するという話を思い出す。それもこんな具合なのだろうか。

 燃える闘志も、痛みは乗り越える事が出来ても、疲労に近いこの感覚を制御する事は出来ない。ゆっくりゆっくり、まどろみに近い暗闇へと彼の意識は墜ちて、


「やああああああああああああああっ!!」


 麗しい声にそぐわぬ、勇猛な叫び。それが、エルスの意識を少しだけ戻す。

 同時に、

 ガシッ!!と、確かな力が込められた細い生身の腕。それが、ベルシアの首筋を捉える。

「・・・ああ?」

 ギロリと、まるで羽虫を見るかのような冷めた目で、そちらを振り向く。

「・・・何をしているのだゴミ?」

 そこに立つ、無力な少女に向けて、彼はありったけの苛立ちを込めた言葉を浴びせる。

「何を俺に触っている・・・?まさかそれで攻撃しているつもりか?」

 一切の感情が込められていないその声は、彼女に対するベルシアの本当の態度なのだろう。興味すらも抱かない。真の意味でどうでもいいと感じている。シオンが幾度も幾度も向けられてきた、無価値を叫ぶ最悪の瞳。

 そして、それに対して、

「・・・いいえ」

 手袋を脱ぎ捨てた少女は、一ミリも怯まずにその瞳に視線を返す。

「それは、ここからです!!!」

 瞬間、


「魂吸収!!!」

 

 先程のベルシアと全く同じくして、シオンの腕に光が走った。それは、今現在エルスが行われている攻撃と同じ、魂を吸い取る彼女の能力。そして、

「っ!?ぐっ・・・あああああっ!!!」

 ベルシアの身体がびくんと跳ねる。発動したのは、ほんの一瞬。だが、それでも確実に、ベルシアの攻撃は中断され、エルスを掴む腕が緩む。

「・・・不意打ちなら、私だってあなたの魂を吸える・・・!甘く見ましたね」

「・・・っきっ・・・・さまああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 爆発するベルシアの叫び。あまりの苛立ちと怒りに、目を血走らせ、つばを飛ばしながら、男は顔を歪ませ絶叫する。

「こっのクズがああああああああああ!!!よりにもよって・・・この俺の魂を貴様如きが吸った!?ふざけるなよゴミ屑がっ!!そんなに、早死にしてえのか!!?」

 だが、シオンはもう揺るがない。

「私は、死なない!!!!彼が・・・エルスさんが私を受け入れてくれたから!!私が生きる事を望んでくれたから!!!もう、私は簡単には死んでやらない!!!私も戦って見せる」

 拒絶の恐怖に震える少女はもう居ない。決然たる叫びを、目の前の男に叩き付ける。

「ほざけゴミカスが!!!貴様がどう思おうが知ったことか!その気になれば、貴様如きのカスなど一秒に千回は殺せる!!この俺に屈辱を与えた罪!!今すぐその命で償え絵ええええええええええええええええええええええ!!」

 そして、放たれる怒号。完全に我を忘れたベルシアの脳内は、最早一秒でも速くこの少女を塵殺することのみに満たされている。なりふり構わず残った左腕を振りかぶり、手刀を形作る。

 弓矢のように引き絞られた豪腕が、音速に迫るその死を運ぶ刺突を放つために解き放たれる、

 その瞬間、

 ズパンッ!!!!!と、

 闇夜に三度、白い閃光が軌跡を刻んだ。

 ごとん。確かな重量が落ちる音。それは、数分前にも見えた光景に酷似していた。

「っお・・・・!?」

 走る激痛。先程まで確かに存在した、肉体の一部が再び喪失。そして、その行為を成した存在が、彼の視界の端で立ち上がった。

「・・・おい・・・何処見てんだ」

「っ・・・・・がああああああああああああああああああああああっっっっっっっ!!!!」

 なりふり構ってなどいられ無かった。脂汗を迸らせ、満身創意の異形は、自らの中に今や爛々と耀く程に成長した恐怖の元の喉元を食いちぎるべく身体を捻らせ、その口を大きく開く。

 そして、

 その顎を開いた顔面に、

 グッシャアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!!と、

 これ以上無い程に美しく、エルスの肘サポーターがめり込んだ。

「ぐっ・・・・げっ・・・・!!!!!!」

 大量の血液と、砕かれた牙を撒き散らせながら、ベルシアは大きく仰け反る。例えどれほど強靭な肉体を誇っていようとも、生物である以上脆い部分は存在する。どう努力しても、鼻の骨や顔面を鍛える事が出来ないように。脆い部分を砕かれれば、激痛が走る。そして、激痛は抗う事の出来ない隙を生む。

「・・・・あばよ、『死役の血』」

 そして、最期に傲岸不遜にして絶対無敵の『魂喰らい』は目にすることとなる。

 そこに居るのは、先程よりも数段その大きさを増した、白く煌く刃を大上段に構える人間。

 自分を殺す男。自分を消す刃。それは、これから世界を変える存在の一撃。

「お・・・おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっっっ!!!!!!!

 叫ばずにはいられ無かった。それは恐怖の叫びか、怒りの咆哮か。それは、この先誰にもわからない。只一つ解かるのは、

 そんな事で、目の前の刃が止まるわけがないという事だ。


「おっ・・・らああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!!」


 ふらつく身体に残る力全てを絶叫に込めて、エルス・プライウェンはその刃を振り下ろした。



 斬撃というよりは、爆撃に近い轟音。閃光と化した巨大な刃が一文字に走り抜ける。それは、一切の狂い無く、そして慈悲無く、ベルシア・ハルバードの脳天から股間までを両断した。

「ッ・・ア・・・・あ・・・あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっっ!!!!」

 奔る絶叫。紛れもない断末魔。無敵を誇るはずの不死が、今、死ぬ。

 直後、鈍い輝きが夜の闇に炸裂する。音を伴わぬそれは、生命の最期の耀きなのかもしれなかった。

 その跡には、何も残っていない。あるのはただ、静寂。そして、二人の息遣いのみ。

「・・・終わった・・・・・・のか・・・・?」

「・・・本当に・・『魂喰らい』を・・・倒した・・・・!」

 その事実を言葉にする事で両者は認識する。あの鮮烈なまでの脅威が消え去った。それはゆっくりと彼らの中に染み込み安堵となって溢れだす。

「・・・はあああ・・・・やった・・・んだな」

 その瞬間、エルスは膝から崩れ落ちた。

「っ!!エルスさん!!!」

 呆けたように立っていた シオンが慌てて青年の下へと駆け寄る。その身体を支えようとして、おびただしい量の血液が彼の身体を這っている事に改めて驚愕する。

「っ・・・そんなっ!!エルスさん!!しっかり!!」

「・・・シオン・・・・生きてるよな?」

「そうです!生きてますよ!貴方が・・守ってくれたんです・・・!!」

 それを確認すると、彼は心底安心した表情を浮かべる。

「・・・・そうか・・・・俺は・・・・・踏み出せたんだな」

 そう呟くのが限界だった。

 ぷつん、と糸が切れたように、エルスの意識は今度こそ完全に闇に墜ちた。


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