第六話:公民館
南方の指示に従いながら、兵治は四輪駆動車を走らせ続けていた。途中、事故車両や焼け落ちた家のせいで道路が塞がれている場所があり、何度かそういうところは迂回しなければならなかった。
運転しながらふと見た、黒焦げになった乗用車の運転席に炭化したその車の持ち主を見たときは、かなり切なくなった。あまり意識していなかったが、きっと家屋の中には遺体がごろごろと転がっているはずだ。これだけの事態を招いた病気が猛威を振るった末期には、遺体を収容することもままならなくなっていたに違いないからだ。
――本当にひどいな、これだと道路の車両移動もひと苦労だ。
荒れ果てた道路を進みながら、兵治は改めて周囲の惨状を感じていた。焼け落ちている建物が多いのは、やはり消防が機能しなかったためだろう。本当の火災では、たかが消火器程度では太刀打ちできないのだ。電気が使えない今、火気の取り扱いには厳重注意が必要だろう。
「そこを左ですよ」
「あ、はい」
周囲の惨状に考え込んでしまっていたせいで、危うく左折すべきところを直進しそうになった。南方の指示で我に返った兵治は、慌ててハンドルを左に切った。
ルームミラーで後部座席をちらりと見たが、草加もどこか心ここにあらずといった様子で、外を眺め続けていた。自分が守っていた町がこのようなことになり、辛いのだろうか。あるいは、彼もまたたくさんの同僚を失い、おそらく家族や親しかった者との別れも経験したに違いないから、そのことを思い出してしまっているのだろうか。
――昔は俺は世界で一番不幸な人間だと思ったが、本当にそいつはとんだ間違いだったな。
兵治は幼い頃に両親を失い、天涯孤独の身を味わったことがある。その頃のくだらない諦観に満ちた自分を思い出すと、今では殴りたくなって来る。つくづくあの頃は意気地無しだった。男らしくあろうと思い、他にもいろいろ事情はあったが、自衛官になった自分の選択肢は間違っていなかったと思う。
「くあぁ……」
またしても思考の泥沼にはまりかけたところで、後部座席から間抜けな欠伸が聞こえて来た。もちろんこんなことをするのは、草加の足元で寝そべっているあいつだけだ。
「ガル君、本当に可愛い仔ですね」
助手席の南方がくすりと笑いながら言った。先生、こいつの本性を知ったら、きっと幻滅するしそんなこと言えなくなりますよ、と思う。
「人間で言ったら、生意気な若造みたいなもんですよ。仔って呼べるかどうか」
「そんなこと言っちゃダメですよ、ほら怒ってる!」
苦笑しながら南方にそう言った途端、後ろからガルの唸り声が響き始めた。野郎、寝ぼけてたくせにちゃんと聞いてやがったか。
「おいおい、俺の足元で唸り声を出すのはやめてくれ。心臓に悪い」
草加が勘弁してくれといった感じで言うと、あっという間にガルは唸り声をあげるのをやめた。クソッ、こいつ狼のくせに猫かぶってやがる!
「やっぱり頭いいし本当にいい仔ですね」
「ああ、警察犬より優秀なんじゃないか」
南方と草加に褒められ、ガルのふふんというような響きの鼻息が聞こえた。運転席からでは顔は見えないが、きっとどや顔をしているに違いない。ファックユー。
「あんまり見かけない犬種だが、なんて言うんだ?」
そいつは犬じゃなくて狼です、などと兵治が言えるはずもない。さすがにこれは想定外だったので、慌てて兵治は適当な嘘を言った。
「実は俺も詳しく知らないんですよ。この災厄が始まってから、たまたま廃墟で出会って、それ以来なんとなくいつも一緒にいたんで」
ちょっと苦しい言い訳だが、下手に飼主だと言うと、犬種を答えられないのはまずいしあれこれもっと嘘を言う羽目になる。嘘はつき過ぎないのが一番だ。
「ふぅん……よくしつけられてるみたいだし、飼い犬だったと思うんだがな。首輪も何も無いな」
草加がガルの喉のあたりを撫でながら言った。ガルは猫みたいに喉を鳴らして、草加に応じている。畜生、俺に対してもそういう態度でいてくれよ、と心底思う。
ガルの猫かぶり態度はともかくとして、ここはもうひと押し嘘を言う必要がありそうだ。これ以上嘘をつくのは好ましくないが、これからも一緒に行動する以上、何よりも大切なのは信頼。それをガルの存在のせいで台無しにされてはたまらない。
「ひょっとして前の飼い主は、最期に首輪を外してガルを逃がしてあげたんじゃないでしょうか……あんまり考えたくないんですが」
嘘の多くは相手を納得させるべく理詰めで語られるが、時には相手の感情に訴えかける嘘も必要だ。この辺りをうまく使い分けできるようになれば、嘘のプロフェッショナルになれる。ただし誇れることではないが。
というわけで兵治がわざと辛気臭く言うと、わざわざガルが運転席に顔を出して耳を垂れさせて、しゅんとした様子を見せた。あいつならアニマルマスコットなんて余裕だろうなと兵治は思った。喋れる時点でそんな次元ではないと思い直したが。
