第一章〜芽生え〜
大陸東方にある龍の里から北方にある山道を抜け、青々と広がっている草原の中で二人の男が馬を並べていた。
一人は二十代後半といったところだろうか?
少々神経質そうなほっそりとした容姿に似合わず、その瞳は燃えるような真紅の瞳をしている。龍の里に住む龍族特有の瞳の色である。
「あ〜あ、かったるいな。大体、俺が来なくたって兄上が話をまとめてくれれば十分だろう?」
ほっそりとした男の隣にいた、まだどこかあどけなさが抜けない少年、いや、青年というべきだろうか?
隣にいる兄に話かける男は馬上で大きく気だるそうにあくびをした。
兄とは対照的で太陽のように強く明るい輝きを持つ。龍族特有の真紅の瞳はじっと草原のかなたを見つめていた。
「いい加減にしろ、修龍。お前はもう龍族の長になったのだぞ。立場をわきまえろ。草原の民
結べば里はさらに安泰だ。そのためにはお前と草原の民の頭領の娘との結婚は大事だと何度も
言っただろう?」
「俺はべつに長になりたかったわけじゃない。ただ宝珠を持っているってだけで長になるなんて馬鹿らしい。俺なんかよりも兄上が長になった方がよっぽどマシなんじゃないの? 大体、会ったこともない女と結婚なんて御免だな。兄上が結婚すればいいじゃないか。劉家の血筋と草原のハーンの血筋が結べばそれでことがすむんだろ?」
「修龍!」
兄、礼龍は修龍を怒鳴りつけ、にらみつける。
「わかってるよ。すべては里のため。俺の気持ちは二の次、いや、お構いなしなんだからな」
「修龍……これはお前の運命なんだよ。お前は長になるために生まれた。いい加減、観念したらどうだ? 早く私を安心させる長になってくれ」
礼龍は隣で不貞腐れる弟の群青色の髪をくしゃりと撫でる。
自由奔放な修龍の性格は時折、真面目な礼龍を苛立たせる。宝珠の有無、たったそれだけのことで長が決まってしまう。
この先、修龍が長として龍族をまとめていけるのか……礼龍はその真紅の眼差しの上に不安の色を濃く表していた。
「はぁ〜。気が重いな……兄上、あっちに泉が見える。少し休もうぜ」
「しょうがない奴だなぁ。まぁいい。一休みするか」
しぶしぶと承諾する兄を横目に、修龍は馬の腹を蹴り、泉に向かって駆け出していった。
「やれやれ、困った長様だ……」
礼龍は苦笑いを浮かべながら弟の後を追いかけた。
同じ劉家に生まれながら二人の立場を分けたのは龍の宝珠。
少し歳のはなれたやんちゃな弟の面倒をずっと見てきた礼龍は少なからず不安を覚えていた。
"長のあるべき姿とは……このままで良いのだろうか……"
と。
泉のそばで馬をとめ、木に繋ぐ。
「お〜っ、良い場所だ。ちったぁ息抜きしないとな。兄上が一緒じゃ堅苦しくってやってらんねぇや」
爽やかな冷たく心地よい風が草むらにごろりと横たわる修龍の頬を撫でる。
修龍は己の右掌を天にかざしてじっと見つめた。
この右掌に宿る宝珠は修龍から"自由"を奪った。
龍族の長になるために生まれてきたと幼い頃から周りの大人たちにうるさく言われてきた。
「俺は何なんだろうな……これさえなければ自由にどこまでも行けるのに……つまんねぇ人生」
修龍はかざしていた右掌を拳に変えて、強く地面に叩きつけた。
すべては里のため、自分のために生きることは周りの者が許さない。
今もこうして見知らぬ女と結ばれなければならない羽目になった。
「あ〜あ、男十八。遊びたい盛りなのに自由に恋愛の一つや二つもできないなんて、可愛そうな俺……」
修龍は嘲笑する。
力を持って生まれたから出来ることがある。
力を持って生まれたから諦めたことも沢山ある。
得たものも失ったものも……
自分は何のために生きるのか……
苦悩する若い修龍の耳に澄んだ笛の音が流れこんで来た。
泉の水と同じくらいに澄んだ音色は修龍の心に染み渡り、安らぎをもたらす。
修龍は笛の音色に耳を傾けながら、音が流れてくる方向に人影を探した。
大木の陰にはかなげな人の気配がする。
