第一話「邂逅」
どんどん行きます第一話。
設定が激甘で矛盾だらけで目眩がするぜ。
まあ、自作の小説の設定なんては取ってつけるものですよね。
街をぐるりと取り囲む、焦げ茶色の城壁は強固なレンガと漆喰を基礎として造られている。その周回距離は、約百kmとも言われ、かつて人類側の一大拠点としての機能を果たしたこのウロボロスの象徴だ。それは、『魂絶戦争』が終結し、人の目の前から『死役の血』が姿を消した今でも変わりはしない。だが、ただ単に強固なだけでは『死役の血』の手を逃れる事など出来はしない。人類の叡智がこの場所には詰め込まれている。
その中の一つを前にしながら、城壁の上部に備え付けられた見張り小屋の中で、とある女性兵士は大きな欠伸を噛み殺した。
「・・・っあ~~・・・・・ねむーい・・・・」
ぐぐっと大きく背を反らしながら、彼女は気だるげに呟く。その服装は、エルス達が身に着けている物とは違う意匠が凝らされた兵服で、彼女の役割が彼らとは違うことを表していた。
「先輩、寝ないでくださいよ。連帯責任で始末書くらうの、俺嫌っすからね」
隣に座る、同じ服装の男がそう窘める。その口調は、これまでにもそういったことが何度かあったのか、うんざりしたような具合だ。
「別にいいのよ。私がさぼれる世の中って事は、平和でいい世の中って事だし」
「俺が無意味な始末書を書かされる世の中なんて糞です。働いてください」
そんな下らない会話を繰り広げながら、彼らは目の前の西瓜大の水晶のような物を凝視する。
「・・・今時居なくなった化け物連中にビクビクしながら、こんな物見続けるだけなんて、退屈極まりないのは分かりますけど」
仄かに青く輝くその水晶は、対『死役の血』用のレーダーだ。人類がかつて滅びかけた最悪の『魂絶戦争』終結から、現在に至るまでに編み出した叡智の一つ。彼らの持つ『魂』とやらに反応する代物だという。
「そう言いなさんなよ新入り君。こいつがあったお陰で・・・・私達の百年は平和でやってこれたんだ。言うなれば、人間は伊達じゃねえっていう証さ。これを見張るってのは・・・・意外と誇り高い仕事なんだよ。あと・・・私はやる時はやるから」
台詞の端々で舟を漕いでいる様で言われても説得力が全く無いと思う部下。とはいえこの仕事についてから、まだ一回も『業務』を果たすべき時が訪れていない以上、彼女の言葉の真偽を図る事も出来はしないのだが。
「はあ・・・・・なんで俺この仕事に志願したんだっけ・・・・・」
そんな具合に、彼は小声で愚痴りながら、今日も一日が過ぎていくことを嘆こうとした、
その時だった。
彼らの前に置かれた水晶が、突如として震え出した。
と、同時に、その表面にいくつかの赤い斑点が浮かび上がる。
「・・・・!!こ・・・・これって!」
それは、彼がかつて研修で目にした以来の水晶の反応だった。それに対するマニュアルは全て頭に叩き込んだはずだったが、その時の彼の脳内は真っ白になってしまっていた。いつか来ると想定していたが、いざその時に直面すると、次に何をすべきかがまで意識が回らない。
そんな状態の彼を引き戻したのは、冷静な女兵士の声。
「何してんの。さっさと兵士詰め所に伝令飛ばしな。もう『奴ら』は東部の森林部に突入してやがる。後十数分もすりゃ、城壁は目と鼻の先だ。急げ!」
見れば、女兵士は一切の動揺を見せずに、水晶から得られるデータを自らの手元の用紙に素早くまとめている。先ほどまでの気だるさなど微塵も感じさせていない。
「は・・・はっ!了解!」
その声に、弾けた様に立ち上がり、通信機へと走り寄りながら、彼はもう二度と小言を言う事はないだろうなと思った。
「・・・・・・・・今何時・・・・」
ようやく落ち着いてきたエルスは、窓を見やる。
時計などという高尚な物は、この寂れた家にはありはしない・・・というのは建前で、騎士団としての雑務をサボる為に活用している場所なので、時計は見たくないというのが本音だ。
まだカーテンから光が差し込んでいないところを見ると、朝ではない様子だ。
寝落ちする前の最後の記憶が日が沈んでからすぐだったはずなので、今は丁度真夜中辺りといったところか。夕食を流し込むのも忘れて眠ったため、空腹感が大変な事になっている事に気づくと、エルスは渋々安住の地から腰を上げる。
「・・・食うもんあったっけ・・・」
がさがさと台所を漁り、食料を探索するエルス。だが、ここはあくまで彼にとって避難場所。
たまにやってきてはしばらく時間を潰し、腹に何か入れて帰るという動作をこなすために存在する場所なので管理は怠りまくり。案の定、大した物は見つからず、腹の虫がへヴィメタルばりのシャウトを放ち始める始末だ。
「・・・・だー・・・しゃあねえな・・・・」
観念したように呟くと、彼は宿舎へと戻る為に扉に手をかける。恐らくはリヒターに始末書を食わされるだろうが、背に腹は代えられない。
と、そこまで考えて、
「・・・・?」
彼は薄い扉の向こうが、やけに騒がしい事に気がついた。否、扉の向こうだけではない。
外の街全体が、こんな時間に似つかわしく無い喧騒に包まれている。
「・・・・まさか」
それを受けて、彼の脳裏に一つの可能性が浮上する。すぐさま目の前の扉を開け放つべく右手に力を込めた、
その瞬間、
「お邪魔しますだ、この糞野郎!!」