「そうだな……まあ、おかげで心強い仲間が出来たんだ」
「そう、そうですよ!襲って来る野犬とガル君は比べ物にならないですよ!」
オスカー俳優間違い無しのガルの名演技を見てしまい、見事に騙された南方と草加が急いで励ますように言った。兵治はひどい罪悪感を感じたが、ガルは励ましの言葉を貰って、また耳を立てて草加の手を舐めたりしている。絶対罪悪感なんて感じてないなと思う。
「あ、もうすぐですよ。このまま川沿いに進んで下さい!」
そうこうしているうちに、目的地である公民館のすぐ近くにまで来ていたようだ。無事でいてくれればいいが、とまだ見ぬ子供たちのことを兵治は想った。
「先生!無事だったんですね!」
律儀にも公民館正面の駐車場に兵治がきちんと駐車すると、南方は文字通り車から飛び降りていき、公民館へと駆けこんで行った。そして今、南方の無事を喜んだ子供たちの歓声が、公民館の入口を支配していた。
兵治は運転席から降りると、草加に肩を貸しつつも、公民館を観察した。比較的新しく建てられたようで、平べったい二階建て。外からパッと見た限りでは、どうやら一階が集会場になっているようで、そこで子供たちは寝泊まりしているようだ。二階の窓も覗き見してみたが、地区での会議をするための、事務的な部屋があるらしい。パイプ椅子の背が並んでいるのが見えた。
公民館のすぐ横にはそこそこの規模の川が流れていて、これをうまく利用すれば川からは攻められないだろうなと思った。ただ川とは反対側、公民館のすぐ隣がもうすぐに住宅地になっているのが心配だった。コンクリート壁で遮られているとはいえ、敵は住宅地に隠れながらすぐ隣まで攻めて来られる。ただ正面は駐車場や道路があり、開けているから銃撃戦では有利そうだ。
総じて見れば、そこそこ守りに向いている立地条件と言えるだろう。町中のど真ん中にあるよりははるかにマシだ。やはり草加には見る目があったらしい。おかげで今まで子供たちは無事だ。
ただ住宅地の方から数で攻められたら辛いな――そんなことばかりを考えながら歩いていたら、いつの間にか公民館の玄関まで来ていた。南方の帰還を喜んでいた子供たちが、じっとこちらを見ている。肩を貸している草加が気になっているようだが、兵治が信頼出来る人物なのかどうか、迷ってしまっているらしい。
「ええと、南方先生。この人は……?」
最初に南方の帰還に気づき、無事だったんですねと喜んでいた学生が、おずおずと南方に尋ねている。学生といっても中高生には見えないから、おそらく大学生なのだろう。
「石塚君、この人は氷川兵治さんよ。私と草加さんを助けてくれた人なの」
石塚と呼ばれた青年は、まだ迷ったように兵治と草加を見比べている。そんなに俺は怪しいのだろうか、と兵治は心配になる。ひょっとしたらスーツなんかを着ているせいかもしれない。
「氷川さんは自衛隊の人よ。撃たれた草加さんの手当てもしてくれたし、暴徒を何人も撃退してくれたわ」
「そうだ、私よりもずっと強いよ。大丈夫だ、信用できる人だ」
南方と草加がそう口にすると、効果は劇的だった。やはり自衛隊員というのが効いたのだろうか、石塚が警戒を解いて自己紹介をして来た。
「初めまして、石塚達也です。大学生ですけど、代表で今まで子供たちの面倒を見ていました。先生たちを助けてくれて、ありがとうございます!」
「こちらこそよろしく、氷川だ。南方さんと草加さんがいない間、よく子供たちを守ってくれたね」
自己紹介を交わしながら、兵治は石塚を観察した。一言で言うならば、好青年と言うほかない。乱れた身だしなみはしていないし、不良ではなさそうだ。まあ、そもそもあの南方と草加が子供たちの面倒を見るためのリーダーとして残したのだから、悪い人間なわけがないが。
これで場の緊張が解けたのだろう。今まで南方の近くから離れなかった小学生ぐらいの子供たちが、一斉に兵治と草加に群がって来て口々に話し出した。
「おまわりさん、足平気なの!?」
「じえーたいってかいじゅうだってやっつけられるんだから、もう安心だね!」
「戦車あるの?乗せてよ!」
今までこんなに子供に群がられたことは無かったので、兵治は困ってしまった。とりあえずは、怖がらせないように笑ったままでいる。見れば草加も苦笑してしまっている。
「あっ!おっきなワンちゃんがいるー!」
やって来た子供の中にいた小さな女の子が、大声を出して言った。その女の子が指差す方を見れば、車からやっと降りたガルがいた。指差されたガルはといえば、「えっ俺?」というような顔でかたまっている。
そんなガルの様子を見た兵治の中で、意地悪な気持ちが大きくなった。ここはまたオスカー俳優様の力を見せて貰うことにしよう。