修龍は音を立てないようにそっと立ち上がり、その人の気配の持ち主を一目見ようと大木へ近づいた。
"花だ"
思わず息を飲み込んだ。
修龍の目に映った一輪の花。
泉から吹く風に濃紺の髪をさらりと揺らしながら澄んだ音色を風に乗せている、目の前にいる少女はまさに花そのものだった。
緑の草原に凛と咲く一厘の花。
修龍は呼吸するのも忘れ、笛の音が止むまで彼女を見つめていた。
笛の音を止めた彼女は修龍の気配に気づいたのか、その真紅の瞳を修龍に向ける。
微笑を浮かべる彼女の穏やかな空気に、修龍も笑みを浮かべる。
「あんた、すげぇ笛が上手いんだな。そこまでの名手は大陸中探してもそうそう見つかるもんじゃない」
少女は何も答えずに静かに微笑を浮かべている。
「そのいでたちは草原の民だよな? 草原の民の女はあんたみたいな美人が多いのか?」
やはり少女は何も答えずに相変わらず微笑を浮かべている。
「せっかくだから何か話をしようよ。もしかして警戒してる? 大丈夫、俺は何もしない。これでも嫁さんもらいに来た身だから、その前に気に入った女をつまみ食いしようなんて考えていないよ」
にっと歯を見せて笑う修龍をみて、少女は眉をひそめた。
表情を曇らせる少女をよそに修龍は笑いながら質問攻めを続ける。
草原の民には独自の言葉がある。
もしかしたらこの少女は自分の言うことを理解していないのかもしれないという思いが、
修龍を饒舌にさせた。
「俺さ、会ったこともない女と結婚させられるんだよね。可哀想だと思わない?俺も、相手の女も。
お互いの家の為に物の様に扱われてんだぜ。……って、こんなことあんたに愚痴っても仕方がないよな」
相変わらず黙ったままの少女を見つめて修龍はため息をついた。
「せめて相手の女があんたみたいに美人であることを願うよ。そんな淡い期待したって罪じゃないよな?」
悪戯っぽく笑う修龍の目の前で少女は再び穏やかな微笑を浮かべていた。
「修龍! そろそろ……」
急に泉の奥へと姿を消した修龍を探して礼龍が険しい顔をして現れた。
しかし、目の前にいる少女を見てその険しさが急速に失われていった。
ほんのりと顔を朱色に染める兄の顔を見て修龍は驚いた。
堅物の兄が年下の少女に見惚れている……
礼龍は弟の視線に気づき、わざとらしく小さく咳払いをして
「のんびり休んだだろう? 相手をお待たせしては申し訳ない。行くぞ」
と足早に馬を繋いだ場所へと消えていった。
「ま、そういうことだから。残念だな。俺が普通の人だったらあんたの名前を聞き出して里へ
連れて帰るんだけどな……」
修龍は寂しげにつぶやき、彼女に背を向け、静かに姿を消した。
泉の前で少女は一人佇んでいた。
その顔に穏やかな笑顔を浮かべながら彼女は手にしていた笛にそっと口付けをする。
「兄者には止められていたけど……確かめておいてよかった……」
少女は木陰に隠すように繋がれていた白い馬に跨り、草原の中へと駆け出していった。
日が傾きはじめ、空が茜色に染まる頃に修龍と礼龍は草原の民の頭領、バートル・ハーンと対座していた。
修龍は始終、あからさまに嫌悪の表情を顔に浮かべており、隣に座る礼龍をはらはらさせた。
「修龍殿はずいぶんとご機嫌が悪い様子だ。やはり田舎の一部族の娘が嫁ではご不満かな?」
「会ったこともない人に対して不満かどうかを言う道理はありません。しいて挙げるとすれば、我々に対する扱いが不満に思います」
修龍の発言に礼龍の背中には冷たい汗が流れた。
里と周辺部族を繋げるためにこの場を設けたというのに、それを壊しかねない修龍の言葉。場所が場所でなければすぐにでも修龍を殴り飛ばしていただろう。
バートルは修龍の言葉に嫌な顔一つせずに静かに笑みを浮かべた。
「里から来た世間知らずな長殿は礼儀も弁えないとみえる。私は一応、貴方の義兄ということになる。少しは言葉を慎んではいかがかな?」