「あぶふぉっ!!?」
内開きのドアが、勢い良く開き、その前に陣取っていたエルスを容赦なく弾き飛ばす。
「よぉサボり魔君よぉ・・・・!有給休暇は充実してたか?」
聞き慣れた声に、悪態よりも先に嫌な予感が駆け抜ける。
「げえっ!?リヒター!?」
身に纏う鎧にの胸部に、騎士団の紋章を輝かせ、青筋をビキビキと走らせながら扉の外に立つのは騎士団第一小隊隊長、リヒター・ヴェルスイット。
エルスの上司であり、悪友の一人にも数えられる彼は、ずかずかとそのまま屋内に入り込む。
「全くよぉぉお・・・てめえを探す為に医務室に走りこんでみりゃ、今日は一人も来てねえと駐在医が言うじゃねえか?こいつは一体どー言う事なんだろうなぁエルス君?」
「あー・・・まあアレだよ。その、何だ?と、とりあえず落ち着こうぜ我が友よ」
「訓練サボって勝手に自宅帰って、わざわざ俺に探させるような奴を友にした覚えはねえ」
一切の慈悲を感じさせずこちらににじり寄るリヒターに、これは何を言っても無駄だと悟るや否や、素早くエルスは土下座の体勢に移行する。
「すんませんしたああああ!!始末書だけは!始末書30連打だけは勘弁して下さいい!!」
かつて始末書50連打を食らったことのあるエルスの脊椎には、恐怖が刻まれまくっているため、なんだかんだいってリヒターに頭が上がらないのである。ガクガクガクと失神するんじゃね?という具合の勢いで土下座を敢行するエルスに、恐怖の上司リヒターは嘆息する。
「・・・はあ・・全くお前はよ・・・あんま勝手な事してっと、他の奴等に示しがつかねえだろ。あんまし規則違反ばっかしてると、何かしら手を打たなきゃならなくなるぞ」
「・・・・分かってるよ。悪いとは思ってる」
そう言いながらも明後日の方向に目を向けるエルスに、ため息が止まらないリヒター。
「・・・まあいい。お前には、こいつで気張ってくれりゃ文句は無えんだからな」
少しだけ口元を緩め、彼はそれまで手にぶら下げていた鞄をエルスに向けて放り投げた。
それを受け止めたエルスは、素早く状況を把握した。
「・・・!こいつを引っ張り出すって事は・・・・やっぱりかよ!」
受け取った鞄の口を開け、その中に詰め込まれた物を引きずり出す。
それは、スポーツに使用するような、間接を保護するサポーターのような物体だった。ただ通常のものと違うのは、金属製で鋭い突起があしらわれている事だろう。それが、両肘、両膝合わせて四つきっかり収められていた。
「そうだ。だから血相変えて呼びに来たんだろうが」
そして、それを確認したリヒターは、続けてもう一つ持っていた物を放り投げる。パシッと受け取るエルスの手に馴染むそれは、騎士団の紋章を称えた、彼に配給された獲物だ。
「俺達の仕事だ、エルス・プライウェン。これより、第千二百期、第四城壁都市『ウロボロス』防衛作戦を開始する!」
第四城壁都市『ウロボロス』は、『魂絶戦争』の中期に建造された拠点だ。戦線を前方に押し出すための拠点を想定されたこの都市は、平地に存在し、南北に補給や流通の要となる街道が通っている。だが、それは本来のルートから目を逸らさせる為の囮。本物の補給ルートは、東部に広がる広大な森の中に存在している。隠されたこのルートを使用する事で敵に感知される事無く補給が行えるという腹づもりだったと言われている。
そして、そんな森の中を、怪しく疾駆するいくつもの影。足並みこそ揃っていないものの、その速度は人間のそれを遥かに超える。木々の乱立する複雑な森の中を、全く速度を落とさないまま走り抜けていく。そして、
「・・・・・!!」
木立を抜けた彼らの目に広がったのは、少し開けば場所に陣取る、多くの鎧を身に纏った人間達の姿。
「グウオオオオオッ!」
その瞳に移る色は恐怖や驚愕ではない。自らの内から溢れ出す衝動のままに牙をむく彼らが思うものは只一つ。目に付いた人間を片端から食いちぎる事のみだ。
「・・・来たぞ!!各員、構えろ!!」
迫り来る大量の足音を認識した瞬間、先頭に立つリヒターは、後ろの部下達にまとめて号令を下した。兵舎に壁の上の見張りから報告があってから、十分と経過していないが、既にこの森の防衛線は張り終えてある。後はやってくる敵を迎え撃つだけだ。 とはいえ、それが、最も重要且つ危険な仕事である事に変わりなど無い。
並び立つ兵達は、全員揃いの鎧と兜を身につけている。とはいえ、全身を金属で覆うような物ではなく、体の要所要所を守るように造られた軽装の形態を持つものだ。かつては、もっと重厚なものが主流だったのだが、『死役の血』との戦いで、人類側の防御力というものが一切通用しなかった為、騎士達の装備もまた機動力を重視したものとして進化したのだ。
リヒターが声を上げた直後、立ち並ぶ兵士達にも、前方から迫り来る脅威の姿が視認出来た。
「来たぞ!!『魂殻』だ!」
警告の声が届いたときには、既に『魂殻』と呼ばれた敵は、こちらへ向けて飛び掛っていた。
「グオオオオオオッ!!」
風を引き裂く固い体毛、足元に怪しく輝くのは赤黒く血に染まった鋭い爪。極め付けに裂ける程広げられた口に並ぶ、獲物を噛み千切る為だけに進化した牙の並び。それだけ見ても、この存在がこの森で度々被害報告が上がっている狼達であり、忌避すべき脅威である事は一目瞭然だ。だが、最も目を引くのはそれらの凶器ではない。その目に宿すドス黒い緑の輝きと、朽ち果てる寸前の死体の様な肉体、湧き上がる死臭。それが、この狼達がこの森に群生するもの達とは明らかに異質である事を伝えてくる。