「ガルって言うんだ、あの犬。すごく頭もいいし絶対に噛んだりしないから、みんな好きに触っていいぞ!」
兵治の言葉を聞いたガルは、一瞬ぽかんと口を開けたが、次の瞬間には「おい馬鹿やめろ!?」と必死で目で訴えて来た。が、時既に遅しだ。
「やったー!」
「おっきいわんこだ!」
「さわりたーい!」
最初にガルを見つけた女の子が、兵治の言葉を耳にするとあっという間に駆けていく。それに釣られて他の子供たちも一斉に駆け出した。歓声を上げて走り寄る子供たちの津波を前にして、ガルはたちまち埋もれて見えなくなった。ガル、お前の犠牲は忘れない……たぶん。
「とりあえず、今のうちに中に入りましょう。草加さんの傷をもう一度見たいですし」
見事に子供たちを引き離す囮となったガルには目もくれず、さっさと兵治は草加を連れて公民館の中に入っていく。まさにしてやったりだった。
公民館の中に入ると、兵治は草加の傷の様子を軽く診た後、ひとまず現状の話を聞くことにした。
「ここには今何人いるんだい?」
南方は玄関でガルをおもちゃにして遊んでいる子供たちを見るために残ったので、ひとまず石塚にそう尋ねた。草加もちゃんと隣にいる。
「えーと、大学生は俺とあともうひとり、女子がいます。それから中高生と小学生が大体一五人ずつですね。だから全員あわせても、四〇人もいませんね」
まさか小学生を戦力として数えるわけにはいかないから、中学生以上の学生を根こそぎ動員するとしても、せいぜい二〇人。当然女子もいるだろうから、そういった要素も勘案すると、戦力は一〇人ちょっとしか残らない。これでは暴徒が大挙して押し寄せて来たら、あっという間に全滅である。
「食料はどうかな?」
とりあえず学生の戦力化は後回しにするとして、なんといっても四〇人近くもいるのだ。食料の確保は急務だ。情報を聞き出す必要がある。
「正直、そろそろきつくなって来たところでした。いくら節約していると言っても、食べ盛りが多いですし。一応、倉庫にある震災に備えての炊き出し類には手をつけていないので、いざというときはそれを食べようかと思ってます」
ここで草加が口を挟んだ。
「非常食はまだ駄目だ。ああいう保存の効くものは、今食べてしまったら後で困る」
「確かにそうだな。やはりここは無事だった店や家から、食べ物を集めるのが一番だろう」
――まあ、後でこっそりガルに頼んで、食料を倍々にして貰えればいいんだが、食料はあるにこしたことがないしな。
兵治にはガルに複製して増やして貰うという反則技があるのだが、それでもやはり元手になる食料が無ければ意味が無い。戦力化を進めると同時に、食料調達に関してもうまく組織化する必要性があるだろう。
「武器とかそういうものは?」
「草加さんのピストル以外だと、スタンガンとか金属バットとか、そういうものしかありません」
兵治が持っているのもリボルバーだけだ。スタンガンはともかく、金属バットなんかは暴徒も使っているので、まともにこれでやりあえば力や数の差ですぐに負けてしまう。
「銃火器は今のところは拳銃しかないな。暴徒の中には猟銃を持っている奴もいるから、これだと心もとない。警察署に行ければ、拳銃やその弾薬はまだ残っているはずだが」
草加の答えを聞きながら、兵治は改めて考える。生きていなければ当然食べることはできないのだから、自衛のためにもやはり武器の調達を急ぐべきだった。一度少人数で警察署に行き、拳銃などの武器の確保に行くのがいいかもしれない。警察署でなら無線機も手に入るだろうし、やはり行くべきだろう。
「中学生以上の男子学生なんかは、みんな信頼できますか?」
「ああ、でないと今ここに生き残っていないよ」
草加が言うのならば、信頼出来る。暴徒から奪ったニューナンブやM37があるから、怪しまれない程度にこれをガルに頼んで増やして貰って、戦闘要員にする学生にはひとり一丁は持たせたい。警察署でも拳銃などの回収が叶うならば、十分な数がいきわたるはずだ。
「今後の計画をきちんと立てよう。暴徒がいつここを見つけるかわからないし、備えられることは全部しよう」
「その通りだな。奴らに撃たれたお礼をしてやりたいよ」
「俺も手伝いますよ。学生のみんなとは仲良くしてますし、力になります!」
治安関係者の兵治と草加、それに戦力となるはずの学生をまとめている石塚で、本格的な今後の計画についての話し合いが始まる。彼らに今あるものはあまりにも少なかったが、最善を尽くすべく、話し合いは食事時まで続けられることとなった。
また会話ばっかりになってしまいましたが、いよいよ本格的に動きはじめることになりました。
次にまたドンパチ書けたらいいなぁ、と思ってます。
本当にたった一言でも貰えるとやる気が一気に出て書き進められるので、ご意見やご感想、なんでもお待ちしています。