「義兄ね……妹の結婚相手、この劉修龍がそんなに信用できませんか? この部屋の外にはざっと十数人の男が刀を持って貴方の声を待っているのでしょう? 狙いは私の首ですか? 龍の宝珠ですか?」
修龍が涼しげな顔をバートルに向けると、バートルは景気よく大きな笑い声をあげた。
「さすがは龍族の長、よく気がつきましたな。我々は狩をしながら生活しているので気配を消すことは造作もないことだが……見破られましたか」
「試されることはあまり好きではありません」
「申し訳ない。私にとってたった一人の大切な妹だ。劉家の者とはいえつまらない男の元へ嫁に出す気はなかった」
修龍はよほど面白くなかったのか、笑うバートルを目の前にしても眉間にしわを寄せたまま、そっぽを向く。
「気を悪くさせて申し訳ない。しかし、妹に会えば少しは機嫌も直ることだろう。私の自慢の妹だからな」
バートルは外へ向かって聴きなれない言葉で人を呼んだ。
おそらく妹の名前を呼んだのであろう。
色鮮やかな草原の民の民族衣装に身を包んだ少女が姿を現した。
修龍も礼龍もはっと息を呑み込んだ。
くすりと笑う少女の顔を修龍はまじまじと見つめ、驚くとともに、安堵する。
「改めて紹介しよう。妹のテグツェツェグだ。里の言葉に訳すと"天の花"という意味だ」
「天の花……」
修龍は目の前で咲く"天の花"に見惚れていた。
あの泉で会ったことは偶然ではなく、天命だったのだ……
修龍は初めて宝珠の力に感謝をしたい気分だった。
「では、私と礼龍殿はここで失礼させてもらう。後は二人でごゆるりと」
バートルは意味ありげな笑みを浮かべ、礼龍とともに部屋から出て行った。
「初めまして。天花と申します、修龍様」
改まって挨拶をする天花をみて修龍の顔が赤く染まる。
余計なことを沢山話してしまったせいか、何を話していいのかわからなくなってしまったのだ。
「さっきはずいぶんとお喋りだったのに、まるで借りてきた猫のように大人しくなるのですね」
「いや、あれは……君が俺の言葉がわからないと思ったから、ついうっかり余計なことを言ってしまった。失礼なことを言って申し訳ない」
「私は可哀想に見えますか?」
笑う天花にあわてて修龍は首を横に振る。
「いや、可哀想とは思わない……かな? ただ、俺に嫁ぐのは大変だぞ。君はここから離れて里で生活しなきゃならない。言葉も習慣も風景も、ぜんぜん違う場所で暮らすことになるんだ。それでもいいのか?」
「修龍様は優しいのですね。私は大丈夫です。貴方は私のことを"物"としては見ないのでしょう?」
「もちろん。君は一人の人間だ。俺は一人の男として君の事を大切にする。まだ会ったばかりでなんともいえないけれど、君となら……談恋愛しても楽しいと思う」
修龍の素直な言葉に天花がクスリと笑う。
笑う天花をみて修龍もまたクスリと笑う。
出会ったその日になんとなく惹かれてしまう彼女の魅力。
勝手に決められてしまった縁談だったが、彼女との生活、彼女と一緒に過ごすこれからの時間の長さを考えると、修龍は生まれて初めて右腕に宿る龍の宝珠に感謝したい気持ちになった。
この宝珠が初めて自分に微笑みかけてくれた……
そんな気がしたのだった。
「そういえばさ、天花はいくつなの?」
「十六になりました」
「そっか、俺よりも二つ下なんだな。天花は好きな人とかいないのか?」
「そうですねぇ……今は目の前にいる方を好きになろうとしています」
修龍を真直ぐに見つめる天花の瞳が紅宝石のようにきらきらと輝いていた。
龍族特有の真紅の瞳がこんなにも綺麗だと思ったのは修龍にとって初めてのことだった。
「天花、笛を吹いてくれないか?さっき聴いた君の笛の音がもう一度聴きたい」
「はい」
天花は笛を取り出しその吹き穴そっと唇をつける。
修龍は笛の音に聴き入るよりも 音を紡ぎだすしなやかな指先と笛の音に息吹を吹き込む唇に見惚れていた。
天花の笛の音が壁を抜け、天蓋を超え、バートルと礼龍のいる部屋にまで響き渡る。
「良い音色ですね」