『魂殻』。それは、『死役の血』に、魂を意図的に与えられた、動物達の成れの果ての総称。即ち、『死役の血』の意のままに動くゾンビ達だ。かつて、『魂絶戦争』で大量に製作されたそれらが、創造主が姿を消した今の時代でも動き続け、時折人里や街を襲う。未だに各都市や町に騎士団などという時代遅れの組織が点在しているのはこの存在があるからである。彼らの主な業務は、駐在する町のパトロールなどの警察組織的役割、そして、『魂殻』から人々を守る『剣』としての役割だ。
今回相対する化け物たちの置き土産は、目視可能な範囲でも、三十を超える数を揃えている。
そして、それに対し、
「おおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
リヒター率いる立ち並んだ十数人の兵士達は一切怯む事無く、剣を抜き放ち、それらを迎え撃つべく走り出した。ここに揃うのは、幾度も防衛線を切り抜けた精鋭達。誰も臆す事無く、無数の『魂殻』達へと殺到する。
「はああっ!」
先陣を切るリヒターが、敵方のトップを走る個体との距離を一気に詰める。その手に握られているのは、通常の兵士に支給される騎士剣では無かった。刃は縦も横も通常のそれよりも二倍近く大きい。背丈に迫るほどの巨大さを誇るその剣は、俗にグレートソードと呼ばれている。
「グアアオオオッ!!」
その距離が三メートルを切った瞬間、『魂殻』は、元来の獣の脚力を惜しみなく発揮。爆発的な跳躍で、リヒターの喉笛を食い千切らんと、鏃にも勝るとも劣らない鋭さを誇る牙を剥く。
そして、人間の反応速度を遥かに超える野生の一撃に対し、リヒターは、
「・・・・・はっ!」
短く発声。そして、一閃。
走行の姿勢から半身ずらすように体重を移動させ、腰を低く落とす。同時に、諸手に構えた巨大な剣を必要最低限の動きで振り抜く。只それだけの動作が行われたに過ぎなかったはずだが、その結果として発生した太刀風は木々を揺るがし、舞う木の葉を引き裂く。そして、それを受けた『魂殻』の断末魔は聞こえない。直後に、赤黒い軌跡を描きながら、上下に切り分けられた『魂殻』の成れの果てが、脇を走り抜けていく多くの同類の体を汚し、彼の後方の地面にべちゃりと叩きつけられていた。
「まず一匹・・!」
凄まじく洗練された動きだった。振るっている獲物が常人では構えることすらも出来ない程の重量を持つ剣であるということを忘れさせる程、その斬撃は鮮やかだった。彼が伊達や酔狂でエルシオンの支部の指揮を担っているわけではない事がありありと伝わってくる。
「・・!おっと・・・次か!」
剣に纏わり付く標的の血を振り払いながらも、リヒターの目は前方から続けて飛び掛る二体へと移っていた。
「グアアアアアッ!」
「オオオオオオッ!」
二匹の獣は真っ直ぐ突っ込む事無く、素早く交差するように軌道を変えながらリヒターへと迫る。彼らは知能こそ無いが、本能は人間よりも遥かに厄介だ。リヒターの獲物が強大であるということを感じ取った上での行動だろう。複雑に絡み合う輝く獣の瞳の軌跡が、リヒターの目を惑わせる。
「!・・・ちょっとは考えるじゃねえか・・・!」
巨大な彼の剣は威力こそは絶大だが、その分取り回しに難がある。幾度と無く振るった自らの愛剣とはいえ、その重量を完璧に制御する事はリヒターにも不可能だった。素早く動き回る『魂殻』達を一度に複数相手すれば、彼とて無事では済まない。
それを彼は十二分に理解している。
「へっ・・・獣共が」
だからこそ、不敵に笑ってみせる。
その瞬間には、どこまでも正確に、彼の首筋に向けて鮮血に汚れた牙が迫っていた。
「その程度で人間様を出し抜こう何ざ、六億年早ええっ!」
直後、彼は自らの構えを解き、グレートソードを両手に持ったまま、素早い動作で一気にその身を伏せる。
ガチンッ!!と、
ぎりぎりまで命中を確信していた獣達の顎が、空中で閉じられた。紙一重のタイミングを見切らなければ、彼らは難なく軌道を修正しリヒターの首を噛み千切っていただろう。
「びびった方が負けるのは鉄則だ・・・!」
それを、目ではなく耳で確認したリヒターは全身のバネを一気に解放。半ば飛び上がる形で、頭上で腹を見せる『魂殻』二匹へとその両腕を振り払う。
叩き斬る、という表現がどこまでも似合う光景だった。真横から『魂殻』の胴体へと殺到した強大な刃は、骨格を巻き込みながらその胴体を横断した。トマトが弾ける様に、頭上で赤黒い雨が炸裂する。
リヒターは自分の弱点を深く理解している。だからこそ、それに対する対策も十二分に備えている。彼が振るう巨大な剣はそういった『あからさま』な弱点を演出する小道具でもあるのだ。それに付け入ろうとした敵がどうなるかは、先の剣戟が証明している。強大な刃による
強烈な攻撃と、隙を狙う敵への冷静なカウンター。それこそが、彼の戦闘スタイル。ある程度攻撃の対象となる事でその真価が発揮されるスタイル故に、単独で戦う事が多いのだ。
「うっ・・げえっ!・・・だー・・・シャワー浴びてえ・・・・」
