その犬
動物に対して冷めた今の世の中。思うところがあったので書きました。
大学3年の秋のある日、バイトから帰り、遅い夕飯を取りつつ何気なくテレビのニュースを見ていた。
それは、世の中に溢れかえる捨てられたペットたちの特集。
ニュース番組ではたびたび、飼い主に捨てられた動物の映像を流し今の社会の姿を浮き彫りにする。
「かわいそうねえ。どうして最後まで面倒見れないのに飼うのかしら。」
母の慈しみの言葉には、どこか突き放したような冷たさを感じた。
それを特に気にも留めず、箸を口に運ぶ僕の心に突き刺さったのは、そのニュース中のテロップだった。
「この捨て犬たちは、新しい飼い主が見つからなければ、淡々と順番に安楽死させられて行く」
そのテロップを見た瞬間、僕の目には檻の中でこちらを悲しげに見つめる犬たちが、刑が執行されるのを待つ死刑囚に見えた。
「母さん、犬飼えないかな」
気づいたら、そんなことを口にしていた。
「どうしたの、あんたがそんなこと言うなんて。」
母の反応も当然だ。今まで犬を、ましてや動物を飼いたいなんて考えたこともなかった。
「ん、いやなんでもない。ごちそうさま。」
自分でも不思議だった。
かわいそうな動物を見たから少しかわいそうだと思ったぐらいだろ。などと理由づけて、その後は特に気にもしなかった。
秋の冷え込みも強くなった数日後の夕方、大学の帰り道、近所の商店街を歩いているときに、一匹の犬が目に入った。
その犬は首輪がなく、もともとは白い毛なのだろうけど茶色く薄汚れていた。雑種・・・だろうか。
歩みを止めずに見ていると、その犬は何かを探すように行き交う人を見ていた。
どこか悲しげに、寂しげに。そして何かを悟っているかのように。
ふと、目が合った。
ほんの数秒。
人間の赤ちゃんみたいな目だな・・・
その時、携帯が鳴り、僕の意識は完全にその犬から離れ、友達との会話に集中していった。
「うん。じゃあ明後日の午後で。」
電話を切ったときには、もう家のすぐ近くだった。
するとすぐ後ろのほうで犬が吠えた。
そういえばさっき立派なゴールデンレトリーバーとすれ違ったっけ。と思っていると
「キャン!キャン!」
と掠れたような鳴き声も聞こえた。振り返ると、さっきの犬が何倍も体の大きい相手に必死に威嚇していた。
なんでここにいるんだ?と思っていると、その犬はこちらに気づき、とてとてと近づいてきた。
黙って様子を見ていると、僕の数メートル先に座って耳の後ろを足で掻き、そして商店街のときと同じ目でこちらを見てきた。
不思議な犬だな・・・
と思いつつ、また歩き出す。また振り返るとさっきと同じくらいの距離でこちらを見ている。
曲がり角を曲がり、コンビニに入る。少ししたらどこかへいくだろうと思ったからだ。
買い物を終えて店を出ると、何食わぬ顔で軒先に座っていた。
おう、おわったか。
そんな感じで僕を見ていた。
その後、結局家の前までついてきた。
門を閉めると、そいつは門の向こうで寂しそうにこちらを見る。
やっぱり入れてはくれないか・・・
その瞳はそう訴えていた。
入れてやりたいという気持ちが沸いてきていたが、家で面倒を見れる保障もない。
「ごめんな」と言い、家に上がった。
その後2階の部屋から様子を伺っていたが、しばらくすると夕日に染まる道を遠くへ消えていった。
その夜は風の強い夜だった。
おそらく寒さに強い犬でも、辛いだろう寒さ。
あの犬はどうしてるかな・・・と頭から離れなかった。
今晩だけでも居させてやればよかったと少し後悔していた。
次の日の朝、散歩に出かけた。
近くのコンビニでドッグフードを買って。
おそらくあまり食べられていないだろうその犬のことを、僕はもう放ってはおけなかった。
商店街の犬が居た場所まで来たが、見あたらない。
どこか寝る場所があるのだろうか。
徒歩でいける場所を探してみたが、見つからない。
あきらめて帰ろうとしたときに、ふと、家の近所の公園を思いだした。
居てくれたらいいな・・・と期待を持ち、疲れ始めた足にも力が入る。
公園へつき、茂みや遊具を探す。
雨風をしのげるところにいるはず・・・いた!
滑り台の下の短いトンネルの中に小さく丸まっていた。
「おーい。起きろ。ご飯もってきたぞ。」
見つけたことが嬉しくて、いそいでドッグフードの缶を開ける。
「ほら。開いたぞ?」
缶を犬の横に置き、起きない犬おそるおそるを撫でた瞬間、気づいた。
冷たい。
やせ細り、ところどころ骨の浮いた冷たい背中。
昨日は気づかなかったが、年老いた犬だったのだろう。
毛も何箇所か抜け落ちていた。
涙がこぼれていた。
後悔。
なんであの時。
昨日の遠ざかる後ろ姿がフラッシュバックする。
そして前に見たニュースも。
気温が上がり始めたその日の昼過ぎ、
冷たくなったその犬と一緒に、
僕は保健所へ向かっていた。
保健所に着くと、所員の人に話しかけられた。
この2日間のことを話すと、
「動物がお好きなんですね。」
と言われた。そこで初めて、わかった。
今までただ無関心だったのだ、と。
母の言葉にそこはかとない冷たさを感じたのも、同じだろう。
ただ、無関心なんだ。
口では気にかけているようなことを言っても、心の底では何か違うことを考えている。
自分もそういうことをしてきていたんだ。
静かに落ち葉を掃いていた所員さんが、
「うちにいる子たち、見てみますか」
と言った。
僕は、無言で後を着いていった。
建物の中へ入り、廊下を進む。
所員の人が扉を開けると、無数の犬の吠える声が聞こえてきた。
そこは、大きな檻が数個並んでいて、数匹ごとに分けられていた。
不安そうな顔もいれば、おとなしく寝ているのもいた。
「気に入った子がいたら、連れて帰ってあげて」
檻の前にしゃがむと、1匹尻尾を振って近づいてきた。
白い毛並みがふわふわとしている。
小さく、元気がありあまっている感じだった。
「その子は1番最近の子だね。吠える癖が直らなくて飼えなかったらしい」
その言葉には、怒りというか、飼い主に呆れたような雰囲気を帯びていた。
檻に入れてもらうと、数匹がじゃれてくる。
自分が一匹選ぶことで、他の子が選ばれないんだ。
その事実は、僕の心に刺さったままだった。
その時、おとなしく伏せてこちらの様子を伺っている黒い犬と目が合った。
あの犬と同じだった。
しゃべれない分、その目が伝えてくる。
さみしい
かなしい
こわい
くるしい
ゆっくり近づいて手を差し出すと、少し身を引いたけど触らせてくれた。
優しく抱き上げて、撫でる。
「この子にします・・・っ。」
「そうかい。じゃあちょっと手続きしてね」
よかったな。と犬の頭を撫で、所員さんは微笑んだ。
その後事務所へ行き、引き取る手続きをして、首輪をつけてあげた。
「大事にしてやってな」
頭を下げ、少し不安そうにしているその犬と家へ。
とりあえず、名前考えてやらないとな。
秋の空は高く青く澄んでいた。