「妹のものです。我々はあまり笛を吹かぬのですがあれはどういうわけか笛の音を好む。今吹いている笛はあれが自分の手で作り上げたものです」
「ほぅ……多才なのですね。弟には出来すぎた方かもしれませんね」
礼龍は苦笑いを浮かべながら笛の音に耳を澄ます。
静かに流れる笛の旋律は礼龍の心に染み入り、波紋を残す。
抱いてはいけない感情と知りつつも、笛の音を紡ぎだす彼女の顔が脳裏でちらり、ちらりと見え隠れしていた。
「礼龍殿はご結婚なさらないのですか?」
「えっ?」
バートルの声で礼龍は我に返る。
「弟殿も一人立ちされたことだし、ここらで身を固めてはいかがかな?」
「弟はまだまだ半人前です。真の一人前になるまではのんびり嫁探しをしている暇などありません」
「礼龍殿は忠義者ですな」
忠義者……
自分に対する評価の言葉が妙に引っ掛かる。
何に対しての忠義なのか……
礼龍は眉間に皺を寄せながら流れる笛の旋律に心を委ねた。
自分と弟との実力の差は無い。
武術においては修龍の方が勝っているが、里を治める力は自分の方が勝っているはず。礼龍はひそかにそんな思いを胸のうちにしまっていた。
しかし、自由奔放な弟、修龍には人をひきつける何かがあった。修龍の周りには必ずと言っていいほど人が集まってくる。
自分もそのうちの一人であることが礼龍にとっては腹立たしい。
「礼龍殿、せっかくのめでたい席にそのように難しい顔をしなくてもよいではありませんか。我々はこちらで一杯やっておりましょう」
にこりと笑う草原の民の頭領、バートル・ハーンもまた弟に魅せられた一人だった。
そして、あの花のように可憐に笑う彼女も……
この場に来るまでは始終不機嫌だった修龍は一転して機嫌の良さを全身からあふれ出させ、礼龍はさらに苛立ちの表情を見せていた。
「兄上、俺は初めてこの宝珠に感謝したい気分だよ。こんなに可愛い子とめぐり合わせてくれるなんてさ、粋な計らいしてくれるじゃないか」
「単純な奴だな……ま、これを機に少しは落ち着くことだ」
「大船に乗ったつもりで任せてくれよ」
「……泥舟じゃなきゃいいけどな」
「兄上はいちいち一言余計なんだよ」
いきり立つ修龍をなだめるかのように礼龍が頭をくしゃりと撫でる。
「やめろよ〜。もう子供じゃないんだからさ」
照れ笑いを浮かべる修龍のすぐ後ろで天花がクスリと笑っていた。
彼女の顔を見るたびに礼龍の心は揺さぶられる。
「初めまして。天花と申します」
礼儀正しくお辞儀する彼女の体を抱きしめたい衝動に駆られる。
顔を上げて礼龍に微笑む仕草が愛らしい。
「義兄上様、これからも宜しくお願いいたします。」
"義兄"
天花は礼龍のことを義兄と呼んだ。
当たり前のことなのだが……なぜか義兄と言う響きが虚しく礼龍の心で響き渡る。
義兄ではなく名前で呼んで欲しい。
それで満足するだけにこの想いを胸のうちに押し留めておきたい。
「義兄上?どうかされましたか?」
「あぁ、いや、なんでもない。修龍の相手をするのは大変だろうが仲良くやってくれ」
「はい」
嬉しそうに返事をする彼女を見て再び礼龍の心は揺れ動く。
花を摘み取ることは容易いことのはずなのに……目の前に咲くこの草原の天の花は簡単に摘み取らせてはくれないようだ。
「こちらの房子をお使いください。ゆっくりと旅の疲れを癒してくださいね」
微笑む天花に修龍と礼龍、劉家の二兄弟は天花の後姿が見えなくなるまで廊下でじっと見守っていた。
草原の夜は冷涼で澄んだ空気で覆われる。
柔らかい草の香りの中にごろりと体を横たえて天を仰ぐ礼龍がいた。
集落の中心広場では修龍と天花の婚約を祝って宴席が開かれていた。
もともと大勢の人の下で飲むことは好かない上、あの二人の幸せそうな笑顔を見ていると自分の胸が辛くなる。
酔いを醒ますという理由で席を離れ、一人、涼しい夜風に当たりながら満天の星を見つめていた。
酒で酔った火照りと共に心の隅に芽生え始めた熱も冷めて欲しいと願う。