まともに血しぶきの雨を浴びたリヒターは鉄臭い匂いに顔をしかめる。彼の一張羅たる騎士団長服と鎧が『魂殻』の古い血液で真赤に染まっていた。思わず悪態を突くリヒターだが、その注意に油断は無く、意識は戦場を見回すことに注がれていた。
「・・・よし、全員それなりに動けてるな・・・」
いつも通りだ、とリヒターはゾンビ達と戦う自らの部下の様子を眺めて思う。『魂殻』は、意思を持って人間を襲うという都合上、野生の生物よりも遥かに厄介であることは間違いない。だが、所詮は、遥か昔に作られた獣のゾンビ。動きは素早いが、知能を持っているわけではないし、今のように生物としての活動が出来なくなるほどの損傷を与えれば動きは止まる。かつて人間を救ったという『死役の血』の技術など無くても、鍛え抜かれた剣と肉体が身を守ることが出来る。それは、彼ら騎士団の誇りだ。
(今回も肝を冷やす事は無さそうだな・・・っと)
周囲で戦う他の団員達も、フォーメーションを崩す事無く各々対応を開始している。彼らは一騎当千の戦闘力を持つわけではないが、だからこそ互いの弱点をカバーしながら堅実に戦っている。リヒターはそのスタイル上単独で戦う事が多いが、彼らこそが騎士としての正しい姿だと彼は思っている。
「あいつにも見習って欲しいもんだぜ全く・・・・」
そうぼやきつつ、もう一人だけ存在する『一騎当千』の存在を思い出す。現在、その馬鹿は、打ち漏らしが合った場合に備えている部隊を後方で指揮しているはずである。
「なんだかんだ言って、小隊長なんだしよぉ・・・・やればできるんだけどなぁ・・・」
能力は誰もが認める程なのだが、なぜか馬鹿の一つ覚えのように命令違反を繰り返す。今日の無断帰宅もその一つだ。
「・・・ま、分からなくも無いけど、な」
彼は立場上、そんな馬鹿を野放しにしておくわけにはいかない。だが、その行動の意味をリヒターはまるっきり分かっていないわけでもなかった。
「・・・っと、いけねえ。さっさと終わらせねえと」
ほんの少しだけ、戦場で思慮にふけるという愚行を犯しかけた彼は気を取り直すように頬を叩く。戦況はこちらが断然有利で、着実に『魂殻』はその数を減らしていた。隊長として油断する事は言語道断だが、いつも通りにやれば勝てるだろう。
そう、リヒターが確信した、その直後、
「グウウウウオオッ!!」
聞きなれた『魂殻』の咆哮が彼の耳に入ってくる。それは、先ほど敵の群れがやって来た方向からのものだった。
「新手か・・・・!」
どうやら、まだ後方に敵の残りが存在していたらしい。第二波が来た事を確認し、気配の方向へと剣を構えながら向くリヒターだが、その顔に焦りは無い。
「俺の場所に突っ込んでくるとは、運の無え奴らだ・・・!」
後ろを取ろうとしていたのかは知らないが、声を上げている時点で話にならない。案の定こちらに向かってくる影を認識した彼は一気にそちらへと走り出す。
「掃除の時間だぜ、置き土産共・・・・」
いつも通りに大剣を構え、薙ぐ。戦いの中で洗練され、効率化された動作を下そうとした、
その瞬間、
ブシャッ、と、彼の脚から、彼の良く知る、それでいてとても嫌な音が聞こえた。
「・・・あ・・・?」
但し、自分の足からその音が鳴るのは、数年前の一度きり以来だったのだが。
「・・・・がっ・・・!ぐおおおっ!?」
遅れて駆け上ってきた激痛に、口から自然と叫びが溢れる。振り放った一撃はブレてしまい、目前に迫った、『魂殻』には当たらない。それどころか、剣を潜り抜けた獣の牙は既に目と鼻の先へと到達している。
「くっ・・・そっ!!!」
状況を把握できない頭のままで、それでも彼は、側転するように首を思い切り横に振る。
「グアアアアアッ!!!!」
血生臭い呼気を撒き散らしながら、彼の頬数センチ横を、殺意の牙が駆け抜ける。通常ならば、そこで終わるはずだった。だが、この固体は、かわされた事を理解した瞬間、その両前足に光る鋭い爪を、容赦なく振りかざす。
「ぐっ・・・!」
すれ違いざまに放たれたその一閃は、致命傷には至らない。だが、それでも彼の肩口を深くえぐる程度の威力は備えていた。先ほどまでの優勢はそこには微塵も無かった。回避行動勢いを殺せないまま、リヒターは地面へと倒れこむ。
「くっそ・・・どうなってやがる・・・!」
何とか体勢を立て直そうとしながら、彼は自らの脚に目をやる。激痛が未だに襲い続けるそこには、ふくらはぎを団服ごと大きく抉る牙の痕。幸い骨は無事なようだが、筋肉の大半をもっていかれており、出血は馬鹿にならない量だ。それを目にしたと同時に彼は気付く。
「・・・まさか・・・こいつは・・!」
何時の間にか、彼の周囲には三匹の『魂殻』が集っていた。そして、そのうち一匹は口元を真紅に染め上げている。恐らくは彼の脚をトマトのような有様にしたのはこの固体だろう。だが、彼が驚愕に目を見開いたのはその点が問題ではない。
(こいつら・・・連携しやがった・・!?)
彼が脚を食われたのは、単なる油断からなどではない。そもそも、普通の『魂殻』が相手なら、例え目をつぶっていてもリヒターは背後からの奇襲を捌く事は容易い。問題は、今の攻撃が、『囮』を使い、『気配を殺して』接近して行われた、という点にある。
(わざと声を上げて俺の注意を引き付け、他のルートから接近していた別の個体が、声も上げずに脚を喰った・・・!)
『魂殻』による明らかなる連携。それは、今まで十五回の防衛を経験したリヒターの記憶どころか、騎士団に残るどの記録にも記されていなかった現象だ。データに無い動きだったからこそ、彼はダメージを負った。
(こいつら、ただの『魂殻』じゃない・・・!)
よくよく観察してみれば、目の前を取り囲む『魂殻』達は、今まで相手にしてきた固体達と異なる点が見受けられる。遥か昔に造られた『魂殻』は、死ぬ事こそ無いものの、その体は腐食や損傷は避けられない為、その体はボロボロになっている物だ。だが、今相手にしているもの達は、明らかに『新しい』。まるでごく最近に作られたように(、、、、、、、、、、、、)。運動性能や攻撃能力も、先の突撃を見る限り強化されていると見て間違いないだろう。
知能を持つ『魂殻』。その出現が以前から予期されていなかったわけではない。いつか、もっと強力な敵が現れるのではないかと人間は警戒していた。だが、いざ目の前に出現したそれは、既存の『魂殻』を相手にすることを想定して訓練を積んで来た兵士達にとって、大きすぎる脅威だった。しかも、それは、彼の前の三匹のみでは無いらしい。目を向けるまでも無く、上がり始めた団員達の叫びがそれを証明している。
「隊長!ご無事ですか!!」
何時の間にか、他の団員達が彼の周りに集まり始めていた。だが、それは彼が敵を掃討した結果ではない。集まってきた団員達が大きく数を減らしている事からも分かるように、『魂殻』の猛攻に押されてこちら側に追い詰められたに過ぎないのだ。
「お前ら・・・・クソ・・・冗談きついぜ・・・」
既に戦況は決していた。先発で現れた『魂殻』はほぼ壊滅していたが、後から出現してきた『新しい敵』の群れが、一点に集結した騎士団達をぐるりと包囲していた。その数は約十五体。
通常の『魂殻』三十匹以上を圧倒した騎士団の戦士達を、その半数に満たない数で潰そうとしているのだ。狩る側と狩られる側は逆転したと言っていい。
「くっ・・隊長・・・この状況は・・・」
「・・・腹くくる必要がありそうだぜ・・・・・全員、構えろ!!」
絶望的な状況の中で、足を引きずりながら、それでも立ち上がり、劇を飛ばすリヒター。
「死を覚悟していない者は、今ここに居ない事を俺は知っている!敵は強く、状況は最悪といっていいだろう!それでも俺達は、『ウロボロス』を守る必要がある!この場を切り抜け、一人でも多く後援部隊と合流しろ!」
その声に応えるように、団員達は体勢を立て直す。囲まれた状況に対し、それぞれがそれぞれの背を預けるように円陣を組み、敵の姿を睨む。全員が自らの役割を理解していた。既に部隊を維持したまま、この状況を切り抜ける事は不可能。それ故に、この場で重要なのは最後まで戦い抜き、全滅する事ではなく、後ろに控える者たちに状況を伝える事だ。
「俺達は敗北した!だが、誰か一人でも生き残り、こいつらを全滅させる事!それが『ウロボロス』にとっての勝利だ!!獣如きにしてやられたままじゃいられねえだろ!!」
「了解!!!」
誰一人として、口を挟むものは居なかった。それでいい、とリヒターは思う。そしてそれを最後に彼もまた目の前だけに視線を注いだ。敵は不気味に目を輝かせながら、こちらを襲う機会を窺っているようだ。上等だ。恐らくこの脚では長くは保たないだろうが、それでも一匹でも多く道連れにしてやる。
そして、僅かに沈黙が場を支配した。
次の、瞬間、
咆哮と共に、リヒターに対し四時の方向に位置する『魂殻』の一団が飛び出し、跳ね上がり、その血に塗れた牙を対象へと突き立てるべく、強靭な顎をこじ開け、そして、
「おらああああああああああああああああ!!!!」
横合いの林から飛び出した影が、真正面から腕に持つ剣を、空中で大きく開かれた『魂殻』の口に叩き込んだ。
両者の速度が載ったその激突は、無論のこと剣の勝利に終わる。ゴキゴキゴキゴキンッ!!と、全身の骨を粉砕しながら突き進んだ刃はそのまま『魂殻』の体を真横に裂いた。
「なっ・・・・!?」
その光景に目を見開いたのは、『魂殻』だけではなかった。いや、むしろ騎士団達の方がその衝撃は大きかった。現れたその影は血に塗れた鞘を収め、静かな闘志を纏いながら振り返る。
「おいおい・・・・何をしてんだよ隊長殿」
彼は一切の鎧を纏っていなかった。その代わり四肢の間接と拳部に金属製の突起があしらわれたサポーターの様な物を装着していた。手に握るは、リヒターの持つ剣とは真逆。通常の騎士剣よりも少し短い、取り回しに特化した特別製だ。本来ならば後方で、後援部隊の指揮を担っていたはずのその男の名を、リヒターは驚愕と共に呼ぶ。
「・・エ・・・・エルス・・・!!」
「おう。待たせたな」
もう一人の一騎当千、エルス・プライウェンがそこに到達していた。
現れた自らの悪友を前にして、リヒターが最初に行った事は、いつも通りの問いかけだった。
「お前・・・・どうしてここに!?」
そう問いかけながらも、既にリヒターにはその答えが分かっている。否、彼だけでなく、全ての団員達がその理由に答える事ができるだろう。
「あ?お前らがえらく時間かけてるから、様子見に来たんだろうが」
そう。ただそれだけの理由で、彼はいつも通り『命令違反』をしてやって来たのだ。