「私にもまだこんな気持ちが残っていたのだな……」
礼龍がぽつりとつぶやいた。
「何してんの? こんなところでさ」
「修龍!」
ひょっこりと姿を現した修龍に驚いて、礼龍はあわてて飛び起きた。
「私は酔いを醒ましていただけだ。お前こそ主賓がこんなところへ何をしに来た」
「兄上を探しに」
「私を?」
礼龍は照れ笑いを浮かべている修龍をいぶかしげに見つめる。
「だってさ、一番祝って欲しい人がいないんじゃつまんないから」
修龍は酒の入った竹筒と杯を取り出し、二つの杯になみなみと酒を注いだ。
「こうやって二人で飲むのって初めてじゃない? 俺、こうやって兄上と酒を酌み交わしたいとずっと思ってた」
「毎日、嫌というほど顔をあわせているのに改めて二人で酒を酌み交わすこともないだろう」
「冷たいお言葉。可愛い弟の成長を祝ってよ」
ほろ酔いの修龍は薄紅色の顔をして倒れこむように礼龍に抱きついた。
「こら、何をする! 弟に抱きつかれてもちっとも嬉しく無い。成長したと認めて欲しかったら、いい加減、甘えるのはやめろ」
「いいじゃん、たった二人きりの兄弟なんだし。それに兄上以外に甘えられる相手いないし」
修龍は子供のように歯を見せて笑う。
修龍の笑顔を見ると礼龍の胸はちくりと痛む。
この弟の笑顔を自らの手で壊そうとしている。
(今ならまだ傷は浅い。草原の涼風よ、私のこの火照った想いを酒の酔いと共に消し去ってくれ……)
礼龍は闇の中で煌々と輝く星にそっと祈った。
龍の里を取り巻く情勢は厳しく、里の肥沃な土地を狙って各部族が虎視眈々と機会を窺っていた。
修龍よりも三代前の長の時分、南に住まう砂漠の民、北に住まう草原の民、この二つの龍族が劉家の支配下から離れていった。
龍族の中心となる宝珠を持つ長が志半ばで、相次いで亡くなり、少数派の部族を押さえ込むだけの力は劉家にはなかった。
先代の長である修龍の父親もまた短命でこの世を去った。
まだ年若い修龍の両肩には龍の里に住まう龍族の将来が重くのしかかっていた。
天花との結婚は草原の民との繋がりを保つための、いわば政略結婚だった。
まだ十八歳の修龍は己を取り巻く大人たちの思惑を知らないわけでもなかった。
それゆえにこれから里で暮らすことになる天花の身を案じていた。
「これで北方の情勢は少し落ち着くでしょう。玄武とも十分に対抗ができます。問題は南方の情勢です」
直属の部下が血気盛んに取り巻く状況を説明する中、修龍は呆っと窓の外を眺めていた。
大人の話が実にくだらない。
地盤を固め、ゆくゆくは龍族のみならず他の部族をも従える強い国家を作る……
その頂点に立つ修龍にとっては強い国家などどうでも良いことだった。この土地で暮らすものが笑って暮らせるのならそれでよかった。
敢えて他の部族と戦を起こす真似をしたくはないし、己の右腕に宿る龍の宝珠は力で人をねじ伏せるためのものではなく、人を守る力を授けてくれるものだと思っている。
「あとは任せるよ。俺はちょっと外へ出る」
加熱する大人たちの論議の中、水を差すかのように修龍はふらりと立ちあがりその場から姿を消した。
離れたところでちらりと修龍の様子をうかがっていた礼龍は眉間に皺を寄せる。
話が他国の情勢に及ぶと修龍はいつもどこかへと姿をくらませてしまう。
「礼龍様、いくら修龍様が宝珠の力を持つ長とはいえ、いささか落ち着きが無さ過ぎるのではないのでしょうか?」
「すまんな。あれの気まぐれは所帯を持っても直りそうも無い。その分、私が補佐をするから大目に見てやってくれ」
礼龍は苦笑いを浮かべ、窓の外をぼんやりと仰いだ。
「いっそのこと礼龍様が長になられてはいかがですか?」
何気なく上がった声に礼龍はどきりとする。
己が長になるということは実の弟と争うことになる。
長と器量が問われる修龍は血の繋がった、時には可愛いと思える弟に変わりはない。
「戯言を……私は修龍の補佐役で十分だ」
"本心なのだろうか?"