「・・・ま、今回は成功だったらしいな。こいつ等は・・・・確かにお前らじゃ相手しにくい・・・どう見てもこいつらの動きは、『考えて』動いてる奴らの動きだ」
仲間が一匹倒され、警戒を強める様子を見せる『魂殻』達をぐるりと見回しながら彼はそう呟く。次にリヒターの足の傷、負傷だらけの団員達、そして、無残に地面に伏した、数十分前まで、確かに仲間だった物達を見つめ、短く息を吐き出した。
「・・・てめえら、やりやがったな」
ジャキン!と、再び鞘から自らの刃を露出させ、目の前の『敵』に向けて突き出してみせる。
「覚悟はいいか、『不条理』共。てめえらは俺の敵で確定したぜ。どいつもこいつも、まとめて叩き斬ってやる・・・・・!!」
静かに纏っていた闘志が、沸騰するように膨張する。それに呼応するように、エルスの目前に佇む『魂殻』が一匹、そして同時に左右後方からも一匹ずつエルスに向けて殺到した。音も咆哮も無い、完全に気配を殺した突撃は、対象の首筋のみを的確に狙っていた。
「・・・っ!!エルス!!」
その光景を確認した、団員の何人かが、エルスを援護すべく前に出ようとする。だが、
「止まれ!!全員、エルスの邪魔をするな(、、、、、、)!」
リヒターの一喝が彼らの動きを止める。
「今は自らの前の奴に集中しろ!!陣形を崩せば一瞬で詰められるぞ!」
「し・・・・しかし!!」
それでも尚食い下がろうとする部下。だが、リヒターは歯噛みしながらも続けてみせる。
「問題ない・・・悔しいが、あいつはこういう状況なら間違いなく、一人のほうが強い(、、、、、、、、)・・・!それはお前ら全員が分かってる筈だ・・・・!」
その言葉が引き金になったかのように、エルスも目の前から迫り来る『魂殻』へ殺到する。
「食らい、やがれっ!!」
真正面からの突撃に一切怯む事無く地面を踏む。短い吐息の後、先ほどと同じように、開かれた口へ向けて、軽量の刃を素早く滑り込ませた。『魂殻』の突撃速度を考えれば、そこにジャストミートさせるという事をこなすだけでも、彼の技量がかなりのものであると言えるだろう。
しかし、『新しい魂殻』達もまた、してやられている訳ではなかった。
「ガアウッ!!」
ガチンッ!!と、
自らを両断しようというエルスの刃に、『魂殻』が食らい付く。真剣白刃取りの獣版だ。
思いも寄らぬ反撃に、瞠目するエルス。『魂殻』は凄まじい力で、食らいついた剣を離そうとしない。そして、既にその背後と左右からは一匹ずつ別の固体が迫っている。
(足止め戦法・・・!いよいよ冗談じゃ無くなってきやがった・・・!)
その光景を目にしたリヒターはぞくりとその背が粟立つのを感じた。個々ではなく、群れとしての戦い方の一つ、足止め。一匹一匹で勝てなくとも、連携し、それぞれの役割を果たすことで、戦況を有利に進める。まさに人間側の戦いそのものではないか。戦略性までもが加わった『魂殻』。それは、最早既存の兵士の手に負える存在ではない。
だが、
「・・・確かに少しは頭が回るみたいだがよ・・・・!」
武器を封じられ、後方から攻撃を受けんとしながらも、エルスという青年は動じない。ぎらりとその鋭い眼をぎらつかせながら、誰に言うでもなく腹の底から声を上げる。
「しゃらくせえんだよっ!!」
その叫びと共に、彼は躊躇い無く噛み付かれたままの自分の剣を手放した(、、、、、)。
「なっ・・!?」
その行動に、騎士団の面々から驚愕の声が上がる。例え戦場で動きを封じられようとも、武器を手放す等という行為は自殺に等しい。エルスのように軽装である者ならば尚更だ。その中でリヒターだけが冷静に呟く。
「問題無い。あいつの武器は剣じゃない(、、、、、)」
その言葉を肯定するようにエルスは行動する。自らの命綱を手放した彼は、目の前で件を加え続ける固体を無視。素早く後方へと意識と体重を移動させる。そして、
「・・・っはあっ!」
短く発声。同時に全体重を乗せた肘を、振り向きざまに後方へと突き出した。
結果は単純明快だった。
ベキベキベキベキベキッ!!!と、
後方から飛び掛っていた『魂殻』の顔面に、金属製のサポーターを纏った一撃が突き刺さる。
「!!!?」
後方の『魂殻』は一体何が起こったのか理解できなかっただろう。牙と顔面をまとめて砕かれ、血塗れになりながら、自らがやって来た方向へと勢い良く吹っ飛んでいく。
「まず一匹っ・・・・・!!」
自らの戦果を認識しながらも、彼の行動は終わらない。既に他の三匹の攻撃も間近に迫っていることを、エルスは抜け目無く感じていた。振り向いた勢いに任せながら、側転するように自らの上半身と下半身を逆転させる。即ち、逆立ちの姿勢へ。
「だらああああっ!!!」
そのまま地面に立てた腕を軸に、脚を伸ばし、ブレイクダンスのように全身を回転させる。
「「「!!?」」」
360度全方向へと向けられたその蹴りは、こちらへ向かってくる三匹それぞれの頭部側面を鮮やかに捉える。ゴゴゴッ!!と三連続の直撃音が小気味よく響いた。そのダメージが、剣を咥える個体の顎部に、僅かな弛緩を生む。その口から、エルスの剣が零れ落ちた。
「隙あり、だ!」
それを眼の端で捉えるや否や、エルスは回転の勢いを殺さぬまま、逆立ちの姿勢を解く。そして低い姿勢から一気に両足のバネを解放し、跳躍。空を舞う自らの愛剣をその手に収める。
そして、
「はああああああっ!!!」
脚が地面へと到達したその瞬間、体重を真下に落とし、咆哮と共に再び回転。音も無く円を描いた剣の軌跡は、間違いなく『魂殻』達の頭部を捉えていた。遅れたように鮮血が弾ける。
数秒にも満たない攻防。それでも、エルスの周囲には四体の敵の成れの果てが転がっていた。
「・・・流石、だな」
その姿を目にし、リヒターは素直な言葉でそう賞賛した。エルスの戦闘スタイルは一ミリたりとも騎士というカテゴリに収まっていない。鎧は無く、一切の連帯性を感じさせないアクロバットな動き。だが騎士団の誰よりも、そのスタイルは強力かつ、実用的だ。その機動性と型にはまらぬ動きは相手を翻弄し、一撃の威力を犠牲にした軽い剣は相手の急所を的確に抉る。
常に四方へ意識を飛ばすために回転を主軸に置いた攻撃の数々は、多対一での戦闘で真価を発揮する。そして何より、『剣に頼らない』ところに彼の真価はある。剣のみに全てを賭けるのではなく、極限まで機動性を高め、サポーターなどで補助する事により、強烈な格闘戦を展開する事が可能。言うなれば、彼の全身そのものが彼の武装だ。
多対一の状況に特化、周囲に常に気を配り、武器が無くとも戦える。それは、彼が偏に、『誰かを守る』状況を想定して練り上げた、一騎当千を実現する戦闘スタイルだ。
「リヒター!!何ボケッとしてやがる!!崩れたぞ!」
一瞬にして四体の同属が地に伏せたことに、僅かに『魂殻』の群れが浮き足立っていた。それを逃す程、リヒター率いる騎士団は愚かではない。
「ああ!分かってる!!全員、気合入れろ!あいつにばっかいい格好あさせてんじゃねえぞ!」
消えかけていた士気が一気にその勢いを盛り返す。再び戦況は、どちらに傾くか分からない、混沌に姿を変えた。咆哮を上げながら四方八方から飛び掛る『魂殻』。それを迎え撃つべく剣をかざし、陣を組む騎士団。エルスの手によって数が減った事、そして騎士団が学習し、それに新しい戦術に対して警戒を深めた事で、互角以上の戦いが展開された。そんな、激しい乱戦に突入する中で、エルスの背にリヒターが自らの背を合わせ、口を開く。
「・・・・一団の隊長としては、お前の行動を褒める訳には行かない。お前が命令違反をしたのは間違いないんだからな」
「小言は後で聞くっての!今はこいつらを・・・・!」
向かい来る敵の攻撃を捌きながら、会話を打ち切ろうとするエルスだが、その前にリヒターは言葉を割り込ませた。
「・・・だが、個人としてはお前の行動を賞賛する。礼を言うぜ、エルス。お前の行動は間違いなく、騎士団の大多数を救った。俺だけじゃない、全員が個人としてはそう思ってる」
「・・・・当たり前だろ。仲間なんだからよ」
それ以上の言葉は必要なかった。死力を尽くし、目の前の敵を切り裂くのみ。
数分後。
結果として、騎士団は勝利を収めた。全員が疲労困憊、満身創痍の状況ではあったが、彼らは『魂殻』を全滅させ、『ウロボロス』の防衛に成功した。辺りには『魂殻』の物とも騎士団の物とも分からぬ血液が散乱し、死体の山と言うべき惨状が広がっている。今は、それの後始末を全員で行っている。こういった場所を残しておくと流行り病の原因などになったりする。それらを焼却するところまでが騎士団にとっての『防衛』だった。
「・・・盛大にやられたもんだ」
額の汗を拭いながら、マスク姿のエルスが跪いて呟く。目の前には、今回の戦いで倒れた仲間たちの姿があった。今までも、仲間が戦いの中で命を落とした例は多くあった。だが、今回ほどの数が一気に逝ってしまったのは初めてのことだった。ギリリと奥歯をかみ締める。誰を責めるべきではない。命を賭ける覚悟をしていた者達ばかりであることも承知している。それでも、やりきれない思いが彼の中にあった。
「・・・自分がもっと早く辿り着けていれば、なんて思って無いだろうな」
「俺はそんなに自惚れてねえよ」
後ろからかけられたリヒターの声に、振り向かずにエルスは答える。
「俺が居ても、多分変わらなかった。それに、お前の采配も論理的だった。それだけだろ」
その表情はリヒターからは見ることは出来ない。だが、その声色が全てを物語っていた。
ほどなくして、全ての死体が一点に集められた。そして、その上に焼却剤を撒き、火を放つ。
毒々しいほどの赤橙色の火炎がすぐさま全ての死体を覆った。
その光景を見ながら、生き残った騎士団全員は、祈りと黙祷を捧げる。本来ならば、戦って死んだ兵士達の亡骸は丁重に葬るべきだろう。だが、死体である『魂殻』からの攻撃を受けた遺体は、高確率で病原体の温床となってしまうのだ。それ故に、通常の集合墓地へと埋葬する事は許されない。彼らは最後に灰となって埋葬されなければならないのだ。
燃え盛る仲間の最後を目に焼きつけ、エルスは再び拳を強く握り締めた。
火葬と焼却処分を兼ねた炎が消され、残った灰を集める仲間たちに背を向けて、エルスは一人その場を歩き出す。その後ろに素早く立つ人物が居た。
「・・・どこへ行く、エルス・プライウェン小隊長」
「哨戒だよ、哨戒」
背後のリヒターの声に適当に答えながら、彼はそのまま立ち去ろうとする。しかし、それを黙って見過ごす隊長ではない。すぐさまエルスの肩を掴む。
「どういうつもりだ?これ以上の命令違反を犯すのは流石に・・・・」
「・・・今回の奴ら、どう見ても新しかったよな」
リヒターの制止の言葉を遮り、エルスは口を開く。その口調には浮ついた色は一切無い。