そう自問しながら礼龍は苦笑いを浮かべたまま静かに答えた。
青々とした緑が生い茂る小川のほとりで修龍はごろりと横になり蒼天を仰いでいた。
雲一つない天の景色の中、籐の籠を背負った少年が現われた。
「また抜け出してきたのですか? 礼龍様にたっぷりと小言をいわれますよ」
利発そうな顔立ちをした少年はにこりと修龍に笑いかけた。
「元化か。お前こそこんなところで何をしている? 勉学を抜け出してきたか?」
「やだなぁ。修龍様と一緒にしないで下さいよ。薬草摘みです。ここは薬草が多く生息しておりますので」
元化は笑いながらくるりと背を向け、背負っている籐の籠を修龍に見せた。
修龍はその中から無造作に一枚の葉をつまみ、天へかざした。
「なぁ、元化。俺は臆病者だろうか?」
「は?」
修龍よりも五つ年下の元化は意図がつかめず、きょとんとしながら修龍を見つめた。
「なんかさ、他国がどうのこうのとみんなが騒いでるけど……どうでもいい。俺は敢えて他の部族と争ってまで領土を広げたいとは思わない。
この里で皆が笑って暮らしていければそれで十分だと思ってる。無駄な戦は好まない」
「私は政治的なことはわかりませんが……修龍様の考えは好きですよ」
元化はあどけない笑みを浮かべて修龍の手にしていた薬草を己の手におさめ、籠へいれる。
「それに、戦が起こればうちは忙しくなってしまいます」
元化は里で代々医者を務める華家の跡取りで、元化自身も名医としてこの里で活躍しようと日々勉学に励んでいた。
「修龍様の奥方様になる方ってどんな人なのですか?」
「あぁ、すげえ美人。笑うと可愛くてさ、笛が巧くて……って、なんだよ、お前、色気づいたのか?」
「ち、違いますよ」
元化は顔を赤くして首を激しく横に振る。
「奥方様が来れば赤ん坊が生まれるでしょう? 私に取り上げさせてください」
「元化……」
ずっと横になっていた修龍が身を起こし、まじまじと元化を見つめる。
「修龍様の子供、僕が取り上げたいんだ。父様がいつも言ってる。礼龍様と修龍様を自分の手で取り上げたことを誇りに思うって。だから僕も……次の長様になる子をこの手で取り上げたい。まだ若輩者だけど一生懸命勉強する。ね、いいでしょう?」
今まで丁寧な口調で話していた元化がやや興奮しながら素の口調になっていた。
修龍は口元に優しく笑みを浮かべ、身の丈が伸び始めた元化の頭を撫でる。
「わかった。兄上が反対しても俺はお前に頼むよ。って、まだまだ先の話だけどな」
「あと一年か……しっかり勉強しなくっちゃ」
「おい、一年って……気が早いだろう」
「そうですか? でも夫婦になるからには男女の営みって当たり前のことでしょう? 赤ん坊ができるのなんてすぐですよ」
元化は再びにこりとあどけない笑顔を浮かべた。
「ったく、妙なところで耳年増になりやがって。……まぁ、いいか。そのうちお前にも天花を紹介するよ」
「はい。楽しみにしています」
元化は籠を背負いなおし、ぺこりと修龍に一瞥して来た道を戻っていった。
元化の背に向かって右手を振っていた修龍はふと手を止め、そのままじっと己のかざしている右手を見つめる。
次の長になる子、己と天花との間に生まれる男子の中に宝珠を持って生まれてくる子が必ずいる。
生まれながらにして行くべき道を決められた子。
「俺の代で変えたいものだな……なりたい奴が長になればいいんだ」
修龍は不気味な足音が近づいていることをひしひしと感じ取っていた。
この先、この右腕に宿る龍の宝珠で何かが起こる。
漠然とだがそんな気がしていた。