「ごく最近に、奴等は『造られた』って事だよな」
「・・・そうだ」
「・・・じゃあ、それを『造った奴』がまだこの辺にいるかも知れねえって事だよな」
そう。彼の言いたい事はつまりそういう事だ。今回の襲撃は、只単に強力な敵が出現したという問題で終わるのではない。新しい『魂殻』を造れる者が、この近くに存在していたという事に直結するのだから。それは即ち、
「・・・『死役の血』が居る可能性があるという事だ」
リヒターの答えこそが全てだ。この百年間姿を現さなかった『死役の血』。それが再び出現した可能性がある。しかも、変わらず人類への敵意をむき出しにして、だ。
「そこまで分かっているなら、どれだけ危険な行為を行おうとしているのかも分かるだろ・・!」
「だからこそ、だろうが」
悪友の言葉に、エルスは滑らかに答えてみせる。
「今すぐにこの辺りを調べるべきだ。だが、正直な話、今の俺達は疲弊しきってる。お前としてはこれ以上この場に留まる事は出来ないだろ、隊長?」
「・・・・・・」
リヒターは『ウロボロス』の平和を一任された責任者であると共に、兵士達の命を預かる司令官でもある。それ故に、今すべき事を分かってはいても、それを実行に移すことが難しい。
「それはお前も同じに決まって・・・・!」
「いいんだよ。放って置けよ、こんな『命令違反』の常連野郎は」
そこで初めて、エルスは振り向いて、少しだけリヒターに笑って見せた。
「俺は今から面倒な作業を差し置いて、サボりついでに勝手に周囲を見回りに行く。そこで偶然何かを見つけりゃ、騎士団にとっての利益。そこで死んだら馬鹿が一人減った。それだけだ」
「・・・・お前は・・・いつもそうだな」
言いたい事は腐るほどある。だが、今はエルスの提案がありがたいというのも事実。それでいて、友人として行かせたくないという思い激しい葛藤を生み出す。そんな真面目な友人に、エルスは笑いながら続けた。
「俺は後悔したくないだけさ。そんな顔してんじゃねえよ。すぐに帰って、お前らがひっくり返るくらいのヤッベー物見つけてきてやっからよ」
その言葉を最後に、彼は森の闇へと消えていく。その眼はただ前だけを見つめていた。
暗い森を駆け抜けながら、エルスは思う。先程リヒターに言った言葉こそが彼の全てだ。
(俺は・・・・後悔したくない。二度と。もう二度とあんな想いはごめんだ)
命令違反を繰り返すのも、そういう事だ。一つでも自らの中で疑念が膨れ上がったならば、それを確かめずには居られない。もしそれを逃して、また大切な誰かが傷ついたとしたら、彼はどこまでも後悔し続けるだろう。それだけは、絶対に嫌だった。
(敵が『死役の血』なんつー『不条理』なら尚更だ・・・・!俺は・・・・!)
かつて自らを襲った原体験。あの時感じた『不条理』に対する言いようの無い憤り。それが、彼一つの戦術を編み出すほどの鍛錬を積んだ理由になった。
だが、そこで再び彼の脳裏に霧がかかる。「
(・・・誰を、守る)
誰かを守るために強くなった。だが、その誰かはまだ居ない。もう現れないかもしれない。
それならば、自分がやっている事は何だ。ただ虚しいあがきに過ぎないのか。それとも、自分はただ、情けない過去を払拭したいだけなのか。それならば、その為だけに誰かを守る事は、ただ巻き込んでいるだけではないのか。
そんな風に、思考に埋没していたからこそ、彼は気付かなかった。自分の足元に、『それ』が転がっている事を。
「・・・っ!?おおおおおああああああ!!!!??・」
彼からしてみれば、足元に何かしらの巨大な物体が唐突に現れたに等しかった。思いっきり『それ』に躓き、顔面から盛大にずっこける。
「あだだだだだだだ・・・・・な・・・何だよ畜生・・・・!?」
酷い痛みに顔をしかめながら、何とか立ち上がって状況を確認するべく周囲を見回すエルス。どうやら考え後をしている間に、森の外周部に来てしまっていたようだ。これでは本来の目的である『死役の血』の捜索以前に、森から外に出てしまう。
だが、それはエルスにとって驚愕には成り得なかった。
「・・・・あ・・・?」
彼の目が注がれたのは、先程自分が躓いた『何か』。それは、彼が思っていたよりも随分大きく、それでいて見覚えのある物体だった。
「・・・・人間・・・・!?」
それは、ぼろを纏った人間の形をしていた。暗くてよく確認できないが、どうやら倒れている人間であるという事ぐらいは輪郭で理解できる。
「お・・・おい!?大丈夫か!?」
慌ててその人影に駆け寄るエルス。とりあえず意識があるかどうかを確認すべく、その影を抱きかかえ、ひっくり返す。その瞬間、森の入り口ともあって薄くなっていた頭上を覆う葉の間から、ようやく月の光が僅かに彼らを照らした。
そして、
「・・・!?お・・・お・・・お・・・・」
彼が目にしたその人物は、ぼろの下に桃色を基調としたカーディガンに近いものを羽織り、ホットパンツにストッキングという出で立ちだった。腕には長い手袋をはめ、地肌を一切露出していない。そして、腰まで届く三つの長い茶色の三つ編み。瞳を閉じていても分かる長いまつ毛が目を引くその存在は正しく、
「女の子・・・!!?」
それは、どこからどう見ても女の子と表現すべき年齢の存在だった。
この出会いが、自分の魂を大きく揺さぶる出来事になる事を、エルスはまだ知らない。